兄さんは1話通り亡くなってます。達⇄竜。11話冒頭で所員らがゲッターの修理に奔走しているときの隙間の話。シリアスめ。タイトルは『うたかた』。
・達人の幽霊が竜馬の前に現れます。
・地獄変を経た竜馬が「これまでのことも自分のせいだ」と気に病むシーンがあります。
・達人は言葉を発しません。
・ゲッター1の形態で修理をしている設定。ゲッターを格納しているサイロは天井を開け放している状態です。
・達人が自分を気にかけてくれているのだと知った竜馬が気持ちを持ち直します。
・お互い「好き」と言わないけれども最後に通じ合う瞬間があります。
約4,000文字。2023/10/5
◆◆◆
見間違いではなかった。
走り回る白衣や作業着の中に、死者がいた。
竜馬は凝視する。誰も気づかない。
死者は生者たちに混じって働いている。それも、ひとりではなく。
ある者は白衣の裾を翻して何事かを叫びながら指示している。ある者は油にまみれた作業着で装甲パーツの運搬を手伝っている。
そしてある者は——。
「…………達人」
呟くと大きな背中が立ち止まって、その人が振り向いた。
† † †
ゲッター1を格納しているサイロの最上部。物言わぬ達人の後を追って辿り着く。いくつかある扉には鍵がかかっているはずだったが、達人の身体が吸い込まれると解錠の音がして、竜馬が手をかけると自然と開いた。誰もがゲッターの修理と調整にかかりきりで、見咎められずにここまで来られたのだった。
達人がちらりと目線をくれる。
「……あンだよ」
待っても聞こえてこない声に、竜馬が唇を尖らせた。達人からは言葉の代わりに笑みが零れた。
「……っ」
竜馬の身体が、心が緊張する。その様子に達人は目を細め、ゆっくりと視線を外した。
手すりに近寄りゲッターロボを見下ろす。竜馬は少しの間その横顔を眺め、右隣で倣った。
甲高い金属音や重い駆動音、クレーンの軋み、カウントダウンする声に、「せーの」で重なるいくつもの声。いろんな音が反響しながら届き、さらには高い空に吸い込まれていく。
「あ」
米粒さながらの人影。そのひとつが消える。すると数メートル先でまた別の米粒がひとつ、現れた。周囲で蠢く影に動揺は見られない。
あちらでも、こちらでも。
やはり竜馬にだけ見えるのだろう。
「……アイツら、幽霊になっても働いてンのな」
未練だろうか。使命感だろうか。それとも、死んだことに気づいていないのか。
「…………」
隣を見上げる。達人がこちらを見る。
記憶の彼と同じだった。
頼りがいがありそうなのも、優しそうなのも。
戦闘中ではないから勇ましさと力強さは穏やかな雰囲気に隠されてはいたが、それでも凛とした心を映した瞳の輝きはあの日のままだった。
竜馬の唇が開かれる。
「——」
けれども、何も発せられることなく結ばれた。
達人の視線がサイロの中心部に戻る。遅れて、竜馬も。
眼下の殺気立った騒がしさとは対照的に、ふたりは静かに佇む。
恨み言であるはずがない。そんな小さな男ではない。ただ、晴明を倒したとはいえ甚大な被害を発生させたのは確かだし、あれで何もかも終わったのかと問われれば「たぶん違う」としか答えられない。後味のよくない闘いをしたのだから小言をくれたくなった可能性はある。もしかしたら研究所を出ていったことへのひと言かもしれない。
そうだとしたら——。
「達人」
不思議そうな表情に、竜馬は身体ごと向き合う。
「達人」
彼が生きていたときに呼んだことはない。それでもなぜか唇にすんなりと馴染む名前だった。
顔を上げ、まっすぐに見つめる。
「俺、忘れてねえから」
達人の目が見開かれた。
「約束したろ」逸らさずに続ける。
「すぐじゃねえけど、な」
達人が迷いなく決断を下せたのは、覚悟をしてきたからだ。彼も竜馬に乞うたことを誰かに乞われて、その心を受け継いできたのだろう。達人に乞うた人も、きっとまた。
竜馬の脳裏に、勇ましく剣を振るう人が浮かんだ。彼女も強い決意の下で、多くのものを背負って闘っていた。あの世界でいつから鬼が跋扈していたのかは知らない。彼女の前にも幾人もの覚悟が生まれ、引き継がれていたのだろう。
——けど。
思う。
これで最後にしなければいけない。あの業を誰かに押しつけるわけにはいかない。敵がこれからも来るというのなら闘う。その根源がゲッター線とゲッターロボにあるのなら、断ち切らねばならない。
「俺がゲッターに乗って、ちゃんと始末つけてやる」
澄んだ声が響く。数秒ののち、達人が小さく頷いた。竜馬の表情が和らぐ。
「おう。わかったらよ、おめえは引っ込んでゆっくり休んでろ」
一転しての軽口に、今度は達人の眉が下がる。困ったような微笑み。瞳は相変わらず強く、優しい。
「…………」
その奥の、見えない感情に思いを馳せる。
竜馬のせいだとわかってもなお、同じ眼差しを向けてくれただろうか。
『ゲッターがいるから敵が来る』
本当だとしたら——ゲッターの行き着く果てがあれなのだとしたら——からくりはどうであれ、自分がこの現状を引き寄せていることになる。いくら大きな男だったとしても到底受け入れられないだろう。
きっと、どこにいても見つかった。時間差はあれ、研究所に連れて来られた。ゲッターに乗ることは避けられなかった。
だから、降りたのに。
ぞろりと這い上がってくる。
空手をしていなければよかったのか。この肉体に生まれなければよかったのか。
耳鳴りが始まり、サイロの騒がしさが遠のく。心臓が、まるで針を打ち込まれたようにきゅっと収縮して冷たくなっていく。
「……は、ぁ」
息苦しい。見えない手が肺を鷲掴みにしていた。
「う……っ」
嫌な汗が毛穴から滲み出てくる。拳を握ろうとしたが力が入らなかった。
——俺は。
自分は、そもそもこの世に——。
昏い答えに引きずり込まれていく。視界がぼやけて、黒く塗りつぶされていく。
——俺、は……。
ふ、と意識が途切れそうになる瞬間、
「え」
頭に何かが降ってきた。現実に引き戻され、茫然とまばたきをする。
頭上に留まった質量が左右に動く。柔らかさとあたたかさで、達人に撫でられているのだとわかった。
「あ……」
いつの間にか俯いていた顔を上げる。目が合うと達人が笑う——まとわりつく重たいものを払いのける清しさで。
——達人。
不意に呼吸が楽になり、胸の中が軽くなる。その事実に驚き、戸惑う。
「…………俺」
もう、平気だと思っていたのに。
目を泳がせ、再び俯こうとする頭を達人がもう一度撫でた。
竜馬はゆっくり目蓋を閉じる。
これは、達人の心だ。
深呼吸して、その形を受けとめる。
大きな手がするりと下りてきて頬の丸みを撫でる。吹き抜けていく風にさらされ冷え切った肌に熱が伝わってきた。熱い手のひらだった。
胸の内が満たされていく。
——今度こそ。
「……もう、大丈夫だ」
いつだったか、弁慶が言っていた。地獄もたくさんあるのだと。生前に犯した罪によって堕ちる先が違うのだと。
——そんなら。
自分の行く先は人とは違う地獄なのだろう。だから、どこまで行っても再会は叶わないと思っていた。
それが今、こうして会えた。ゲッター線が見せた怪異でも、狂った自分が生み出した幻でも構わない。
「泣き言言って、何か変わるワケでもねえしな」
過去は変えられない。起きてしまったことは元には戻せない。
できるのは、この先を変えることだけ。見えない因果が手足を縛りつけてくるのなら、引き千切るまでだ。
「ま、やるだけやってやるさ。俺様をなめたら痛え目に遭うって、敵がどんなモンでもわからせてやんねえとな」
たとえ幽霊であっても会えるのは嬉しい。でも、心配をかけるなら話は別だ。
「任せとけって」
だから思いきり、笑顔を作った。
達人が満面の笑みで応える。
「————」
それは、竜馬が見たかった景色だった。
「制御装置、起動十秒前」
サイロの底から響く。
「五、四、三、二、一——」
起動成功、異常なし、線量正常値、と次々に聞こえてくる。ふとそちらに視線をやり、竜馬の顔が強張る。
ひとり、ふたりと消えていく。思わず手すりから身を乗り出して見つめる。新たに出現する者はいなかった。
——まさか。
がば、と勢いよく振り向く。
「——おめえ」
身体がうっすらと透けていた。達人は微笑みを浮かべている。
「あ……」
夢の終わりを悟る。
「達人、そのっ」
何か言わなければ。慌てて半歩、踏み出す。
しかし、言葉を探しているうちに目の前の体躯はどんどん消えていく。
「俺、その、おめえが——」
コツ、と靴音がひとつ。
空気が流れて達人の気配が近づく。
「え」
前髪を人差し指がかき分ける。何事かと見つめていると達人の顔が迫ってきて、額に唇が触れた。
「たつ——」
抱きすくめられる。
「————」
ほのかな香りに包まれる。
——……これって。
すっと爽やかに立ち上って、わずかに甘さを残して消えていく。
一度だけ、最期の場所に花を手向けたことがあった。あの花束の中に、こんな匂いのする花がなかったか。
無垢な白い花だった。不吉な血の色も匂いも、ここにはない。
——ああ。
頭を預け、目を閉じる。ワイシャツ越しに体温と鼓動を感じた。
「…………達人」
小さく、遠慮がちに呼んでみる。
竜馬、と聞こえた気がした。もう少し強く抱きしめられる。
恐る恐る抱きしめ返して——けれどもそれはほんの一瞬で、確かな感触は手に落ちた淡雪のように消え去った。
あとには、竜馬がひとり。
静かに、深く息を吐く。長い睫毛がそっと持ち上がった。
「……あんにゃろ」
いきなり視界に飛び込んできた。
それだけでは飽き足らず、心にまで。
そうして。
——さっさと逝っちまいやがって。
あのときも、今も。
「あンだよ。早乙女ってつく奴ぁ、みぃんな自分勝手じゃねえか」
宙空に向かって拗ねてみせる。一度くらい言ったっていいだろう。
そこにいたのなら、笑って頭を撫でてくれる。
——きっとそうだ。
そういう男だから、好きになった。
「…………」
ゲッターロボがある限り、終わらない。眼下には、これが現実なのだと見せつけるように赤い異形がそびえ立っている。生命を救いもするけれど、奪うものでもある。
まだ、額に唇の感触が残っている。背中に回された大きな手のひらも、身体を包み込んだ逞しい腕も、安心して頭を預けられる厚い胸板も。
竜馬はもう一度目を閉じ、余韻を噛みしめる。
ぬくもりが消えるまで。
あと少しだけ、こうしていたい——せめて、今だけは。