2023/8/5開催ネオゲ隼號webオンリー【8月5日は隼號の日!】でPDF配布したお話。
つきあってます。號君のことが本当に好きなんだな、とつくづく思う隼人のお話。キスまで。約3,800文字。
◆◆◆
ドアノブが回る音に目をやる。
號ならいいのに、と思って、すぐに違うと打ち消す。この時間は確か予定があったはずだ。
それでも一縷の可能性を捨てられず、隼人は視線を外せないでいた。
ドアが鈍い音を立てて開く。薄暗い空間に光が射す。大きくなっていく隙間から現れた輪郭は、間違いなく號だった。
「——」
長い前髪の下で、隼人の目が大きくなる。
「いたいた! 神さん!」
號の声が跳ねる。瞬時にめいっぱいの笑顔を浮かべ、まるではぐれた飼い主を見つけた犬のように駆け寄ってきた。
「——號」
「おっと、サボったワケじゃねえからな」
人差し指を突き出し、隼人を制する。
「ちょっくら開始時間が延びてよ。三十分の待機だ」
「……そうか」
「神さんは?」
「少し考え事だ」
「そっか」
くるりと身体を反転させ、壁に寄りかかる。隼人と同じスタイルになった號は持っていた缶ジュースを開け、ひと口飲んだ。
隼人はその動作を見つめている。
三十分は一瞬ではないけれども、何かをするにはかなり短い時間だ。その間に自分を探そうと思い立ち、広い本部内を歩き回って居場所を突き止めたのか。
「よくわかったな」
「え?」
隼人を見上げ、すぐに「ああ」と理解する。
「最初に西棟の屋上に行ったろ? それから本部B2の喫煙室ちらっと覗いて、電気室側の自販機コーナーに行って、それからここだ」
指折り数える號に思わず苦笑する。全部、隼人がよく行ってはひとりで考え事をする場所だった。
「北棟の非常階段まで把握されているとはな」
「へへ」と號が得意げに笑う。
「あとな、南棟だとB1のボイラー室辺り」
「お前」本当にいつの間に、と驚く。
「名探偵になれるぞ」
だが號は首を横に振る。
「神さんの居場所だけわかったってしょうがねえだろ」
それでも嬉しそうに、少しだけ照れくさそうに、はにかんだ。
再び號の喉が動く。ふと甘い香りが流れてきて隼人の鼻をくすぐった。柔らかい匂いに心がゆるんでいく。
「な、神さん」
「何だ」
つつ、と號が遠慮しながらもにじり寄ってきた。いつもよく動く瞳を今日もくりっと巡らせて、上目遣いになる。
「俺に会えて嬉しいだろ」
「——」
小さく、しかしはっきりと言われて息が詰まった。
「——そう、だな」
反応が遅れて、隼人の眉がわずかにしかめられた。
見惚れていたと気づかれただろうか。つい先刻まで頭の中はあの案件をどう処理してやろうかとそればかりで積もる苛立ちを隠せなかったのに、一瞬で號の笑顔に占拠された。それから「司令官」という立場に戻れないでいる。
ほかに人がいなくてよかった——いや、よくない。本人に気づかれるのが一番厄介だ。
「神さん?」
ほら来た、と今度は隼人の眉間にしっかり皺が刻まれた。
「何か心配事か?」
「……いや、問題ない」
てっきり「照れてるのかよ」とからかってくるのだと思っていた。それが真面目に心配をしてきたのだから、嬉しいと同時に、恥ずかしさを隠したい己の欲だけが前に出ていることに情けなさを覚えた。
「けど、何だかすげえ難しい顔してるぜ」
「大丈夫だ」
覗き込んで来た頭に右手を置くとわしわしと撫でる。見た目は硬そうだが、意外に柔らかな髪の毛が手のひらをくすぐってきて気持ちいい。
「ちょ、お、じ、神さ、ん」
戸惑いながらも、まんざらではなさそうに號が目を細めた。
ああ、と隼人は心の中で嘆息する。
愛おしくてたまらない。
いつでも、何に対してもまっすぐに心をぶつけてくる號が、誰よりも愛しい。
きっと自分が繫ぎ留めていていい男ではない。わかっていても、ずっと傍にいて欲しいといつの間にか切に思うようになっていた。
「神さん」
「うん?」
號が周囲に視線を走らせ、耳を澄ます。普段は閉鎖されている非常階段だが、絶対に人が来ないとは言い切れない。緊張の隙間を縫って背伸びをした、あるいはストレートな睦言でもくれるのだろうかと、隼人は微笑ましく思いながら顔を寄せる——と左手でネクタイを掴まれ、軽く引っ張られた。
「え、ご——」
號、と呼ぶ前にキスをされる。
「——」
微かに甘い香り。
唇が触れ合うだけの口づけ。それでもすぐに胸が騒がしくなる。本当はどんなときでも冷静でいなければいけないのに、號は簡単にその防壁を飛び越えてくる。
「タバコ、やめると口寂しくなるんだろ」
目の前で、また笑顔が咲く。
「——何」
「最近、全然タバコの匂いがしねえから」
そう言って、號は隼人の上唇をついばんだ。
「……俺のためにって思うのは、自惚れかな」
「…………どうかな」
舌先で號の唇の輪郭をなぞり、そっと吸う。香りと同じ、甘い味。わずかに身じろいだ腰を右手で抱き寄せ、もう少しだけ深い口づけを交わす。
「……ん」
鼻にかかった声まで甘い。隼人の心を揺らす声。
「ん、ふ……」
もっと聞きたくなる。だがそうもいかない。
「……続きは、またあとでな」
もう一度キスをして、唇を離す。
「ん……」
普段の號は快活そのものなのに、今は恥じらいとほのかな欲と恍惚の端に触れた表情が浮かんでいた。己に触れてそうなったのだと自覚すると、隼人の胸は狂おしさでいっぱいになる。
「そろそろ時間だろ」
まだ甘えたそうな號を促す——早くしないと自分の理性が先に溶けてしまいそうで。
「……」
號が見上げてくる。
「號?」
目線が一度逃げ、また合い、今度は下がる。迷いながらも誘っているような號の姿に、隼人はまんまと引き寄せられる。
「これでお終いだぞ」
言って、口づける。
「ん」
舌を潜り込ませると、ひくりとして逃げる。あやすように優しくなぞると、わずかに逡巡したあとで絡みついてきた。
「んう——ん、ん……」
號は仔犬のように稚く鳴いて、けれども舌先は熱くうねって、ふたりはしばしの間、恋人同士である事実を確かめた。
そっと離れると、舌が縋ってくるのが見えた。隼人は再び口づけたい衝動をぐっとこらえる。
「お終いと言っただろう」
自分にも言い聞かせながら、紅潮した頬を撫でてなだめてやる。
「ん……」
不満げな顔つきも愛しくて、最後だと決めたはずなのに額に軽くキスを置く。
「これで本当に、お終いだ」
號も引き際を理解している。ねだるような唇を引き結び、こくりと頷いた。
「神さん、今何分だ」
「二十六分」
腕時計を確認する。すぐに「やべ」と声があがった。
「遅れると翔のヤツがうるさいからな。そろそろ行くぜ」
「ああ、頑張れよ」
「おう、任せとけって」
號が左手でサムズアップする——満面の笑みを隼人に贈って。
「——」
胸の奥に広がるあたたかさを噛みしめながら、頼もしい背中を見送る。自分も負けていられないと思いながら。
「あ、そうだ」
扉を開けようとしていた號が引き返してきた。
「神さん、これ」
右手を差し出す。
「うん?」
ミルクセーキの缶だった。隼人は不審げに、それでも受け取る。まだ半分ほど中身が残っていた。
「これ、牛乳入ってるからよ」
「牛乳?」
「タバコやめると、イライラもあるんだって? そんならカルシウムだろ」
にっかと白い歯を見せる。
「ちょびっと飲んじまったけど、いいよな」
「あ、ああ」
それは構わない。だが。
「じゃあ、それ飲んでもうひと踏ん張りだぜ、神さん」
「號、おい」
「じゃあな」
右手を上げ、颯爽と身を翻しては去っていった。
重い扉が閉まると、あっという間にひとりの気配に戻る。
「……」
隼人はミルクセーキの缶をじっと見つめる。
正直、甘いものは得意ではない。
けれども、號が隼人を思ってくれたものだ。いい気分転換になるかもしれない。
「…………そうだな」
號の若さは軽やかで清々しく、実直そのものだ。その眩しさに目を細め、隼人は缶に口をつけた。
甘い香りが鼻腔をくすぐる。
「————っ」
液体が触れるより早く唇を離す。
咄嗟に左手で口元を覆う。
心臓がどくりと大きな音を立て、脈動が身体の中を支配した。よろめいて壁にもたれかかる。隼人はそれ以上、動けない。
「…………っ」
それは、號の口づけの香り。
——……何て……ことだ。
端正な顔が歪む。
ついさっきまで触れていた唇。その感触が鮮やかによみがえる。頭の中には號の笑顔と、恋慕に満ちた瞳、キスをうっとりと受け入れる表情が次々に現れては感情を煽った。
消そうとしても、消えてくれない。
天井を仰ぐ。
薄暗くて無機質な空間。いつ、何度訪れてもその印象は変わらない。散らかった考えをまとめ、苛立ちを静めるためだけの場所。それが一変してしまった。
今は——號との秘密の場所。
「……ふっ、くく……っ」
困惑を押しやり、あきれを通り越し、笑いが込み上げてきた。どうしようもない號への思いが胸の奥底に横たわっている。
自覚はしていた。だが想像していた以上に彼を愛しているらしかった。
——参ったな。
手の中のミルクセーキを見つめる。
柄にもなく振り回されている様を知ったら、號は「しょうがねえなあ」と明るく笑い飛ばしてくれるだろうか。
そうならいいのに、と思いながら、隼人は甘露を一気に飲み干した。