新刊『傷痕』サンプル

新ゲ隼竜R18
はじめに

年内発行予定の新ゲ隼竜小説本のサンプルです。本編冒頭部分を掲載します。全体の4割程度、約15,000文字ほど。
かなり人を選ぶ内容となりますので、注意書きを確認のうえ、それでも見たいよ!という方はぜひ!(後日pixivにも同じものを載せる予定です)

【仕様】
A6文庫サイズ、カバーなし/表紙除き144P(表題作は本文110P・約35,000文字)/短いですが前日譚・おまけの後日譚入り/すべて書き下ろし、シリアス/41文字×16行/源暎こぶり明朝8.5pt
扉、中扉はじめ事務ページ多め/1,000円程度
BOOTHにて取り扱い、あんしんBOOTHパックにて発送/12月最終週辺りから注文受付の予定(納品が早ければその分前倒しします)

注意書き

あばダチから15年経過隼人は竜馬より4歳上の設定で39歳(黒平安京と現代のズレ3年は加味していません)。
・隼人はミチルに誘われ、公安の監視つきとわかっていて国の研究機関に籍を置いています。現状、ゲッター線とゲッターロボの研究・開発は政府によって凍結状態。様子見が長く続いています。あばダチ~研究所に勤めるまでの細かな経緯は省いています。
・膠着した現状に不満・閉塞感を抱いている隼人の元に、竜馬の意識体が現れます。
・竜馬はひとりきりの闘いで疲弊しきっています。ある目的を持って「最後に一目」と隼人に会いにきています。
・隼人は動きと声を封じられます。無理に動こうとして肉体が損傷する感覚描写があります。実際に怪我を負うわけではなく、あくまでも感覚です。
・R18シーンは2回。1度目は動けない隼人に竜馬乗っかり。受け主導の愛撫・フェラあり。サンプルに1回目含みます。
・そう遠くない未来に隼人が竜馬の元に辿り着くためのターニングポイントになる一夜のお話。ちゃんと気持ちが通じ合って、思いを確かめ合ってお話は閉じられます。ハピエンに繋がるための物語。
・サンプルでは省いていますが本編前にプロローグがあります。

サンプル、こちらから↓↓↓

 

傷痕

 一

 数えるのはやめてしまった。
 無駄だと思い知らされたくないから。
 ソファに倒れ込む。
 もう何年も隼人の身体を受けとめてきたソファは弾力を失ってくたりとしていた。それでも横になれるだけまだマシだ。スプリングがイカれているわけでもないし、ひどい悪臭がするわけでもない。
 ただ、酒と煙草の匂いは染みついていた。隼人はこの部屋の住人だから、数時間ぶりに戻ってみれば「ああ、俺の部屋だ」だけで済む。ほかの人間が嗅いだら、隼人に遠慮しながらも鼻の頭に皺を寄せるだろう。
 ——あいつなら、とんでもない顔をするだろうな。
 目を閉じて思う。遠慮なんて言葉とは生まれてこの方縁のない、そんな男。いくら壁を作ったところで飛び越えるどころかぶち壊してやって来ては、にっと笑う男。
 ——ああ、また。
 目蓋に力を入れる。
 男の顔は朧げだった。跳ねた黒髪といかにも頑固そうな眉毛はくっきりと輪郭を保っている。けれども肝心の顔そのものがぼやけていた。
『隼人』
 少し鼻にかかった声は思い出せる。
 それなのに。
「——っ」
 身体を丸めて肩を抱く。
 気づいたときは愕然とした。あんなにも近くで毎晩見つめていた顔が思い出せない——いや、確信が持てない。
 瞳の色は覚えている。艶やかな黒髪とも違う、薄くて綺麗な鳶色。だが、その大きさはどうだったか。睫毛は長かったはずだ。目蓋は一重だったか。それとも奥二重だったか。
 思い出そうとすればするほど、輪郭がぼやけて宙空に溶けていってしまう。ふと目を逸らすと、意識の端に顔が浮かび上がってくる。追いかけてつかまえようとすると、またほどけて逃げていってしまう。
 幾度も思い浮かべる。心の奥をほじくり返しているうちに頭痛がしてくる。鼓動に合わせて痛むこめかみを押さえ、ようやく竜馬が現れる。
 揺らさないように、消えてしまわないようにそっと抱える。
 竜馬自身のものは何もない。私服も、マフラー一枚も、写真の一枚さえも。研究所の監視カメラの映像ならあるいはと思われたが、優先度の問題か容量の都合か、バックアップデータには含まれていなかった。
 研究所の生き残りもいる。ミチルも、それから弁慶も。皆の中に竜馬は存在している。けれども、密やかに睦言を交わした竜馬は隼人の中にしかいない。
 その竜馬が消えかかっていた。
 忘れたことなどないのに。隼人を生かしているのは竜馬への思いだけなのに。
 目を開け、ベッドへ視線をやる。いったい、何年あそこで眠っていないのだろう。定期的にシーツを取り替え、タオルケットも洗っている。いつでも快適に眠れる準備はしている。しかし寝る気になど到底なれなかった。

 広過ぎる・・・・

 体格のいい隼人のためにと、当初はダブルベッドの予定だった。それをシングルに変えろと注文をつけ、「所長がそうだとほかの者が言い出しにくくなるから」と備品担当から折衷案が出されセミダブルになった。
 シングルですら広いのに——そうは言えない。隼人だけの理由だから。
 いつも、狭いベッドでくっつき合って眠っていた。体温が高い者同士、暑いときは離れろと文句を言いながらも一緒で、冷える夜にはぴたりと肌を合わせて。それが当たり前になっていた。たまの独り寝は竜馬の残り香を感じたくて、わざとシーツや枕カバーは取り替えなかった。
 鼻腔の奥は竜馬の匂いを覚えている。顔を思い出せないのとは反対に、腕の中で頭を預けてくる竜馬の香りだけははっきりと覚えていた。
 もう一度、会いたい。
 名前を呼びたい。
 あの頬に触れて、口づけたい——抱きしめたい。
「思い出す」のは、竜馬がここにいない現実を確かめる行為だった。世界は残酷なのだと改めて突きつけられ、打ちのめされる。逃れようと研究に没頭しても、それはやがて向こう側・・・・に行くためのもので、気がつけばまた竜馬の面影を追っているのだ。
 ——竜馬。
 じく、と左の肩が疼いた。いつだったか、竜馬が咬んだ場所。
 もう傷も残っていない。肉がえぐれるほど深くはないのだから当たり前だ。
 それなのに、時折疼く。
 疼いたあとは竜馬の姿がありありと思い出せる。豪快に笑うさまも、ムスッとした表情も、少しはにかみながら見上げてくる眼差しも。どんな竜馬もここにいる。
『隼人』
 甘えるような声。
 まだ、竜馬が自分の中に残っている。
 左肩に触れる。
 ——お前は、どうだ。
 幾度か、隼人も咬んだ。戯れに、あるいは夢中になっていくつか傷をつけた。竜馬も同じように疼く瞬間があるのだろうか。
 痛んでいたらいい。ほんのわずかな時間でいい。そのときだけでも。
 ——俺を、思い出して欲しい。
 疼く間隔が徐々に広がってきていた。痛みも薄れてきている。本来なら喜ばしいことなのだろう。
 唇を噛みしめる。
 消えて欲しくない。
 これは、今の自分と竜馬を繋ぐただひとつのものだ。この痛みがなくなったとき、微かに縋ってきた希望がついえてしまう気がする。竜馬の顔も二度と思い出せなくなる気がする。
 オカルトめいたものを気にかけるとは、とうとうヤキが回ったのだと隼人は思う。そんなものに未来を託したくなるほど追い詰められている。
 ——今日は、何も考えたくない。
 のそりと起き上がり、壁際のサイドボードまで行く。スコッチの瓶を取り出すとそのまま呷った。ちゃぷん、と波音が立つ。揺らされてぶつかって、琥珀色の海は細かな泡を生んだ。
「…………」
 自分はこの泡だ。
 何者かの手によって生じ、踊らされ、やがて自分の意志とは無関係に大きなうねりに飲み込まれて消えていく。何も残らない。
 また一口、含む。
 熱い塊が食道を焼いていく。ろくに食事もせず、さらにはここ三日、ほとんど眠っていなかった。濃い香りと味に襲われ、急速に酔いが回り始める。
「……っ」
 ぐらりと視界が歪む。先にシャワーを浴びればよかったと頭の隅で思ったが、もう遅かった。
 自棄やけのように酒を流し込む。ボトルが三分の一ほど空いたところで、隼人はようやく瓶を置いた。手の甲で口元を拭う。無精髭のザラついた感触がした。
 ——クソ。
 何に腹を立てているのか。
 ——全部だ、全部。
 ゲッター線とゲッターロボに関わる研究の一切は政府の方針により永久凍結されたままだ。早乙女研究所は解散、重要なポジションを担っていた所員らは早乙女博士のツテを頼り方々の研究機関や大学に散っていった。 
 隼人はいくつかの出来事を経て、高エネルギー物理学の研究を行う機関に籍を置いていた。所長の肩書きを与えられてはいるが、要は野放しにできなくて監視対象になっているというだけだった。
 わかっていて、打診を受けた。自由はない。海外はおろか、国内の移動も自分ひとりの意志ではできない。学会へ参加するための移動には常に公安の監視がつく。ジャガー号とベアー号は深く隠され、自衛隊預かりのトップシークレットとなっていた。破壊するだけならまだしも、隼人ひとりの力では奪還もできないし、イーグル号の建造もできない。地獄の釜を再び開けることもできない——開け方すら、わからない。
 無駄に時間だけが流れていく。書類上の年齢は四十を過ぎている。黒平安京に飛ばされて生まれたタイムラグを考えればまだ三十九歳だったが、このまま年月が経てばいずれゲッターロボの負荷に肉体が耐えられなくなるのは同じだ。
 しかし、これしか道はなかった。いざというとき・・・・・・・、ゲッターロボの近くにいなければ意味がない。
「……クソッ」
 もう一度毒づき、ソファに向かう。
 ベッドには寝たくない。
 だがよろめいてベッドフレームに脚をぶつける。
「……っ」
 身体を引くが遅かった。膝をつき、倒れ込んでしまう。
 ——ひでえ有り様だぜ。
「ボロ雑巾のように」とはこのことだ。
 全身が重い。自分を嘲笑う気力もなく、隼人はベッドの上で意識を失うように眠りに落ちた。

   †   †   †

 夜通しの研究が常に必要なわけではない。それでもよく徹夜していた。頭を働かせていたほうが落ち着けるから。ひとりきりで部屋に篭っているとロクでもないことばかり考えるから。眠ってしまえば、夢に見てしまうから。

 夢を見たあとは、言い様のない虚しさと絶望の存在を感じてしまうから。

 だから、限界まで動き回っているほうが楽だった。幸い、研究所は辺鄙なところにある。静かで、ささやかではあるが寝泊まりする設備も娯楽施設もある。演じる必要もなく、隼人は「誰よりも研究熱心で頭の切れる所長」だった。
「……」
 目を開けて、夢だと理解する。
 竜馬がいる。
 浅葱色のパイロットスーツに、萌黄色のマフラー姿。隼人の上に跨って、今にも「ふふん」と聞こえてきそうな勝ち誇った表情をしている。
 会いたい、とあんなにも願っていたはずなのに、感動はなかった。不意打ち過ぎたのだろうか。夢だとわかっているからだろうか。感情がまったくさざめかない。これなら、覚めたあとのダメージは少なそうだ。
 それなら今のうちに、記憶に焼きつけておかないと——。

「おい」

 声が降ってくる。竜馬の顔は不機嫌そのものに変わっていた。
「てめえ、何年ぶりかで会ってソレかよ」
 唇を尖らせては睨みつける。
「全っ然驚きもしねえのかよ、つまンねえ」
 少し鼻にかかった声は相変わらずだった。「この」と言うと同時に尻にぐっと体重をかけ、隼人のみぞおちを攻撃する。
「——っ」
 人の重さと体温。それから、

 竜馬の匂い。

 夢ではないと気づく。
 大きく目を見開いた隼人に、竜馬はやっと満足そうににっかり笑った。
『竜馬!』
 叫んで飛び起き、抱きしめて——。

 そのつもりだった。だが身体がわずかに振れるだけで声も出ない。ほんの少しだけ申し訳なさそうに竜馬の眉尻が下がった。
『竜馬、どういうことだ!』
 細切れの呻きにしかならない。必死に身をよじってもみるが、感覚がするだけで実際はひくりと微かに蠢くだけだった。
『クソッ、お前の仕業か! 竜馬!』
 瞳だけは動かせる。隼人はありったけの力を込めてめつけた。
『竜馬‼︎』
「ちっと我慢しろや」
『竜馬! おい、りょ——』
「……悪ぃな」
 一瞬、隼人の呼吸が止まる。
 今まで「悪ぃ」と言っておきながら、本当に深刻な表情を見せたことはなかった。いたずらな目つきで見上げてきては笑っていた。
 今は、違う。
『…………竜……馬』
 本気で「悪い」と思っている。
 いったい何をどう続けるつもりか。隼人は竜馬を凝視する。
 伸ばされた手が止まり、引き戻される。竜馬はグローブを取ると再び手を伸ばした。
「隼人」
 指先が頬に触れる。
 あたたかい。
「ずいぶんオッサンになったな」
 隼人の知らない顔つきだった。憂いを帯びて、哀しげにも見える瞳。それでいて一歩引いた、冷めた光。遠く離れて覚えた感情なのか。
「ン……、ていうか、やつれてンな」
 目元に触れる。濃い隈をなぞり、薄い目蓋を撫で、それからまた頬を。長年の不摂生でかさついている肌を、若さを保ったままの指が撫でていく。
「ここも……」
 顔にかかった髪を一房すくう。そこだけ色素が抜けて白髪になっていた。
「ジジイみてえ」
 困った顔で笑う。
「おめえ、…………諦めてねえのか」
 今度は眉根がきゅっと寄る。唇は息苦しさに喘ぐような形を作っていた。
『……竜馬』
 見ているだけで苦しくなる。隼人の呼吸が浅くなった。
 鳶色の瞳には憐れむような、それでも慈しむような光がちらちらと現れている。くるくると表情が変わるのは元々だった。それは面白く、かつては隼人の胸に愛おしさを募らせていくものだった。
 今はどうだ。
 ——竜馬……!
 一生をかけて知っていくだろう感情の全部をすでに悟ってしまったような竜馬に、胸の奥が痛んだ。見た目はあの日のままなのに、滲み出る気配はあまりに儚かった。
 竜馬の目が歪む。泣くのだろうか、と思うとまた胸が軋んだ。
「隼人」
 瞳が濡れている気がした。だが涙は零れなかった。
「少しでいいから……俺につきあってくれよ」
『竜——』
「な?」
 消え入りそうな吐息と唇が下りてきて、物言わぬ隼人の口を覆った。

 

 二

 何度も呼ぶ。やはり声は出ない。それでも隼人は制止する。
『竜馬! やめろ!』
 幾度目かで、やっと竜馬の瞳が向いた。
『聞こえているのか⁉︎ なら、やめ——』
「我慢してくれって言った」
 無表情で撥ねつける。
「少しでいいから、つきあってくれっても言った」
『…………』
 声も硬い。先刻の申し訳なさそうな表情が思い起こされて、隼人は心の声を止めた。
「……ちゃんと気持ちよくさせてやるから」
 シャツの裾から手が潜り込んでくる。竜馬の体温が直に伝わってきた。
『竜……馬……』
 また、ちらりと目線が流れてくる。その瞳に、今は情欲が灯っているのがわかった。
 身体の芯が疼く。もう何年も何年もずっと、触れたかった。それが、こんな形で現実になろうとは。
「そのカッコ、なかなか似合うじゃねえか」
 竜馬は白いワイシャツを眩しそうに見つめる。
「すっかり研究者ってか」
 指先で胸をなぞってから、ボタンを外していく。胸元が大きく開いたところで、竜馬が鼻先をうずめた。
「おめえ、シャワー浴びてねえのか」
 一転、いたずらな上目遣いで笑う。
「汗臭せえ」
 ふふ、と零れた息が肌をくすぐる。無遠慮な無邪気さに、隼人の心が一気にあの頃に戻る。
『竜馬!』
 身体を揺すり、睨みつける。だがイメージの十分の一も動かない。
『竜馬!』
「ン?」
 わずかでも呻きと振動は伝わったはずだ。ゆっくりと顔が上がる。ひどくもったいぶった仕種に見えて、隼人はますます昔のままに毒づく——声にならなくても。
「ん、『なら、俺を自由にしろ。今から浴びてくる』……ってか?」
 心の襞を覗き込むようにじっと見つめる。
「それとも……『お前がいきなり来るからだろう、この馬鹿』——ン、こっちか」
 実際、そうだった。瞳の動きで正解だと気づいたのか、竜馬が相好を崩す。
「おめえの声、聞こえねえけどわかるぜ」
 肌にキスをして頬をこすりつける。人肌の感触に、隼人の劣情が波打ち始めた。
「へへ、おめえの匂い……。なあ、隼人」
 甘えるような声が脳の奥に入り込んでくる。懐かしい、心地よい痺れ。
『……竜……馬』
「隼人——はやと」
 竜馬の手と唇が隼人を煽っていく。会えて嬉しい。存在を確かめられる行為も僥倖だ。肉体に悦びが満ちていく。
 けれども——。
『どうして、今』
 なぜ今なのか。顕現できる力があったのなら、どうしてもっと早く会いに来てくれなかったのか。
 芽生えた欲の下で正気が疑問を吐き出しにかかる。
 会いに来られなかったのではなく、会いに来なかった。
 それはそうだ。
 竜馬は、隼人と弁慶を置いていった・・・・・・。自ら糸を断ち切っておいて、その一端を求めるはずがない。意地と決意を貫き通す覚悟の塊のような男が、翻意を善しとするはずがない。
 それが今になって急に、ということは。
「隼人」
 ぴしゃりとした声が覆いかぶさる。
「余計なこと考えンなよ」
『竜……馬』
「シラけちまうだろ」
 不満そうな目つきで睨んだあとで、その手が器用にベルトを外していく。
「ほかのこと、考えられねえようにしてやる」
『……っ』
 剥き出しになった腹に吸いつく。
『は……、う……』
 熱い唇と舌が肌をうねり進んでいく。同時に、いつも隼人がしていたように、竜馬の手のひらが快感を呼び起こそうと滑る。
『…………竜、馬っ』
 触れられている、という事実だけで十分だった。疑念も思考も消えていく。それほど、会えない時間は長かった。
「こっちは、と——」
『!』
「なかなかいい具合じゃねえか」
 布の上から、嬉しそうに膨らみを撫でつける。指先で押して、弾力を確かめる。
「硬ぇ」
 にやりと笑い、見せつけるようにぺろりと舌舐めずりをした。
「お、また硬くなった」
 ためらいなく顔を近づけ、胸元と同じに鼻先を突っ込む。
『……っ』
「すげ……、隼人の匂い……」
 ちゅ、と口づけ、唇で挟み込む。動けたなら、隼人の腰はひくりと跳ねただろう。
『う……、く』
「動けねえと、じれってえだろ。けど、一回ぐれえこういうのもいいだろ?」
 ——一回ぐらい?
 ふと気にかかる。だがすぐに竜馬の熱に溶けていく。
「ン……ふ、ん……っ」
 唾液と、隼人自身から染み出るもので布の色味が変わっていく。やがて、ペニスの形がくっきりと浮き上がった。
「そろそろちゃんと舐めてやらねえと、可哀想だな」
 下着に手をかけ、ずり下ろす。完全に勃起したペニスが待ち構えていたとばかりに飛び出した。
「うはっ、おめえ、すげえな」
 息がかかり、くすぐったさと快感に隼人が呻く。小さな変化を竜馬は見逃さない。
「動けなくて俺にいいようにされてる隼人って、興奮するな」
 ふう、と息を吹きかけ、舌先を伸ばしてつつく。そうして隼人の目に欲と苛立ちが混じっているのを確認し、怒張したペニスを口に含んだ。
『——っ』
「んぐ、ンっ、んう……っ」
 腰の中全体に渦巻いていた熱が一点に集まっていく。すぐにでも頂点に到達してしまいそうだった。
『——ふ、う』
 濡れた粘膜がまとわりついては吸い、なぞり上げ、搾り取ろうとする。隼人は懸命に抗う。童貞でもあるまいし、こんなにあっさりと達してしまっては立つ背がない。
 しかし竜馬は容赦しない。口元から一層、卑猥な音があがった。
『……っ!』
 鳶色の目が笑う。「出せよ」と言っているようで、それがまたひどく扇情的で、塊となった情欲が爆ぜるには十分過ぎた。
『く……っ』
「ん、ン……っ」
 気配を感じ取った竜馬はペニスをさらに深く咥え込んだ。とどめとばかりに喉の奥が締まる。抵抗できるはずもなく、隼人は竜馬の中に熱を吐き出した。

   †   †   †

 収まりきらなかった白濁を左手の甲で拭う。
「おめえ、こっちは変わンねえな」
 ただれた瞳で笑い、物言わぬ——言えない隼人を見下ろした。
「へへ」
 ペニスを軽くしごく。すぐに硬さと膨らみを取り戻し、竜馬の指を押し返し始める。
「久しぶり過ぎて、挿れただけでイッちまいそうだな」
『——』
 竜馬の中に再び挿入はいることができる。数分先を想像しただけで隼人の先端からは再び雫が溢れ出した。竜馬が舌で掬い取る。
「ん……」
 愛おしげにキスをして、らすようにこすり上げる。最後に軽く先端に吸いついてから隼人の身体に乗り上げた。
「せっかくだからな、上でサービスしてやるよ」
 ニヤリと笑う。次のまばたきの間に、竜馬のパイロットスーツはどこかへ消え去っていた。
 目が釘付けになる。呼吸も、心も。すべて奪われる。
 竜馬の肢体は眩しく、美しかった。
 肌の滑らかさも筋肉の雄々しさも変わらない。けれども己が歳を重ねたからか、長い時間を隔てたからか、あの頃よりもずっと瑞々しく、若さに満ち溢れているように感じた。
 視線で貪る。
「……あんま見ンなよ、恥ずかしいだろ」
 竜馬が肩をすくめる。たった今勝ち気に笑ったくせに、照れて戸惑う素振りを見せる。
『竜……馬……』
 愛しい。
 見苦しいほどの肉欲の合間に、胸が押し潰されそうなほどの狂おしさが湧き上がってくる。
『竜馬……!』
 抱きしめて、口づけたい。会えただけで十分なのに、触れ合うだけで過分なのに、足りなくなる。動けない身が恨めしくなり、隼人の目に悔しさが滲んだ。
「……隼人」
 竜馬の瞳に柔らかな光が浮かぶ。まるで恋心を乗せたうぶい微笑みで隼人をなだめる。
「はやと」
 淡い響きと口づけ。
『竜——』
 熱が入り込んでくる。隼人の存在を確かめるようにじっくりと舌が動いた。
「……ン」
 微かに、甘い吐息。竜馬の手が隼人の頬を撫でる。
『さっきと違って、ずいぶんと行儀がいいじゃないか』
 目でからかうと、くすぐったそうに首を傾げた。
「こういうのも悪かねえだろ」
 ちろりと舌先を出し、隼人の下唇を舐める。
 いつも互いを貪っては喰い合うようなセックスばかりしていた。欲も心も剥き出しで、殴り合う感覚、と表すのが一番近かったのかもしれない。それに比べればひどく丁寧で優しい愛撫だった。
「さて、と」ひとしきり口づけてから、竜馬が尻を浮かせた。
「あんまり時間かけて、隼人のソレがしょげ返っちまうとイヤだしな」
 手を後ろに回す。隼人は息を呑んだ。
「ふ、あ」
 悩ましげな表情で、自分でそこをほぐしているのだとわかる。
「ン……、やらしい、目つき」
 隼人の視線を拾い、竜馬が嬉しそうに笑った。気づけば竜馬のペニスも勃っている。
「俺も……すげえ興奮してる」
 反ったペニス同士が軽くこすれ合う。
『竜……馬……』
 腰の奥が疼く。早く竜馬を感じたくて仕方がなかった。
「じゃあ、挿れるぜ」
 手がペニスに添えられる。先端に肉の柔らかさと熱さを感じた。
『……っ』
 竜馬の下腹部に力が入る。直後、今までとは異なる感触が隼人を包んだ。
「ン、あ」
 徐々に竜馬の腰が下がっていく。硬さを保ったままのペニスが眼前で揺れる。
「あ、あ」
 声も表情も溶けていく。
『竜、馬』
 身体の芯が発火する。熱が続々と湧いてペニスに集まる。気を抜くとすぐに暴発してしまいそうだった。
「あっ、すげ、……っあ、んっ」
 だらしなく開いた口と上がった顎が快感を伝えてくる。ペニスの先からは感じている証が溢れ出していた。
「はっ……あ、はあっ、はあっ——ン、う」
 零れ落ちる声とベッドの軋みが混じり合う。竜馬は脇目も振らず、まっすぐ一点に向かって夢中で腰を動かす。肉がうねり、絡まり、隼人を絶えず刺激した。
「んあッ」
 引き締まった身体が小さく跳ねた。肉壁が不規則に収縮する。不意に強く吸われる感覚がして、隼人はこらえる。
「あ……あっ」
 腰がひくつく。軽く達したようだった。
「やべ……、気持ちい……っ」
 下腹を撫でてうっとりする。ペニスから滴る雫が隼人の腹をぬらつかせていた。
「ん、もう少、し……」
 きゅっとアナルが締まって、再び拡がる。
『——っ』
 さらに快感を得ようと腰が振られる。
「つ、次は一緒、に——あっ、あっ」
 きつく締めつけられ、しごかれ、吸われる。主導権を握られていてはどうしようもない。隼人はただ翻弄され続ける。
「あっ、ここ……っ、うあっ」
 カリ首が引っかかるちょうどいい場所を見つけ、竜馬がよがる。
「ふぁっ!」
 鳴き声とともに肉壷が一際締まった。隼人の腰の奥、背中、そして頭の先へ痺れるような快感が抜けていく。限界が近かった。
「ん、んうっ……!」
 あどけなさを残した頬は上気しきっている。荒い呼吸の下で喘ぎながら、竜馬は隼人を堕としにかかる。一定の速度とリズムでいざなう。
『う、くっ……』
「いつでも、いい——んあっ、あっ」
『りょう、ま……っ』
「ん゛ッ!」
 迫り上がったものが一気に放たれる。白濁を叩きつけられ、竜馬の肢体が震えた。
「お、おれ……も、イク……っ」
 びくんと大きく跳ねる。ペニスを包む肉が細かく痙攣し、達した証を伝えてきた。
「うあっ……、あっ」
 二度、三度、と隼人の吐き出す精に合わせて身体がびくつく。
「……ン」
 駆け巡る余韻に身を任せるように目を閉じ、竜馬がゆっくりと倒れ込んできた。

 その重さを受けとめる。滲み出た汗が混じり合う。背中が呼吸に合わせて大きく上下するのが目に入った。
 ——竜馬が。
 生きている。
 何らかのエネルギー体による再現だとはわかっていた。もしかしたら自分の脳内で形作られている幻覚なのかもしれない。それでも。
 首元に息がかかる。まだ、身体と同じように熱い。
 ——竜馬がここに、いる。
 希望はついえていない。
「……すげえよかった」
 耳元で甘い声があがる。
「やっぱ、会いに来てよかったぜ」
 汗ばんだ肌をすりつけてくる。懐かしい、甘える仕種だった。
 竜馬、と呼ぶ。左肩に乗った頭が微かに揺れる。
『いい加減、この拘束を解いてくれないか』
 静かに乞う。竜馬は動かない。
『本当は聞こえているんだろう? 竜——』
 顔が上げられた。
「隼人」
 ふたつの瞳がまっすぐに向けられる。静かな、だが譲る気はない強さ。唇が頬に触れる。
「もう少し、このままで」
『——』
 つい口をつぐむ。
「おめえ、俺に甘えな」
 実際には見えない仕種を読み取って、竜馬の目が細められた。隼人は内心舌打ちをして視線をかわす。
『そうでもしないとお前がいつまでもうるさいからな』
「ふふっ、……まあな」
 穏やかに笑い、再び頭を預けてきた。
 心地いいあたたかさと重み。それから、匂い。懐かしさと愛しさで胸が溢れ返る。
「……隼人」
 柔らかい声がヴェールのように覆いかぶさってくる。
「少し、眠りたい……」
 頬を押しつけ、竜馬が目を閉じる。
「…………いい、だ……ろ」
 呟きが途切れた次の瞬間、すう、と寝息が聞こえてきた。
 ——竜馬。
 こんなにも傍にいるのに、形のいい頭を撫でることすらできない。歯痒さに細く息を吐き出すと、急速に睡魔が襲ってきた。
 ——いや、駄目だ。
 落ちてくる目蓋に抗おうとする。眠ってしまったら——夢は覚めるだけだ。あとに残るのは、ベッドにひとりきりの現実。
 しかし動かない身体と同様に、どうすることもできなかった。

 

 三

 ズクリ、と左肩に刺すような痛みが走った。眉をしかめ、薄く目を開け——身体が重さを感じていないことに気づく。
 心臓が凍る。まばたきの間だけ意識もフリーズして、次の瞬間には叫んでいた。
『竜馬‼︎』
 室内には何も響かない。起き上がろうとしても動けない。
 ——何が。
 何が起きている? 竜馬は? あれはやはり夢だったのか——いや、そんなはずはない。
 あれほどに生々しい夢などあるものか。そう思っても身体を覆う衣服の感触はベッドに倒れ込んだときのままだ。竜馬の手によって外されたボタンは元通りになっていた。
 混乱している頭を必死に落ち着かせる。自由になるのは目の動きだけだった。見慣れた天井だけがそこにある。
『ぐ——』
 右腕を支えに起きあがろうとするが、はりつけにされたかの如くびく・・ともしない。焦りが浮かぶ。すると室内の空気が揺れた。
「お、起きたか」
 呑気な声と気配がした。
『あ——』
「まだ、いるぜ」
 笑みが含まれた音を辿る。鮮やかな青色が目に飛び込んできた。続けて白いラインに浅葱色。デスクチェアの上で悠然と組まれた脚だった。
 ——竜…………馬。
 身体のラインを遡っていく。まごうことなく、竜馬だった。
 本当に、夢ではなかった。消えずにまだここにいる。口元に笑みを浮かべ、感慨深げな眼差しをしていた。魅入られて、ただ見つめ返す。
「国立技術研究開発法人・高エネルギー物理学研究所所長、神隼人」
 おもむろにその口が開かれた。
「二〇XX年X月X日、浅間山で前例を見ない大規模噴火が発生。大量の有毒性火山ガス発生に伴い、周囲五キロメートルは封鎖。この影響で同山で観測を行っていた地学研究施設が孤立、救助のために自衛隊が出動する事態になった」
 それが表向きだった。そうとしか発表できなかった。
 あの闘いと膨大なゲッターエネルギーの噴出。ゲッター線を軍事利用しようとした政府の目論見が万が一にも漏れては困る。だから早乙女研究所の存在も一切、公にはならなかった。
 当然、新宿の惨劇も。
「建設作業中の事故により地中のガス管が破損、地下空間内に充満したガスが何らかの原因で引火・爆発。不運なことに太平洋戦争中に投下された残留不発弾が連鎖的に爆発を引き起こし、新宿の中心地は壊滅状態」
 それだけが表に出され、あとは徹底した報道規制と箝口令で押し切った。
「政府と繋がっていたのが不幸中の幸い。両者うまい落とし所を何とか見つけて、早乙女ミチルは研究者の道を断たれずに済んだ。今はエネルギー開発の関連施設の所長。けど、公安の監視つき。おめえと似たり寄ったりってとこか。弁慶は北海道に戻って寺を継いだ。……あいつらしいな」
 目を見張る隼人に、親指で背後を示す。
「おめえが寝てる間に、ちっとな」
 デスクのパソコンが起動していた。パスワードは当然かけている。それに、早乙女研究所に関するデータはかなり深い場所に隠してあった。竜馬は「驚いただろ」と得意げに鼻を鳴らした。
 十五年前の竜馬とはまるで違った。いや、今の彼は隼人の想像を超えた存在なのだから、あらゆることが容易くできるのだろう。
「……十五年、か」
 やけに落ち着いている。あの頃のままだったら「今っていったいいつだよ」「何でおめえそんなに歳食ってンだよ」と前のめりで訊いてきたはずだ。もうその竜馬はいない。
 それほど、時間が流れた。
「……そりゃおめえもオッサンになるよな」
 小さく笑って立ち上がる。
 慣れ親しんだ部屋のように窓際まで闊歩し、カーテンを開ける。闇空に大きな月が浮かんでいた。
「満月か」
 声に明るさが滲む。
「おめえと最初に会ったのも、満月の日だったよな」
 肩越しに振り向く。
『——』
 微笑みに目を奪われる。けれどもあの夜とは違う。挑戦的な鋭さではなく、懐かしさを灯した柔らかさだった。
「あのときのおめえ、やばかったぜ」
 それは——忘れようとしても忘れられない体験だった。
 満月を背に、浮かび上がるシルエット。死地を死地とも思わず、リラックスした空気をまとって笑っていた。そんな男がこの世にいるなんて思わなかった。
 生まれて初めて、人生を心底面白いと思った瞬間だった。
 竜馬はどうだったのだろうか。
「おめえ、俺なんかよりよっぽど狂犬じみてたぜ」
 月光に照らされ、笑う右頬にうっすらと陰影が浮かんだ。髪型のせいではない。
 ——あれは。
 目を凝らすともう、影は消えていた。
 ——見間違い……か?
 三本の瘢痕はんこん。かつて、隼人がつけた爪痕の名残り。その影が見えた気がした。
 ——いや。
 あの傷は消えたはずだ。
 きっと願望だ。竜馬が自分とまだ繋がっているのだと信じたい自分の——。
「ゲッター線及びゲッターロボの研究・開発は永久凍結」
 再び事実が紡がれ始め、我に返る。
「一応、有事のためにゲットマシンの整備は定期的に行われている。それと、線量の観測も細々と続けられている。だがこの十五年、脅威とされる現象は敵襲も含めて皆無。特にゲッター線の検出量は徐々に減少し、近年は低い水準でほぼ横這い。当然、ゲッターロボの出番はない。だから」
 こちらに向き直り、窓枠に寄りかかる。
「凍結解除の目処も立たない。……かといって開発者ジジイはいなくなっちまったし、ゲッター線の人体への影響も未知ってなモンだから解体もできずにいる。つまりゲッターロボは不揃いのまま、ただの鉄クズ寸前」
『——』
「ンなおっかねえ目すンなって」
 へらりと笑い、右手の甲で隼人の視線を跳ね返す。隼人は睨むのをやめない。己の覚悟を伝えるにはこうするしかなかった。
 消えないとげに、竜馬は笑みを仕舞う。かげりが目元に浮かんだ。
「……これでもまだ諦めねえのか」
『当たり前だ』
 ゲットマシンの整備やゲッター線の分析には隼人とミチルが駆り出される。常に有事に備えてシミュレーションを繰り返してる身にとって貴重な時間だった。しかしそれもいつまで継続されるかわからない。おそらく残り時間は多くはない。それでも可能性があるのなら諦めるわけにはいかなかった。
「…………そっか」
 ぼそりと呟いた。
 沈黙が流れる。竜馬は月を見やり——それはだいぶ長い時間に感じられた——ゆっくりと首を巡らせて隼人の姿をとらえた。時間の流れに逆らうような緩慢さで傍まで来て腰を下ろす。キシ、とスプリングが鳴って、体重の分だけベッドマットが沈んだ。
 ふたつの瞳が静かに見下ろしてくる。
「おめえ、ずっと俺ばかり見てんのな」
 胸騒ぎがした。聞きたくない。
「ま、ジャガー号はずっと俺のケツ追いかけてるようなモンだから、仕方ねえか」
 鼻で笑う。
「けど」
 その声が硬く、低くなる。同時に、周囲の温度がスッと下がった気がした。緊張に隼人の息が止まる。

「そろそろいいだろ?」

 虚しく、幕引きの言葉が放たれた。
「おめえの世界に、もうイーグル号はねえ。……ゲッターロボは、もうねえンだ」
 性能の悪い通信機越しのような、妙な音が隼人の脳内に流れ込んでくる。
「俺のことばっか考えンのも飽きちまっただろ。それに、疲れただろ。いつまで経っても、何にも進まねえンだからよ」
 何を言われているのか、わからない。
「だからよ、そろそろやめちまえよ」
 竜馬の声が歪み、雑音に変換される。
「足元見とかねえと、すっ転ぶだろ。ヘタしたら穴に落ちるか、崖から落ちるってモンだ。そうなっても、俺は助けてやれねえ。おめえの面倒まで見きれねえや」
 唇が軽く触れ、呆気なく離れる。
「じゃあな」
 さらりと残し、気配が遠のいた。
 隼人は心も木偶でくになったかのように茫然としていた。
 ——何……だ?
 今、いったい何が起きたのか。
 目の前には天井。
 確か、さっきまでは竜馬がいたはずだ。何事かを隼人に告げて——消えた。
『竜……』
 声が出ない。
 動けない。
『竜……馬……?』
 脳の中にはまだザリザリとした音が残っていた。竜馬の言葉を拾い集めようとする。だがうまくいかない。
『竜馬……!』
 返事はない。焦燥感が湧き上がって全身を包む。隼人は身体をひねり、起き上がろうともがいた。
『竜馬! 待て!』
 四肢にがっちりと鉄枷がはめられているようだった。そのうえ、皮膚がベッドに張りついている感覚がした。引っ張るとびりびりと痛む。けれども今はそんなことに構ってはいられなかった。
『竜馬——竜馬!』
 背面全体に刺すような痛みと熱が広がる。
『竜馬!』
 消えてしまう。目の前に現れたのに。確かに触れたのに。一番残酷な仕打ちだった。
『——竜馬ぁ‼︎』
「無理だぜ」
 もがき続ける隼人に淡々とした声が投げられた。
『竜馬!』
 唯一自由になる目を向ける。かろうじて竜馬の顔をとらえることができた。
「セックスの感覚はあったし、ちゃんとイッただろ? けど、服は汚れてねえ。半分夢で、半分現実ってとこだ。今もほんとに磔になってるワケじゃねえ。けど、磔と同じだ」
 隼人は手を伸ばす——動かない手を。
『ぐ、う……っ』
「やめとけ。動こうとすれば、おめえの手足が千切れちまう」
 聞いてもなお、もがく。
 歪んだ竜馬の声が再生された。
おめえの世界・・・・・・
 そんな科白、聞きたくなかった。本当はわかっていた。それでも、竜馬の口から自分たちの世界は隔たっているのだと聞かされたくはなかった。
 己の無力さに心底腹が立つ。
 だからこそ——。
「……っ、ぐ、ぁ」
「隼人」
「ゔ、あ゛——っ」
 太い首に筋が浮き、顔全体に血が上っていく。見えない手で首を絞められているようだった。みっともない、と思う余裕もない。足掻いては呻く。唇の端からは細かな泡となって涎が落ちた。

 

〈サンプルここまで〉