キミノ残リ香

新ゲ隼竜

「隼人はちょっといい匂いがする」って言う竜馬と「コイツ俺のこと好きじゃね?」って思う隼人の話。おつきあい前、プラトニック。弁慶はよく寝る&過去に関係のあったモブ女に言及する件あり。隼人→竜馬への気持ち自覚あり。竜馬→隼人への気持ち無自覚。でもたぶん好き。約4,000文字。2021/1/24

◆◆◆

「ぶえっくしょっ!」
 竜馬が盛大にくしゃみをする。
「おい、汚ねえな」
「マスクをするか、せめて腕で覆え」
 弁慶と隼人から即座に声が飛んだ。
「うるっせえな、出るモンはしょうがねえだろ」
 悪びれず応じてすぐにくしゃみを連発する。
「だから嫌なンだよ、片づけって」
「埃が大量に舞うんだから、対処しなけりゃアレルギー反応が出て当然だ」
 淡々と述べる隼人はマスク姿。弁慶は白い手拭いで鼻と口を覆っている。
 普段は掃除ひとつにそこまではしない。だが扉を開けて目に入った埃の厚さがそうさせた。竜馬は「めんどくせえ」「息苦しい」「さっさと終わらせりゃいいだろ」とマスクを拒んだ。
 結果、ふたりにジト目で見られている。だが気にする竜馬でもない。ずび、と鼻をすする。
「だいたいどんだけ放っておいたらこんなになるンだよ」
 ボヤきながらも積み上げられた廃棄物の山を崩していく。
「直せそうなものでも時間と人手がなけりゃ新調せざるを得ないし、壊れたからといってゲッター線まみれの機器をポンポンと捨てる訳にもいくまい」
 隼人は転がり出てくる機械類をチェックしながら言った。
「全部埋めちまえばいいんじゃねえか?」
「いや、基盤に使われている金属を溶解して取り出す。抽出用の溶解炉があるからな。破砕した機器を酸で——」
 訊ねてきたくせに絶対聞いていないだろう、とちらと弁慶を見る。果たして大男は既に船を漕いでいた。
「おら、働けクソ坊主!」
「……はっ、何だと竜馬ぁ!」
 いつも通りの喧騒を尻目に隼人は黙々と仕分けを続けた。

 数時間後、長年堆積していた器物は先行きを分類され、どうにか整理された体となった。
「ふぃーっ、何とか終わったな」
 弁慶が手拭いで頭をこすると黒い汚れがついた。
「鬼娘も人使いが荒いよな」
 竜馬の顔にも煤けたように埃がついている。
「手が空いていて力仕事ができるとなると大概はこの三人だ。仕方あるまい」
 隼人はむしろ暇ではない。ただ、彼の「調べ物」はあくまでも個人的なものだ。「所員への指示」があれば従う。もっとも、このふたりの目付け役でもあっただのろう。
「べっくし!」
 相変わらず竜馬はくしゃみをしている。
「続くようなら、医務室で鼻炎用の点鼻薬でも噴霧してもらえ。ただし、抗ヒスタミン成分が入っていないものにしろ」
 隼人のアドバイスを、竜馬は口を尖らせて「いらねえよ」とはねつける。いつもよりだいぶ鼻にかかる声だった。
「アレルギー反応が強いと判断力と集中力が鈍る。くしゃみで合体失敗なんぞ洒落にもならん」
「お生憎様。俺は失敗はしね……えっくし!」
 竜馬が鼻の下をこすりながら隼人に近づく。
 後ろに回り、つと背伸びをして隼人の右肩と首の付け根のあたりに顔を寄せた。
「——」
 隼人は小さく息を飲む。
「どうした、裏拳でも欲しいのか」
 動揺を気取られないように、普段の調子で返す。
「いるか、ンなモン。……やっぱり、完全に鼻ぁ詰まっちまった。隼人の匂いがしねえ」
 竜馬が離れる。隼人は今度こそ勢いよく振り向きかけて——ようやくこらえる。
「何だよ、それ」
 はは、と弁慶が笑う。
「犬みたいだな」
「俺は鼻が利くンだ。……そうだな、弁慶は何つーか、濃過ぎる」
「はぁ? 俺が?」
「男臭えっていうのか? あと肉と菓子ばっか食ってるからなのか、ラーメン屋の厨房みてえな感じ」
「ラーメン屋?」
「あー、何か、脂臭い。どうせ嗅ぐならマシな方がいいからな」
 竜馬は弁慶の腹をぺしっと叩くと「マシな方」に目をくれた。当の隼人はずっと無言でふたりを見ている。
「竜馬、隼人の匂いってどんなんだ?」
「うーん……、何か……ちょっと、いい匂いがするンだよな」
「ずいぶん曖昧だな」
「例えられるモンが思い浮かばねえンだよな。シャンプーのせいか? でも浴場のものとちょっと違うンだよな」
「髪長いからじゃねえか?」
 そこまで聞いて、隼人が加わる。
「シャンプーも石鹸も、備え付けのものだ。お前らと同じだ。ついでに言うと、香水の類もつけていない」
「……だとよ」
「知らねえよ。俺、隼人が何のシャンプー使ってるかとか興味ねえし」
 竜馬がぷいと横を向く。
 その割に、俺の匂いは覚えているのか——言おうとして、やめた。その場限りのからかいのネタとしては勿体ない気がしたからだ。
 再び黙った隼人をよそにふたりの会話は続く。
「他の人はどうだ? ミチルさんとか」
「ンー、果物っぽいか? うっすら桃、みてえな」
「桃かあ……桃、ぐふっふふ」
「この生臭坊主が」
「いやぁ、つい。じゃあ、早乙女博士は?」 
「……薬っぽいかもな。そんなジジイ臭くはねえかな」
「へーえ、お前、やっぱり犬みたいだな」
「優秀な猟犬ってとこか」
 自分で言って、竜馬は満足気に頷いた。だが直後、くしゃみが出て何とも締まらない。
「でもよう、俺は男だからな、男臭くて当たり前だ。それに、俺の匂いが好きな女もいたぞ」
「マジかよ」
「本当だとも。たまらないって言って抱きついてくるんだぜ」
「変態じゃねえのか」
「いや、俺の魅力を見抜いたんだ。それに気づかないとは、情けない」
 やれやれという風に肩をすくめる。
「こういうの、何て言ったかな? えーと、ホルモン?」
 いや、違ったかな、と考え始めた弁慶に隼人が助け舟を出す。
「フェロモンのことか」
「あっ、それだ! さすが隼人!」
「フロ……?」
「フェロモンだよ、フェロモン」
「だから、何だよそれ」
「女がムラムラして寄ってくる」
「はあ?」
 竜馬の首はどんどん傾げられていく。
「あー……。隼人、パス」
 弁慶はもうお手上げである。
「……同種の他個体の行動に作用する化学物質のことだ。体内で生成されるが、よく知られているのは昆虫類だろうな。蝶が群れを作る、蟻が迷わず一列に進む、交尾が可能であると知らせる、などだ」
「隼人ぉ、俺にわかるように説明しろ」
 竜馬の要望に、弁慶の表現を引用して説明してやる。
「雄のフェロモンは雌に交尾を促す。逆もあるが——つまりは人間に置き換えると、女がムラムラしてセックスしたくなる」
「ほらな、言ったろ」
 眠りから覚めた弁慶がすかさず乗ってくる。得意気な顔を突き出すが、竜馬に頬をつねられた。
「あだだだだだ! 竜馬、この!」
 大きな拳を振り下ろすが、竜馬はひょいと躱す。
「じゃあ、隼人は出てねえンじゃねえか? そのフェロモンとかいうヤツ」
「何でだよ」
 弁慶は赤くなった頬をさする。
「だっておめえみてえな匂いじゃねえぞ。まあ、隼人は女みてえな[[rb:面 > つら]]だからな、男臭いのとはまた違うしな」
 綺麗な顔、ではなくひねくれた物言いをする。隼人は当然、聞き流す。 
「だがな」そして顎に手をやり、首をひねった。
「フェロモン自体は無臭だと思ったがな。それに、そもそも人間のフェロモンはまだ存在が実証されていないと思う」
 竜馬と弁慶は顔を見合わせる。
「つまり、体臭によって女が群がりセックスをせがむような状況にはならない」
 ブハッと竜馬が吹き出す。
「やっぱりただ男臭いだけじゃねえか」
 弁慶を見上げる。
「でもよぉ、本当なんだぜ」
「へーへー。女がムラムラして寄ってくる坊主様ねえ。ならどうしてミチルは寄ってこねえンだよ」
「何だと、てめえ!」
「やンのかよ、面白え」
「ちょこまかすんな!」
「おめえが図体デカくてウスノロなだけだろ!」
 本気の喧嘩とは違う、日常のどつきあいが繰り広げられる。やがて隼人が口を開いた。
「……これとは別に、本能的に相性のいい相手を判断するのに体臭が関わっているという話もあるな」
 胸ぐらを掴み合っていた竜馬と弁慶の動きが止まる。
「「どういうことだ?」」
 声までもがシンクロする。
「生物は本能的に近親交配を避ける。奇形や免疫力の弱い子が産まれないようにだ。遺伝的に近いものを避け、遠いものを選ぶ。それが子孫繁栄の礎になるからだ。思春期を迎えた娘が父親を臭いと遠ざけるのも、これだと言われている」
 説明の前段を終えてふたりの姿を確認する。竜馬はぽかんと口を開けており、弁慶はやはり眠っていた。
 隼人はふう、と小さな溜息をついて天を仰いだ。
「うおらぁっ!」
 竜馬が飛び上がって弁慶の頭をはたく。
「痛ってえな、竜馬!」
「耳元でイビキかくンじゃねえや!」
 女が弁慶を求めるのは想像に難くない。身体が大きく、丈夫だ。よく食らうし、寝る。そして精力も充分とあれば、いわゆる動物の群れにおけるボスと同じである。文化や慣習による美醜の判断を超える、本能を満たす条件が揃っている。
「それで、結局何なんだ?」
 寝ていたことを棚に上げ、弁慶が訊ねる。
「要はお前が丈夫だから、守ってもらえる、健康な子が産まれる、とピンとくる女がいるってことだ」
「何だ、そんなことか。そんならそうと早く言ってくれよ」
 がはは、と大口を開け反り返ったので、隼人の拳が握られたのは視界に入らなかった。
「なら、こっちの話も、隼人は違うみてえだな」
 何でもいいから、いちゃもんをつけてこき下ろしたいのだろう、竜馬がしつこく絡む。
「おめえ、顔色も性格も[[rb:悪 > わり]]いしな。そんな女いなさそうだな」
「でもよぉ、隼人は顔がいいからな」
「うっせえ、デブ!」
「何で竜馬が怒るんだよ。男の嫉妬は見苦しいぞ」
「黙れ!」
 ギャイギャイとまた始まる。
「…………」
 隼人はその光景を眺め、考える。
 竜馬は「ちょっといい匂い」と形容した。隼人を褒めない竜馬のことだから、実のところ「かなり」なのではないか。
 仮にそうでなくとも、もし、言ったらどんな顔をするだろうか。

「いい匂いと感じるなら、お前は本能的に俺を選んでいる。俺たちは遺伝子レベルで相性がいい」と。

 想像すると楽しい。弁慶に向けた握り拳はいつしか解かれていた。
「何ひとりで笑ってンだ?」
 は、と我に返る。竜馬が覗き込んでいた。
「ニヤニヤしやがって。どうせロクでもねえコト考えてンだろう」
 竜馬の口の端が上がり、不敵な表情が浮かぶ。隼人はかち合った視線を外さずに答える。
「どうだかな」
「相変わらず、食えねえヤツだな」
「お前ほどじゃないさ」
 いつもの応酬。
 少しの時間、見つめ合う。
「……ま、いいか」
 ふと柔らかく瞬きをし、竜馬は矛を収めた。
「しっかし、ホコリだらけだな。……弁慶! 風呂行こうぜ、風呂……いっくし!」 
 竜馬が踵を返す。
 小さく風が生まれて、隼人の鼻先をくすぐった。
 
 いつもの、竜馬の匂い。

 

 ——隼人の、一番好きな。