達人が生き残っている世界線。つきあってます。
機嫌が悪い竜馬と、何でそうなのかわからない達人のお話。描写はキスまで。
隼人、弁慶、ミチルさんがちらりと出ます。隼人とミチルさんは達人と竜馬の関係に気づいています。達人さんはまったくの朴念仁というわけではありませんが、ミチルさんはそう思ってる設定です。割と平和な研究所。約4,000文字。2022/1/16
※タイトルの「Hangry」は「hungry+angry」の造語で「お腹が空き過ぎてイライラする」の意味です。
◆◆◆
達人はどうしたものかと頭をかく。
竜馬がさっさと引き揚げてしまったのでミチルは不満のぶつけ先を失い、達人に言いたいことを言って去った。弁慶はその後を追い「気晴らしに」と食堂でのランチデートに誘い玉砕していた。
残されたのは隼人ひとり。
「わかっていると思うが」
声に達人が振り向く。
「竜馬に好き勝手やられると、こっちが迷惑なんだ。研究所だってそうだろ。生命も予算も、いくらあっても足りない」
「……わかっている」
「わかっているならああなる前に、あんたが何とかしろ」
達人が目を丸くする。
「何を驚いている。パイロットの機嫌を取って、最高の精神状態で出撃させるのも指揮官の仕事だろ」
「あ——ああ、そうだ、な。すまない」
確かにそうだ。鬼獣は倒せたものの、あらゆる面で無駄が多かった。チームワークも最悪で、終始誰かの「竜馬!」と制止する声が聞こえる状態だった。『指揮官の仕事』と言われると怠った自分に非がある。
「あんた」隼人がニヤリと笑う。
「意味を取り違えたと思ったろ」
「え」
「取り違えていない」
「……それは、その」
「最初の意味で合っている」
「……え」
戸惑う達人を愉快そうに眺める。
「要は、釣った魚にはちゃんと餌を与えろってことだよ」
笑いを噛み殺しながら、達人の横をすり抜けた。
「…………」
達人は茫然と隼人の後ろ姿を見送る。
「え……、え?」
何秒、そうしていただろうか。
やがて達人と竜馬の関係を把握したうえでの言葉だと思い至り、ひとり大いに狼狽したのだった。
† † †
インターホンを押して、扉が開くまでの時間が一番憂鬱だった。
「…………あンだよ」
いや、不機嫌そのものの竜馬の顔を見るほうがもっと憂鬱と知る。
達人は悄然とした面持ちで口を開いた。
「今、いいか?」
「……嫌だって言ったら?」
「——」
竜馬がふいと視線を横に逸らす。
「……また、出直す」
仕方がない、と作り笑いをして身体を翻した。だが、足を踏み出した途端に白衣の腰の辺りを掴まれて動きを止められた。
「……入れよ」
まだ目を逸らしたまま、竜馬が呟いた。
「ここでいい」
中に入って二歩のところで止まる。竜馬が怪訝な顔つきで振り向いた。
「あんまり長居すると悪いから」
ぴくりと竜馬の左眉が上がった。さらに機嫌が悪くなった印なのか、単なる反射なのか、見た目だけではわからない。
「すまない」
ぴっと背筋を伸ばし、達人が頭を下げる。
「この通り謝る。だから」
顔を上げてまっすぐに竜馬を見る。普段の柔らかさは封印され、硬く、生真面目な表情だった。竜馬はまばたきもせず、達人を見つめる。
「一時の感情で動くのはやめろ」
「……」
「お前の自棄に巻き込まれる人間のことも考えろ」
「……わあってる」
微かな声は、すぐさま達人にかき消される。
「わかっていない」
竜馬の目が見開かれる。
「俺とお前の仲のことは、鬼との闘いに持ち込むな」
「——」
その瞳が泳いだ。
「竜馬」
近寄り、肩を掴む。
「ゲッターに乗っているときは闘いだけに集中しろ。そうでないと、お前が死ぬ」
覗き込み、竜馬の視線をつかまえる。
「お前が死ぬところは見たくない」
「……っ」
「お前も、隼人も、弁慶も、それから研究所の人間もみんなだ」
「…………ああ」
竜馬はきゅっと唇を噛む。
その思いを振り切るほど愚かではない。わがままを押し通したことへの自責の念が瞳に浮かぶ。
真摯な眼差しを確かめ、ようやく達人の表情が和らいだ。
「いいな」
「…………ン」
こくりと頷いた頭を、大きな手が優しく撫でた。
「ところで」
達人は首を傾げる。
「お前、何で怒ってたんだ?」
「何でって……おめえ、わかってて謝ったんじゃねえのか……?」
「いや」
困り顔で達人が小さく笑う。
「ただ、きっと俺が悪いんだろうから、とにかく謝っておこうかと思って」
「…………おめえ」
「え?」
「おめえ——」
ぶふっと竜馬が吹き出した。
「な、何でかもわからずに……っ、んふっ、おめえ……!」
「し、仕方ないだろう! まず俺の話を聞いてもらわないといけないし」
「けど、けどよ、ふはっ——謝り損って考えねえのかよ……!」
「竜馬」
「だって——」
「竜馬!」
たくましい腕が竜馬を抱きすくめる。
「…………ッ」
「何回でも謝るから、機嫌を直してくれ」
強く抱きしめられて竜馬の言葉が止まる。
「お前に嫌われるのはつらい」
その思いの深さに息も止まりそうだった。
「…………たつ……ひと」
ささやきのような、かすれた声は震えていた。そっと大きな背中に手を回し、抱きしめ返す。
「竜馬、悪かった」
「……ちが……」
「ん?」
「違、う。……おめえに怒ってたワケじゃ……ねえ」
「違うのか?」
竜馬は達人の胸にぐい、と額を押しつける。
「……俺…………達人が好きなンだけど」
「え、りょう——あ、ああ」
「好きなンだけど」
前髪の隙間から不満げな瞳が見上げてくる。
「俺もだ」
だが不服そうにむくれる。
「『ああ』とか『俺もだ』じゃなくて」
「え」
「その……ちゃんと、聞きてえ」
「……」
「それ、もうしばらく聞いてねえ」
また顔をぽすりと胸に埋める。
「お前」
落ち着かない様子で竜馬の指が動いて白衣を引っ張った。
「……最近、一緒にいられないことじゃないのか」
何度も急な呼び出しがあり、夜の約束が流れ続けていた。思い当たることといえば、それくらいしかなかった。竜馬がわずかに首を横に振る。
「それは…………忙しいのはわあってるから、しゃあねえ」
「竜馬」
達人はそっと竜馬の黒髪に口づける。
「わあってンだよ、その……達人の気持ちは。けど、たまには聞きてえ」
「じゃあ、拗ねてたのか」
むう、と腕の中で竜馬が小さく唸る。
「そうなんだろ?」
「…………そう、だけど」
「けど?」
「…………一番はそれじゃねえ」
達人の指があやすように竜馬の髪を梳く。やがて胸の強張りがほどけたのか、隠すのを諦めたのか、竜馬が大きく息を吐いた。
「こんなことでモヤモヤしてしょうがねえ俺に一番ムカついてる!」
一息で言い切った。
「……くそ」
悔しそうに達人の胸元にぐりぐりと頭をこすりつける。きょとんとしていた達人の目に優しさが灯った。
「……お前」
嬉しさに笑みが咲いて、
「竜馬」
耳元に口を寄せる。
「竜馬……好きだ」
「…………ン」
竜馬はそろりと頷く。
「好きだ」
もう一度告げて、こめかみにキスをする。
「……っ」
「竜馬……好きだ、大好きだ」
額に、耳たぶに。
「た、たつひと」
唇と甘い言葉にくすぐられ、竜馬が思わず身じろぐ。
「竜馬、好きだ」
今度は柔らかな頬に。
「た、つ」
顔を上げると、唇に達人のぬくもりが下りてきた。
「ン!」
「……りょう、ま。好きだ」
軽くて短いキス。
けれども、繰り返されるたびに竜馬の吐息は熱を帯びていく。
「は、……ん、ん」
「好きだ」
「……おめえ、それ、言い過——ン」
泣き出しそうな表情と震える指先で心が溢れそうなのだとわかる。
「何だ、もう腹いっぱいか?」
「え……?」
「前言撤回。長居するぞ。こっちはまだ、言い足りないんだ」
達人が愛おしそうに竜馬を見つめた。
「たつひ——」
「竜馬、愛してる」
それからもっと深く、口づけた。
† † †
鬼獣は文字通り、跡形もなく消し飛んだ。
「流君、抑えてって言ったでしょ」
「今日はいつもより調子がいいみてえでよ、つい力入れ過ぎちまったンだよ」
「言い訳はいらないわ」
ミチルが睨む。
「バリアがあるといっても、いつ消えるかもしれないの。研究所を一緒に吹き飛ばさないでちょうだい」
「吹き飛ばしてねえだろ」
「あなたなら吹き飛ばしかねないから言ってるの」
「次から気をつけりゃあいいンだろ」
竜馬が鼻の頭をかく。
「悪かったよ。これでいいだろ。だから鬼みてえな面すンなよ。ここにシワ寄るぜ」
とん、と自分の眉間を指差した。
「——」
「お、もう終わりか? じゃあ俺は先にあがるぜ」
ミチルが口をつぐんだのをいいことに、ふん、と鼻を鳴らして竜馬は格納庫の出口に向かった。
「……ったく」
溜息をついたミチルに、達人が「まあまあ」と笑いかける。
「俺からも言っておくから、許してやってくれ」
「……ちゃんと言ってよね」
「わかってるって」
「……」
ミチルはもうひとつ息を吐き、下がる。
「張り切り過ぎるのも問題ね」
安堵と、あきれが混じった響きだった。
「大方、餌をやり過ぎたんだろうよ」
隼人がくすりと笑う。
「え? ああ——そう、なるほどね」
軽い足取りで小さくなっていく竜馬の背中を見つめ、それから兄の満足げな横顔を見やり、ミチルも笑う。
「流君が話を聞いたうえに『悪かった』って言うくらいだものね。神君がアドバイスしたの?」
いたずらな目つきで隣を見上げる。
「研究一筋の朴念仁は自分で気がつきそうにないもの」
「そんな義理も趣味もないが、煽りを食うのはこっちなんでね」
「そう。ひとまず、それはありがとう」
「いや」
ふたりの後ろで、弁慶が不思議そうに首を傾げた。
「さっきから、ふたりで何の話だ? 餌だとか何かを食うとか」
「たいしたことじゃないわ。……そう、流君の機嫌が直ってよかったわねっていう話よ」
「あ、ああ! それ、何でなんだろうな? 昨日は腹が減ってただけってことか?」
珍しく、ミチルが吹き出した。
「ミチルさん?」
「そうね、ええ。足りてなかったのね」
「そうか。まあ、俺も腹が減るとイライラしたり哀しくなるしな」
聞いて、隼人もくつくつと笑い始めた。
「隼人まで。……いったい何だぁ?」
「何でもない。人間、腹八分目がきっとちょうどいいんだろうさ」
「そうだろうけど……俺は腹いっぱい食いてえなあ。ああ、何だか腹減ってきたな」
格納庫に、弁慶の平和そうな声が響いた。