世界中で、あなただけ

新ゲ弁隼

つきあってます。「隼人の機嫌は顔を見ればすぐわかる」って豪語する弁慶と、それを信じない竜馬のお話。ちゃんと隼人も出ます。ほんとにちょびっとだけミチルさんも。キスも手繋ぎもないけど、弁隼です。約3,000文字。2022/1/15

◆◆◆

 竜馬は胡散くさそうに鼻に皺を寄せた。
「嘘じゃねえって。見てろよ」
 弁慶が笑って右手を上げる。
「隼人ぉ!」
 食堂全体に響き渡る声に、当の隼人以外全員が振り向いた。
「おめえ、声でけえンだよ」
 隣で竜馬がわざとらしく耳を塞いでみせた。
「そうかなぁ」
「そうかなぁ、じゃねえよ。図体もでけえンだから声もでけえンだっつーの。自覚しろ」
 喧嘩ではないとわかり、食堂はすぐに元の賑やかさを取り戻す。
 トレイを持った隼人は一度もこちらを見ずに、だがまっすぐに向かってきた。
 そのまま、無言で弁慶の真向かいに腰を下ろす。
「ほらな」
 竜馬が目を丸くしていると、弁慶がニヤリとしながら覗き込んできた。
「だから言ったろ」
 自慢げな響きに、今度は竜馬の表情が不機嫌に変わる。
 隼人はといえば、ふたりには目もくれず味噌汁をすすっている。そして筑前煮に箸を伸ばした。
「……あー、ムカつく」
 竜馬の唇からぽつりと落ちる。それが事実上の敗北宣言なのを知っていて、弁慶はことさら笑顔になった。それから隼人を見る。
「なあ隼人」
 返事はない。しかし弁慶は気にする様子もなく続けた。
「午後の訓練って、どのくらい時間がかかりそうなんだ」
「前回よりミサイルの精度を詰めると言っていたしリンクの調整もあるから——二時間以上はかかるんじゃないのか」
 焼き魚の骨を綺麗に剥がしながら隼人が答える。
「そうか。早く終わるといいな。それで気持ちよく、うまいおやつが食いたいな」
「お前はいつも食ってるだろ」
「えっへへ」
「——」
 何事もなく繰り広げられるふたりのやりとりを見て、面白くなさそうな竜馬の顔に再び驚きが広がる。隼人と目が合う。
 ——フン。
 そう、聞こえてきそうだった。
「チッ」
 また不貞腐れてそっぽを向く。
「まあ、俺は和尚の下で厳しい修行をしてきたからな。この差は如何ともし難い」
 これ見よがしに合掌をした坊主頭を殴ろうか一瞬迷ってやめる。したところで負けは負けなのだと竜馬は諦めた。
 代わりに、まだ残っていたゴマ団子を奪って口に放り込む。
「ああっ!」
 弁慶の悲痛な声があがる。
「こら、泥棒!」
 無視をし、もしゃもしゃと顎を動かした。
「ああ、俺のゴマ団子……」
 空の皿を見つめ、弁慶ががっくりと肩を落とした。
 そのとき、
「お」
 竜馬の視界にミチルが入ってきた。
「あ、ミチルさん!」
 弁慶も目ざとく気づく。隼人の視線はほうれん草のお浸しに注がれていた。
「じゃあ、アレはどうよ」
 竜馬の眼差しが好戦的にけしかける。
「……」
 弁慶はじっとミチルを見つめる。最後に、その大きな目がしゅっと細められた。
「めちゃくちゃ機嫌がいい」
 ガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。
「……どう見たって違うだろが」
 あれは、思いきり不機嫌だ。鬼娘どころか、閻魔の娘だ。
「そう見えるのはお前の心がまだ未熟だからだ」
 説法をするかの如く生真面目な顔つきで弁慶が返した。
「……言ってろ」
 ミチルに近寄っていく背中を眺め、竜馬は頰づえをついた。
「……」
 ちろりと隼人を見る。
 どうしたって、普段と変わらない。
「さっきから何だ」
 作法のお手本のような箸さばきで煮豆を一粒ずつつまみながら隼人が問う。
「ガサツで無粋な男に見られながらだと、せっかくの飯が不味くなる」
 竜馬を見ない。それがまた妙に癇に障る。
「何を」
 拳を作りかけて、
「——」
 ふと気づく。
 そもそも、隼人はこんなふうに会話に参加しない。
「…………」
「何だ」
 箸を置き、やっと隼人がこちらを向いた。
「おめえ」
 本当に、弁慶の言葉が正しいのだと理解した。
「…………弁慶の野郎が」
 長い前髪の下で隼人の右の眉がわずかに動いた。竜馬は気づかない。
「おめえの機嫌がいいって言うから」
「何」
「『俺は隼人の機嫌がいいかどうか、すぐにわかる』って言うから」
「……」
「『呼んだら来るぜ』って。……絶対ぇ嘘だと思ったのに」
 他にも空いた席はあるのに、同じ卓について会話をしながら食事をする。隼人の性格からして、他者と関わりたくないならパイロット同士だとしても徹底的に回避するはずだった。
「そうか」
 何の抑揚もない、隼人の声。
 竜馬は納得いかないとばかりに首を傾げて、それから弁慶の姿を追いかけた。
「あ」
 ミチルがつんとしている。その後ろで、弁慶が頭をかきながら取り繕うようにへらへらと笑っていた。
「あー……、ありゃ機嫌がいいとか悪ぃとかじゃねえな」
 きっといつでも同じだ。
「なぁにが『めちゃくちゃ機嫌がいい』だ」
 なあ隼人、と呼んでみる。返事はない。だが弁慶に倣ってそのまま続ける。
「おめえの機嫌がいいっていうのも、まぐれ当たりなンじゃねえの」
 隼人は湯呑みをあおって静かに置く。
「さあな」淡々とした声。
 竜馬はその響きに何かを感じ取ろうと耳をそばだてる。しかし先刻と同様、平時と区別がつかなかった。
 そこへ、弁慶が戻ってくる。
 ミチルにすげなくされてしょんぼりしているかと思いきや、ニコニコと満面の笑みである。
「何だぁ?」
 怪訝そうに眉をしかめた竜馬に「ほれ」と皿を突き出して見せる。ゴマ団子が三個、寄り添っていた。
「……団子が何だってンだよ」
「配膳のおばちゃんがくれた」
 にへへ、と笑う。
「ミチルにフラれたのを見て『まあ可哀想にー』ってお情けだろ、お・な・さ・け」
「お前……」
 はあ、と弁慶は溜息をつく。
「情けない。人の好意をそんな目でしか見られないなんて……ああ、憐れだ」
「ンな、てめっ」
「本当のことを言われたからって怒るのはもっと情けないぞ」
「うるせえ! おめえだって『機嫌がいいかわかる』って嘘じゃねえか。隼人のことだってどうせまぐれだろ。インチキ! ハッタリ!」
「何だと? 仏に仕える身に向かってその言い種は何だ!」
「やるか!」
 竜馬が勢いよく立ち上がった。椅子が後ろの席にぶつかり、大きな音を立てる。
 空気が緊張する。しん、と食堂中が静まり返った。
「——この」
 竜馬と弁慶がぎりぎりと睨み合う。
 少しずつ距離が縮まり、あわや、というとき。
「弁慶、団子」
 ぼそりと隼人が声をかけた。
「え——あ、ああ!」
 一瞬で弁慶の怒気が霧散する。小皿から団子が転がり落ちそうになっていた。
「落っことしたらもったいねえ!」
 慌てて水平に持ち直し、そっとテーブルに置いた。その姿に竜馬は毒気を抜かれ、すとんと椅子に腰を落とす。
「は……あンだよ……」
 これ以上弁慶をつつき回すのも物にあたるのも億劫になり、ふう、と息を吐いた。弁慶が隣に座る。すっかり元と同じ配置に収まった。
「くさくさすんなって。ちょうど三個あるからよ、一個ずつ食おうぜ。さっきの盗みは許してやるからよ」
 小皿をつい、と押し出した。
「ふん。おめえはわかりやすいのになあ」
 自分のことは棚に上げ、竜馬は弁慶の顔を見つめる。そして、隼人に目を移す。
「……隼人。おめえ、ほんとに機嫌いいか?」
 答えなど期待していない。だが訊かずにはいられなかった。
「いいって言ってるだろ。な、隼人」
 弁慶が小皿に手を伸ばす。
「おめえには訊いてねえよ」
 竜馬はゴマ団子をぽいと口に投げ込んだ。
「さあな」
 素っ気なく告げて、隼人も残った団子を食べる。
 いつ、何度、音声データを取って分析しても、全部同じ「さあな」になるのだろう。竜馬の耳は変化をとらえられない。博士もミチルもきっと気づかない。かつての隼人の部下たちも。
 隼人自身でさえも、巧く感情を隠し通せていると信じている。

 それでも微かに滲む隼人の心を感じられる人間がこの世にたったひとり、存在する。

「ゴマ団子、うまかったな」
 弁慶は真正面に座っている男に、にっかり笑いかけた。