【注意】あばダチから数年後のお話。隼竜つきあっていた前提。
下駄線の研究を続ける隼人の元に、ある夜、幽体のような竜馬が現れる。言葉を発することができず、隼人の問いかけもほとんど理解しない状態の竜馬。わずかな時間だったが、毎夜訪れる物言わぬ恋人を待つようになった隼人のお気持ち話。
1か月ほどで竜馬は現れなくなります。隼人は「向こう側」にいる竜馬に心を向けつつ、「向こう側」に行くためにまた下駄線の研究を続けていく、希望エンド。キスシーン、あります。約5,000文字ちょい。気が向いたらpixivにもあげます。
・隼人は、かつて早乙女博士が達人さんが現れると言っていた(第10・11話)現象を、下駄線が化けて博士に指示を出していたのでは、と解釈している設定です。
◆◆◆
人は慣れる。
「今日も来たのか」
声をかけると、室内の空気が揺れた。人間の気配はない。
「竜馬」
人間の気配ではない——が、確かに竜馬の気配がする。だから振り向かずとも、そこに現れたのはわかった。
隼人はキーボードを打つ手を止めない。テンキーに指を伸ばしたとき、フッと目の前が翳った。視界の左端に浅葱色が入り込む。
顔を上げると、デスクに竜馬が腰掛けていた。相変わらずのパイロットスーツ姿で、まるで自分の場所だと言わんばかりにどっかと座っている。そうして首を伸ばし、ノートパソコンを覗き込んでいた。振り向いて出迎えてもらえなかったのが不服のようで、その顔は少し不機嫌そうだった。
「竜馬」
隼人は口の端を上げる。笑われたのが気に障ったのか、竜馬が唇を突き出した。
「そうむくれるな。お前が毎晩現れてくれるから——安心している証拠だ」
宥める言葉に竜馬は眉を動かし、怪訝そうに隼人の顔を見た。鳶色の瞳も、頬の丸みも、隼人の記憶のままだった。
初めて竜馬が現れたときは心臓が止まるかと思った。いや、きっと止まっていた。呼吸もまばたきも忘れていた。
茫然と佇む隼人を見て、竜馬が笑う。表情が動くと同時に空間の緊張も和らぐ。時間が動き出す。隼人はやっとまばたきをひとつして、夢ではないことを理解する。
竜馬がいる。
何を言うでもない。ただ、そこにいる。身じろぎすればこの光景が一瞬で消えてしまいそうで、隼人には見つめることしかできなかった。
やがて、姿は消えた。十秒にも満たない程度だったのか、一分ほどだったのか。それとももっと経っていたのか。まるでわからなかった。おそらくは竜馬が現れていたよりも長い時間、隼人は木偶のように突っ立っていた。目の前で起きたことを反芻するしかできなかった。
散々脳内で竜馬の姿をリプレイしたあとで、胸の奥底からジワジワと湧き出てくるものがあった。
竜馬、と零れる。途端に、思考の波が一気に押し寄せてきた。その波に溺れそうになりながら、必死に理解しようとした。一睡もできず、当然、食事を摂ることも忘れて考え続け、また夜が来て——竜馬が再び訪れた。
「…………りょう……ま」
喉の奥から絞り出す。
名前を呼ばれた男は笑む。穏やかな表情だった。
だが、物言わぬ姿は昨夜と同じだった。
「アイスでも食うか」
ぽかんとしている竜馬に、もう一度「アイス、だ」と告げる。その顔がパッと輝いた。隼人は苦笑しながら立ち上がる。
この竜馬は「完全な」竜馬ではない。それはすぐにわかった。
「どうしてここに」
「お前はまだ、あそこで闘っているのか」
「弁慶のところにも行ったのか」
何を訊いても答えはなかった。
言葉を発することができない。能動的に行動することができない。隼人の言葉も半分以上は理解できていないだろう。ただ、感情の発露は素直だった。
「バニラでもいいか」
カップアイスの蓋を取り、デスクの上に置く。竜馬はすぐには手を出さず、隼人の顔とアイスを交互に見比べている。
「お前のだ」
隼人は指先でカップを押し、差し出してやる。竜馬は無邪気に相好を崩し、手を伸ばした。指先がカップに触れる。
湯気が立ち上るかのように空気が揺らぐ。アイスは溶けていないのに、表面に小さな波紋ができる。そして消えていく。
まるで竜馬の指先が虚空に繋がっていて、そこに吸い込まれていくようだった。
「……美味かったか」
綺麗さっぱり消え失せたアイスの行く先に思いを馳せながら隼人が問う。竜馬は一瞬、不思議そうな顔をして、それからにっかりと笑った。
「——そうか」
隼人も笑む。
食い物や飲み物を出せば、食べる。「取り込む」と表現したほうが近いだろう。向こうの竜馬の腹が満たされるかはわからない。そもそも、食事を必要とする身体ではなくなっているのだろうが。
まだ生きているのなら。
——いや。
生きている。
目の前にいる竜馬は——。
これは、竜馬の心の欠片だ。
隼人は思う。
かつて、早乙女博士の元には死者が訪れていた。彼の息子だったというが、あれはゲッター線が変化していた姿だったのではないか。だからゲッターロボの強化を指示した。結果、竜馬はひとりで行く道を選び、ゲッター線はまんまと竜馬を手に入れた。
向こう側への道を諦めさせるためならともかく、今更、ゲッター線が己に何の用があるだろうか。
隼人の唇が自虐心に歪む。
それが答えだった。この竜馬はゲッター線が見せる幻影ではない。
——なら、竜馬はどうして。
おそらく、竜馬の意志ではない。独りを選んだ以上、助けは求めない。竜馬はそういう男だ。
その竜馬が会いに来た。
毎夜、日付の変わる少し前に現れる。初めのうちは部屋の真ん中に立っているだけだった。隼人があれこれと話しかける。何も答えはしないけれども、隼人の口調に感じるものがあるのか、笑顔を浮かべる。そのうち、隼人がデスクに落ち着くと周りをうろつくようになった。からかうと拗ねた顔を見せることもある。そして、また笑って——零時を過ぎると、夢のように消え去ってしまう。
竜馬の心の奥底、無意識のずっと奥に、「隼人に会いたい」という感情が残っていたから。そう思いたい。
「竜馬」
まるで「ん?」と聞こえてきそうな顔つきで、竜馬がこちらを見た。
「何があった」
竜馬は目を瞬かせる。何度訊ねても同じだ。
「俺に、何か用があるんじゃないのか」
太い眉が下がる。首をわずかに傾げて、隼人を見る。返答に困っている、というよりは、何事かを話しかけられて戸惑っている。問われている行為自体、理解していない。あと五秒もすれば、話しかけられたことも忘れてしまうだろう。
「……」
竜馬が現れてから約ひと月、ずっと考えていた。
深く押し込めた心が解き放たれる状況は、きっと良くはない。何かが竜馬に起きている。これまでにない何か。それが竜馬の意識を揺さぶっている。この先、どう転ぶかわからない。だからこそ現れたのではないか。
手を伸ばす。
竜馬が気配を察知して、避けようと顔を引く。構わず頬に触れにいく。
鳶色の瞳が見開かれて——遠のく。
「竜——」
竜馬の姿はデスクの上からかき消えた。
「竜馬!」
デスクチェアから勢いよく立ち上がる。振り向けば、腕を伸ばしても届かない距離に竜馬が立っていた。
——竜馬。
人は慣れる。
どんな日々であっても、慣れなければ生きていけない。肉体も精神も、すり減るだけではいつかは消えてしまう。生き延びて、竜馬の元に辿り着くことだけを考えて、いつしか竜馬が傍にいないことに慣れてしまった。それだけの月日が流れていったのかと思うと、ひたすらにやるせなかった。
——だからこそ。
竜馬の毎夜の訪いを当たり前だと信じようとした。明日も明後日もその先も、自分がここに生きている限り、竜馬もともに在るのだと思い込もうとした。たとえ「完全な」竜馬ではなくとも、竜馬の片鱗と一緒にいられるのなら、それでいいと。
けれども、本当はわかっていた。突然に始まったものは、同じように終わる。隼人が慣れようが慣れまいが、そのときは容赦なくやってくる。
再び何も出来ずに竜馬が消えるのを見つめているくらいなら、自らの手で終わらせるほうがよほどいい。
「竜馬」
一歩、近づく。
近づいた分だけ、竜馬が遠ざかる。
「……竜馬」
足を踏み出す。
竜馬の身体は床の上を滑るように移動する。
「目的は何だ」
竜馬が目を丸くして、きょとんとする。
「竜馬、本当は」
一歩、進む。
一歩、離れる。
それでも、隼人は進む。
「……本当は、俺を喰いに来たんじゃないのか」
瞬間、空気が変わった。
どこか間延びして平穏さが滲んでいた竜馬の雰囲気が、急に圧縮されて緊張感が漲るものに変容した。
「竜馬」
今、どうしているのか。
「竜馬」
もう、竜馬は後ろに下がらなかった。
「……竜馬」
抱きしめられる距離にまで近づく。竜馬の顔つきに険しさが過る。
「俺が必要なら、全部やる」
ためらいもなく竜馬の頬に触れる——指先が液体のように小さく波打って、力が抜けていく。
やはり、と隼人は確信する。アイスと同じだ。体内から竜馬に向かって、力が流れていく。吸い取られていく。
この一箇月、竜馬は決して隼人に触れなかった。だから隼人も触れようとはしなかった。一度、指先がその腕をかすめそうになった。竜馬は咄嗟に身を引いた。物理的に触れないなら、避けなくてもいいはずだった。ならば触れない理由がある。
「向こうに行って、遠慮を覚えたか」
指の腹で撫でると、くすぐったそうに竜馬が目を細めた。
おそらく、竜馬は何らかの危機的状況にある。そこを脱するために、外部からエネルギーとなり得る物質を取り込む必要がある。ゲッター線では賄えないものだ。だから無意識のうちに隼人に助けを求めた。だが、無意識ながらも隼人を取り込むことをためらった。
——勝手な解釈だ。
それでもいい。ゲッター線の企みであったとしても、構わない。
いつでも喰えたのに、そうしなかった。流竜馬の姿で、ふたりで過ごす時間を選んでくれたことが嬉しかった。
このまま喰われたのなら、竜馬と同化できるのだろうか。向こう側の竜馬に会えるのだろうか。
たとえ会えずとも、竜馬に必要とされて、竜馬の糧になるのならそれでいい——。
視界が揺らぐ。耳鳴りがする。
「竜馬」
もう片方の手も伸ばす。眩暈で、竜馬の姿がぶれて見える。身体が動かなくなる前に、竜馬を捕まえる。
両の手で竜馬の頬を包み込む。手のひらを通して力が急速に奪われていく。それでも離れる気はなかった。触れている肌は柔らかくて、あたたかい。
もう忘れそうになっていた竜馬の感触に間違いなかった。
「……俺を……喰え」
喉に力が入らない。かろうじて言葉を押し出す。自分の声は、脳内にキンキンと反響する耳鳴りにかき消されて聞こえなかった。
「……竜、馬」
足先が溶けていく気がして、床に立っている感覚がなくなった。脚の境界がわからなくなり、身体が軽くなる。知覚が霧散していく。次第に、竜馬の輪郭もぼやけて見えなくなってきた。もうどんな表情をしているのか、わからない。
——竜馬。
竜馬のいない世界でひとり朽ちていくのを想像したことがある。
恐ろしくて、虚しかった。
それに比べれば、倖せと呼べた。
視界が暗くなってくる。耳鳴りも聞こえない。首から下の感覚はもうなかった。願わくば、もう一度、その声を聞きたかった。
もう一度、名前を呼んで欲しかった。
——竜馬。
わずかに残った意識が竜馬を求め、潰えていく——その間際。
「隼人」
すべてが閉じられる寸前、懐かしい声が降ってきた。
「……隼人」
その声は隼人の意識の中に染み込んで、広がっていく。
隼人、と三度呼ばれる。
暗黒の視界に光が差す。光は徐々に強くなる。それとともに、消失していた肉体の感覚が戻ってくる。己の身体の輪郭を把握する。重力を感じる。
やがて視界に一色ずつ、ぼんやりと色がついていく。黄緑色。浅葱色。壊れかけのモニタのように、ちかちかと明滅する。ぼやけていてよく見えない。だが、見覚えのある色。
——……竜馬の……パイロットスーツの、色。
そのぼやけた世界が再び焦点を結び始め、象られていく。
黒髪。肌の色。眉の形。両端が上がった唇の形。
「…………」
竜馬が、目の前で微笑んでいた。
鳶色の瞳がまっすぐに隼人を見つめている。
——竜馬。
声にならない。
いつの間にか、竜馬の手が隼人の頬を包み込んでいた。じわ、と肌の温度を感じる。
「はやと」
少し鼻にかかった声が、耳に届く。悪戯を仕掛けるときのように上目遣いになり、竜馬がくしゃりと笑う。鼻の頭に笑いジワができる。ふたりきりのときに見せる表情。懐かしさに見惚れていると、その顔が近づいてきた。
「————」
引き寄せられる。
唇が触れる。
どくり、と鼓動が大きくなった。
軽い口づけはすぐに終わる。けれども、実体の存在は隼人の中にしっかりと刻みつけられた。
「…………りょう……ま」
竜馬は頷くようにまばたきをして、また笑う。その声は聞こえない。しかし隼人の耳の奥には竜馬の明るい笑い声が響いていた。
† † †
竜馬はもう現れなかった。
予想はしていた。それが、竜馬を取り巻く事態が収束したからであることを願うばかりだった。
隼人はいつものようにデスクに向かう。キーボードを叩き、モニタに流れていく演算結果に目を通し、道を拓くために模索する。
まだ、ゲッター線そのものが消えたわけではない。細くても糸は繋がっている。手繰る手を止めなければ、いつかはその先に辿り着ける。竜馬にやると決めた生命だったが、寸前で返されてしまった。それをどうにか手渡ししないことには終われなかった。
時計を見やる。そろそろ時間だった。
「……竜馬」
ふと、空気が揺れる。
振り向く。誰もいない。
「竜馬」
応える声はない。
けれども、竜馬の気配が——心がまだ残っている気がして、隼人は遥か彼方の恋人に届くように、その面に柔らかな微笑みを浮かべた。
