「ひと口だけ」にはご用心

新ゲ隼竜

隼(自覚あり)⇄竜(無自覚)。つきあってません。
公衆の面前で隼人からメロンパンを「あーん」される竜馬のお話。竜馬寄り視点。約4,000文字。気が向いたらpixivにもあげます。
・「形(かた)」と出てきますが空手の形のことです。
・メロンパンが食べたかったのに売店では売り切れていて、食堂で隼人が持っているのを見つけて「くれ」「売ってくれ」など竜馬が何度もせがみます。
・メロンパンは上にざらめがまぶされているタイプ。

【2025/05/25追記】
続きのお話を書きました。翌日、竜馬が借りを返しにいくお話。
『続・「ひと口だけ」にはご用心』

◆◆◆

 肩を怒らせ、大股で歩く。出くわした所員たちは勢いと迫力に気圧され、皆一様に壁際に避ける。白衣が白波のようにサアッと引いていく。現れた道の真ん中を、竜馬はズンズンと進んでいった。

 面白くない。
 鬼獣戦で先走り、ちょっとばかりヘタを打った。けれどもすぐに取り戻せたはずだ。それなのに帰投後、博士に呼び留められてクドクドと説教をされた。「俺だけじゃねえだろ」と弁慶を指差して巻き込もうとしたが「アレも確かに問題だったが、そもそもお前が周りに合わせていれば済んだ話だ」とあしらわれ、当の弁慶には「これも大事なお勤めだ。しっかり聞くんだぞ」とこれ見よがしに合掌された。
 いちいち言い返さなければもっと早くに解放されたのだろうが、足並みを崩したとはいえ竜馬なりに考えもあったわけで、おとなしくなどできなかった。しかし博士に言葉で勝てるはずもなく、無駄にストレスと時間がかかっただけだった。
 ——むしゃくしゃする。
 こういうときは身体を動かすか、腹を満たすに限る。そういえば、最近やってなかったかたがあるな、そう思ったのも束の間、腹の虫が無遠慮に鳴き出した。
「……腹減ったな」
 甘いものでも食べれば少しは落ち着くだろう。それから形をみっちりさらえばいい。くう、と同調するかのように鳴いた腹をさすりながら、竜馬は売店を目指した。

「あれっ」
 思わず素っ頓狂な声が出る。レジのカウンター越しに中年女性の視線と声が飛んできた。
「竜馬ちゃん、どうしたの?」
「いや」
 竜馬は陳列棚の一角を指差す。
「メロンパン、もう売り切れちまったのかよ」
「そうなのよ」
 女性は申し訳なさそうな顔をした。
「何だか今日はやたらと出たみたいでねえ、さっき私が交代で入ったときにはもう完売」
「だってまだ十時ちょいだぜ」
 売店に並んでいる商品の一部は麓の店から仕入れている。特にパンはおいしいと評判で、昼どきにはほぼ売り切れてしまう。中でもメロンパンは人気が高かった。それでも、こんなに早く売り切れることは稀だった。
「ほんとにどうしてかしらね」
 女性が首を傾げた。
「もしかして、朝のワイドショーでメロンパン特集でもやったのかしらねえ」
「ああ、あり得るな。人が食ってるとこ見ると、何だか無性に食いたくなってくるし」
「そうねえ」
「まあ、ねえんならしょうがねえな」
 竜馬は残念そうに眉を下げた。
「明日また入ってくるから」と中年女性が慰める。
「おう。じゃあ……っと」
 ほかに甘いものといえば、どら焼きに羊羹、だんごにプリン、シュークリーム。
「あー……」
 すっかりメロンパンの口になっていた。どうもほかの甘いものは受け付けそうにない。
「そんなら……このメンチカツバーガーにするわ」
 思い切って別物を選択した。ソースの甘じょっぱさと肉の旨味が未練を消してくれるだろう。
「二百十円ね」
「ん、えーっと……お、ちょうどあるわ」
「はいよ、毎度」
「おう」
 仕方がない。
 残念だが、このバーガーだって悪くなかったはずだ。せっかくだから食堂に行こう。気が向いたらババロアでも食うか。
 まだ少し残念そうに唇を尖らせながら、竜馬は食堂に向かった。

   †   †   †

「あ」
 すぐにそうとわかる巨体が目に入った。
「あんにゃろ」
 大きな身体が小刻みに揺れている。忙しなく飯を頬張っているのだろう。
「俺を置いて、自分だけ」
 眉間にシワが寄る。博士に言われたあれやこれやを分けてやらないと気が済まない。竜馬は大股で突き進む。
「——よう」
 つやつやと光る坊主頭に投げかける。
「チームメイトを見捨てて自分は腹いっぱいってか。ったく、いい身分だぜ」
 こんなときにだけ「チームメイト」を持ち出す都合のよさにはこの際目を瞑り、少しでも嫌みを放つほうを優先する。
「んお?」
 カツ丼をかき込んでいた弁慶が振り向いた。パンパンに膨らんだ頬には米粒がいくつもついていた。
「ひほふひほふはふぉ」
「うわっ、そのまま喋ンなよ」
「ほへひほぉ」
「おい、やめろって」
 飛んでくる米粒を躱そうと一歩ずれる。そのとき隼人の姿が視界に入った。
 弁慶の斜向かいに座ってきつねうどんを啜っている。キツネみてえな目つきしやがって、と竜馬が鼻を鳴らす。視線を戻そうとした次の瞬間、
「あっ!」
 と思わず大声をあげてしまっていた。周囲の目が一斉に集まる。
 あんなにも欲していたメロンパン。それが隼人の前に置かれていた。
「てめ、これ」
 思わず身を乗り出す。隼人は形のいい眉をひそめ、ちらりと視線を寄越しただけだった。
「どうした」
 口の中がようやく空になった弁慶が竜馬と隼人を見比べる。
「それ。それだよ」
 竜馬が指差す。
「は?」
「だからぁ、メロンパン!」
「見りゃわかる」
「つか俺も食いたかったのによぉ」
 弁慶はどんぐり眼でメロンパンを見、隼人を見、竜馬を見た。
「買ってくればいいだろ」
「だから!」
 弁慶が事情を知らないのは当然だ。だが竜馬にしてみればようやく存在を消しかけていたメロンパンが再び現れたものだから、入手できなかった経緯と無念さが再び頭をもたげてきてカッとなった。
「ジジイにグチグチ言われてる間に売り切れちまったンだよ!」
 もしも今、「たかがメロンパンひとつで」と笑われたら腹立たしくて手が出てしまうかもしれない。それほどに執着していた。
「う〜〜」
 顔をしかめて感情を静めようとする。
「まあ、そのメロンパンうまいもんな」
 無意識なのか、弁慶が自分に火の粉がかからない言い方をする。
「俺のだったら、ひと口分けてやったんだけどな」
「——」
 竜馬が弁慶を見る。
「何だよ」
「……いや」
 竜馬は太い眉をくいっと上げ、隼人のほうに向き直った。
 隼人は喧騒をよそに黙々と食事を続けていた。うどんの汁を飲み干し箸を置くまで、竜馬は立ったまま見つめていた。
 睨んではいない。けれども常人ならそわそわと落ち着かなくなるだろう竜馬の視線と存在の圧をものともせず、隼人は麦茶をひと口飲む。それからおもむろにメロンパンに手を伸ばした。
「隼人」
 竜馬が動く。テーブルを回り、隼人の傍に立つ。
「隼人、そのメロンパンくれよ」
 ちろりと一瞥——隼人はメロンパンの袋を開ける。
「あ、何ならこのメンチカツバーガーと交換ってのはどうだ」
 メロンパンが袋から出てくる。
「そんならよ。確か百五十円だったよな? 金払うから売ってくれよ」
 隼人がパンにかぶりつく。
「あー……」
 竜馬が情けない声をあげた。成り行きを見守っていた所員たちが気の毒そうな表情を浮かべながらも、その嘆き様に小さく笑った。
 竜馬はメンチカツバーガーを手に立ち尽くしている。目の前で無慈悲にメロンパンが欠けていく。
「なあ、じゃあひと口だけでも——」
 三口分ほど残っているパンは隼人の口に咥えられ、袋から引きずり出されてしまった。もうできることはない。
 自分でも、どうしてこんなに囚われているのかわからなかった。
 しかし冷静に考えてみれば——。
「……おめえが分けてくれるワケねえもんな」
 愛想はないし、何かを訊ねても返事は素っ気ないし、返事すらないこともある。
 今だってまったく興味なさそうだ。いや、無視をしつつも内心、懸命にメロンパンをねだる竜馬をせせら笑っているのかもしれない。
 そうだよな、と呟いたあとで、深く長い溜息が出た。
 ひと口目。パンは隼人の右手と口によって分断され、胃袋の中へ消えていった。
 ふた口目。かぶりつく寸前に隼人が止まり、やおら立ち上がる。その口元をぼんやりと見つめていた竜馬はつられて目線を上げた。
「え」
 一瞬のうちに隼人の顔面が近づく。喧嘩が始まるのでは、と周囲の空気が緊張した。
「な」
 この距離は頭突きか——さもなくばキスだ。そう思い浮かべた自分にぎょっとして竜馬が上体を後ろに反らす。引いていくより速く、隼人の左手に顎を掴まれた。
「ふぁ」
 指先が頬肉に食い込む。口が開いたままになり、間抜けな音が漏れた。
 目の前でメロンパンがひと口、食い千切られる。隼人の唇にざらめの小さなかけらがついた。竜馬の視線が釘付けになる。咀嚼ののち、喉仏が動く。
「——」
 赤い舌が覗き、ぺろりとざらめを舐め取る。ざらめが消えても、竜馬は隼人の唇に目を奪われていた。
 その唇が開く。
「あーん」
 低い声が両の耳に潜り込んできた。隼人の声に間違いない。だがいつもの隼人とは違う。竜馬の身体が強張る。
 身体だけではない。頭も動きを止めてしまった。
 何がどうなっているのか。竜馬の瞳が戸惑いに揺れる。
「……あーん」
 もっとゆっくり、低く、耳にねじ込まれる。
「……ッ」
 耳の裏を指の腹でくすぐられるような感覚がした。ぴくりと肩が上がる。
「は、あ……、あー……」
 逆らえない。自分のものとは思えない、頼りない声が喉から出てきた。
 開いた口に、きゅ、とメロンパンが押し込まれる。
「ン」
 ざらめが溶けていく。舌の上にほのかな甘みが広がって、緊張が少しだけ和らいだ気がした。
 やっとありつけたメロンパンだ。隼人から意識を逸らして味わおうとする。舌がもぞ、と動く。
 すると、今まで無表情だった隼人の口角がわずかに上がった。
「ふぁ?」
 怪訝そうに見つめ返すと、パンから離れた隼人の人差し指が、竜馬の下唇をそっと撫でていった。そのまま、隼人はざらめのついた指先をぺろりと舐める。
「————ッ」
 ぶわ、と身体の中から湧き上がる。全身の毛穴が開くような強烈なエネルギーだった。
 それが何か——嫌悪ではないし、当然、恐怖でもない。困惑、はもちろんあるが、内側から肌をぐっと押し上げてくるような強さとは違う——結局、短い時間では探り当てられなかった。
「……は」
 じわ、と染み出してきた唾液にざらめは溶けていき、パン生地は柔くふやけていく。
 妙な甘さだけが口の中に広がっていった。
 隼人が笑う。今度ははっきりと。
「ひと口、貸し・・だ」
 低いささやきが耳の縁を舐める。
 頭の中が一瞬で熱くなる。
『貸し? 貸しって何だよ!』
 顎にかけられた手を振り払って怒鳴り散らしたいのに、何もできない。すっかりおとなしくなってしまった竜馬に、隼人は満足げに目を細めた。
 何て底意地の悪い笑顔だろうか。そう思っても、やはり何もできない。熱によってゆっくり溶けて輪郭をなくしていくざらめのように、竜馬が微かに震えた。