ハートに火をつけて

ネオゲ隼號

隼⇄號。つきあってません。
煙草を吸おうとしたら號くんがあまりにも自然にライターの火を差し出してきたので、號くんが過去に水商売でもしていたのかと邪推して嫉妬でもやもやする隼人のお話。約5,500文字。あとでpixivにも載せます。
・ネーサーの隼人の執務室でのお話。隼人は吸うときはチェーンスモーカー気味。
・ライターはフリント式で、回転やすりがついていて親指でジャッと回してつける使い捨てタイプ。
・號くんが書類整理のお手伝いに来ています。
・告白に至らずお話は終わりますが、お互いに「もしかしたら両思い…か…も?」とうっすら思うエンド。

◆◆◆

 隼人の右手がデスクの上を彷徨さまよう。視線は書面に走らせたまま。
 指先に固いものが触れる。それを引き寄せようとして——中指が空回る。顔を上げると、さっきまで向こう側で書類の仕分けをしていた號がすぐ脇に立っていた。横取りしたライターを手にしている。
「……」
 隼人の口が少し開いて、咥えた煙草の角度がゆらりと変わる。ジャッと回転やすりの音が鳴り、安物の使い捨てライターから火が上がった。
「ほい」
 スッとライターが差し出される。隼人は號を見つめて動かない。
「ん? タバコ、吸うんじゃねえの?」
 號が首を傾げる。
「……吸う」
「なら、ほら」
「吸う——が」
「わっ」
 ぺしん、と號の手をはたく。弾みで親指がライターから離れる。オレンジ色の火は熱の余韻を残して消えた。
「そんな真似はしなくていい」
 隼人は號の手からライターをもぎ取り、自分で火を起こした。
「神さん?」
「……」
 軽く息を吸い込むと煙草の先が赤くなる。紙巻き煙草が焼ける音と匂いが微かに立ち上る。隼人は改めてひと息ゆっくり吸い込むと、じろりと號をめつけた。
「え、何? 神さん、怒ってんの?」
 號の声と表情に不満が滲む。親切心で火を差し出したのに拒否されたばかりではなく、手を叩かれ、挙げ句には睨まれた。まったく理不尽極まりない。
 隼人は溜息のように煙を吐き出した。
「そういうことをさせるために、お前を傍に置いているんじゃない」
「何だよ、ちょっと気ぃ利かしただけじゃねえか」
「それでも、だ」
 隼人は眉間に皺を刻みながら、また煙草を吸った。
「そういうサービスを提供する職業に就いていないのなら、頼まれてもやるな。ライターを渡して終わりだ。しつこい奴がいたら、指の一本でも折ってやれ」
「別に、いっつも誰にでもこんなことしてるわけじゃねえよ」
「それなら今まで通り、しなくていい」
「俺、神さんだから」
「なら、なおのこと、しなくていい」
 何で、と言ったきり、號の口が尖った。納得いかないとばかりに視線でちくりと刺す。
「……俺が好かん」
 溜息混じりの煙のあとで、隼人が零した。
「強要している気になる」
「強要?」
「立場を利用してお前を従わせている気になりそうで——不愉快だ」
 眉間の皺が深くなった。
 立場柄、政府や大企業の要人らと会合する機会がよくある。その席、あるいは続く親交の席で、金や権力をちらつかせ他者や物事を思い通りに動かそうとする人々をうんざりするほど見ていた。目的の大小は問題ではない。持ちかけるほうは「尽くされて当然」という尊大な態度を見せる。要求された側は引きった作り笑いで従う。その一方で、張りついたような笑顔を浮かべながらすかさず媚びへつらう者も現れる。まさに、不愉快の連鎖と循環だった。
 嫌悪する環の中に入りたくはない。しかも號を連れてなど論外だった。本来の業務とは関係のない場面で、まるで個人に仕えるような言動を取らせてしまう状況が嫌だった。
 説明すると、號は素直に「そっか」と表情の険を解いた。
「それに——」
 言葉を切って隼人が大きく息を吸い込む。煙草の先が赤々と光った。一瞬の溜めがあり、ふうっと煙が吐き出される。

 それに、やけに手慣れていた。

 隼人は視界の端で號の手を見る。
 正直、そちらのほうが先に気になって、妙な苛立ちとむかつきに取り憑かれた。
 號に言ったことは嘘ではない。だが、今の場に限っては最大の理由にはならなかった。
 スムーズに回転やすりで着火し、反対の手で火を覆いながらライターを差し出してきた。あまりにも自然だった。
 いつ、どこで。考えるまでもない。號がひとりで生きてきた環境を思えば、そういう機会があったとしても不思議はない。やはり無理強いされたのだろうか。煙草の火以外にも求められたことがあったのだろうか——。
 勝手に妄想を始める脳内を、ニコチンを与えて黙らせる。煙を思い切り吸い込んだせいで軽い眩暈がした。
「神さん?」
「いや、お前の手つきが慣れていたからな。プロレス以外に何かしていたのかと思って」
 それこそ、『そういうサービスを提供する職業』に。
 生きるためだったと言われたら「そうか」としか答えようがない。定かではない過去に感情を乱されて、姿の見えない誰かに嫉妬している自分にあきれる。あきれついでに、いっそのこと訊ねてしまえと隼人は開き直った。
「何かって?」
 號はきょとんとしている。
「金持ち客相手に、水商売の真似事でもしていたのかと思ってな」
 さすがに目を見ては訊けなかった。煙をもうひと口吸い、煙草の先を灰皿に押しつける。平静を装ったつもりだったが、いつもより指の先に力が入って、短くなった煙草はぐにゃりと曲がった。
 號は不思議そうにまばたきを繰り返し——。
「ああ、真似事って言やあ、そうかも」
 と、あっけらかんと答えた。
「それは——」
「あ?」
「それは、どういう……」
 己で口火を切っておいて情けない。隼人は前のめりになる気持ちをなだめる。
「どうって、別にたいしたことじゃねえよ。プロレスで俺の勝ちに大口張った客んとこに顔出して乾杯したり、ちょっと飯食ったりよ。逆に前回俺に張らなかった客んとこに行って賭け持ちかけたりよ」
「……そうか」
「試合に出させてやる代わりに、ちょっとは営業しとけって胴元がうるせえからよ。だからタバコに火ぃつけたこともあるぜ。あっ、でも別にそんだけだぜ。船の中でだけだし、おっさんおばさんの手ぇ握りさすって『俺に賭けてくれよぉ』なんて猫撫で声でやってねえからな」
「ああ」
 號の話ぶりや表情に不自然さはうかがえない。話の通りにただ上得意の客へ挨拶をし、同じテーブルで少しの時間を過ごすだけなのだろう。
 綺麗さっぱりと、まではいかないが、鬱々とした気持ちが徐々に晴れていく。隼人は新たな煙草に火をつける。まだわだかまっているもや・・を煙に乗せて吹き飛ばしてしまいたかった。
「ああ、タバコの火っていやあ」
 煙草の先を見つめていた號が、瞳をくるりと回した。
「さっきの神さんの話じゃねえけどよ、思い出した」
「うん?」
「客の中にはよ、カジノでディーラーやってる姉ちゃんが気に入って、バーまで無理やり引っ張っていって、隣に座らせるような奴もいてよ」
 支配人に注意をされても金を握らせて黙らせようとする。それでも引き下がらなければ、持っている権力をちらつかせる。そういう品のない振る舞いをするのは一代でのし上がった者が多かった。
「何でも思い通りになるって思ってんの、逆にすげえよな。金とか権力って、それ自体はそいつの強さじゃねえのに」
「ああ、まったくだ」
 隼人の苦笑とともに紫煙が揺れた。
「だからな、そういう奴を見つけるとよ」
 割って入ってはこのあとに行われる賭けプロレスの話を始める。自分の勝率と、前回の一番高かった配分の額を「ここだけの話」と耳打ちする。成り上がり者の成金は目の色を変える。興味が色から金に移ったところで乾杯を促す。こうなったらもう、女性ディーラーの姿が見えなくても成金は気にも留めない。金庫の札束の嵩がどのくらいになるのか想像し、ご機嫌でグラスをあおる。そして煙草を取り出す。
 號はカウンターに用意されているライターを手に取り、素早く炎調節レバーを大の方向に思い切り寄せる。そうして「つけましょうか」とにっこり笑いながら、成金の顔の前に持っていく。成金が首を前に出したときを見計らい、火をつける。
「……」
 隼人が指に挟んでいた煙草は、灰が崩れ落ちそうな長さになっていた。
「わ、神さん」
「あ、ああ」
 慌てて灰皿に持っていく。聞き入ってしまい、ほとんど吸わないうちに燃えてしまっていた。
「——でさ」
 號が今にも笑い出しそうな口元で訊ねる。
「どうなったと思う?」
「どうって、お前」
 火を見るより明らかだった。
 前髪と、髭をたくわえていたらその一部も、一瞬で燃える。成金の慌てた顔を思い出したのか、號がぶふっと吹き出した。
「顔はさすがにヤケドしねえようにしたけどよ、おいた・・・の代償が髪の毛ちょろっとぐれえなら安いモンだろ」
「まあ、な」
「神さんなんか『指の一本でも折ってやれ』だもんな」
 號は眉間に皺を寄せ、隼人の言い方を真似る。真似をされた当の本人は片眉を下げ、少し困ったような笑顔になった。
 まったくもって、つまらないことを考えた。號は変わらず、號だった。自分を持ち、おもねらない男だった——隼人の胸の中がスッと晴れていく。
 號の仕種や表情、言葉ひとつで心が揺さぶられ、惑わされ、明るくなる。隼人は改めて己の思いを自覚した。
 だが、告げる気はなかった。自分と號の立っている場所は違う。思いを伝えたとして、號にしてみたら自由を阻むしがらみ・・・・のひとつにしかならないだろう。
「なら、やはりお前に火をつけてもらうわけにはいかんな」
 隼人は燃えさしと入れ替えに新たな煙草を手に取った。
「俺は前髪が惜しいからな」
 煙草の先に火をつける隼人を眺め、號は面白くなさそうに「ちぇ」と唇を尖らせた。
「せっかく神さんのタバコに火ぃつけてやろうと思ったのにな」
「残念だったな」
「ホントだぜ。そんでもってよ」
 トン、と號のブーツの音が軽やかに鳴った。
「……?」
 號が近づく。隼人の顔をひょいと覗き込むその瞳に、いたずらめいた光が宿る。隼人の目が奪われる。
 號の右手が持ち上がる。手銃の形になって、指の先が隼人の左胸に当てられた。どくん、と隼人の胸が脈打つ。
「……號?」
「神さんのここにも、火ぃつけてやろうと思ってたのに」
 言って、にかりと笑った。
「————」
 一瞬、世界の音が消える。
 自分の心臓の音さえ聞こえなくなって——まさに、號に撃ち抜かれたように——隼人は固まってしまった。
「へへ……、なーんて、な」
 號が上目遣いでおどける。指先が隼人の胸から離れ、一歩、後退あとずさろうとしたときだった。
 隼人が立ち上がり、素早く右手を號の腰に回した。そのままぐっと引き寄せる。
「え」
 楽しげだった號の目に戸惑いが浮かぶ。
「ちょ、神さ——」
 視線が泳ぐ。構わず、隼人は顔を近づけた。
「へっ、ちょっ、待っ、じんっ……」
 キスの距離だった。隼人の前髪が號の鼻先を撫でる。號がギュッと目を瞑る。一緒に、口も横一文字に結ばれた。
「…………ッ」
 號の頬が紅潮していく。微かな震えも、咄嗟に止めた呼吸も、緊張から少しずつ漏れる鼻息も、全部が隼人に伝わる。號はどうしていいかわからず、ただ待った。
 しかし、そこから時間は動かない。
「…………?」
 號がそろそろと片目を開ける。すぐ間近に隼人の端正な顔があった。その唇がわずかに動いて——。
「わ……っぷ」
 ふっと顔に息が吹きかけられた。
「……た、タバコくせえ」
 緊張は解けなかったが、それでも號は不服そうに隼人を睨んだ。
「一丁前に俺をからかうからだ」
 隼人は腰に回していた手を外し、號を解放する。號の身体はまだ震えを残し、顔は赤く火照っていた。隼人が一歩下がる。
「お、俺……っ」
 號から今にも裏返りそうな声があがった。
「俺、そのっ」
 指先がもじもじと動き、ズボンの生地をこする。
「神さん、なら」
 言いながら俯く。その耳が赤くなっていく。隼人はそのさまをまばたきもせずに見つめる。
「俺、神さんだったら——」
 言い終わらぬうちに隼人の指が號の顎にかけられた。くっと顔を上げさせられ、號は再び目を瞑る。
 さっきよりもきつく閉じられた目蓋と睫毛が心許なく震えていた。

 空気が流れる。
 號の唇が微かな風を受け止め、次いで実体に触れた。だが、どう捉えても唇の柔らかさではなかった。
「…………?」
 目を開ければ、眼前は白く覆われていた。
「あ? え?」
 ぐい、と白いものが顔に押しつけられる。
「なん……」
「お前は、俺を手伝いに執務室ここに来たんだろう?」
 いつもの隼人の声が聞こえてきた。號の手が白いものを掴む。
 引き剥がして見れば、隼人がサインした書類の束だった。
「これを送らないといけない。仕分けを頼む」
 言い終わる前に隼人は再びデスクに着き、仕事を捌き出していた。どこからどう見ても、普段通りの冷静な隼人だった。
「あ、ああ……」
 號が少しだけ未練がましく隼人に視線を送る。けれども隼人はもう、見向きもしなかった。

 

 万年筆が紙面を走る音がする。紙がめくられ、またペン先が走る。
 昂った鼓動をかき消すように、隼人はペンを動かし続ける。
 思わず触れてしまった。気づかれただろうか。いや、きっと誤魔化せた。
 外側からは見えない。けれども隼人の胸の内は狼狽と安堵、どちらにも寄り切れずにざわめいていた。そこに、先刻の號の様子が繰り返し流れてくる。
 何を言おうとしたのか。
 もしかして。
 まさか、そんなはずはない。
 何も考えないように、と意識すればするほど、隼人の脳裏には號の表情がくっきりと浮かび上がってきていた。
 小さく溜息を零す。そのあとで、今、煙草を咥えていなくてよかったと思う。
 目に見える煙の形であったなら、きっと揺れ惑い、舞い上がっては所在なげに消えていく己の心を映していただろう。
 ふ、ともう一度、溜息が吐き出された。

 とっくに火がついている恋心を抑えながら、隼人は万年筆を握り直した。