隼(無自覚)⇄竜(うっすら自覚)、つきあってません。
突然隼人に「抱かせろ」と言われる竜馬のお話。隼人へのほのかな思いを自覚していて、抱かれてやってもいいと思う竜馬。抱かれても深入りはしない、隼人はきっと自分に対し恋愛感情はない、と一線を引こうと思ってはいるものの、不意に見た隼人の目の表情に「もしかしたら」と心を乱されていきます。キスまで。
このあと行為を経てセフレに留まるか、恋人に変わるのか。どっちにも転びうる危ういふたりの導入パートを書くなら、って感じで書いたお話です。今のところ、続編とかは考えていないです。約2,800文字。気が向いたらpixivにあげます。
◆◆◆
普通なら、ブン殴っている。
そう。普通なら。
あまりに突飛で、竜馬は顔をしかめることもできずに真顔のまま口を開く。
「もう一辺言ってみろ」
「抱かせろと言った」
隼人が間髪入れず、これまた表情を変えずに答えた。
「——」
人気のない夜の通路。その真ん中で真剣面のふたりが向かい合う。
「……嫌だ、と言ったら?」
疑問はいくつもあるはずなのに、竜馬から最初に出たのはその問いだった。
「どうもしない。そうか、と答えてそれで終わりだ」
隼人の返事は素っ気ない。もともと、他人をからかうような遊びのあるタイプではない。むしろ、他人に己の時間を割くのを嫌う。おまけに「風俗に行く」でもなく「適当に相手を見繕う」でもない答えに、ひねた意図はなく、本気だったのだと却って思った。
「おめえ」
俺のこと、好きなのかよ。
訊きかけて、喉の奥に押し戻す。
好きならそう言う。つきあいたいのなら、そう言う。隼人はそういう男だ。
——そんなら。
自分とはただセックスがしたいだけなのだ。
「……つまり」
緊張感が消える。竜馬はふう、と息を吐き出し、頭をかいた。
「一応、俺は選ばれたってことか」
隼人は微動だにしない。鋭い目つきの奥に何かが垣間見えないか、竜馬はじっと見つめる。だが見えるどころか、揺らぎもしない。
性欲を発散させるためなら自慰でいい。それをわざわざ七面倒くさい——隼人にすればきっとそうだ。自分の思い通りになるでもない相手に交渉し、一時経てば何も残らない少しばかりの快楽のために、己の時間をあてがう。普段の隼人なら「無駄」と切り捨てるに違いない——行為で満たそうとしている。
その相手に、竜馬を選んだ。
「ま、何にせよ、選ばれるっつうのは悪い気はしねえな」
ニヤリと口角を上げる。対して、隼人の表情は動かない。それでも竜馬は臆することなく続けた。
「それで、見返りは?」
「与えられる限りの快感」
「——ハッ」
ひと呼吸の間を置き、竜馬が笑う。
「お前が? 俺に? できンのかよ」
そこで初めて、隼人の瞳に感情が浮いた。コツ、とブーツのヒールが鳴る。
空気が流れる。ふ、と隼人の匂いが鼻先をかすめる。竜馬が目を上げると、すぐそこに隼人の顔があった。
いつもの隼人ではない。竜馬を見ている。
「え」
竜馬が目を見開く。隼人の奥に潜むものの一端があった。
息を呑む。
その正体を掴もうと竜馬がさらに隼人の目を覗き込む。しかし、目論見は呆気なく躱された。
隼人の唇が、竜馬の唇を覆う。
「……ッ」
この野郎。
出てくるはずもなかった。舌がぐにりと差し込まれ、竜馬は言葉を奪われる。なら殴ってやる、と次の策を考えている間が余計だった。振り上げようとした右拳を掴まれ、そのまま体重をかけられる。左手も封じられる。こうなっては身体をひねって抜け出すこともできず、足払いもできず、竜馬は壁に押しつけられた。
「……っふ、んうっ」
虫の標本のように縫い留められる。クソッ、と怒鳴ったつもりだったが、くぐもった呻きがあがっただけだった。押しのけられないのは、キスの不意打ちとあの瞳を見たせいだ。
隼人の舌先が、獲物を味見するように口腔内をまさぐる。舌の裏側に入り込み、無遠慮に撫で回す。誰にも触れさせたことのない場所を簡単に開け渡してしまった竜馬は、湧き上がってくる初めての感覚に戸惑う。
こいつ。
「与えられる限りの快感」
そう言った。
できるものか。
隼人が他人を優先するなんて、できるはずがない。与えるなんてありえない。今だって力ずくで押さえ込んで、自分の欲を好き勝手にぶつけているだけだ——。
口の端から唾液が溢れる。
「……っ! ん゛っ」
隼人の身体が密着する。作業着越しなのに、みっしりとした筋肉の質量が感じられた。竜馬よりもたくましく、熱くて、弾力のある肉体だった。
この男に抱かれるのか。
そう意識した途端、竜馬の深いところで何かのスイッチが入った。一線を越えた、と言えるのかもしれない。隼人の舌に撫で上げられて、口の中から脳の中へ、腰の奥から頭の先へ、痺れるような甘い刺激が走った。
「——ンッ」
がくん、と腰が落ちる。だが隼人と壁に挟まれているために、崩れ落ちはしなかった。
唇が離れる。隼人はわずかに乱れた呼吸もそのままに、竜馬を見下ろす。
「……てめえ」
睨み上げる。隼人の小さな瞳がギラギラと光っていた。
「お前が望むなら、もう少し優しくしてやってもいい」
濡れた口元を拭いもせず、言い放つ。淡々として、けれども自信に満ちた声音に、竜馬の頭に血が上る。
「そういうの、いらねえし」
口を歪めて視線を逸らす。
優しさが欲しいわけではない。
隼人の身体から放たれる熱が、竜馬の身体を侵食していく。それで十分だった。いつからか巣食っていたほのかな自覚は、今のキスで確信に変わった。下手に優しさなど受けたら、泥沼に沈み込んでいくだけだ。
隼人はきっと、そういうのじゃねえ。
——けど。
竜馬の前に一瞬だけ現れた、あの瞳。あれは何を映し出していたのか。まったくの無関心ならああはならない。ちらと覗いたあの感情がどこからきているのか、何を秘めているのか、確かめたい気はある。
もしかしたら、隼人自身も気づいていないのかもしれない。
どく、と竜馬の鼓動が大きく脈打つ。近づきたい。きっと、ろくなことにはならない。それでも、近づきたい。
本当に、隼人は俺を見ているのか——。
竜馬の葛藤を、負けず嫌いの不貞腐れと受け取ったのか、隼人は顔を寄せてささやいた。
「なら、嫌じゃないんだな」
不思議と、角のない柔い声だった。竜馬の耳の奥に心地よく転がってくる。
「……っ、ありがたく思いやが、れ」
妙な吐息を零しそうになり、こらえながら竜馬が言う。隼人は、
「ああ」
と溜息のように答え、竜馬の首筋に唇を落とした。くすぐったさに竜馬の身体が小さく震える。
もう戻れない。
わかっていて袋小路に足を踏み入れるようなものだ。それでも、進んでみたい欲求には抗えなかった。
「……クソ」
思わず呟くと、ようやく隼人がニヤリと笑った。つられるように、竜馬も口の端を上げる。
「てめえこそ、俺を満足させろよ。中途半端にしたら、ブン殴ってやっからな」
「ああ、必ず」
隼人の低い声が振動となって竜馬の身体を揺らす。癖になりそうなその感覚に目を閉じようとしたとき、再び隼人の唇が竜馬の唇に触れてきた。今度は無理に押しつけるようなキスではなく、互いの唇の形を確かめ合うような口づけだった。
——ああ、やっぱり。
ずぶりと足首が泥に飲まれる。そう時間を経ずに、竜馬は溺れてしまうだろう。しかしそれすらもどこかで待ち遠しいと思っている。
——クソ。
そんな自分に毒づいて、竜馬は隼人の舌を自ら迎え入れた。