魂の彩(いろ)

新ゲ

イーグル号のパイロットスーツは元々達人さんが自分で着るために用意していたものだったと竜馬に聞かせるミチルさんの話。新炉心テスト前日。
綺麗にスカッとした終わりではなく、この後の波乱を匂わせるような幕切れになっています。
・竜馬は達人さんを「アイツ」呼びします。
・パイロットスーツのメインカラーの浅葱色にまつわる話です。
・ミチルさんが家族写真を「10年以上前」と言う場面があります。ミチルさんは家族写真では16歳、1話時点で大学院修士課程卒なので25歳、プラス3年でこのお話の中では28歳設定。約9,000文字。2023/6/5
※作中に出てくる「中国の古い本」は『荘子』です。荘子の外物(がいぶつ)篇の記述となります。訳は講談社学術文庫を参考にしています。

◆◆◆

 思わぬ来訪者に、ミチルの目がこれでもかと見開かれた。
「幽霊でも見たって顔だな」
 竜馬が吹き出す。
「隼人なら『ゲッターのパワーがうんたらかんたら』って眉間にシワ寄せて来るだろうし、弁慶の野郎は鼻の下伸ばしながら飯の誘いにでも来るのか? 俺はひとりで来たことねえからな、そりゃ驚くよな」
「……何の用?」
 それでもミチルはすぐに冷静さを取り戻し、腕組みまでつける。
「あなたが父や神君の後追いをするとは思えないし、私をデートに誘う気もないでしょうし」
 誘って欲しいわけではない。ただ竜馬に合わせ、事務的に返す。竜馬は近寄ると笑みを仕舞い、無言で紙切れを差し出した。一度くしゃりと丸められたかのようなしわの跡と汚れがついている。
「何?」
 不審げな顔つきで受け取る。四つ折りになった紙を広げ——その目が釘付けになった。
「これ——どこで」
 竜馬を見、紙面に目を落とし、裏返してまた表を見る。
「俺が研究所ここに来て、最初の闘いのあと」
 ミチルが硬直する。
「おめえと話したあとで、いろいろ掘り起こすの手伝ってたら出てきた」
「…………」
「すぐおめえを探したンだけど、もう見当たらなくてよ。それから部屋に置きっぱなしで、ずっと渡しそびれてた」
「……そう」
 乾いた声がぽとりと落ちた。
 無理もない。新しい研究所に移っても、ミチルはゲッターロボの開発チームからは距離を置き、別区画で鬼の生体研究に勤しんでいた。パイロットたちの顔を見かけはしても、自分から近づきはしなかった。なし崩し的に関わる事態はあったが、それ以上距離が縮まることはなかったのだ。
 それに——。
 ミチルは竜馬の胸元辺りまで視線を上げる。顔は見ない。
 たぶん、いつも冷たい目を向けていたと思う。自分の息子を殺せと命令した男と、その言葉に従った男。
 どうしようもなかった。鬼に噛まれた人間は決して元には戻れない。わかっている。
 早乙女達人は大切なものを守り、異形への変化へんげに抗って、最期の瞬間まで人間として闘った。攻撃は達人が望んだものだ。あの決断がもう少し遅ければ鬼に堕ちて、ゲッターロボも、それから山頂の研究所までもが壊滅的な被害を受けていただろう。
 流竜馬も突然に攫われてきたのだから被害者には違いない。理解していても、近くにいればきっと黒い感情が湧いてしまうと思っていた。そうなりたくなかった。
 けれども、感情のせめぎ合いから滲み出るものがあったのだろう。その気になればいつでも研究室を訪ねられたはずだし、人づてでもよかったはずだ。紙切れ一枚を渡すだけだったのに、そうしなかった。だから竜馬も自分との距離を測りあぐね、迷った挙げ句に渡せなかったのだと判断した。
 改めて手元を見る。A4サイズの紙面に人型の線画。顔はない。
 身長と体重。首周り、肩幅、二の腕回り、裄丈、胸囲、胴囲、臀部や腿、ふくらはぎ回り、足のサイズ——様々な部位の測定結果が人型に沿って記されている。胸の下には独特の切り替えライン。脛にもブーツとの境目を示すラインがある。
 胸部と足先は青色でざっくりと塗られていた。胴体には「ここは絶対浅葱あさぎ!」と書かれていて、その通りのカラーペンで塗りつぶされている。デザインも色合いも、竜馬のパイロットスーツと同じだった。
 右下の赤い丸で囲まれた中には「達人さん」「決定」とあった。
「アイツのパイロットスーツを作るためのモンだったンだろ」
 いつもより竜馬の声が硬い気がした。
「一緒に片付けしてたヤツに聞いた。……俺が着てるのと同じだよな」
「ええ」
「その……もしかして俺のパイロットスーツって」
「そうよ」
 竜馬に画を向ける。かさ、と紙特有の淡白な音が鳴った。
「でも、まったくのお下がりじゃないわ。デザインを決めて、生地の特殊加工も終わって、作っている最中だった」
 だから袖を通すことはなかった。
「パイロットが揃うまでは、兄が乗る予定だったから」
 パイロットスーツはそのまま大きさを変え、イーグル号と共に竜馬に受け継がれた。
「…………そういうことか」
 意外なほど神妙な間と声音で竜馬が返した。
 また、かさりと乾いた音が鳴った。ミチルがデザイン画を眺める。その瞳は前髪に隠され、竜馬からは見えなかった。
「じゃあ、確かに渡したからな。もう用はねえや」
「——流君」
「あ?」
「どうして、これを?」
「……もしかして、形見にでもなるンじゃねえかと思ったから」
「え……」
「けど、考えてみりゃ日記とかでもねえし、大事なモンならコピーとか取ってあンだろ? いらねえかもなってちっとは思ったけどよ、それならおめえが捨てるなり何なりすりゃいいことだし」
「……それで、ずっとこれを持っていてくれたの?」
「つーか、言ったろ。部屋に置きっぱなしだっただけだ」
「そう」
 竜馬が背中を向ける。
「それと、折っちまって悪かった。片付けンとき置いとく場所もなくてよ、仕方なくだ」
 返事を待たず歩き出した竜馬へ、
「ねえ、流君」
 ミチルが再び呼びかけた。

   †   †   †

「何か飲む?」
 竜馬は「いいや」と首を横に振る。
「そ」
 ミチルは自分の分だけコーヒーを淹れ、デスクの上に置いた。
「座るならどうぞ」
「このままでいい。いったい何だよ」
「少し待ちなさい。せっかちね。……父みたいだわ」
 唐突に早乙女博士に似ていると言われ、竜馬が顔をしかめた。
 ミチルがひと口コーヒーを飲む。
「……このパイロットスーツ、デザイン自体は開発部の提案なんだけど、カラーは兄が決めることになっていたの」
 細い指が「ここは絶対浅葱!」と書かれた部分をなぞる。
「これ、兄の字よ」
 大きくて力強い文字を拾い、もっぱらきつい印象の目がゆるんだ。浅葱色の上を指先が滑る。
「綺麗な色よね。……とても血が映える」
 ぎょっと目を見開いた竜馬に、ミチルはさもないと小さく笑った。
「大事なことよ。本人が喋れない状態でも、出血があればすぐわかる。それに、目立つ色だといざというときに便利なの」
「便利……?」
「自然色の中でも、瓦礫の中でも、きっと見つけやすい」
 竜馬が息を呑む。
「残っていれば、だけど」
 何が、までは言わずとも伝わったようだった。
「……だからアイツはその色にしたってのか」
「さあ」
「さあ、って。わかンねえのかよ」
 ミチルが竜馬の瞳をじっと見つめる。竜馬は何事かとまばたきを繰り返した。
 沈黙が続いて、竜馬の表情が不機嫌に変わっていく。
「あンだよ」
 睨み合うようにしてさらに数秒が過ぎ、ようやくミチルが切り出した。
「……この浅葱色ってね」
「あ?」
「日本じゃ切腹のときに着る衣服に使われた色なんだそうよ」
「は? 切腹ぅ?」
「そ。切腹」
 ミチルは右拳を左脇腹にあて、一直線に右脇腹まで引っ張るジェスチャーをした。
「いわゆる『死に装束』よ」
「……死に……装束」
 思わぬ方向からの話にピンと来てないようだった。
「流君、テレビの時代劇で切腹のシーンって見たことないかしら」
「時代劇、ねえ」
 首をひねり、目玉を巡らせる。
「確かガキん頃……お、ああ、あるわ。近所のばあちゃん家で見たな。ええと、肩の先がとんがった着物をこうやって脱いで」
 かみしも肩衣かたぎぬを取り、着物の前合わせをくつろげて押し下げる動作をする。
「ああ、そうだ。それで、こうか」
 先程のミチルと同じ動きをする。
「よく覚えてるわね」
「あ? まあ、かたみてえで面白かったからな」
「そうね、作法だから一種の形よね」
「やたらピリピリしててよ、何が起きンのかって食いついて見てたな。……けど、着物は全部白かった気がするぜ」
「中の着物は白だけど、上に着る肩衣と袴は浅葱色だったみたいよ」
 ミチルはデスクの引き出しから一冊の文庫本を取り出した。全体的にくたびれていて、水に濡れたのか、ページが大きく波打っていた。
「兄のよ」
 竜馬の頬に緊張が浮かぶ。
「幸い、兄のデスクとロッカーは無事でね。ま、無事って言っても落ちてきた天井につぶされたり雨に濡れたりもしたけど、この通り中身は残ったわ」
「……そうか」
 ひとつでもふたつでも、兄の生きた証が残っているのは嬉しかった。けれども正直、苦しいと感じる瞬間も多かった。
 ミチルはゆっくりとした動作でまたコーヒーを飲んだ。竜馬は黙って待つ。
「……それでね、ここ」
 ひと息ついてからページを広げた。挟まれているしおりも頼りなく波打っていた。
「…………う」
 覗き込んだ竜馬は渋い表情になる。みっちりと文字が並び、おまけに漢字がやたらと多かった。
「あンだよ、これ」
 読めるワケねえ、と睨みつける。
「こっちも、流君が読めるとは思ってないわよ」
「な」
「できるだけ簡単に説明するから」
「お、おう」
 簡単に、と言われたにもかかわらず竜馬が身構える。ミチルは一瞥し、小さい笑みを浮かべた。
「これ、中国の古い本の翻訳なんだけど」
 とある思想をいくつもの寓話を用いて表している。指先が原文を示す。

  萇弘死于蜀、蔵其血三年而化為碧

 周の王に仕えた萇弘ちょうこうという人物が讒言ざんげんによりしょくの地に流されて殺された。現地の人々が忠臣を哀れみ彼の血を隠していたところ、三年を経て青く美しい宝玉になっていたという。
「そこから『碧血へきけつ』という言葉ができて」
 メモ帳に書いて見せる。
「これが青色」
「碧」を丸で囲む。
「強い忠誠の心を指すようになって、さらにこれがくっつく」
丹心たんしん」と付け加える。
「真心の意味らしいわ。『碧血丹心』。これで、このうえない真心、このうえない忠誠心を表す」
「へ、へきけつ、たんしん」
 竜馬がたどたどしく発音するとミチルが頷いた。
「これが元になって、日本では武士の忠義の心を示す色としてあお——実際は薄い青緑、と言えばいいのかしらね——その色が使われるようになったの」
「それが、死に装束に使われたってことか?」
「そう。だから兄はこの色を選んだんだわ。……本来の色合いよりもっと濃くしてあるけどね」
「……けど」
 竜馬が不思議そうに首を傾げた。
「けどよ、死ぬためのモンじゃねえだろ」
 ゲッターロボも、パイロットスーツも。
「そうよ。闘って、勝つためのものよ」
「なら、何で」
「そういう色なの」
 ミチルが竜馬を見据えた。
「それが兄の……、達人兄さんの覚悟の色なの」
「————」
「ほかに書き置きも見つかってないし、色の由来を聞いた所員もいなかった。私も最初は意味があるとは思っていなかった。でも」
 元から栞の位置はここだった。
「読みかけの印じゃないとしたら……何か意味があって栞が挟まれていたとしたら……。そう思い直してこのページを調べて、気づいた。……兄さんはそういう人だった」
「…………覚悟」
 竜馬が口の中で繰り返す。
「……だけどね」ふ、とミチルが微笑む。
「あの色、兄さんにはちょっと似合わない」
「似合わない?」
「色がとても明るくて——鮮やかで綺麗でしょ。目を引いて、印象に残る。もう少し落ち着いた色のほうが兄さんらしい」
 竜馬はデスク上の写真に目をやる。真っ赤なシャツを着ている達人がいた。
「……別に、派手な色が似合わねえとは思わねえけど」
「そうね。でもそれは十年以上前の写真で、兄さんももう少し若かったから」
「そんなモン……か?」
 ミチルはデスクの上にそっと本を置いた。
「兄さん、本当はもっと控えめなのよ。身内びいきって思われるかもしれないけど、リーダーの素質はあるし、実際そうだった。でも、本来は人を立てて自分は隣にずれるタイプなの。だから正直、あのパイロットスーツに関しては流君のほうが似合ってる」
「俺に?」
「そう」
 ミチルの目が細められる。
「あなた、良くも悪くも目立つのよ」
「目立つ?」
「ええ。きっと……『私たち』とは違う」
「何だ、そりゃ」
「……私にもわからない」
「ますます、ワケわかンねえ」
「そうね、私もそう思う」
 なぜだかわからない。気性の激しさなのか、尋常ではない身体能力と強さゆえか。それとも、もっと別の何か——。
 言葉も行動も直接的で単純そのものなのに、どこか捉え所がない。我の強さで周りを振り回していると思いきや、いつの間にか真ん中にいてほかのパイロットたちを引っ張っている。
 この男の奥に、いったいどんな心が潜んでいるのだろうか。
 ——兄さんは……何を感じたの?
 一瞬とも呼べる邂逅。短い時間の中で彼が何を竜馬から受け取ったのか、永遠に語られることはない。その事実を受け入れるように、ミチルはひとつ、深呼吸をした。
「……流君の色、ね」
「俺の……色?」
「死に装束の色が似合うだなんて言って、気を悪くしたかしら?」
 竜馬は一拍をおき、首を振って否定した。
「却って縁起がいいや」
「どういうこと?」
「逆に死ななそうじゃねえか——ま、俺は死なねえけどな」
 当然のように言う。
 そして。
「『覚悟の色』…………俺の、覚悟」
 デザイン画を見つめて、噛み締めた。
「気に入ったぜ」
 笑う。けれども普段の迫ってくるような好戦的な笑みとは違い、どこか穏やかだった。
「そうだな、俺は『負けてやらねえ覚悟』と『絶対ぇ勝つ覚悟』なら、できてっかな」
「何それ」
「相手が誰だろうとよ、俺は負けねえ。そんで勝つ。それだけだ」
 至ってシンプルな言葉が、自信たっぷりに返ってきた。
 あの日・・・——。
 死者を悼むような泣き空のあとは清しい青空が広がっていた。陽の光は惨劇の残骸を隅々まで浮かび上がらせて目を背けたくもなったが、それでも陰鬱とした空でないだけ、ほんの少し救われた心持ちがした。
 今の竜馬はまるで、あの空と同じだった。
「…………そう」
 きっと達人が聞いたなら、「頼もしいな」と嬉しそうに笑うのだろう。
 その光景を描いて、気づく。
 ——そういうことだったのね。
 自分は、知りたかったのだ。
 達人が不退転の覚悟を込めた色を、竜馬はどんな思いでまとっているのか確かめたかったのだ。
 いくらそれしか道がなかったとはいえ、竜馬は巻き込まれた。本人がけろりとしているからこちらもおくびにも出さなかったが、自分の父親がしでかしたことに少なからず後ろめたさを覚える心はあった。だからこそ、達人の死を無理に背負って因果に囚われて欲しくなかった。

 だが同時に、忘れて欲しくはなかった。

 達人の話を聞かせるのは、囲って逃げ場を奪い、そのうえで追い詰めるような真似ではないかと思った。自分も父親に負けず劣らず身勝手だとあきれてしまう。鬼娘のあだ名が本当にぴったりだ。
 ——それでも。
 渡されたデザイン画は丁寧にしわが伸ばされ、隅を揃えてきっちりと折り畳まれていた。
 竜馬の中に達人の居場所があるのだと感じて、すっと胸の奥がひらいた気がした。

   †   †   †

「ところでよ」
 すっかり冷めたコーヒーを流し込んでいると、今度は竜馬が話しかけてきた。
「おめえ、さっきアイツにゃ『似合わない』って言ってたけどよ」
「何?」
「それって、おめえがその色、嫌いなだけなンじゃねえのかよ」
 ミチルの動きが止まる。
「アイツがこの色を選んだのが気に入らねえってだけじゃねえの」
「…………え?」
 たっぷり時間を置いたあとで、腑抜けた声があがった。
 石のように固まったミチルに向かって竜馬が続ける。
「あんまり上手く言えねえけどよ、そういう色を選ぶしかねえ・・・・・・ってのが、嫌なンじゃねえの」
「……」
「そんなら、誰よりも似合うって言ってやるのが……ええと、こういうの、何て言うンだっけ。ほれ、行っちまう奴にあげるモン」
 肝心なところで竜馬が助けを求めて眉尻を下げる。ミチルはその顔を見つめ——ようやく口を開く。
「……はなむけとか、手向たむけってこと?」
 竜馬の表情がパッと明るくなった。
「そう、たぶんそれ!」
「たぶんって、何よ」
 思わず吹き出す。
「いいだろ。それより、アイツが選んだ色なんだろ。おめえが『似合う』って言ってやったら、アイツ、喜ぶンじゃねえの」
「————」
 瞳が零れ落ちそうなほどに見開かれた。入室のときとは異なり、竜馬は笑いはしなかった。
「仲、よかったンだろ」
 ミチルはまばたきも忘れ、ただ一度、こくりと頷く。
 考えもしなかった。
「そう……、そう、かもしれない……わね」
 頭の中で竜馬の言葉が繰り返し再生される。ずっと奥の、さらに深いところに押し込めていた感情が動き始める。

 いつでも味方になってくれた。大事な、大事な家族だった。

 そんな兄さんに、あんな覚悟をさせる世界が嫌い。
 鮮やかで綺麗であればあるほど兄さんの覚悟が浮き上がってくるから、浅葱色は見たくない。
 兄さんと同じ未来を向けない自分が恥ずかしくて情けない。
「どうして兄さんが」と繰り返すしかできなくて、その覚悟を受けとめ切れない自分が。

 ——大嫌い。

 写真立てを見やる。変わらない、倖せな時間が閉じ込められている。
 血を分けた兄妹なのだから、自分が一番達人を理解していると思っていたのに、そうではなかった。
 時間は短くとも、ギリギリの状況下で共に闘ったからなのか。生命のやりとりを交わしたからなのか。
 竜馬のほうがよほど達人の覚悟を真正面から受けとめて、見送っていた。

 ——覚悟が決まってなかったのは、私だけだった。

「……ふふ」
 自然と笑みが湧いて、零れてきた。
 投げやりな気持ちとは違う。自分の未熟さが暴かれて、本来なら落ち込むか苛立つかするはずだった。それが自分でも驚くほど冷静で、どこかおかしみさえ感じていた。その滑稽さは自嘲めいたものではなく、不思議と軽くて、心地よかった。
「あーあ。まさか流君にそんなこと、言われるなんてね」
 からかいの視線を送ると、竜馬が目を丸くした。それから「ひと言、余計」と鼻を鳴らした。
「このくらい、いいじゃない。嫌みじゃないわよ」
「せっかくそれ、持ってきてやったのに」
 ミチルが息を呑む。ふつりと軽口の応酬が途切れて、竜馬の口元がしまった、とばかりに引き結ばれた。
「…………そうよね」
 言うべき言葉は別にある。
「流君」
 身体を正対させ、竜馬をまっすぐにとらえた。
「ありがとう」
「な、急に何だよ、気持ち悪ぃ」
「あら、素直にお礼を言ってあげたのに、ずいぶんね」
 笑いかけると、竜馬は居心地悪そうに目を逸らした。
「じゃあ俺はもう行くからな」
 早口で告げ、そそくさと踵を返す。ミチルはじっとその背中を見つめていた。

 嬉しかった。

 ——けど、今になってどうして。
 このタイミングだったのか。
 首をわずかに傾げ、
「————っ」
 弾かれたように卓上カレンダーを見る。
 ——もしかして。
 明日、新炉心のテストがある。パイロットは竜馬のみ。ひと通りの稼動実験は済んでいる。だが有人での出力テストでは何が起きるかわからない。
 オーバーヒート、暴走、分解、爆発。それに、異空間への転移——消失。
 そうならないようにシステムを組んでいる。いざというときのために幾重にも対応策を用意している。けれども。
 動悸を感じた。瞬間的に焦りが身を包む。
「流君!」
 駆け出し、追いかける。自動扉が開いて、竜馬の右足はすでに通路に出ていた。
「あン? まだ何かあンのかよ」
 竜馬が肩越しに振り向く。どこまで寄っていいのかわからず、ミチルは部屋の中央で足を止めた。
「あのとき」
「え?」
「あのとき、流君が言ってくれたこと」
「ああ?」
 そこでミチルは言葉を止めてしまった。竜馬の眉が訝しげに動く。

『おめえの兄貴の死を汚すンじゃねえ』

 はっきりと覚えている。
 本当は、あの言葉にこそ救われたのだ。
 たくさんの望まない出来事に向き合ってきたから、自分を奮い立たせる方法は嫌というほど知っていた。それでも、すべてを投げ出してしまおうかと一瞬だけでも迷った。それを押し留めてくれた言葉だった。

 ——伝えなければ。

 ミチルの唇が開かれた。
「ありが——」
 同時に電話の着信音が鳴り響いた。竜馬の表情は動かない。声はかき消されて、届いていないようだった。
「電話、鳴ってるぜ」
 竜馬がデスクを指差す。
「早く出ろよ。どうせジジイだろ?」
 ミチルは動けない。
「出ねえの、俺のせいにされても困るからな」
 ニッと笑って、歩き出す。
「——なが、れ」
 背中はそのまま、視界から消えていった。
「…………流……君」
 きっとテストは成功する。もし鬼の攻撃が再開されたとしても、あのゲッターロボなら勝てる。今度こそ、闘いを終わらせられる。
 そのときはためらわずに伝えよう。
 閉まった扉を見つめる。
 ただ兄を慕う妹に戻ることを許さないように、ミチルの覚悟を試すように。

 電話はまだ、鳴っていた。