花嵐のあとには

新ゲ隼竜

【注意】隼竜、つきあってますが、あばダチ後です。
散り際の桜をふたりで見た次の春(隼人の体感した季節で)、隼人が再びその場所を訪れて竜馬を思うお気持ち話。しんみり系ですが、隼人が竜馬を追いかける決意を新たにする希望エンドです。
・政府の方針でゲッター線の研究は凍結中。
・隼人は研究所のデータのバックアップは持っていて、まだひとりで解析中・今後のあれこれ道筋を考えている状態。
・研究所に近い山間の、一般人は入ってこれない場所の桜です。あばダチ後、立ち入り制限はありますが、隼人なので無問題。
・あのストーリー中どこの辺りでお花見したの、というのは深く考えないでください。あばダチ前にお花見してます。
・姿は見えないけれど、うっすら竜馬の気配を感じるシーンがあります。
約4,000文字。あとでpixivにも投稿します。

◆◆◆

「竜——」
 微かな呼びかけは途中で消える。
 いくら名前を呼んでも、返ってくる声はない。それがどんなに虚しいものか、寂しいものか、すでに知ってしまっている。
 いっそのこと、忘れてしまえたら——。
 繰り返し思う。そのたびに、手立てがあったとしても自分は決して選ばないだろうとも思っていた。
 恋人としての月日は短くて、過ぎてしまえば一瞬だった。それでも、生まれてはじめて倖せという感情を味わった。満ちた己を感じた。
 竜馬が、隼人にだけ見せた姿。表情も、言葉も、肉体も、心も。
 記憶から手放すことなど、できるはずもない。
 だから今も。
「……」
 眼下の光景をじっと見つめる。
 ともすれば白にも見えるごく淡い桜色や、もう少し深い桜色がグラデーションを織り成している。ただ一面とはいかず、春の海を分断するかのように緑が侵食していた。かつて、
『あーあ』
 と、竜馬が嘆いた景色と同じだった。
「もうだいぶ散ってンな」
「この二、三日は風が強かったからな」
「やっぱ思いついたらすぐ動かねえとダメだな」
 崖の縁ぎりぎりまで近寄り確認する。
「向こうのほうはもう緑しかねえ」
 残念そうに溜息をついた。
「これもよ、全部咲いてたらすげえキレイだったろうな」
 振り返り、見上げる。傍らの巨木は崖下の桜同様、すでに半分以上の花が散り、枝が寂しくなっていた。入れ替わるように新緑が幅を利かせ始めている。新芽の青さも鮮やかではあったが、やはり桜目当てだった分、物足りなさがあった。
 風が吹く。枝が揺れ、残っていた桜も次々と舞い散る。惜しむように見つめている竜馬に花びらが降り注いだ。
「来年がある」
「あ?」
「来年はもっと早く来ればいい——また、ふたりで」
 研究所の管轄下にある山腹だから邪魔は入らない。眼下一帯が桜色に染まるのはさぞ圧巻だろう。花の海を前に「すげえ」とはしゃぐ竜馬が見たくて、考えるより先に隼人は次の約束を持ち出した。
「気が早えな」
 あきれたように言い、竜馬が笑う。だがいつになく嬉しそうで、その目が思い切り細くなった。
「……けど、その前にやることあンだろ」
「ああ、鬼をどうにかして」
「そっちじゃなくてよ」
「何?」
「鬼もまあ、何とかしなきゃなンねえのはそうだけどよ」近づき、隼人の顔を覗き込む。
「来年の春の前に、夏も秋も冬もあンだろ」
 隼人だけを映して、瞳がきらりと輝く。
「海行こうぜ、海。それからスイカ割りも。棒なんかじゃ生ぬるいからよ、手刀で勝負だ。あ、キャンプもいいじゃねえか。テント張ってよ」
「秋か。秋は——月見に団子、それから……そうだ! 俺よ、落ち葉で芋焼いたことねえンだよな。一回ぐれえやってみてえ」
「雪は浅間山ここにもあっけどよ、遊んだことはねえよな。あれ作ろうぜ、ほら丸くて中に入れるヤツ。そんで中で熱燗飲むのもいいじゃねえか」
「せっかくつきあってンだから、ベタなデートも試してみようぜ。動物園だろ、水族館に遊園地、景色のいいとこドライブして——あっ、運転はおめえな——、それから、クリスマスはでかいケーキ食おうぜ。上にサンタが乗ってるヤツな」
 呆気に取られている隼人をよそに、竜馬は矢継ぎ早に言葉を重ねる。
「ほかにも何かイベントあったよな、ええと」
 だが咄嗟にはそれ以上思いつかないようだった。
「ま、そんときゃそんときだ。それで一周、また花見の季節ってな」
 白い歯が覗く。
「来年はもっと——わっぷ」
 強風にさらされる。木々が揺れ、山がざわめく。砂埃を巻き上げ、すべてをさらっていくかのような風にふたりは目を瞑った。
「うお、やっべえ」
 崖下から吹き上がる風に背中を向け、やり過ごす。薄く目を開けると、桜の花びらが渦になって舞い上がるのが見えた。
「……すっげえ」
花風はなかぜ……いや、花嵐か」
「はなあらし?」
 竜馬が首を傾げる。
「桜の花を散らしていく風が花風で、もっと強い風を花嵐と言う」
「へえ」
「強い風で桜の花が多く散ること自体も花嵐と呼ぶ」
「おめえ、意外と風流だな」
「単に言葉を知っているだけだ」
「素直に褒められとけよ」
「今のは褒めていたのか」
「悪かったな、褒めてるように聞こえなくて」
 言葉だけなら拗ねているが、実際には表情をゆるませたあとで「べえ」と舌を出す。鼻の頭に寄ったシワが竜馬の愛嬌を引き立たせる。おどけた拍子に跳ねた黒髪の先には、淡い色の花びらが絡まっていた。
「この分じゃ、あっという間に全部散りそうだな」
 竜馬はくるりと身を翻し、再び崖の端に寄っていく。その後頭部にも数枚、花びらがついていた。隼人も続き、後ろからそっと手を伸ばす。
 髪に触れようとして——止まる。
 気配に竜馬が振り向いた。
「ン?」
「……何でもない」
 それでも不思議そうに隼人の顔をじっと見つめる。隼人は桜の花びらをまとったままの竜馬を見つめ返した。
「あ」
 ふと竜馬の目線が下がる。
「ついてる」
 そう言って、楽しげに笑った。
「ほら、これ」
 訝しがる隼人の髪に、竜馬の指が触れる。
「隼人に桜って——似合わねえな」
 ぶふ、と吹き出す。そっと花びらをつまむと、山間やまあいを渡っていく風に乗せた。

 

 全部、はっきりと思い出せる。さほど遠くはない未来を思い描いて声を弾ませる姿に、今でも胸が熱くなって、それからどうしようもなく苦しくなる。
 震える吐息が零れ落ちた。
 次の瞬間。
「——ッ」
 強い風が通り過ぎる。隼人は反射的に目を伏せ、左腕で目元を庇った。髪が掬われて宙を舞う。深く被ったキャスケットまでも攫われそうで、咄嗟に右手で押さえる。
 同じだった。過ぎた春をなぞって、花嵐が駆け抜けていく。
 竜馬がここに存在しないことだけが、違った。
 風の勢いが弱まっていく。目を上げると、たくさんの花びらが流れるように視界から遠ざかっていくところだった。
 一歩、二歩と追いかける。思い出の中の竜馬が立ち止まり、振り向く。こちらをじっと見つめてから、視線を下にずらす。そして楽しげに笑って言う。
『隼人に桜って』
 耳の奥にしっかりと残っている。続く響きはからかい気味に——。

ホント・・・、似合わねえな』

 空気が揺れる。微かな揺らぎに乗って、懐かしい笑い声が聞こえてきた。
 隼人の双眸が思い切り見開かれる。一瞬遅れて衝撃のような鼓動が体内に響いた。
 肩先の髪に何かが触れる感覚。隼人の神経が極限まで研ぎ澄まされる。
 軽やかで、けれども確かに存在するものが髪の上を通っていく。ほんのわずか、引っ張られる感じがした。
 この感覚は知っている——いや、これしか知らない・・・・・・・・。隼人の髪にためらいなく触れてくる人間はただひとりしかいない。
「……竜……馬?」
 ふと、髪の先に触れていた質量が消えた。薄紅の花びらが一枚、隼人の傍らを離れひらひらと舞い落ちていく。
 ——竜馬。
 まばたきも呼吸も忘れ、花の欠片を目で追う。はらりと地に着いた途端、隼人は弾かれたように顔を上げた。素早く左右に視線を走らせ、背後を向き、空を仰ぎ、崖の縁に駆け寄る。
 どこにもいない。
 たった今、竜馬の気配がすぐ傍にあったのに。
 笑い声も、風の中に溶けてしまってもう聞こえなかった。
 竜馬、と叫びたかった。

 ここにいるのか。
 いるのだろう?

 声高に問いたかった。けれどもためらう。何も返ってこなかったら。己の声の必死さでまた、現実を噛みしめることになったら。
 それに。
 ——もし本当に、竜馬がいるのなら。
 竜馬の性格なら、見抜かれたら拗ねて消えてしまいそうだとも思った。
『バレねえと思ったのによ』
 と、面白くなさそうに唇を尖らせるのが容易に想像できた。機嫌を損ねたらはいつになるのだろうか。
 それとも、心の底から願い、呼びかけたら姿を現してくれるだろうか。『会いに来てやったぜ』とまっすぐにこちらを見て笑ってくれるだろうか。
 ——いや。
 きっと、それはない。それならとうに会えている。
 唇を噛む。歪んだ視界に、何かが映り込んだ。はっとして焦点を合わせると花びらで、差し出した手のひらに一枚、ゆっくりと落ちてきた。
 桜の花びらを髪に乗せた竜馬なんて滅多に見られるものではなかった。あの姿は自分にしか見えない景色だった。もっと、いろんな姿を見たかった。
 また、風が吹く。たなごころの上から花びらが飛び立っていく。
「……」
 竜馬に——彼が望むことをどれだけしてあげられたのか、自問する。ここで言っていたあれこれは、結局どれも実現できなかった。この桜も、満開の景色をひとりだけで見てしまったら、もう二度と一緒に見られなくなる気がして、わざと盛りを避けた。
 それでも、「見ない」という選択肢はなかった。記憶をなぞりたくて、ここまで来た。
 ——あの声は。
 どこかにいる竜馬の心だけが花嵐に運ばれてきたのかもしれなかった。
 少しでもいい。一緒に過ごした季節の中から、自分が感じていたように、竜馬も倖せと思う感情を手にしてくれていたら、己の存在に意味を見出せる。
 散っていく花々を見送る。
 研究所が保持していたデータはすべてバックアップを取ってある。しかし未だ全容を把握するに至っていない。イーグル号の再建にしろ新しくゲッターロボを造るにしろ、個人ですべてを賄うのは不可能だ。設備も資金も人手も足りない。いずれミチルとともに政府に渡りをつけ、今は凍結されているゲッター線の研究を再開させる必要があった。
 あと何年かかるのだろうか。
 だがどれほど時間がかかろうとも、こちらから風穴を開けなければ竜馬には辿り着けない。竜馬が覚悟を決めてひとりを選んだ以上、こちらも生命を懸けて進まなければ、決して追いつけない。
 どうせなら春の日がいい、と思う。
 花嵐を巻き起こして現世の壁を打ち破りたい。そうして運命の渦に飛び込んで、竜馬に会いに行きたい。
 桜の花びらとともに現れたら、どんな顔をするだろうか。「まだ、桜は似合わないか」と訊ねたら、どんな答えが返ってくるだろうか。

 隼人の唇に、別離以来すっかり消えていた微笑みが浮かんだ。やはりどこまで行っても、隼人を昂らせ、本気にさせるのは竜馬だけだった。

 

「竜馬」
 はっきりと音にして呼んでみる。
 返ってくる声はない。
 けれども構わなかった。
 せめて今は、風に乗って彼の心に届くようにと願い、隼人はもう一度その名を呼んだ。