カムイ⇄隼人で、不思議な夢の世界でカムイに誘われて、いけないとは思いつつも「夢ならいいだろうか」と受け入れてしまう隼人のお話です。致しておりますが、朝チュン方式で全年齢。
坂口安吾の『かげろふ談義』という作品の中の台詞、
——今夜はあなたを浚つてゆきますよ。おいやなら仕方がありませんけど。
坂口安吾『かげろふ談義』(青空文庫より)
があまりにもカムイから隼人への愛の言葉じゃん~!!ってなって、どうしようもなくなって書いたお話です。台詞はまんまではなく、雰囲気は残すようにしつつ、少し変えました。
◆◆◆
隼人の手がカムイの額から離れる。
熱はだいぶ下がっていた。呼吸も落ち着いている。隼人は大きく息を吐き、ようやく椅子の背もたれに身体を預けた。
「少し休んでください」
所員が心配そうに声をかける。隼人は「ああ」と答えたが、椅子から立ち上がろうとはしなかった。視線の先も変わらない。
「バイタルも安定しています。何かあったらすぐ呼びますので」
所員が促すと、隼人は再び「ああ」と答え、今度はゆっくりと立ち上がった。目蓋を閉ざし横たわるカムイの顔を最後まで見つめ——白衣の裾を翻した。
「三時間だけ眠る」
時刻を確認し、告げる。所員は頷き、自分の腕時計のアラームをセットした。
「コーヒーを用意しておきますね」
「すまない、頼む」
所員は心得ているとばかりに微笑む。隼人は振り向き、もう一度カムイの顔を見つめてから、救護室を後にした。
三日前、研究所内のゲッター線量が急激に増加した。原因は不明。これまでも度々あったことだったが、それにしても数値の上がり幅が異様に大きかったため、ひとまずカムイに避難指示を出した。だが防護室に向かう途中でカムイは倒れ、それから眠り続けていた。
ゲッター線の数値は次第に下がってきていた。もうすぐ正常値に戻る。そうなれば、カムイも快復するはずだ。快復してもらわねばならない。
ふと窓の外を見る。月のない夜だった。
隼人は自室に戻るなりベッドに身を投げ出す。三時間はすぐだ。白衣もそのまま、ベルトのバックルをゆるめることもしない。靴だけはさすがに脱いだが、まだ頭の中は様々な処理をして忙しなく動いていた。
目を閉じる。
「神さん」
まだ新しい記憶がするりと立ち上がってくる。
「神さん、好きです」
いつもの冷静な表情でカムイが言った。隼人はどう答えるべきか瞬間的に悩み、
「そうか」
とだけ返した。
目を合わせたまま数秒が経つ。それ以上は何も返ってこないと悟ったカムイは、眉ひとつ動かさぬまま、一礼をして去っていった。
翌日、カムイが倒れた。
——あのとき。
隼人の眉間にしわが刻まれる。
一瞬だけでも、迷ってしまった。
「どう答えるべきか」など、はじめから決まっていることだ。それなのに、わずかな間を生んでしまった。自分の中に存在する思いに気づかぬフリをして、永遠にやり過ごすはずだったのに。
——どうかしている。
三時間。ひと眠りして三時間経てば、この記憶も、思いも、消える。
隼人は暗示をかけるように、静かに深呼吸した。
「神さん」
意識の上から、声が降ってきた。
——カムイ。
耳馴染んだ声。少し硬くて、けれども柔らかさも含んでいて、品のある声だ。その声が、
「神さん」
と、耳元でささやいた。
「——カムイ!」
飛び起きる。
しかし、誰もいない。
「……カムイ?」
確かに声がした。周囲を見回す。何も変わらない。隼人の自室で、隼人ひとりきりだ。だが、妙な感じがした。
——何だ。
違和感に、自然に五感が緊張する。
何もない。
何もないことの、違和感。
隼人は緊張を保ったまま身体を滑らし、靴を履く。慎重に、しかし躊躇なく足を踏み出す。
扉を開け、通路に出る。
しんとしている。
やはり、おかしかった。
気を張り巡らせながら進む。見慣れた、変わり映えのない景観が続く。もう目を瞑っていても歩ける。けれども、
——ここは、どこだ。
隼人の知る早乙女研究所ではなかった。
音がない。研究所ならば、必ずどこかで何かしらの駆動音や振動が発生している。耳には聞こえなくとも、肌で感じる。ここにはそれがない。それに、生き物の気配がまったくなかった。
まるで、隼人が眠っている間に地上のすべてが死滅してしまったようだった。
——それとも。
フ、と皮肉めいた笑みが零れる。
——俺が消滅したのか。
そうかもしれない。何しろ、隼人自身が立てる音も聞こえないのだから。
ベッドの軋みも、衣擦れの音もしない。ドアのタッチパネルの音も、靴音もしない。
「夢か、三途の川への道行か」
呟いてみる。喉が震える。声を発した感覚はあるのに、体内にちっとも響かない。当然、耳から入ってくる音もない。静けさにも気配はあるはずなのに、ここは無音の世界だった。
——さて。
歩を進めながら冷静に考える。
夢の世界か、死者の国か、あるいは。
——ゲッター線がもたらす幻影か。
何者かの意思によって閉じ込められたのなら、一定の条件を満たさない限りは出られないのだろう。どこかに風穴でも開けられれば別だろうが——と考えるうちに、懐かしい友の顔が浮かんできた。
あいつなら、閉じ込められたと判断したらお構いなしにやるのだろう。
久しぶりに隼人の面に微笑みが広がる。
「カムイの様子が気になる。俺も竜馬に倣って、前のめりになってみるか」
右拳を作り、通路の壁を軽く叩いてみる。作られた世界なら、必ずどこかに起点がある。そこを壊せば——壊せないまでも、揺らぎを与えられれば、綻びは現れる。
どこまで元の世界を再現しているかわからない。もし研究所ごと存在しているのなら。
「釜の蓋でも開けてみるか」
有機体ならぶっ殺す、メカならぶっ壊す、と息巻いていた友は何と言うだろう。きっと、
「面白えじゃねえか」
と、笑ってくれるだろう。
そうと決まれば足の運びにも芯ができる。旧研究所へ続く通路へと向かう。本来なら、カツカツと小気味のよい靴音が響いているのだろう。
「……?」
ふと、視界の端に光るものが入った。
足を止め、窓の外を見やる。
中庭となっている空間だった。暗い、夜の世界。空に月はない。
現実世界では新月だった。もしこの世界に反映されているならば、今の光は月ではない。月にしても、位置が低過ぎた。研究所内の照明が何かに反射したのだろうか。
振り返る。歩いてきた通路は明かりが消え、暗がりに繋がっていた。
「……」
果たして、照明は機能していただろうか。目覚めたとき、確かに部屋は明るかった。通路に出たときも先を見通せた。歩いているときも明るかった——はずだ。
前を見る。暗がりの淵はすぐそこにあった。
「地獄の釜に、近寄らせないつもりか」
闇の奥に投げかける。答えはない。
隼人が足を踏み出す。暗闇でも関係ない。この研究所のことなら、隅々まで知っている。
闇の淵に爪先が触れる。体重を移動し、闇の中に身体を割り込ませる。
「————」
また、視界の端で光るものがあった。
身体半分を闇に浸したまま、窓の外を見る。
カムイが立っていた。
こちらに背を向けて、闇の向こうを見ている。その髪が、きらきらと輝いていた。
「カムイ」
声は届かない。
そのはずなのに、カムイが振り向いた。
細くて金糸のような髪の毛がさらりと揺れる。月光が差し込むように、黄金色の光が舞った。
『神さん』
窓の向こうでカムイの口が動いた。聞こえない。隼人は闇を出でて窓辺に近づく。
また、カムイの唇が動いた。
「神さん」
背後から、声があがった。
隼人が振り向く。
目の前に、カムイが立っていた。
気配がなかった。このカムイも幻なのか。隼人の目が素早くカムイの違和感を探す。
「……本当に油断のならない人だ」
カムイが微笑む。淡い黄金色の光が髪の毛から零れ落ちた。
「釜の蓋を開けて、この世界を吹き飛ばすつもりですか」
「釜とその中身が、こちらの世界にあればの話だが」
「ふふ、どうでしょうね」
「これは——ここは、お前が作った世界なのか」
「さあ」
「『さあ?』」
「何処かの誰かが、私のために用意してくれた世界なのかもしれません」
「お前のため?」
「あるいは、あなたのため」
カムイが上目遣いで笑む。隼人の片眉が上がる。
「……俺の?」
「そう。あなたの」
「どういう意味だ」
「……ご存知ですか? 新月にかけた願いは叶う、と」
「願い? 俺が、何を望むというのか」
カムイがいっそう、顔をほころばせた。
「それは、あなたが一番よく知っているでしょう」
つ、と滑るようにカムイが寄る。隼人が一歩、身を引こうとする。その前に。
カムイの唇が隼人をつかまえた。
「————っ」
柔らかくて、熱がある。
気配のないこの世界の中で唯一、生命の熱さが存在していた。
唇はすぐに離れる。
「……なに、を」
初めて触れるカムイの口づけに、隼人の感情が揺れる。
——まずい。
一瞬で刻み込まれた。どこかでずっと、触れたいと、触れられたいと願っていた。その思いを閉じ込めるために厚く重ねてきた殻が、ぱりぱりと脆く剥がれ落ちていくのを感じる。
「神さん」
カムイの声が耳をくすぐる。
音はしないはずではなかったか。
「……神さん」
それなのに、カムイの声が聞こえる。肌を撫で、耳朶にキスをし、頭の中に潜り込んでくる。
「じんさん」
「…………ッ!」
ぞく、と身体を駆け抜ける刺激があった。思わず顔を背け、目を瞑る。
「——あなたは」
カムイの両腕が隼人を抱きしめる。
「あなたは、可愛い人だ」
「……なっ、何を、馬鹿、な」
「本当です」
きゅっと抱きしめられ、隼人は息を呑む。
「ずっと、ずっと、こうしたかった」
カムイの手が白衣の背中を這い上る。隼人の髪に触れ——撫でる。
「好きです」
告白は心地よい響きとなって、隼人の耳に吸い込まれる。
「今夜は——今夜だけは、あなたは私のものです」
まっすぐに揺さぶってくる声に引き寄せられ、目を開ける。
赤い瞳が、隼人を射抜く。
「あなたを、抱きたい」
「…………」
「拒まれてしまったら、諦めるしかありませんが」
——カムイ。
身体の真ん中から震えが湧き上がってくる。卑しい期待をしている自分を自覚する。ここで止めなければ、と思う一方で、この閉じられた世界でなら、たった一度なら、心をさらけ出してしまっても許されるのではないかという甘い考えが生まれる。
——甘えなど。
早乙女研究所を束ねる神隼人にとって、許される弱さではない。
「今は」
隼人の逡巡を掬い取ったように、カムイが口を開いた。
「私だけの、あなたです」
カムイの手が隼人の頬に触れる。
「神さん……」
その指先が、唇を撫でる。
「…………ぁ」
気づけば、胸が張り裂けそうなほどに高鳴っていた。
「私の名前を、呼んでください」
カムイの懇願は、熱い吐息となって隼人に降りかかる。
「カ……」
「さあ、神さん」
「…………」
情けないことに、身体が震えていた。うまく息ができない。
その唇を、カムイの指先がもう一度撫でた。
『神さん、好きです』
記憶の中と、目の前のカムイの言葉が重なった。
込み上げてくるものに耐え切れず、隼人は呟く。
「——カムイ」
呼ばれたカムイは目を見開いたあとで、噛み締めるように目蓋を閉じた。
「……ああ」
溜息がカムイから漏れる。触れ合っている肌から、カムイの歓喜が滲んで伝わってくる。求められているという実感が、隼人の中に育っていく。
「神さん」
顔を引き寄せられる。唇が近づく。隼人は腕を伸ばし——抱きしめて応える。
隼人の白髪がはらりと流れて、カムイの金髪にかかる。
また、淡い光が宙に舞った。
† † †
茫然と天井を見つめる。
——今のは、いったい。
煩く鳴っているアラームを止めることもできない。
やけにリアルな夢だった。
——本当に、夢か?
カムイの微笑み、吐息、告白。肌の熱さ、抱きしめる腕の力強さ、その肉体のたくましさ。
「————ッ!」
カッと全身が熱くなる。
——まさか。
飛び起きる。
しかし、誰もいない。
「あれは——」
自分の身体を確認する。着衣に乱れはなく、眠りについたときのままだ。両の手を目の前に出し、手のひらと甲を交互に見る。その手でベッドシーツを撫でる。しわは隼人が横になったひとり分で、金糸のような髪の毛の一本も落ちてはいなかった。
「…………」
は、と短く息を吐き出す。
「…………夢」
あれは、夢だ。
隼人はゆっくりと息を吸い込む。
——そうだ。
たった一度だけ。目覚めれば、忘れる。
——それでいい。
ようやくアラームを止める。
深く呼吸をし、気持ちを静める。きっと、もう夢は見ない。
眠りにつく前と同じように、自分に言い聞かせた。
救護室に入る。所員が「変わりありません」と報告をし、奥の部屋に消えていった。
微かに食器の音が聞こえてくる。約束通り、コーヒーを淹れてくれているのだろう。隼人はカムイを見下ろす。
変わらない。その目蓋は固く閉ざされていて、身じろぎひとつせず眠っている。
「…………」
傍らのパイプ椅子に腰を下ろす。ギッと軋む音が鳴って、直後、カムイの目蓋が震えた。
「——カムイ」
腰を浮かし、近づく。
カムイの睫毛がゆっくりと持ち上がっていく。
「カムイ」
ぼんやりと霞がかったような赤い瞳に、徐々に光が戻っていく。
「…………じん、さん」
弱々しい声が落ちる。
「カムイ。どうだ、苦しくないか」
「…………はい」
カムイは小さく答えて、微笑む。
「もう……大丈夫です」
「そうか」
「……すみません」
カムイの眉が下がる。
「気にしなくていい」
「……はい」
それでも、カムイの目元が申し訳なさそうに歪んだ。隼人は右手を伸ばし、カムイの頬をひと撫でする。さすがにやつれている。
「気にするなと言った」
それは指示であり、また労りの言葉だった。
「はい」
カムイは微かに頷いた。隼人も頷く。
ゆっくりと手を引く——と、カムイの手が引き留めた。
「——」
カムイは左手で隼人の手を引き寄せ、自分の頬に押し当てた。
——カムイ。
内心、ずいぶんと心細かったのだろう。あのゲッター線の数値は異常だった。あれほど急激に上がったのであれば、カムイはどれほど苦しかっただろうか。もっと早く避難させてやるべきだった。
「もう少し休んでいろ」
優しく頬を撫でる。カムイは目を細め、こくりと頷く。
カムイがまだ早乙女研究所に来て間もない頃、熱を出して寝込んだことがあった。あのときと同じだった。どれだけ冷静に見えても、大人びていても、その奥には年相応の稚さがあった。
思わず笑みを零す。左手で頭を撫でてやろうと前屈みになる。
そのとき。
赤い瞳が煌めく。
「神さん」
カムイが口を開いた。
その声が、手のひらを通して身体の中に響いた。一瞬で、あの夢の世界がよみがえった。
「————」
肉体の内側から込み上げて、広がる。駄目だ、と自分に言い聞かせる。手を引こうとしても、身体が動かなかった。
再び、カムイの声が響く。
「とても——とても素敵な時間でした」
隼人の呼吸が止まる。
カムイは薄く微笑む。赤い瞳から情念が押し出され、隼人に絡みついていく。
「あなたがおいやでなければ、また、いつか」
そうして隼人の手のひらに唇を押しつけた。柔らかさと熱さが、掌に刻まれる。隼人は——何も言えず、手を振りほどくこともできず、ただ口づけを受けとめる。
「……っ」
手のひらを、カムイの舌がちろりと舐めた。反射で腕がぴくりと動く。金縛りがほどける。隼人がすかさず手を引く。カムイが手を放す。同時だった。
「——」
カムイ、と隼人がたしなめる。
たしなめたつもりだった。
けれども、ふたりの間に声は落ちなかった。隼人の唇が二度、三度、空回りする。カムイの目が、隼人の狼狽を愛おしそうに見つめた。
心を見透かすような赤い瞳。
その視線にさらされて、隼人の内側にじり、と新たな熱が湧いてくる。
——あれは。
夢だ。
自分に言い聞かせる。しかし、隼人の肌はカムイの指と舌の感触を思い出していた。身体の中心に業の種を植えつけられたようなものだった。じぶじぶと炙られて、肉の奥が倦んでくる。
このままではいけない。絡みつくこの視線を断ち切らないといけない。
「カム——」
言いかけたとき、人の気配がした。咄嗟に隼人は口を噤んだ。
「失礼します」
声のあとで、仕切りのカーテンが開けられた。
「コーヒーをお持ちしました」
「あ——ああ、ありがとう」
「ブラックでよかったですか。少し濃いめで」
「ああ、助かる」
「いいえ。カムイは……まだ起きませんか」
「————」
赤い視線はすでに長い睫毛の下に隠れていた。
——カムイ。
「きっと、朝には目を覚ましますよ」
「……ああ」
まさか、今のも夢だったのだろうか。
隼人はわずかに眉をひそめる。
カムイの口元がうっすらと微笑む。隼人が目を見張る——と、カムイの髪の毛が、淡い月光のようにほのかに輝いた。
