たかが恋

新ゲ弁隼R18/R18G

【閲覧注意】
重目、暗目の話です。
最初は隼人の身体目当てだったけど、隼人自身のことがだんだん気になって、傍にいたいなって思う弁慶の話。今回は寝落ちしません。出会ってそんなに経っていない頃。
隼人が過去話をします。性的関係があったモブ女について言及するシーン、モブ男と攻・受両方での関係があったことを匂わすセリフがあります。弁慶を挑発して首を絞められるシーンがあります。尚、弁隼固定でリバなしです。
実際には致しておりませんが、法・モラルに反する行為、性的プレイに関するエグい表現があります。諸々含めR-18G。
痛み・不快さを表す字面だけでも気分が悪くなるような方はおやめください。
受けのフェラシーン、挿入シーン一回ずつあります。
この後、ちゃんと倖せになって欲しいなと思ってます。約20,000文字。2021/3/22

※文庫用に誤字脱字や文末などの表現について軽微な修正を施した原稿を載せております。そのためpixivに投稿しているものとは若干異なる部分があります。内容に差異はありません。

※分割しています



◆◆◆

 

 隼人には妙な色気がある。
 ずっと、弁慶は思っていた。
 長い後ろ髪から覗く首筋、流れるように言葉を紡ぐ薄い唇、すらりとした指の先にある形のいい爪、長い睫毛を伏せた時の繊細な陰影。
 男にしてはやたら整っている。女のものとは違うはずなのに、いつからか気づけば目が追っていた。
 常に冷静で竜馬の挑発も軽く躱す。博士たちとも対等に難しい話もできるし、効果的な作戦を立てて実行する能力もある。バランスの取れたパイロットという意味ではおそらく一番信頼され必要とされている。
 それなのに、何を考えているのかまったく読み取れない表情と時折見せる沈んだ瞳のせいで、危うさと儚ささえ感じる。体格と戦闘能力からすれば似つかわしくない表現だが、今にも淡く消えてしまいそうで、つくづく不思議な男だとも思っていた。
 行いは違っても、自分と同じように破壊的な過去があると聞いた。それがこの佇まいをもたらしているのだろうか。
 いや、高尚ぶる必要はない。
 ただ「お前を抱きたい」と言えばいいだけだ。
 その後のことは、知らない——。

   †   †   †

 隼人の動きは無駄がないせいか優雅で、普段の何気ない仕種ですら目を奪われる。
 髪を無造作にかき上げた手つきと横顔に見惚れる。その眼差しに気づき、隼人が視線をくれた。
「何だ」
 目が合って、今とばかりに弁慶は切り出した。
「お前、いつもあっちの処理はどうしてんだ」
 隼人が二度、まばたきをする。弁慶は続ける。
「まあ、どうせモテるだろうし、女には不自由してねえか」
 研究所ここにも女はいるしな、とつけ足す。
「下手な女に手を出してみろ。鬼にられる前に刺されてお陀仏だ」
 すぐに真顔で返され、弁慶は笑う。
「何だよ、お前、刺されたことがあるみてえだな」
「ああ、ある」
「え——」
 冗談のつもりがそうではなくなる。
「え、え、……その、チジョウのもつれってヤツか」
「俺はそういうわけじゃなかったがな」
 武器を調達するために頼まれてある女と寝た。女はヤクザ者の情婦で、隼人に本気で入れ揚げた挙げ句に無理心中を図った。
「そのひとはどうなったんだ?」
「死んだ」
 記憶はそれだけだった。
「……テロリストって、派手に暴れるだけじゃないのか」
「何はなくとも、金と武器と潜伏する場所が必要だからな。できることは何でもしたさ。……何でもな」
 どれだけの禁忌を含む響きなのか。
「ふう……ん」
 さりげなく続けようとするが、口の中が乾いて言葉が張りついた。
「それで?」
「え」
「俺の犯罪歴を含めた過去の話と、性欲処理の話、どっちだ」
 からかう口調でもなく至って事務的に問う。表情はぴくりとも動かない。
 こいつの感情が揺れることはないのか、と弁慶は驚く。まるで他人事のように自分を扱う。
「……性欲処理の話」
 しかし欲求には勝てない。
「どうということはない。必要な時にマスターベーションをする。お前も同じだろう?」
「う、まあな……」
 身も蓋もない。あっという間に詰まる。
「何が言いたい」
 反応に違和感を覚えたのか、隼人が訊ねる。
「その……」
 迷うだけの気持ちもないはずなのに言い淀む。これまで散々にあちこちの女を口説き、手篭めにしてきたくせに。
「あのよぅ……」唾を飲み、
「セックスしたくならねえか」
 一息に吐き出した。
 隼人は怜悧さの宿る目を見開く——ほんの一瞬。
 そして、唇を歪めた。
「お前、俺とセックスしたいのか」
「——」
「図星か。見返りは何だ」
「……怒んねえのか?」
「なぜ? 納得する、合理的な理由があれば乗ってもいいぜ」
 ひたと見据える。
 こういう冗談を言う男ではないと、弁慶は理解している。
「俺に抱いて欲しいのか、それとも」
「お前は、どっちがいいんだ」
 隼人の問いを、弁慶の低い声が遮った。
「どちらでも。言っただろう? 『何でもした』と」
「……いい思い、させてやるよ」
「クサい科白だな」
 くつくつと笑い、弁慶の視線が自分の顔に注がれていることを確認し、隼人は赤い舌をちろりと出して唇を舐めてみせた。
 鬼が出で、鬼獣が呼ばれる。ゲッターロボに乗って殲滅する。そんな「繰り返される日常」に降って湧いた誘いに、隼人は応じた。

   †   †   †

「最近、よく来るな」
 隼人は眉のひとつも動かさない。
「たまにはひとりでやれよ。俺だって年中やりたいわけじゃないし、暇でもない」
 毒づきながらも入室を許す。
 なら追い返せよ、と弁慶は胸の内でぼやく。行為が始まるとすぐにその身体が順応するのを知っているので、口にはしない。
「毎日やってるさ」
「……それで、俺のところにも来るのか」
「ひとりでマスかくのと、お前とやるんじゃ全然違う」
 隼人を抱いてからというもの、妙な色気はより強く感じるようになった。触れたくてたまらなくなる。「色香に迷う」とはよく言ったものだと感心する。
 ベッドに着くのを待たず、部屋の真ん中で隼人の手を引く。こちらを向かせ、腰に触れる。ここから太腿へ続く引き締まったラインが特に気に入っていた。何度も撫ですさってから服を脱がしにかかる。
「フン」
 隼人は興味なさそうに鼻を鳴らして横を向く。
 構わず弁慶は首筋にかかる髪を指でよけ、肌に口づけた。そのまま唇を滑らせて耳たぶを食む。微かに「ん」と声が聞こえた。唇と舌で耳をなぞりながら背中を愛撫する。
 隼人の肌はみっしりとした筋肉を覆いながらも滑らかで、今まで抱いた女の誰よりも柔くしつこく、弁慶の指に吸いついてくる。指先から伝わる心地よさを味わいながら、這わせる。
 太い指に撫で回されると、隼人は身体を震わせて吐息を漏らす。触れる場所と強さで反応が変わる。どんな音を奏でるかわからない、ミステリアスな楽器のようだった。
 乳首をいじる。はあっ、と大きく息が零れ、同時に丸く形のいい頭がついと反らされる。露わになった喉仏が弁慶の目を引きつけた。喘ぎ、唾を飲む度に淫らに動いて、弁慶の昏い劣情を膨らませていく。
 どうせ見えないから、と肩口や脇の下、腰骨の上と屈みながら次々にキスマークをつける。弁慶の厚い唇に吸われると存外に気持ちいいらしく、隼人は身をよじった。
「んっ、んんっ、ふ、う……んっ」
 口を引き結び、できるだけ声を抑えようとする。結局は憚りもなく嬌声をあげることになるのだが、始まりは淑女の如く控えめだ。
 計算ずくなのかはわからない。ただ、その姿を見るともっともっと、と責め立てたくなる。悦ばせて、泣かせて、離れたくないと縋らせてみたくなる。
 だから普段の飄々とした顔を知っていればいるほど、隼人に溺れていくという感覚はわかった。
 小さく澄ましている臍の横に古い傷痕がある。いつか聞いた、無理心中の名残りだった。毎回、弁慶はそこに口づける。優しく。少しだけ隼人の感度が上がる気がしていた。
「あっ、んうぅ……」
 仔犬のような甘い鼻声が降る。弁慶の顔に笑みが浮かんだ。
 立ち上がり左手で腰を引き寄せる。右手は隼人の下腹部へ伸び、勃起しかけのペニスを握った。
「ん——っ」
 軽くしごくだけで完全に勃つ。
「なんだかんだ言ってもこうじゃねえか」
 先端を親指の腹でぐりぐり押しながら隼人の目を覗き込む。
「うっ……んっ、お前の……手はっ、はあっ、体温が高く、て」
「へへ、でかいからこうすると、穴に突っ込んでるみてえだろ」
 大きな手で陰茎を包み込み、圧をかけながらこすりあげる。
「うあっ——ん、んふっ」
 思わず出た声をせき止めようと、隼人は唇を噛む。寄せる快感に流されまいと抗うような、けれども、もう少し欲しいとねだるような、得も言われぬ色気がほころぶ。しとやかに乱れていく伏し目の隼人はどの方向から見ても綺麗だった。弁慶は間近で見惚れながら、
「このまま、するか」
 問うた。隼人は首を横に振る。まだ射精したくないという意味だった。
「また欲しかったら言えよ」
 耳の穴を舐めて弁慶がささやく。荒い息と紅潮した頬で隼人が頷いた。
 弁慶の視線が半開きの薄い唇に注がれる。吸いつきたい衝動に駆られるが、顎への口づけで我慢する。
 唇へのキスはしない。
 弁慶は初めから決めていた。
 それは睦言を交わす者同士の営みで、身体を貪るだけの自分たちには似合わないと思っていたからだ。
 きっと、したところで何も変わらない。単に粘膜が触れ合う刹那的な行為だともわかっていた。
 しかしどこかでそういう・・・・線引きが必要だと理解してもいた。知ってか知らでか、隼人も唇をせがもうとはしなかった。
「じゃあ、俺のもよくしてくれよ」
 服を脱ぎ捨て、弁慶は褌を解いていく。床にはふたりの服が重なり、更に白い布が散らばって、男どもの浅ましさを映していた。
 弁慶のモノはすでに欲が満ち充血していた。隼人は跪いて握る。身体は火照っているはずなのに指はひんやりとしていて、弁慶の腰が少しだけ引けた。
 指が動き出すと、弁慶の口から「ああ」と溜息にも似た悦びがあがる。自身に絡まる指先の艶さが弁慶の独占欲を満たしていく。
 そして、先を求める。
 隼人の口に人差し指をあてがう。隼人は即座に舌を出して迎え入れた。
 吸われ、側面をなぞりあげられ、指の股を舐られる。まるで己の肉棒を舐められているようで、弁慶の股間が疼く。
「は、隼人ぉ……」
 指を増やす。
 二本、三本。
 目に涙を滲ませながら、隼人は熱い息を吐き出して飲み込んでいく。
「あ、はぁっ……んゔっ、んぐっ」
 苦しそうな呻きが混じる。だが弁慶はやめない。まとわりつき蕩ける蠢きを愉しむ。
「んごっ……んっ、んん」
 咥内からは絶えず涎が溢れ出る。隼人の喉元が汚れるほど、隷属の印がくっきりと刻まれたと感じて嬉しくなる。
 頭の奥では酷いことをしているとわかっていた。隼人が拒まないからというのは言い訳で、快楽でも痛みでも不快感でも何でもいいから与えて、動じない面を歪ませたかった。
 神隼人という男の中に、どうにかして自分の痕を残したい——ずっと、その思いが消えない。誰が己を組み伏せているのかを強く自覚させたかった。
 そうでもしないと最後まで満たされない。
 今まで、一度も征服したと思えたことはなかった。
 どんなにはしたなく乱れても、完全に堕ちた手応えがあっても、最後には隼人の目が下から見上げて言うのだ。
「俺を屈服させた気分を存分に味わったか?」と。
 だから、だめだと思っていても隼人が苦悶の表情を作ると煽られてしまう。
「……やり過ぎちまったか?」
 指を引き抜き、唇と舌を優しくなぞる。隼人は少しの間その戯れに応えてから、お返しとばかりに勢いよく弁慶の股間に顔を埋めた。
「お、お……!」
 急速な快感に弁慶が目を瞑り声をあげる。
「ふ、ぐ……んっ、ん」
 隼人は弁慶の肉棒を咥え込み、責めた。唾液と口の締まりを巧みに使い、わざとらしく音を立てる。ふたりきりの空間に淫靡な響きが広がる。
 弁慶は全裸で膝をついている隼人を見下ろす。
 ベッドの上ですらない。まるで路地裏に立つ商売女だ。隼人の左手は弁慶の肉茎に添えられ、器用に口と連動する。右手は自身の後孔を拡げるために使役されている。
「はあっ……、お、おおっ——うっ」
 思い切り吸い上げられ、弁慶が呻いた。
「は、隼人、このままだと……出そうだっ」
 吸う力が弱まり、ゆるいストロークに切り替わった。
「ふ……ふ、んんっ」
 隼人の甘い声と鼻息が陰茎をくすぐる。
 駆けのぼる快感は収まったが、ねっとりと包み込む口腔内の愛撫がぞわぞわと下腹部を押し上げる。
 隼人の口の端から唾液と弁慶の我慢汁が混じった粘液が垂れる。雫は糸を引きながら隼人の屹立したペニスに滴った。
 扇情的な光景に、弁慶は眩暈を覚える。
 隼人は口の開きを変え、深いところまで弁慶を迎え入れた。
「う、おっ——」
 先端に喉奥が触れる。熱く弾力のある粘膜に押しつけられ、更にぐっ、と締められる。
「お、ああっ……」
 刺激が繰り返され、弁慶の腰が震える。隼人は弁慶の尻に抱きつき、思い切り引き寄せた。亀頭にごりゅっとした強い感触が走る。
「おうっ‼︎ おっ、ああっ……‼︎」
 そのまま、精が放たれる。隼人はしがみつく力をゆるめずに受けとめる。
「う、ううっ、はあっ——はあっ」
 隼人は肉茎にしゃぶりついたままだった。吸われる度に残りの精液が咥内を犯す。
「うう……すげえ……」
 茫然と呟く。
「俺のモノが……溶けてなくなっちまったかと思ったぜ……」
 隼人の頬をそっとさする。その時、
「おひゃあっ……」
 舌で尿道口をほじられ、すすられる。油断しているところを狙われて情けない声が出た。
 隼人は恍惚とした表情ですべて舐め取ってから口を離した。酩酊のような浮遊感が弁慶を包む。
「はあ……隼人……」
 肉交の相手をうっとりと見つめて——やがて我に返る。
「——あ、あ、悪い……!」
「大丈夫だ」
 すでに隼人の声は落ち着いている。
「大丈夫って、お前」
「全部飲んだ」
 ぐい、と拳で口元を拭って事もなげに言った。
「いやいやいや、飲むのもだけどよ、喉の奥、苦しくなかったか」
「……大丈夫だ」
「調子に乗っちまって悪かったよ。お前、いつも『大丈夫だ』しか言わねえけど、苦しそうだったじゃねえか」
 隼人は鼻でフン、と笑う。
「問題ないから、そう言っている」
 軽く口を開け、喉の奥を指し示す。
「喉の奥にも感じるポイントはある。慣れりゃ誰でもここでイケるさ」
「そ、そうなのか」
「そんなふうにできているんだ。快感を享受して悪いわけがないだろう」
 いつも通りの、人を寄せつけない眼差しで睨む。
「それより、さっさとおっ勃てて挿れろ。興醒めする」
 再び弁慶のペニスに手を伸ばした。

 

「……してやられる感じがするんだよな、毎回」
 弁慶がベッドの上で大の字になって嘆いた。
「何がだ」
 隼人はペットボトルの水をあおる。
「お前にいいように搾り取られてる気がする」
「突然やってきては盛っていくお前が何をどの口で言うか」
「だってよぉ」
 お前の身体はクセになる。とんでもなくよくって、また抱きたくなる。何もかも全部、吸い取られる気がする。
 素直に伝えると、隼人は口角を下げて奇妙なものを見る顔つきになった。
「まったく褒められている気もしないし、何なら俺のせいで人生狂わされたって言われているみたいだな」
「それで狂っちまっても隼人のせいじゃねえよ。狂う方の責任だ」
「——」
「そうじゃなくて、負けた気がする」
 唐突な勝ち負け話に隼人は首をひねる。
「『いい思いさせてやるよ』って言ったのに、示しがつかねえ」
 ふんが、と鼻息を荒くする。
「……そんなことか」
「ん? 何か言ったか?」
「いいや」
 隼人の呟きはささやかで弁慶には聞こえなかった。
「もっとヒィヒィ言わせてえんだけどなぁ」
「現状で十分だ、堕落坊主め」
「でもよぉ、お前、いろいろ経験してそうだし。俺ばっかいい気持ちになって、お前が物足りねえかと思ってよぉ」
「そのくらいがちょうどいいさ」
「そうかな……?」
「お前、坊主だろう。『足を知る』って仏教じゃないのか」
「ゔ」
 がばっと弁慶が起き上がる。
「ああっ、情けない……!」
 頭を抱える。
「……さんざ色にまみれておいてか」
「本当は悪い癖だってわかってる。けどよぉ、俺は正直に生きてえんだよ。和尚の教えも守りてえ。ただ、教えを忘れたことが……情けない」
 はあ、と溜息をつく。
「お前は反省するだけ、まともだ」
 言われ、弁慶が口をぽかんと開けて隼人を見上げた。隼人が不審げに眉根を寄せる。
「何だ」
「慰めてくれてんのか」
「……」
 すぐさま否定しないのは、図星か想定外の問いなのだろう。その後で目が泳いだのも、気持ちを素直に言うか誤魔化すか考えたからだろう。
 結果、隼人はだんまりを決め込んだ。水で言葉を胸に押し込む。直後に、
「お前、割といい奴だよな」
 弁慶に妙な評価をされて咽せた。
「ぐふっ、な、ぐっ——」
「あ、悪い。大丈夫か」
 背中をさすろうと咄嗟に弁慶が手を伸ばす。だが払いのけられた。
「お、おう、悪い」
 更に弁慶が謝る。隼人が前髪の隙間からぎろりと睨んだ。
「俺、何か悪いこと言ったか?」
 小さく万歳の格好で、触らねえよ、とアピールする。「いい奴」と言われて気分を害したのだろうか。
 自分の心すら理解し御すことも難しいのに、人の心などわかるはずもない。
 弁慶は早々に匙を投げた。
「何か気に障ったんなら、謝るよ。でも、言ってくれなくちゃ、何が悪かったのかわかんねえだろ。……また、同じ間違いはしたくねえ」
「…………お前のせいじゃない」
 低く、かろうじて聞こえる声で隼人が返した。
「でも」
「もう、帰れ」
 それぎり、隼人はもう弁慶を見なかった。こうなってはどうしようもない。
 本来はこの会話すら必要のない関係なのだ。
 弁慶は手早く身支度を整えると、振り向かずに「またな」とだけ残して部屋を出た。

 

 

 ロックが解除され扉が開くと同時に現れた隼人は、普段とまったく同じで無愛想極まりなかった。モニタで訪問者が確認できるとはいえ、もう少し歓迎なり嫌みなりあってもいいんじゃねえのか、と弁慶は首を傾げる。
 それでも、これが隼人らしいのかもな、とも思う。
「何だ」
 笑まずとも美しい能面が冷たく問う。
「何だって……その、会いに来た」
 隼人の片眉が上がった。
 不機嫌そうだな、と弁慶が後悔する。
 前回の隼人の反応が気掛かりで、さりとておおっぴらに気遣うこともできず時間が空いてしまった。そろそろと思って来てみれば、どうも間が悪いようだ。次の言葉を探す。
 だが隼人は弁慶の手をつかみ、部屋へ引っ張り込んだ。
「——え、おい」
「するんなら、さっさとするぞ」
 ロックをかけ、振り向きざまにシャツを脱ぎ捨てた。
「そのつもりじゃないのか。なら」
「い、いや、する! したい!」
 弁慶が慌てて服を脱ぎ出す。隼人は薄く笑った。

 ——何だって、今日は。
 珍しく隼人が乗り気だった。扉に寄りかかったまま行為が始まる。ロックはパスコードを入力すれば外側からも解除できる。誰かに見られる可能性を隼人が考えないはずがない——見られて困ることはない、と言うに違いないが。
 たださすがにいつもよりは声を押し殺していた。
「はや……く、んっ」
 背中を向け、尻を突き出す。弁慶は左手で隼人の胸をまさぐりつつ右手で腰から太腿にかけてを撫でる。背中へのキスを繰り返しながらやがて、隼人が望む場所へ指をあてがった。
 優しく押して、くにくにと揉む。
「ふ、うっ」
 隼人の声が小さく跳ねる。
 いくら隼人に経験があっても、弁慶の指もペニスも人より太い。すっかりほぐれるまで無理に押し入ることはしない。
 だが隼人は欲した。
「それくらいで、いい。挿れろ」
「でも」
 薬指の先を軽く差し込んだ程度で、ほとんど慣らしていない。
「大丈夫だ。いいから挿れろ」
 聞き分けのない子を叱るように、ぴしりと言う。
「あ、ああ」
 後孔に押し入ろうとするが、やはりまだきつい。
「ぐ……う、んん、ぎっ……」
 耐える呻きに弁慶は躊躇する。いつもはその表情をもっと歪めたいと思うのに。
「なあ、まだきついだろ?」
 やめようと腰を引く。
「いいから……早くっ」
 隼人が鋭い目で刺す。
 まるで何かに追い立てられ焦っているかに見える。
「すぐ……よくなる、から……早く挿れて、動け……っ」
 遠慮を続ける側が罪悪感を持つようなねだり方をした。弁慶は懇願を聞き入れる。
「……わかった」
 抵抗する圧を無視してずぶずぶと奥まで肉棒を突き入れた。
「————っ」
 隼人の息が止まる。
 構わず、乞われるままに穿つ。
「くっ、ううっ——」
 隼人は扉に縋りつく。自分の右拳を噛み、迫り上がる声を必死にこらえていた。きつく寄せられた柳眉と、伏して震えている睫毛が艶かしい。
「隼人……!」
 その姿だけでも十分に官能的だった。弱いところを狙って声をあげさせてやろうか、と考えていたが、そんな余裕はすぐになくなっていた。一度吐き出すまでは止まれそうにない。弁慶は見境なく腰を動かす。
「出して、いいかっ」
「んっ——、出せっ……!」
 隼人が答える。弁慶の腰が深く打ちつけられると、たまらず頭を反らして短く叫んだ。
 弁慶はそのまま射精する。
「あっ……あ、んんっ!」
 隼人の肉壁が細かく痙攣し、喘ぎが零れる。吐精の快感と眼下で乱れる隼人の組み合わせは幾度味わっても飽きない。
「……なあ、ベッドに行こうぜ。ここじゃ思い切り、できねえ」
 弁慶が誘うと隼人は頷いた。肉茎を抜き、まだ時折ひくひくと身体を震わす隼人を抱きかかえてベッドになだれ込む。
「もう、きつくねえか」
 愛撫なしともいえる性急な行為がまだ気になっていた。
「……嫌がっているように見えたか」
 こんな時でも隼人はフン、と鼻を鳴らす。変わらない姿にほっとする。それで、軽口を叩いた。
「今日は一際、スケベだな」
「……そういうのが、好きだろう?」
 隼人の煽りには、そのペニスを握って応えた。
「あっ」
 臍の横の傷痕にキスをする。最初にできなかった分、慈しむように。何度も。
「あっ、あうんっ、んぅ……」
 すぐさま声が蕩ける。
「なあ、脚上げてくれよ」
 隼人は従順に、手を膝裏に回して持ち上げる。秘所がさらされる。一度開かれた場所は物欲しげに蠢いていた。弁慶が放った白い欲がこぷりと溢れ、滴り落ちる。
「やらしいな」
 ペニスをしごくと隼人の喘ぎ声が大きくなる。弁慶は空いている右の中指で会陰部をなぞり、軽く押した。
「ふ、あぁっ——」
 何をしてもいい声で鳴いた。
 一番反応する箇所を探り、揺らす。
「あっ、あっ、んゔうっ」
「こんなに感じやすいのに、さっきはよく我慢できたよな」
 声を漏らすまいと必死な姿も色っぽくて好きだったが、口の端から涎を垂らして素直によがる隼人も好きだった。
 鳴き声が聞きたくて指をきゅうきゅうと押し込む。
「んひっ‼︎」
 隼人が中で達した。下腹部がうねうねと波打ち、悦びを伝える。勝手に腰が動き、弁慶の手に陰茎をこすりつける。それがまた新たな快感となって隼人に食いつく。
「あ゛っ、んあっ——」
 このままでは射精してしまう。弁慶は一旦ペニスを解放した。代わりに指を挿れ、内側から刺激する。
「ひあぁっ——」
 のたうつ隼人の肢体は、たちまち弁慶に情欲を漲らせる。
「もう一回、するぞ」
 返事を待たず、穴を奪う。
「あっ、ああ!」
 自分の律動に合わせてあがる声が興奮を際限なく高めていく。弁慶の目には隼人しか映っていなかった。
 ずっと隼人の嬌声を聞いていたい。
 ずっと、隼人と繋がっていたい。
 足首を持ち上げ、奥まで肉棒をねじ込む。
「ああぁあっ——‼︎」
 隼人が首を横に振り、今にも泣き出しそうな顔で弁慶を見る。
「あ゛ぁっ、ひうっ!」
 また、中で達する。弁慶は同じ場所を突いて責めた。
「ゔっ、あ、あ——、べん、け……ぇっ」
 不意に名前を呼ばれ、腰が止まった。
「は、隼人……」
「ひっ……あんっ、あっ……べん……け、え……んんっ」
 頑是ない子供のようにしゃくりあげる。再び名を呼ばれ、弁慶の胸に込み上げるものがあった。
「隼人……!」
 ゆっくりと動き出す。今度は優しく、深い挿入を繰り返しては肉体の隔たりを丁寧に埋めていく。その度に隼人の身体が跳ねる。
「あっあっ、また……っ! んんうっ‼︎」
 悦楽に呑まれただらしない表情も、甘いすすり泣きの鼻声も、離すまいとしがみついてくる腸壁も、隼人が全身で弁慶を受け入れていることを示していた。弁慶はそれらの印を余さず拾い上げる。
 ——こんな隼人は。
 見たことがない。
「自分の痕を残したい」「征服したい」という気持ちは消えていた。今はただ、ふたりきりのこの時間に永遠に溺れていたかった。
「もう……んはっ、あ゛っ、ああっ……!」
 ガクガクと隼人の身体が痙攣する。もう何度目かわからない。その目から涙が零れた。
「くっ……俺もっ」
 とうとう弁慶も耐えきれず精を迸らせる。
「あ、あぁっ……! べんけ、い……っ」
 隼人が震えながら濡れた瞳で弁慶を見上げた。
 ——隼人。
 ふたりの視線が絡み合った。
「……隼人、こっちも」
 弁慶が隼人のペニスを握る。
「あっ……」
 どこにも逃げ場のない隼人は身を任せるしかない。弁慶にこすられて、あっけなく果てた。

 

 コトが終われば隼人の顔は非の打ち所がない美貌に戻る。
 弁慶はベッドに寝転び、やっぱり綺麗だな、と仰ぎ見る。いつか北海道の山奥で見た花を思い出す。崖の縁に咲く密やかな花の名は知らなかった。だが凛として孤高の美しさを感じた。
 隼人も同じだ。手折ろうとしても決して敵わない、強さを持っている花だ。
 それが先程までは自分のモノを咥え込んで淫らに鳴いていただなんて——。
「隼人も、十日もやらねえとやっぱりしたくなんのか」
「そういうわけじゃない。十日以上我慢した試しがないのはお前だろう」
「でもよぉ、結構感じてたろ」
 あんなふうに名前を呼ばれたのは初めてだった——あんな目で見上げられたのも。
 隼人は背中を向ける。弁慶は人差し指を伸ばし、その肩甲骨に触れた。不意の感触に上体がわずかに跳ねる。だが隼人は弁慶の自由にさせた。
「……好き者の誰かが人の身体をいつもベタベタいじくるせいでな」
 聞いて、弁慶が相好を崩す。指は肩甲骨をつい、となぞってから、ゆっくり下に向かった。
「それって、隼人の身体が俺に馴染んできたってことか?」
「さあな」
 隼人は目を見ずに答える。声に突き放すような響きはなかった。弁慶は続ける。
「気持ちいいんなら、いいじゃねえか。お前だって、この前言ってたろ。『そんなふうにできている』『悪いわけがない』って」
 尻とベッドの境まで辿り着き、指を離す。
「……そうだな。もともと、そういう話だ」
 弁慶が一呼吸の間をおいて「ああ」と同意する。
 少しだけ沈黙が積もった。
 やがて隼人が口を開く。
「お前、俺に飽きないのか」
「えっ」
 突然の問いに驚いて高い声が出た。隼人が振り向き、まっすぐに弁慶を見つめる。
「さんざっぱら抱いたろう。それでもまだ」
「飽きねえ」
 きっぱりと放ち隼人の言葉を押し返す。
「この前も言っただろう? あ、でもあれだぞ、『足るを知る』だからな! 無理なことはしねえぞ」
 あきれ気味な隼人の視線には気づかず、ふふん、と得意げに言った。
 隼人の口元が少しだけゆるむ。
「まあ、お前が生臭でも何でも、そうやって坊主然としているだけマシだ」
「ん? どういうことだ?」
「金や権力がある奴ほどな、欲しがるんだ。なまじ手に入るから、余計に」
「その奴らって」
 隼人の双眸が細められる。
「昔、いろいろと世話になった奴ら」
 活動資金や武器や隠れ家と引き換えに。
「確か……ヤクザ者だとか」
「そういうのもいるし、何なら公安にもパイプはあるし、海外専門のブローカーもいる。武器は東欧からが多かったな」
「公安って…………お前、逮捕される側だろ?」
 隼人の唇がいびつな曲線を描く。その笑みは弁慶に妙な引っ掛かりを残した。
「蛇の道は蛇ってな。どこも一皮剥けば、そうさ。国家権力なんざ、最もアテにならんぜ」
 事もなげに言う。
「互いに見返りを求めて交渉する。金、武器、アジト、情報、薬、戦闘要員、奴隷代わりの人間、諸々。決裂しても恨みっこなし。ただし成立したら何が何でも課せられた仕事を遂行する。そうしないと、次はないどころか、すぐに潰される」
「お前みたいに頭がよくて、強くてもか」
「……あの世界は、どこへ行っても他人のシマだ。裏の者なりの道義も秩序もなく、与しない組織は疎まれる。たとえ『革命組織』だの『大義名分』だの御大層な言葉を振りかざしてもな」
 訊けば隠さず大抵のことは話す隼人だったが、それでもやけに饒舌だった。目は、どこか遠くを見ている。
「それは、自分たちを慰める美辞麗句に過ぎない」
「……後悔してんのか?」
「後悔? 俺が? ——いや」
 そういう道を歩いてきたのは事実で、ただそれだけだ。
 淡々と答えた。
「俺の周りの奴らはどうだったか知らねえが」
 ——ああ。
 弁慶は目を見張る。
 感情が何も浮かばない隼人は、儚い。無表情の仮面で覆われているのではなく、脆い素顔が剥き出されているようだった。
 思わず身体を起こす。抱きしめようとして戸惑い、手を引いた。
 きっと、隼人は喜ばない。先日も手を払われただろう、と自分に言い聞かせる。
 もぞもぞとした気配に隼人が一瞥をくれる。
「何だ」
「え、いや、あの……俺にも、水、くれねえか……?」
 へへ、と笑って誤魔化す。
「……ああ」
 隼人はベッドサイドの小さな保冷庫からペットボトルを取り出し、弁慶に手渡した。
「おう、ありがとな」
 衝動の火を消すようにがぶ飲みした。
「ふう」
 一息つき、そろりと覗き見る。隼人の面差しは先刻とまったく変わらない。
 何か、おかしい。
 きゅ、と胸が詰まった。
「……隼人?」
 普段のドライさとは違う。何かが、隼人を縛りつけている。
「なあ、隼人」
 それでも、肩に手をかけるのをためらう。
 けどよ——。
 いくら身体だけの関係でも、心配くらいしたっていいだろう。
 思い切って肩に触れる。
 びくりと大袈裟なほどに、隼人の身体が反応した。
「……おい、大丈夫か」
 なるべくそっと話しかける。
「あ……ああ」
 隼人はまるで夢から覚めたように、茫然と相槌を打った。
「…………いろいろと、思い出していた」
 静かに息を吐く。
「悪い」
 反射的に弁慶が謝った。即座に隼人が身体をひねり、食いつく。
「何で謝る」
「え? いや、だって」
「何でお前が謝るんだ」
 険しい顔つきで詰め寄られる。気圧され、弁慶は上体を後ろに反らした。
「だって、俺が話を振ったんだろう? だから」
 昔の話を。隼人はそれに答えただけで——。
 隼人は顔を背け、小さく舌打ちをした。
「お前が謝る必要はない」
「でも」
「俺が勝手に話しただけだ」
「……」
「さっき、言ったろう? 『金や権力がある奴ほど欲しがる』って」
「……ああ」
「…………ああいう奴らを多分、悪魔って呼ぶんだぜ」
 隼人が昏く笑った。やはり違和感が残る笑みだった。
「あいつらは、人間じゃない。自分の持っているものを、生きるためじゃなく退屈しのぎに注ぎ込む。ただ見たいから、他人と張り合って優位さを見せつけたいから、とかそんな理由でな」
 もっともっと、面白いものを、刺激的なことを。そうやってエスカレートする。
「エスカレート?」
「ああ。たとえばセックスなら、最中に相手を痛めつけたりな。指に及ばず、腕や脚を折る。刺す。切断する。性器に異物を押し込む。玩具みたいに可愛いものじゃなくてな」
 何を挿れられるのか、聞いた弁慶が唸る。
「美味いものもセックスの相手も手に入る。もっと愉しくなりたい。誰もが自分に従う。じゃあ、何をする?」
 どこかをさまよう目。
「何、って」
「何でもするだろう?」
 ククッ、と掠れた声で笑う。
「一旦、始めたら終わりがないんだ。どこまでも自分の力を誇示したくなる——てめえの力じゃねえクセに」
 常に渇いた欲に灼かれる。
「そうして、今度は地位にしがみつく。手にした金と権力を守るために、何でもする。あの執着心は醜くて、逆に見事だぜ」
「執着」
 和尚は執着しゅうじゃくと呼び、何度も弁慶に説いた。
 執着は煩悩の始まりで、煩悩は心を縛る。生きている以上、煩悩はなくならない。強過ぎる煩悩は自分も周りも破滅させる。だから己の心を見つめて制しなければいけないと——。
「厄介なのは、どこの国家も組織も、人の生命なんざ娯楽だと考えている奴らが大抵は牛耳っているってことさ」
 さして美味くもない昼食の感想を述べるように、苛烈な世界の話をする。弁慶には到底信じられない。
「こっちにだって交渉相手を選ぶ自由はある。けれどもな、気に入らない相手でも、どうやっても断れない場合もある」
「……断ったら?」
「そこで、何もかも終わり」
 親指で首を切る仕種をした。
「だから『何でもした』って言うのさ。狂っているだろう? クヒヒッ——」
 弁慶は口を閉ざす。経験や想像の範疇を超えたものに、一介の坊主風情が何を言えるというのだろう。
 おそらく、隼人は慰めが欲しいわけではない。わかるのはそれだけだった。
「ああ」
 そういえば、と隼人が軽く発する。
「言ったことを訂正する」
「訂正?」
「『何でもした』という話だ。一度だけ断ったことがある。思えば、してみてもよかったのかもな」
 笑顔なのに楽しさの欠片もない。作り物のお面のようで、その上でふたつの瞳が陰鬱に揺らめいていた。
 ざらついた悪寒が弁慶の脳を撫でる。
「……どういう、行為だったんだ?」
 正直、耳を塞ぎたかった。それでも隼人が吐き出したいのなら聞くべきだと思い直し、恐る恐る促した。
「屍姦」
 短い回答だった。隼人がニヤつく。
「……シカン?」
「死体を、犯すこと」
 意味に気づいて、弁慶が青褪めた。
「——てめえ」
 引いた血が今度は瞬時に沸騰し、身体中に怒気を送り込む。隼人に覆いかぶさり、首を絞めた。
「ぐ……う、うっ」
 まばたきの間に隼人の顔が赤紫色に変わる。
 大きく剥かれた白目が充血し、口から涎が流れ出る。食いしばった歯の隙間からひゅっと微かに息が漏れ、小さな泡がふつふつと零れてきた。身体が微細に痙攣する。弁慶の腕にかけられた隼人の手が力なく落ちる寸前。
「——っ‼︎」
 弁慶が我に返った。
「あ——う、あ、あっ、隼人……!」
 手を離す。隼人の身体が崩れるのを抱きとめ、パニック状態で首筋をさすり、顔を寄せた。
「あ、あ、悪いっ! 隼人っ!」
 揺すり、頬をべちべちと叩く。
「隼人ぉ‼︎」
「……う……ゔ、ぐほっ、ぐ、がっ——」
 ぜひ、と息を吸う音が聞こえ、弁慶の動きが止まる。不安と後悔で歪んだ顔に、少しだけ安堵の色が差す。大きな瞳にはたちまち涙が浮いた。
「……悪かった、隼人」
 ぎゅう、と抱きしめる。
 怒りに身を任せてはならないと、あんなに諭されたのに——。
 隼人の頭はゆらゆらと落ち着かない。更に何度か咳き込み、苦しそうに息を吸い、ようやく首元に顔を埋めて震えている大男に気づく。
「…………何だ、お前」
 平たく、乾いた声で訊ねる。
「隼人ぉ!」
 弁慶は悪かった、と繰り返した。
「何で…………。ああ……そうか」
 隼人は目蓋を閉じる。やがて、
「済まない」
 とぽつりと言った。
「え……」
 思わぬ謝罪に弁慶が面食らう。顔を上げ、隼人をまじまじと見つめた。
 双眸からは先程の揺らめきは消えていた。ただ、感情は読み取れない。
「…………お前、見てくれだけじゃなく、坊主なんだな」
 隼人が重ねた。やっと、遺体を辱める発言を詫びたのだと察知する。それで弁慶はますますじっと隼人を見た。
「…………何だ」
「いや、お前が謝るなんて……思ってなくて」
「……フン」
「ああ、いや、悪い! そういうことじゃねえんだ!」
「何が」
「お前が悪人だとかそういう意味じゃなくてな、その、何て言うか」
 人前で自分の非を認めはしないと思っていたから——。
 しかしそれも失礼な物言いではないかと考え始め、頭の中が混乱する。弁慶がわたわたと天井を見たり頭に手をやって撫でくり回している様を見て、隼人が呟いた。
「お前は、人間なんだな」
 不思議な言葉に、弁慶はそのまま返す。
「お前も人間だろ?」
「いや——違う」
 ほんの少しの間があって、隼人は否定した。
 どういう意味を含ませているのか、わからない。だから弁慶はムキになった。
「違わないさ」
「いいや。お前はまともな人間で、俺は」
「隼人!」
 弁慶が遮る。
「お前、何でそういう言い方すんだ!」
 隼人の顔を大きな手で包む。あんなに熱を交わしたのに、すっかり冷えてしまっていた。
「何で……何で、そんなふうに自分をつまんねえモノみてえに扱うんだ!」
「——」
「昔の話も、いい思い出や自慢じゃなくて、自分はこんなに最低だって言ってるみてえで、まるで……人に嫌われたくてしょうがねえみてえだぜ」
 神隼人は隙を見せない完璧な男だったはずだ。
 今の隼人はナイフのエッジをふらふらと歩いているかのような不安定さを感じさせた。好んで危うい舞台に上がり、失敗することをどこかで待ち望んでいるのか。
「……好かれたいとは思わない」
 隼人の響きは無機質だった。
「誰かを頼ろうとも思わないし、好きになろうとも思わない」
「そんなこと言ったって……ひとりは寂しいだろ? 誰かを好きになっちまうことだって、あるだろ?」
「フン」
 一蹴される。
「坊主。俺を救う気でいるのか? それとも、憐んでいるつもりか」
「違う、そうじゃねえ——多分」
 そんな殊勝な心掛けではない。ただ隼人が苦しそうで見ていられなかった。
 単なる事実で過去のことだと淡々と語ったが、その過去に縛られて自身を傷つけ続けているとしか思えない。
 おそらく、隼人はすぐに理解したのだろう。
 本当の自分は心のずうっと奥底に閉じ込めて、誰かが望む神隼人で居続けることが身を守る唯一の手立てだと。
 そうして偽りの自分につけられた価値は他人事と決め込み、冷めた目で生き抜いてきた。「悪魔」「人間じゃない」と形容する存在が与える価値も同様に。
 だがそこには穢れしかない。その価値をまとった自分に守られている「本当の自分」は、果たしてまっさらなのだろうか。
 きっともう、穢れているのではないか。
 一度でも疑ってしまえば、自分を否定し、卑下し続ける負の連環に取り込まれる。
 ——もしかして。 
 ふと思う。
 今日の追い詰められたような始まりも、自分はまともではないと言い聞かせるためだったのか。自分を痛めつけることが当たり前で、そうあらねばならないと考えているのか。
 想像した通りなら、あまりにも。
 とんでもない自縄自縛じじょうじばくじゃないか——。
 弁慶の胸の内がかきむしられる。
 そうじゃないと伝えたい。何をどう尽くせば届くのか。
「お前に何がわかる」
 酷く静かに、隼人が言う。
「お前に、俺の、何がわかる」
 ゆっくりと降る。
「俺はこうやって生きてきた」
「……隼人」
「他に、生き方を知らない」
 その言葉の寂しさに泣きたくなる。
 許されるのなら、泣きたいのは隼人のはずだ。
「……隼人の気持ちはわかんねえよ。そんなの、本人にしかわかんねえだろ? ……いや、自分の気持ちだって、わかんねえ時だってあるだろ? けどよぉ」
 頬を撫でる。
「わかりたいって思うのはいいだろ?」
「俺のことを、か?」
 弁慶が頷く。
「言ってくれなくちゃ、人の心なんかこれっぽっちもわかんねえよ。……お前、平気な振りして、しんどそうじゃねえか。気になるんだよ」
「割に合わないことを」
「そういうんじゃねえよ。……なあ、過去は過去で、今は今だろ?」
「……」
「どうしようもない俺だって、少しばかりだけど変われたんだ。隼人だって、もっと自由になっていいはずだ」
 和尚に出会って、自分は変われた。生きていくうえで大事なことを教わった。和尚のようにとは到底、おこがましくて言えない。それでも隼人がきっと知らない楽しさや喜びを、ほんの少しでも分かち合う手助けができたら——。
 いつになく真剣な眼差しの弁慶を見て、隼人が零す。
「坊主ってなあ、みんなそんな生き物なのかよ」
「え……?」
「まったく、物好きだな」
 あきれたように口の端を上げた。
 弁慶は唇に吸い寄せられて。
「——」
 寸前で、留まる。
 息がかかる距離で見つめ合う。
 互いに何か言いたげな瞳で。
 やがて。
「用は済んだろ。もう、帰れ」
 隼人は目を逸らした。
「……ああ、そうだな」
 弁慶はいつものように身支度をし、もう一度「悪かったな」と言って後ろを見ずに部屋を出た。

 

 

 訓練の時はパイロットスーツとマフラーでわからなかった。着替え終わった隼人を見て弁慶の身体が硬直する。
 首に包帯が巻かれていた。視線に気づいた隼人が近寄り、密やかに告げた。
「パイロットの体調把握のために必要だから、博士と最低限の人間には伝えた。お前のことは言っていない」
「…………隼人」
 白い包帯が痛々しい。
「大袈裟にしたくはないが、巻かない方が目立つだろうしな」
 指の圧痕は目を引くはずだ。もうしばらくは痣となって残るだろう。その太さで誰と何があったのかは推測できる。
「お前、俺をかばって」
「言わなくったって、博士たちはすぐわかったろうさ。死んだわけじゃなし、プライベートのことだから、咎めも何もないさ」
 それでも、他の多くの者からは秘密は守られる。
「隼人、本当に」
「もういい」
 全部を言わせなかった。
「焚きつけたのは俺だ。それに、こんなのは慣れてい——」
 その時、竜馬が不審げにこちらをうかがっていることに勘づいて隼人は口をつぐんだ。
「仲がおよろしいこって」
 竜馬の目線はすぐに隼人の首元に留まった。
「ふーん」
 ずんずんと寄ってきて、不躾に眺め回す。
 弁慶が右半身をわずかに引いた。
「隼人、おめぇ、……ン、んん?」
 ニヤつきが真顔に変わる。やがて、
「チッ」
 舌打ちをし、つまらなそうに口をへの字に曲げると、竜馬は身体を翻してそのまま去った。
「何だ、あいつ」
 弁慶はきょとんとする。
「顔を見て、何が起きたのかわかったんだろう」
 今まで包帯に気を取られていた弁慶はそれで隼人の顔を凝視した。
 小さな赤い斑点がいくつもできていた。目の周りが特に酷い。白目の部分も充血していた。
「これって……」
「すぐ治る」
 毛細血管が切れた影響だった。竜馬は隼人が何かミスをして怪我をしたと思ったのだろう。からかうつもりで近づいて、ただならぬ雰囲気を悟ってやめたようだった。
「……あいつ、デリカシーあったんだな」
 弁慶が妙な感心をした。隼人はそれには応じず、
「お前、竜馬を殴るつもりだったのか」
 目を見ずに訊いた。
「え」
「腰が入るように、利き手側を引いたろう」
「——」
 見透かされていた。もし竜馬が隼人を揶揄する言葉を口にしたなら、遠慮なく殴ろうと考えていた。こればかりは和尚の教えに背いてもと思っていた。
 ただ恩着せがましくなる気がして、弁慶は何も答えなかった。代わりに、俯く。
 隼人は深い呼吸をひとつした後で「忘れろ」と言った。
「……?」
 弁慶が思わず顔を上げる。
 再び、隼人の唇が動く。
「もう、忘れろ」
 その低い響きがやけに冷たく、重たく感じられて、弁慶は動揺する。
「……なあ、それって」
 唾を飲む。
「俺がしたことをって意味でいいのか? それとも……」
 傍らの男の目をじっと見た。
 隼人は前を向いたまま表情を崩すことなく、
「どうとでも」
 とだけ呟いた。

 それから毎日、訓練で顔を合わせた。互いにいつも通りに接する。鬼獣が襲ってきても変わらない。竜馬に絡まれれば反撃もした。
 首の包帯はそのままだったが、顔の赤い斑点は綺麗に治った。注意深く見ていたが身体も特に異常がなさそうで、数日経ってやっと弁慶は人心地ついた。
 入れ替わりに、隼人の言葉の解釈に迷う。
「忘れろ」とは。
 弁慶が負い目を感じないようにか。
 あの夜に交わした心の内をか。
 それとも隼人との関係自体を、か。
「どうとでも」とは。
 明言しないのは、受け手の判断にすべてを委ねることだ。結果、どう思われても構わないという意思表示だ。
 弁慶の行為については、隼人は自分が焚きつけたからと非を強調したが、それでも起きた事実は消えない。隼人が望むなら口にするのはもうやめるが、戒めとして一生、己がそっと背負っていけばいいと決めた。
 隼人のことは——知ってしまった今、何ひとつ忘れることはできない。
 できれば、これからも近くにいたい。
 肉体だけの繋がりなら、あれこれ考えずにさっさと抱けばいい。隼人も、きっと応じる。
 だがあれ以来、隼人の部屋には行っていなかった。欲に没頭できる状態になれなかった。
 ひとり自室にいれば、偉そうにいろいろと言ったことを後悔する時間が流れる。静かな部屋で座禅を組んでも、近くの山中で滝行をしても、どうしても心のもやが晴れなかった。
 ——俺だって。
 隼人に傷痕をつけたがった。「身体だけの関係」を免罪符に、隼人の心は置き去りにした。
 動じない、変わらない様を「隼人らしい」と勝手に思い込んでいた。あまつさえ、その姿にほっとしたこともあった。
 自分がそうさせている側なのに。
 ——馬鹿だ。
 隼人を花にたとえたが、決して手折れないという考えも間違いだった。誰よりも強く、心は不可侵だと決めつけていただけだ。
 ——俺は、大馬鹿だ。
 人間なのだから、傷つかないはずはない。
 遠目には花びらも葉も揃って綺麗に咲いているようでも、間近で見れば虫に食われ泥にまみれ、あちこちを毟り取られているのだろう。
 それでも、在るだけで美しく愛おしい。
 隼人の整った姿形を思い描く。
 妙な色気はきっと隼人も自覚していない憂いや諦めの念、うら寂しさなどがい交ぜになって滲み出ているせいで、消え入りそうな心細さを感じる理由もわかった気がした。
 その心が欲しいと思った。
 神隼人という人間を、ゼロから知りたかった。
 同時に、守りたいとも思った。
 隼人が自らを軽く扱うのなら、その隼人ごと大切にしたい。
 ——だけど……俺がそんなこと、思ってもいいのかな。
 隼人は、傍にいることを許してくれるだろうか。
「これも、執着なんだろうなぁ」
 弁慶は図体に見合うだけの大きな溜息をついた。
 迷って、後悔して、欲して。
 いつになれば、どうすれば心を鎮められるのだろうか。
「……情けない」
 和尚の喝が懐かしい。
「この弁慶、未熟者ゆえ……わかりません」
 宙に向けて呟いた。

   †   †   †

 隼人の部屋の前で巨体が行きつ戻りつしている。
 最後にこの部屋を訪ねてから二週間も経っていた。
 その間に隼人の包帯が取れた。まだ肌の色味に違和感はあるが、強烈に人目を引くものではなくなっていた。
 弁慶はずっと考えていた。
 だが日数を要しても言葉がまとまらない。それでも会いたさにここまで来て、どうしたものかと逡巡していた。
 閉ざされた扉を見る。
 と、扉が開き、見慣れた仏頂面が現れた。
「おわっ」
 弁慶は半歩下がり、仰け反った。
「何をしている」
 動かない表情で隼人が訊ねた。
「いや、その……ん?」
 部屋を出る際にかち合ったのではなく、明らかに弁慶がいるとわかって開けたように見えた。モニタを確認すればわかることだが、インターホンも押していないのに。
「何で、俺がいるってわかった?」
「来るなら飯を食って風呂に入って、ちょうど今時分だ」
「えっ」
 確かに飯も風呂も済ませてきた。
「じゃあ、今晩俺が来るってわかってたのか」
「いや、もう来ないと思っていた」
「はえ?」
 たった今、エスパーさながら弁慶の訪問を時間まで当てておいて、矛盾していた。弁慶は首を傾げる。隼人は当然、お構いなしである。
「今日は何だ」
「あ、えと…………今日は、話がある」
「ここで済む話か」
「え? あ、いや、……できれば、中で」
 ばつが悪そうに頭をかく。隼人は例の如く鼻を鳴らし、弁慶を招き入れた。

 椅子の上で縮こまり、しばらく指を所在なげに合わせたり組んだりしてから、ようやく弁慶が切り出した。
「俺、わかんねえんだ」
「何が」
「俺……お前が好きなのかもしれねえ」
「……ハッ」
 冗談じゃない、とでもいう響きで隼人が笑う。
「お前のことが気になって仕方がねえんだ。……忘れるなんて、できねえ」
 最初は確かに、ただ抱きたかった。
 抱いて、物足りなくなって、隼人が満足しているのか、抱かれている時に何を思っているのか——その中に自分はいるのか、という子供じみた独占欲に支配されていた。
 今は、違う。
「隼人は、俺のこと……どう思ってんだ」
「どう答えたら満足だ」
「そうじゃねえよ!」
 弁慶が声を荒らげ、すぐ口をつぐむ。
「……怒鳴って、悪い。その……お前が、俺をどう思ってるのか、知りてえ」
「聞いてどうする。俺が好きだと言えば、お前は『俺も隼人が好きだ』とでも言い出すのか」
「——それは」
「人の意見を聞いて、自分の心を決めるのか。それはずいぶんと自分勝手じゃないのか。お前の問題だろう」
 言い返せない。
「お前は、俺の身体と心と、一体どっちが欲しいんだ」
「……」
「なぜ黙っている。身体は手に入れているだろう。好きな時に抱けるじゃないか」
「…………そうだけどよぉ」
 きっと、自分が考えるよりも隼人が好きなのだ。儚くて寂しげな背中を抱きしめたいと、いつしか思うようになってしまった。
 けれども、認めてしまう勇気がない。
 せっかく身体だけでも繋がれたのに、感情を挟めばこの関係が壊れてしまう気がした。始まりの時よりは少しだけ隼人との距離が縮まったように感じていたが、心が欲しいのだと口にしてはっきりと拒まれることを恐れていた。
「弁慶」
 隼人は俯き黙り込んだ男を呼ぶ。
「お前が、俺を好きでも嫌いでも構わないさ。これからも抱く気があるのなら、抱かれてやるよ」
 弾かれたように弁慶が顔を上げた。
「嫌いだなんて」
「なら、好きなんだろう」
 あっさりと隼人は言った。
「どうせつまらんことを考えて、がんじがらめになっているんだろう」
「……隼人が言うんだから……きっと、そうなんだろうな」
「また俺に言わせるのか」
「お前の方が、頭いいじゃねえか」
「気楽に言いやがって。……なら、簡単な方法を教えてやる」
 隼人が弁慶の前に立つ。
「さっさと好きだと認めろ」
「——」
「なってしまったものは仕方がないだろ。認めたら楽になる」
 予想もしていなかった言葉に弁慶が唖然とする。
「それから『たかが恋』って思えばいいんだ。そうすりゃどう転ぼうが、たいしたことじゃない。犬に噛まれたと思って、終わりだ」
「そんな——」
 簡単なことじゃないだろう。第一、犬って何だよ。
 続けようとして隼人にキスをされ、思考をさらわれる。
「……目を瞑るくらいしろ」
 唇を離した隼人は弁慶の鼻をつまんだ。弁慶はふが、と珍妙な声を出した。
「……ふん」
 隼人の表情が和らいだ。
 ——あ。
 弁慶のどんぐり眼が更に丸くなる。
「……お前」
「何だ」
「今……笑ったよな?」
 聞いて、隼人は瞬時に素っ気なさをまとう。
 ——笑った。
 忌まわしい過去の自分を卑下する昏い笑いではなく、求める解を探り当てた時に浮かぶ涼しい笑いでもなく。
 確かに、自分だけに向けられた微笑みを見たと思った。
 ——傍にいても、いいのかな。
 自惚れが過ぎるだろうか。
 ——それでも……いいさ。
 いつか、今の小さな笑みが「隼人らしい」と言える日が来たら。
「隼人」
「何だ」
「もう一回、キスしていい……いや、キスしたい」
 弁慶が求めた。
 隼人はその目をまっすぐに見つめ返し、
「……仕方がないな」
 もう一度、そっと自分から唇を押し当てた。