弁隼バレンタインデー&ホワイトデーまとめ

新ゲ弁隼

つきあってます。
チョコとお返しをし合うお話二本立て。どちらも隼人寄り視点。
厳密に同軸として書いたわけではないので、別軸として読んで頂いてもOKです!
隼人は若干殺伐としたところがありますが、割とラブラブです。2022/3/14

裏腹

バレンタインデーのお話。
弁慶には自分だけを見ていて欲しいのに、いざ見られると苛ついたりまごついてしまう隼人のお話。
何だかんだでチョコを交換します。
隼人は女子所員からチョコを押しつけられますが、見知らぬ人からの贈り物は捨てる勢いなのでご了承ください。食堂のおばちゃんからのは一応食べてもいいと思っています。6,000文字強。

甘くて甘い夜

ホワイトデーのお話。
バレンタインデーにチョコを交換した前提。お返しをし合うふたりのお話。
割と隼人のペースで進みます。
弁慶の作った甘酒は米麹由来の設定。厳密に『裏腹』の同軸続編として書いたものではないので、同軸でも別軸でもお好きに読んでいただければ。3,000文字少々。

◆◆◆

裏腹

 お、と弁慶がテーブルの上に目を留めた。
「隼人も貰ったのか」
 リボンシールが貼られた紙袋を指差す。
「食堂のおばちゃんだろ?」
「ああ」
 断ろうしたが「いいから」と押しつけられたものだった。
「俺も竜馬も貰ったぜ。アーモンド入りで旨かったぞ」
「欲しけりゃやる」
「隼人は? チョコ嫌いか?」
「嫌いではない。作業の合間にたまに食う」
 ノートパソコンから目を上げた。
「じゃあ、いいよ。お前が貰ったものだろう? 苦手だとか多いとかなら貰うけど、せっかくだから食べろよ」
「……」
 な、とにっかり笑う。
「んで、こっちのは?」
 小さな箱がふたつ。ラッピングは解かれ、蓋が開いてチョコが見えていた。
「知らん」
 ぶっきらぼうに隼人が答える。
「知らんって」
「面と向かってなら断ったんだが、部屋の前に置かれていたんでな」
「メッセージカードとかなかったのか」
 品のよい、手が込んでいるとわかるチョコレート。箱も立派で高級感があった。有名な店のものかもしれない。どちらも見るからに義理ではない。
「あった。念のため脅迫文じゃないか確認してシュレッダーにかけた」
「え゛」
「何だ、その顔」
「い、いや……」
「取っておく必要はない。開封したのも盗聴器や危険物じゃないか確認しただけだ。名前もよく見ていない」
「けど……けどよぉ」
 弁慶の眉尻が下がる。
「これ、たぶん本命チョコだぞ」
「だから?」
 素っ気ない。
「せっかく高いチョコレートを用意して、きっと綺麗にラッピングもしてたんだろ? カードも書いたのに」
「捨てるつもりだったから、可哀想に思うんならお前が食えよ」
「え、捨てる⁉︎」
「当たり前だろう」
 贈り主が毎夜夢見ているだろう整った顔が思いきりしかめられた。
「知らない人間からの妙な気が込められた食い物なんか、食えるか」
 吐き捨てる。弁慶の眼差しに同情の色が浮かんだ。
「……それじゃあ、ホワイトデーのお返しも?」
「何で俺が」
 睨まれ、弁慶はまるで自分が責められているかのようにしょんぼりとしてしまった。
「あのよ」
 両手の指を合わせては離し、もじもじと動かす。ちら、とふたつの箱に目をやってから切り出す。
「あのよ、せめてお礼の言葉だけでも伝えられるもんなら、きっと——」
「ちっ」
 舌打ちが遮る。
「お前、いい加減にしろよ」
「え」
 がたん、と隼人が勢いよく椅子から立ち上がった。つかつかと歩み寄り、右の人差し指で弁慶の胸を突く。弁慶が思わず上体を反らした。
「マナーだか一般常識だか知らねえが、俺は俺の基準で動くまでだ」
「……お、おう」
「いいか、俺にとっちゃあ見ず知らずの人間からのプレゼントは昔から害意が前提だ。調べるのは当然だろう。そのあとどうしようが、俺の勝手だ」
 テロリストだった頃の習性は今も変わらない。変えようとも思わない。自分にとっては必要で、一番安心できる行為だからだ。
「それにな」
 足を踏み出す。身体が触れるほど近くまで寄る。見上げる目つきの迫力に弁慶がさらに仰け反った。
「は、隼人……?」
「お前、もし俺がそのチョコの贈り主と——男だか女だか知らねえが——つきあうと言い出したらどうするつもりだよ」
「——」
 弁慶の大きな目がさらに大きくなる。
「ナァ、わかってんのか? 俺にしたら、お前の言葉は全部、恋人に浮気を勧めているようなもんだぞ」
「————」
 ぽかりと開いたあとで、弁慶の口が小さく「こいびと」と動いた。
「ちっ」
 言うだけ言ってもう一度舌打ちをすると隼人は身を翻す。元の椅子にどっかと座り直すと、頰づえをついてそっぽを向いてしまった。
 弁慶はまだ茫然と突っ立っている。
 やがて、
「いつまで間抜け面をさらしているつもりだ」
 自分は仏頂面で一瞥をくれた。
「あ……ああ」
 若干ふらつきながら弁慶が椅子に腰を下ろす。何やら夢から覚めたばかりのようにぼうっとしていた。
「……なあ……隼人」
「何だ」
 目を逸らしたまま。
「……そんなふうに、俺のこと好きでいてくれたんだな」
 瞳に驚きと少しの戸惑いが浮かぶ。
「……」
「俺……束縛はしたくないけど、でも……隼人は俺の恋人なんだぞって、もっと言っていいんだな」
「ふん」
 他人が聞いたらこれを返事とは言わないだろう。それでも弁慶は嬉しそうに目を細めた。
「……えっへへ、隼人がそんなに俺のことが好きだったなんてな」
 身をくねらせながら、うふ、にへへ、と笑い出した。
「ぐふ、そうかぁ。……ふへへっ」
 止まらない不気味な笑い声に隼人が眉をひそめる。
「どうしよう、俺、愛されちゃって困る——いや、困んねえ!」
「……おい」
「ああ〜、隼人がこんなに心を開いてくれるなんてなあ」
「おい」
 向き直り、真正面から睨んでみるものの止まらない。
「なあ、隼人、そんなに熱烈に俺のこと好きだったらよぉ」
 弁慶がにっこり笑顔で両手を差し出す。
「……何の真似だ」
「チョコ貰えるのかなあって」
 期待に満ちた眼差し。隼人は弁慶のふっくらとした手のひらに視線を落とした。
「…………」
 目線を上げる。
「…………ない」
「ん?」
「だから、ない」
「あー……、え?」
 聞き違いかと弁慶は首を傾げる。巨体の割には可愛らしい仕種だった。
「……」
「……」
 無言で互いを眺める。
「ほ、本当にない、のか……?」
 弁慶は忙しなく目をぱちぱちとさせ——はあ、と肩を落とした。
「ああ……そっかぁ……」
「何でそこまでチョコが欲しいんだ」
「だってよぉ」
 しょげたまま口を開く。
「好きな人から貰いたいだろ? ……はあ」
「…………ひとつ訊くが」
「え」
「なぜお前が俺から貰う前提なんだ」
「……え?」
「『好きな人にあげる』ものなんだろう? そんなふうにねだってまで貰うものなのか?」
 弁慶が目を見開いたまま固まる。
「……」
 まばたきをひとつすると、その黒目で天井を見上げた。
「…………あ」
 視線を隼人に戻す。
 今度はもっと強く「あ!」と口にして立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ってろ!」
 言うなり部屋を飛び出していった。

   †   †   †

 時計を確認する。22時30分。弁慶が出ていったのは22時頃だった。
 どたどたと廊下を走り、まずは売店を目指す。売店は22時まで。時刻に気づいていたかはわからない。レジの混雑具合によってはまだ開いていた可能性はある。その場合はギリギリ何か購入できたかもしれない。
 だが戻ってこないところを見ると、もう店仕舞いだったのだろう。
 そうなると、今度は急いで自室に戻る。菓子のストックを漁って適当なものを探すはずだった。
 菓子があってもなくても、そろそろ戻ってくる頃合いだ。
 弁慶が座っていた椅子は巨躯に押しのけられて、テーブルから離れたところにぽつんとあった。
 飛び出していくとは思わなかった。チョコが欲しかったわけではない。あげたい人があげるべきで、ねだるのは違うと思っていたから単純に訊いたまでだった。
 隼人の言葉をそのまま受けて自分にあてはめるなんて、どこまでも素直な男だ。
 それにしたって。
「……ったく、どいつもこいつも浮かれやがって」
 弁慶の胸を突いた右手を見つめる。
「……」
 贈り主のほうばかり向いている弁慶に苛ついた。こちらを見て欲しくて、嫉妬されたくて、つまらないことを口走った。言葉と態度で「余所見はするな」と縛られたかった。
 本当は、チョコをあげてもいいと思っていた。それなのに、いざ求められたら急にあげてやるものかという気になった。今の隼人には弁慶以外は考えられないという心を見透かされているのが腹立たしい。
 矛盾にも程がある。
 そもそもバレンタインデーという子供じみて、一斉に人真似をしないと安心できない日本人らしいイベントなど、無縁だったはずだ。弁慶とこんな仲になっていなかったら、くだらないと斬って捨てただろう。

 浮かれているのは、自分だって同じだ。

 馬鹿じゃないかと思う。それに、天の邪鬼。
 恋人にしたら絶対に面倒なタイプだ。可愛げがないのは自覚しているし、媚びを売ることも甘えることもできない。気難しくて、理詰めで、自分を曲げない。
 弁慶はいったい何がよくて自分とつきあっているのだろうか。
 性分だから、考え始めると止まらない。胸の奥、暗く深い場所が揺れ始めて、足元がぐらつき出す。自分に自信がなくなっていくのは、弁慶の前でだけだった。

   †   †   †

 顔を見て、目的のものが調達できたのだろうとすぐにわかった。
「急に出ていって悪かったな」
 ほくほく顔とはこういう状態なのだろうか、と隼人は目の前の男を見てぼんやりと思った。自分はこんなふうに感情を出せない。
「売店はもう閉まっちまっててよ。だから、これ」
 チョコレートでコーティングされたビスケット菓子を差し出す。
「部屋に戻って持ってきた。高くないし手作りでもないけど……俺、これが大好きなんだよな」
 売店の菓子棚でいつも見るパッケージだった。弁慶はどちらかといえばスナック菓子の袋を持ち歩いていることが多いので、この銘柄も好きだとは知らなかった。
「これはな、頑張ったときとかちょっと疲れたときの褒美代わりだ。寝る前にこっそり食うんだ」
「ひとりで食っているのに『こっそり』かよ」
 ベッドの上にちょこんと正座して一枚ずつ大事に食べているのだろうか。その姿が容易に想像できて、隼人の頬がほんの少しだけゆるんだ。
「ベッドで食うのはやめろよ」
「はえ? 何でわかったんだ?」
「そんな気がしただけだ」
 街中だったら、弁慶の寝床まできっと蟻の行列が続くことになるのだろう。
「それを、くれるのか?」
 柔らかくなった恋人の表情を見て、弁慶が嬉しそうに笑う。
「ああ。俺から隼人に。バレンタインだから」
 何の変哲もない菓子。
「…………ああ、貰う」
「へへ、気持ちが大事だからな」
 隼人の手に、その気持ちが渡された。
「……」
 じっと見つめる。
 ありふれたものなのに、特別なもののように感じた。
「なあ、隼人」
 呼ばれて、顔を上げる。
「知らない人からの差し入れは疑うし食えないってのはわかる。仕方ないよな。けど、俺は俺で食い物を粗末にしたくねえ。お前の言った『俺の基準』ってやつだ」
「……ああ」
「だから、お前があのチョコを捨てるっていうんなら俺が貰う。それでもってありがたく食う。贈り主の『お前に』っていう気持ちには悪いけどな」
「ああ」
「お前にとったら要らなくても、贈る側の気持ちってのもちゃんとあるんだからな。それは——いつか、わかって欲しい」
 坊主らしく、穏やかで諭すような響きだった。今は不思議と腹が立たない。テーブルの上に一瞬視線をやってから、隼人は再び手の中の菓子を見やった。
「……ふん」
 小さく鼻を鳴らす。
 すると不意に、弁慶の唇が額に触れた。
 驚きに半歩飛び退く。
 目が合うと弁慶が黙って微笑んだ。
「……っ」
 なぜだか急に居心地が悪くなり、隼人は咄嗟に目を逸らす。
「隼人?」
「…………何でもない」
 自分にも言い聞かせるようにして踵を返す。気分を落ち着けるために、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「……あ、ところでよぉ」
 いつもの呑気な声が呼び止める。
「食堂のおばちゃんからのチョコは食えるのか?」
「ああ」
 振り向いて答える——いつも通りに。
「顔見知りではあるしな、いまさら何か仕込むでもあるまい。それに同じ袋がたくさんあった。皆に配っていたんだろうし、第一結婚しているだろう? 年齢的にそういう対象にもならんだろうしな」
「まあ、なぁ……」
 どことなく、すっきりしない反応だった。
「…………何だ、弁慶。まさかお前」
「ふぇっ⁉︎ い、いやっ、違うって! おばちゃんとは何もねえよ!」
 ぶんぶんと手を振り、否定する。
「ほら、いつも『隼人ちゃん、今日も顔色悪いわねえ! たくさん食べないと!』って隼人の飯は大盛りにして寄越すなあと思って」
「ああ」
「息子みたいに思ってんのかな」
「さあな」
「なあ、そんならよぉ」
 竜馬とお金を出し合ってホワイトデーに何かお返しをしようという話になっている、お前も加わらないか、と誘った。
「竜馬は五本指ソックスって言ってるんだけどよぉ、俺は腹巻きもいいかなあって思っててよ。どう思う?」
 どうもこうも、と隼人は険しい顔をする。
 人へのプレゼントなど——しかも異性で親子ほど歳が離れているだろう相手に——自分に訊くほうが間違っている。
「俺にはさっぱりわからん。金は出すから任せた」
「うーん、悩むよなぁ」
 首をひねる。その律儀さは隼人にはないものだった。
「…………」
『気持ちが大事だから』と弁慶は言った。
 弁慶はいつも、素直とは縁遠い隼人の気持ちに向き合おうとしてくれる。
 それだけで十分じゃないか。
「——弁慶、座れ」
「ふあ?」
「いいから、座れ」
 椅子を指差し、冷蔵庫に向かう。貰った菓子を入れ、何か取り出した。
「隼人?」
 ことり、とテーブルに小さな箱が置かれた。
「冷蔵庫に入っていたから、お前にやる」
 そうしてさっさと自分の席に戻る。
 包装もされていない、シンプルな無地のクラフトボックスだった。
「……ってことは食い物か?」
 開ければわかるだろう、とは言わず、頰づえをついて横を向く。
「何だろ」
 弁慶は大きな両手でそっと蓋を持ち上げる。横にずらして中身を目にして——動きが止まった。
「…………」
 ココアパウダーがたっぷりかかっている生チョコレートだった。
「……こ、これ」
 一段に三個、それが二段。石畳みのように綺麗に六個、ぴちりと並んでいる。弁慶はチョコと隼人の横顔を幾度も見比べた。
「な、何か高そうだな」
 蓋の裏側を見る。次いでそうっと箱を目の高さに持ち上げて底を覗き込む。それからチョコを覆っているグラシン紙をつまんで表と裏を眺めた。
「……なあ、隼人」
「何だ」
 店名や商品名はどこにもない。
「こ、これ、もしかしてお前が」
「冷蔵庫に入っていたから、やる」
 ふん、とぶっきらぼうに言う。
「隼人……」
 弁慶の視線を感じる。真正面から見つめ合ったら、どんな顔になってしまうのかわからない。だから隼人は横を向いたままだった。
「へへ……、何かもったいなくて……しばらく食えそうにないなぁ……」
 再び箱を覗き込んだ弁慶はいつになく感慨深げだった。
「生クリームが入っているから日持ちはしない。冷蔵庫に入れて二、三日のうちに食ってしまえ」
 対照的に、隼人の響きは余韻を振り払うようだった。
「ああ、そうする。……隼人」
「何だ」
「ありがとうな」
「……ああ」
 胸の奥がざわざわする。くすぐったくて落ち着かない。その感触を早くどこかに追いやってしまいたくて、それなのに心地よくて、もう少し欲しくなる。

 まったく、嫌になる。

 自分の心なのに制御できない。沈んだかと思えば浮ついてどうしようもなくなる。振り回されたくないのに、もっと好きになっていく。
 届かないように、そっと溜息をつく。それでもすぐに弁慶は気づいた。
「ん、どうかしたか?」
 これだ。鈍感なときもあるし、妙に[[rb:敏 > さと]]いときもある。
「……いいや、何でもない」
 静かに答える。
 知られたくない。
 けれども、どこかで期待している。
 この男なら自分の心の裏側までをも見てくれるのではないか。その腕で抱きとめてくれるのではないか。
 隼人自身が自分を理解できていないのに、他人のはずの弁慶が隼人を好きだと自信満々に言い切るのは癪だ。だがこんなにも馬鹿正直な男が言うのだから、自分にもどこかいいところがあるのだろう。
 そう思うことにした。

 貰ったチョコは、きっと歯が浮くほどに甘い。
 弁慶と同じように、寝る前にひとりでこっそり食べることになるのだろう——自信が揺らぎそうなときに、自分を甘やかすために。

◆◆◆

甘くて甘い夜

 水筒と小さな風呂敷包み。
「ホワイトデーだ」
 弁慶がにっかり笑う。
「……」
 不思議そうに隼人が眺める前で、弁慶の太い指が風呂敷を解く。中から蕎麦ちょこがふたつ、現れた。
「世間とはちょっと違うけど、俺から隼人にってんなら、これだな」
 水筒を開け、注ぐ。
 柔らかな湯気と白い液体。
 それと、ほのかに甘い匂い。
「甘酒だ」
 隼人の前に蕎麦ちょこを置く。
「……作ったのか?」
「ああ」
 得意顔で弁慶が頷く。
「お前、あんまり飲み食いに頓着しないだろ? たまにはいいぜ。身体の中からあったまるし、リラックスできる。寝る前にちょうどいいと思ってよ」
 器を手にしようとした隼人の動きが止まる。
「どうした? 旨いぞ」
「……なら、これを飲んだら寝るが、いいのか」
「え?」
「『眠る』ほうの寝るだぞ。今夜はセックスしないで寝るぞ」
「え、何? ちょ、ま、隼人?」
「俺のためにお前がわざわざ作ってくれたんだ。さっさと寝ないとな」
「は? いや、待ってくれ」
 隼人が器を手にする。
「ま、待て、隼人!」
 団扇のような手を広げながら、がたん、と椅子を鳴らして弁慶が立ち上がる。
「したい! しようぜ!」
「……自分で『寝る前にちょうどいい』って言ったんだぜ」
「そ、そうだけど、えっと、その——あ‼︎」
 水筒を手にし、隼人の眼前に突きつけた。
「これ!」
「?」
「これはな、結構入るんだ!」
 それから蕎麦ちょこを指差した。
「これな! だいたい四、五杯分は入る!」
 ちょこには150㎖ほど入っていると思われた。
「それで?」
 隼人は頰づえをついて促す。
「甘酒ってな、健康や美容にもいいし手軽な栄養補給ができるってんで、今大人気なんだぜ!」
 そういえば食堂のテレビでそんな話題を取り上げていたことがあったなと、うっすら思い出す。
「だから、ひと汗かいたあとにもう一杯ずつ飲んだらちょうどいいじゃねえか!」
 手を上下させ懸命に説く。
「な!」
 プレゼンを終え隼人をうかがった。
「『な』じゃねえよ。お前、セックスがかかっていると必死だな」
 隼人の表情はまったく変わらない。
「だってよぉ、せっかくのホワイトデーだろ」
「もう日付は変わったぞ」
「そうだけど、ずっと起きてたからまだホワイトデーだ!」
 からかいにもめげない。
「ふっ」
 やっと隼人の口元がほころんだ。器を持ち上げ、一口飲む。
「あぁっ」
「……大げさな奴だな」
 見れば太い眉が下がり、大真面目にショックを受けているようだった。
「早くしないと冷めるぞ」
「ううぅ」
「弁慶」
 おとなしく椅子に座る。すると、
「これ、旨いな」
 また一口飲んで、ぽそりと隼人が呟いた。途端に弁慶の顔が明るくなる。
「ほ、ほんとか⁉︎」
「ああ。旨い」
 くいっと呷る。ぼってりとした甘さではなく、さらりと落ちては消える心地のいい甘さだった。しかも熱過ぎず飲みやすい。じんわりと喉を伝って腹の中が温かくなる。
「このくらいの甘さがいい」
 世辞ではない。本当に好みだった。独特の酒臭さも感じないのでいくらでも飲めそうだった。
「そ、そうかぁ!」
 褒められて、さっきまでのしゅんとした顔つきはどこかへ消えてしまったようだった。弁慶もちょこに口をつける。
「へへ、自信あったんだけどよ。けど、口に合うかわかんねえから、ほんとはちょっと心配だったんだ」
 うん、旨い、と自画自賛する。
「……まだ残っているんだよな?」
 先に飲み干した隼人が訊ねる。
「お? ああ、水筒いっぱいに入れたから」
「それなら、おかわりだ」
「おうっ、いいぜ」
 だが水筒を取ろうとする弁慶を右手で制した。
「もう少しあとでいい」
「?」
「先に話がある」
「え?」
 まっすぐに弁慶を見つめる。その様子に、弁慶はまだ中身の残っている器を置く。ぴっと背筋が伸び、両手は膝の上にちょんと置かれた。
「な、何だよ、改まって」
「改まったのはお前じゃないのか」
 妙に緊張している弁慶を軽くからかい、
「俺もチョコを貰ったからな。日付は変わったが、ホワイトデーのお返しをやる」
 そう告げた。
「え…………」
「俺からは時間をやる」
「じ、時間?」
「クッキーだのマシュマロだの、そういう柄じゃないんでね」
「……どういう、意味だ?」
 唐突に話を重ねられて、弁慶は困り顔で首を傾げた。
「あらかじめ日を指定しろ。その日の夜、22時から朝の6時まで、お前にやる」
「……?」
 首の角度が大きくなった。
「その日は『調べ物』はなしだ。お前につきあってやる」
「——え」
 目玉が零れ落ちそうなほど見開かれる。
 いつも——弁慶との約束があるときでさえ——日付が変わるまではパソコンにかじりついている。常に何かを調べていて、それでも足りなさそうにしている。そんな隼人が「時間」をくれるという。
「……ほ、ほんとか」
「嘘をついても仕方ないだろう」
「じゃ、じゃあ、一緒に何かしたいってんなら、してくれるのか」
「善処する」
「……」
 大きな口があんぐりと開けられた。
「貰いっぱなしも気持ち悪いからな」
「……」
「その口、いったい大福が何個入るんだよ」
 あまりの大口に隼人が突っ込む。
「…………三個」
「は?」
 再び、三個、と聞こえてきた。
「……三個放り込んだところで、和尚に怒られた」
 驚きを浮かべたまま、弁慶が答えた。
「経験済みかよ」
 隼人があきれると、
「一度は試すだろ?」
 今度は当然、とばかりに返ってきた。
「それより」
 傾いだ首がようやく垂直の位置に戻る。まだ信じられない、というように目は見開かれていた。
「それより、オセロやろうぜって言ったら対戦してくれるのか?」
「ああ。ただし盤は用意しろよ。俺は持っていない」
「なら」
 ぐ、と弁慶の上体が前のめりになる。
「売店で売ってるパフェアイス、あーんして食べさせ合いっこしてくれるか」
 少しだけ、細い眉がしかめられた。
「……お前が買ってこいよ」
 弁慶が頷く。
「一緒にお菓子食べながら映画を観るのも?」
「ポテトチップスは油がきついから、少しなら。映画は恋愛もの以外にしてくれ」
 テーブル越しに弁慶の手が伸びて隼人の手を取る。鼻息が荒くなってきている。
「膝枕で耳かきしてくれるか?」
「お前の頭は重そうだな」
 隼人お決まりの、ふん、という響き。
「俺は他人の耳かきなんぞしたことがない。血が出てもいい覚悟があるならしてやるよ」
「じゃあ……じゃあよ」
 弁慶はとうとう立ち上がる。
「まだあるのかよ」
「あるさ」
 手に力がこもる。
「寝るときに手を繋いでも、いいか?」
「……今も俺の手を握っているじゃないか」
「そうだけど……けど、寝るときに繋いでみたい」
「お前」
 隼人がふう、と息をついた。
「普段は散々人の身体をいじくるクセに、いまさら映画だの耳かきだのと」
 内心、驚いていた。
 同時に弁慶らしいとも感じていた。
 お互い、それなりにいろんな経験をしてきた。だからもっと欲深い行為を求めることもできるはずだし、応えられるはずだ。
 それなのに。
「隼人としたいんだから、仕方ないだろ」
「ふん」
 胸の奥からゆるやかに歓びが湧いて身体中に広がっていく。
 まったく。
 隼人の唇が小さく動いた。
「……隼人?」
「してやるから、前もって日にちを連絡しろよ」
「わかった」
 重大な任務を任されたかのように生真面目な顔で深く頷く。これが隼人の手を握って眠りたいがため、と誰が見抜けるだろうか。
 面白い男だと思う。
 困ったところもあるけれど、賑やかで忙しなくて、何にでも真正面から向き合う。
 一緒にいると少しだけ、自分もまっすぐでまともな人間に近づける気がした。

「……ところで」
 隼人が話を切り替える。
「さっきの話の続きだが」
「あ、ああ」
「甘酒のおかわり」
 上目遣いで弁慶の目をじっと見る。
「試してやってもいいぜ」
「え……」
「『ひと汗かいたあとにもう一杯ずつ飲んだらちょうどいい』んだろ?」
 大きな手を握り返す。
 心がほぐれるような優しい甘さのあとは、爛れて絡みつくような甘ったるさに溺れたい。きっといつもより強く、深く、痺れるだろう。
「は、はや……」
 意図に気づいた弁慶が唾を飲み込んだ。
「試してみないと、わからないからな」
 誘う。

 弁慶にしか見せない、甘い瞳で。