つきあってません。隼⇄竜、両片思い。
研究所で行われる肝試しの設営に駆り出されて、出来心で閉鎖エリアの奥に入り込んで迷子になった竜馬のお話。隼人と合流した後に暗闇の中で手繋ぎからのキスあります。
実際には昼日中ですが、夜に見立ててのタイトルです。
Twitter企画「隼竜の夏2021」にお邪魔しようと思って書きました。約7,000文字。2021/8/31
◆◆◆
箱を開けて中身を入れる。鍵をかける。
「ったく、人使いが荒いっつーの。あンの鬼娘」
聞こえないとわかっているから、ことさら「鬼娘」に力を込めた。
肝試しの準備を手伝って。
集まったパイロット三人に堂々と雑用を言いつけたミチルの「当然」という表情を思い出し、竜馬は舌打ちをした。
極度の緊張を強いられる研究所では、職員の福利厚生が重要だ。レクリエーションの一環として夏は納涼会が催され、いくつものイベントが行われる。中でも豪華景品が手に入る肝試しは人気だった。
閉鎖エリアを開放し、あちこちに目録入りの宝箱を設置する。参加者は宝箱を探して持ち帰る。それで時には十万円分の金券や二週間の有給休暇が自分のものになるのだから、皆こぞって参加したがるはずだった。あまりにも希望者が多いので抽選制になっているほどだ。
設備も古く、手狭になり閉鎖した旧研究棟三フロア分を使用する。手狭、といってもそれなりに広く、人の痕跡は残っているのに誰の気配もない空間というのは肝試しにうってつけだった。
三人でフロア毎に手分けした。竜馬は一番下のフロア。
手渡された見取り図で確認する。
「おし、これで全部だな」
戻ったら缶ビール一本くらいは出してくれるだろうか。いや鬼娘だからな、など考えながら研究室を出る。
「あれ」
右目の端に動くものが入った。顔を向けると、奥の通路を横切って消える瞬間の左足をとらえた。
——隼人じゃねえか。
間違いなく作業着だった。
行き来には中央階段のみ使用しろと言われている。奥側の通路は立入禁止区域に繋がっているから入らないよう注意されていた。
——あんにゃろ。
閉鎖エリアに入れたのをいいことに、どうせロクでもない調べ物をしているに違いない。
「へへ」
いっちょ驚かせてやろうか。
当日は自分たちは警備で参加できない。それなら今、肝試しをしたっていいだろう。
表情の変化に乏しい隼人がどういう反応を見せるのか。竜馬は悪戯っ子さながらに含み笑いをし、追いかけた。
† † †
「っかしいな」
完全に迷っていた。
もう見取り図は役に立たない。それにどこからこうだったのか、気づけば足元の非常灯だけが頼りになっていた。薄暗く、通路の奥まではとても見通せない。
「ええと」
分厚い扉を開けて階段を下りて、廊下をまっすぐ進んでまた扉を開けて。
「確か、右、右、左に折れて」
階段を下りて。
すぐに視界の端から消える足をつけてきた。けれども追いつくことはおろか、完全な後ろ姿を目にすることもできないでいる。
「アイツ、足速えな」
シャバに出たらお尋ね者なのだから逃げ足は速くなくちゃな、と妙な感心をしながら、竜馬は先に進んだ。こうなったら隼人をつかまえないことには戻れない。
「あ」
待望の背中が見えた。
「あれ?」
隼人ではない。後ろ髪が短い。年齢もやや上の気がする。
違和感に足が止まった。
——誰だ?
そもそも閉鎖エリアだというのに。
さてはミチルが嘘をついたか。それとも彼女が知らないだけで、メンテナンスか何かで多少の出入りはあるのだろうか。
——ま、訊きゃあわかるだろ。
思い直し、急いだ。
「くそっ」
また見失った。
いい加減、追いかけっこは飽きた。その上、入り込んだエリアは一段と暗かった。目が慣れれば動けはするが、造りもわからないのに駆けずり回るのはいくら竜馬でも憚られた。
肌寒くはないが、ひんやりした場所だった。竜馬の靴だけが音を立てる。跳ね返らず、すぐに闇に吸い込まれていく。広い空間なのだろう。
まっすぐ進み、手すりの前で止まる。黒々とした口が開いていた。ドックのように大きな縦穴がある。
手すりにつかまり、何か見えないかと身を乗り出す。
瞬間、みしっと不吉な音がして上体が前方に投げ出された。
——やべっ!
足はまだ床についている。踏ん張り、身体を起こそうとする。しかしすでに重力に抗えない傾きだった。
——落ちる……!
暗闇に引き寄せられていく。
「————!」
がくん、と身体が揺れ、落下が止まった。
「……え」
手すりだけが暗がりに吸い込まれていく。
「何をしている」
聞き慣れた声。
「……は……や、と」
振り向くと、よく見知った仏頂面が竜馬の左腕をつかんでいた。
「そのルートなら、俺じゃない」
「嘘つくなよ。ミチルには内緒にしててやっからよ」
「嘘じゃない」
「じゃあ俺が見たのは誰なンだよ」
「知らん」
そんなやりとりが二回続いて竜馬は諦めた。
「ちぇっ」
確かに、隼人ではなかった。けれども隼人にしておかないと、説明がつかない。
「まさかユーレイだったりしてな」
前を行く隼人が立ち止まる。
「お? 何だ、おめえまさか」
竜馬が回り込んで顔を覗く。
「怖えのは苦手か」
ニヤついて目を見る。
だが普段通りの冷たい眼差しが返ってきただけだった。
「ンだよ、つまンねえ」
竜馬は唇を尖らせる。
「せっかく肝試ししてンだから、もっとノリよくしろよ」
「肝試し?」
無愛想そのものの表情で、隼人が訊く。
「だってよぉ、こんな暗くて、よくわかンねえとこで、おまけにユーレイも出るかもっつったらまんま肝試しじゃねえか」
「……くだらん」
「ほんとにつまンねえヤツ」
ぷいとそっぽを向いた。
ここまで、縦穴の縁に沿って造られた半円状のデッキを歩いてきた。もう見えないが、竜馬が落ちそうになった場所からちょうど反対の辺りだろう。
「ンあ?」
不意に、竜馬が小さく声をあげた。
何か気配を感じた。手すりの近くに寄る。
「……どうした」
隼人が横に並ぶ。
穴の底から微かに風が吹き上げられてくる。少し埃っぽく、古い倉庫のような湿り気のあるカビ臭さがわずかにした。
「何か……いる」
竜馬の目つきが鋭くなる。それを受けて隼人の双眸も緊張に細められた。
ふたりの視線が闇を射抜く。
奈落の底でちかり、と極小の光がひとつ、またたいた。
「……何だ?」
竜馬が目を凝らす。
と、光の粒が一斉に穴の底から湧き出してきた。
「————っ‼︎」
眩しいくらいに辺りが照らされる。緑がかった光が地の奥底からふわふわと舞い上がる。
「……すげえ」
竜馬は思わず呟く。
まるで。
「蛍火だな」
隼人が見上げながら言った。
「ああ」
竜馬も見惚れる。
無数の蛍が乱舞していた。
「隼人、あの光もゲッター線のせいなのか?」
「おそらく」
隼人の視線は光の粒を追いかける。ずっと上、高い天井に届くまで漂った光は、闇に溶けるように儚く消えていく。その行先を探す隼人の目は遠かった。
しばらく並んで幻想的な光景を眺めていた。やがて、竜馬が口を開く。
「肝試しにユーレイ、そんで蛍か」
隼人が不思議そうに竜馬を見る。
「あとは花火がありゃ、完璧かな」
「完璧?」
「デートみてえじゃねえか、これって」
竜馬は無邪気に笑う。
「ほんとならアレだろ? 肝試しで女が『きゃー怖い』っつって、男が手を繋ぐか肩を抱いていい感じになるンだろ? そんで蛍見て女はうっとり、花火見て盛り上がったついでにチューするってか」
今は野郎ふたりだけどな。
自分で言ってから、竜馬はくつくつと笑った。
「花火かぁ。あー……ン、は、な、び。んんー」
竜馬が首をひねる。
「鬼獣が出たらいいんじゃないのか」
ぼそりと隼人が言った。
「あ? 何でだよ。都合よく花火吐く鬼でも出りゃあいいけどよ」
「ゲッタービームが花火代わりになるだろう?」
聞いて竜馬が目を丸くする。そして、
「くっ——ハハッ! そりゃいい! 確かに当たりゃドカンとでっけえ花火だな! ハハハッ!」
高らかに笑った。
徐々に光が弱くなる。
「お、終わりか」
竜馬は呑気に穴の底を覗き込み、消えていく蛍火を見つめていた。
楽しい夢から覚めて現実に引き戻されるような、惜しい気持ちになった。
だがそれもすぐに掻き消される。
「あ、やべえ」
出入口の位置を確認する間もなかった。元の暗闇——光を目にしていた分、もっと暗く——に包まれる。
「おい」
振り向く。
隼人の姿も見えない。
「おい、隼人」
この辺りにいたはずだ。
「はや——」
手を伸ばすと、触れるものがあった。
「隼人?」
「……ああ」
ぺたぺたと触る。隼人の胸板だった。
「いつまで触っている」
表情まで想像できる不機嫌そうな声が発せられた。
「だってよぉ、俺、ユーレイみたいなモン見たって言ったろ? お前が生きてる隼人かわかンねえし。それに、真っ暗でどっちに行きゃあいいかわかンねえンだよ」
脇腹の辺りの服をつかむ。
「ユーレイじゃなかったら、帰り道教えてくれよ」
顔の位置に向かい、ニッと笑った。
隼人は無言で身を翻す。
「あ」
不意の反転で服をつかんでいた手がほどけた。
「隼人、おい」
竜馬は左手を伸ばす。
しかし空を切る。
「ちょ、おい隼人、待て、なあ」
慌てて手を大きく上下させる。迷った末にこんな暗がりに置いてきぼりは困る。
「はや——」
手首をつかまれる。それから、手を握られた。
「行くぞ」
竜馬の返事を聞かず、隼人が歩き出した。
† † †
ふたりとも押し黙ったまま、歩く。
「なあ」
何だか気まずくて、竜馬は隼人の背中に声を投げる。返事はない。
「……おめえ、こんだけ暗くて、よくわかるな」
当たり障りのない問い。
五秒ほど経ってからぶっきらぼうに「ああ」と聞こえてきた。
また、沈黙をまとって歩く。
曲がって、階段を上って、歩いては階段を上る。
やがて非常灯がついているエリアへ辿り着いた。薄暗いとはいえ今までの暗闇よりよほど視界が利く。
隼人が立ち止まった。
——ああ……終わりか。
いつの間にか固く握られて、汗ばんでいる手。ひとりで歩ける明るさなのだから、ここまでだろう。
「……」
隼人の右手を見る。蛍火が消えていく時と同じように、惜しく思った。
それから。
少しだけ寂しい、とも。
きゅ、と左手に力を込めてみる。すると、隼人も同じ分だけ握り返してきた。
「————」
再び隼人は歩き出す。竜馬を見ずに。
竜馬は、無言でずんずんと先を行く背中だけを見ていた。
「あそこから元のフロアに戻れる」
隼人は顎で前方の扉を示した。振り向きもしない。
不意に手が離れる。ひやりとした空気が手のひらを撫でた。
——あ。
熱を追いかけて、竜馬は咄嗟に手を伸ばした。
右腕をつかまれ、隼人が振り向く。
「何だ」
「あ、え? ——あ」
竜馬は自分の左手を見、隼人の顔を見、ぱっと弾かれるように手を離した。
「あ、いや……何でもねえ」
目が泳ぐ。隼人から遠ざかるように左側へ顔を背けた。
——やべえ。
心臓が跳ねる。顔が熱い。
「…………竜馬?」
半歩、隼人が近づく。竜馬はびくりと身を震わせ、斜交いにもっと深く俯いた。
赤くなっている自覚があった。煌々とした灯りの下ではないが、すっかり目が慣れている。隼人も同じだろう。気づかれたくなかった。
「……」
息を殺していると、衣ずれの音がして頬に何か感じた。
——え?
ひんやりとした温度。
「……?」
そろりと視線を動かす。
隼人の左手がすぐそこにあった。指の背が竜馬の右頬に触れている。
——な、ん……?
どくり、と鼓動が大きくなった。
何の真似だろうか。
考えようにも、隼人に触れられている事実に混乱して敵わない。じっと見つめられているかと思うとたまらなく心がざわついて、身体全体が熱くなった。
頬だけではなく、耳も首筋もきっと、赤くなっている。
ばれてしまう。
ぎゅっと目を瞑ったその時、隼人の指が離れた。
竜馬はほっとして、小さく息をついた。
だが次の瞬間。
両手で頬を包み込まれ、正面を向かされた。
「……っ」
くい、と上向きにされ、目が合う。
長い前髪の隙間から覗く切長の瞳は、いつもより険しい気がした。普段ならすぐ睨み返せるのに、今ばかりはその眼光にとらわれてできない。
身体が強張り、声も出ない。呼吸も止まりそうだった。
唯一できるのは、睫毛を伏せて隼人の視線から逃げることだけだった。
空気が揺れる。気配が近づく。
は、と竜馬が微かに息を呑む。その音を塞ぐように、熱が下りてきた。
「——!」
感触に思わず目を開ける。
——はや、と。
唇が合わさっただけの柔らかなキス。
ゆっくり唇が離れる。
隼人の目も開いたままで、間近で視線が交わった。
無言で見つめ合う。
やがてもう一度、隼人の唇が近づく。竜馬はそっと目を閉じた。
二回、三回、五回。
重なっては離れ、またすぐに触れる。生まれて初めての者同士のように、淡くもどかしく、素直なキス。
鼓動はまさに早鐘のごとく——胸の内側から握り拳で絶え間なく叩かれているような衝撃を感じていた。身体が小刻みに震える。
きっと、唇から隼人にも伝わってしまっている。
「ん」
わずかに声が漏れた。もっと口づけが注がれる。
頭がくらくらして、どうにかなってしまいそうだった。
「ン……ん、はぁ……」
キスの合間に吐息がこぼれた。そのあとで、
「……はやと」
思わず呼ぶ。
キスが止まる。
「…………何だ」
掠れた声が返ってきた。
「……」
「……竜馬?」
隼人の熱い息が唇を撫でる。
「……っ」
我慢できない。心があふれてしまう。
「…………好き……だ」
声にならない、ささやき。
「——」
隼人の目が見開かれる。その口元に竜馬は唇を押しつける。それを最後に隼人の手の中から抜け出した。
「——りょう」
茫然としていた隼人がやっと振り向くと、扉が軋む音を立てながら閉まるところだった。
† † †
隼人が執務室に入ると、すでに竜馬と弁慶が揃っていた。長く待ったのか、弁慶が手にした菓子の袋は空になっているようだった。
「ご苦労様。助かったわ」
ミチルがねぎらう。
「防衛庁まで宝箱を置きに行ったのかと思ったわ」
時間がかかったことへの嫌味も忘れない。
「それよりよぉ」
竜馬がスポーツドリンクのペットボトルを片手に訊く。
「缶ビールの一本もねえのかよ」
「贅沢言わない」
ぴしゃりと返され、ちぇっ、と膨れる。
「俺らだってここで働いてンだ。フクリコーセーの権利はあるンだろ」
竜馬にしては真っ当な抗議に、思わずミチルの頬がゆるんだ。
「当日は特別に出してあげる。参加できないのもつまらないでしょうし、ね。代わりと言ったら何だけど、給湯室の冷蔵庫に切り分けたスイカがあるから、一皿ずつ持っていって。今日はそれで我慢しなさい」
それでお開きとなった。
「竜馬!」
スイカの入った皿を手に廊下を歩いていると、後ろから隼人の声が追いかけてきた。
「おう——何だ、おめえ。スイカ持ってこなかったのか」
空の手を見て、それから隼人の顔を見る。
「——」
隼人は訝しいものを探るような眼差しで竜馬の姿をなぞる。
「……あンだよ」竜馬が軽く睨む。
「いや」
隼人は一旦、視線を外した。深呼吸をひとつ、ふたつすると、再び竜馬に向き直る。
「さっきのことだ」
「さっき?」
竜馬はきょとんとした顔つきになる。
「とぼけるな。さっき——」
口をつぐむ。
「……迷って……もっと地下のフロアに入り込んだだろう?」
妙に自信なさげな声音だった。いつもの隼人ではない。
「はぁ? 何のことだ?」
胡散臭そうに竜馬は片眉を上げた。
「——何?」
「行ってねえぞ。おめえ、俺のユーレイ……んん、生きてるヤツのユーレイって何て言うンだっけ」
「……生き霊」
「あっ、それそれ!」
竜馬がニヤリと笑う。
「俺のイキリョーに会ったンじゃねえの? ほんとに肝試ししちまったのか?」
「…………」
隼人はまじまじと竜馬を見つめる——。
「ぶっ」
突然、竜馬が吹き出す。
「ぶふっ——おめえの顔っ……!」
くっ、と漏れた口元を手で覆う。
「嘘だよ、嘘——くひひっ」
隼人の柳眉が苛立ちの角度を作る。
「怒ンなよ、くくっ……間違いねえ、ありゃあ、ちゃんと俺だよ」
「……なら、あれは」
「あれ?」
竜馬は小首を傾げる。
「——」
こらえきれず竜馬の口が歪む。
「ンふっ——悪ぃ、つい面白くって。俺がユーレイ見たって話だろ? あれもな、本当だ」
隼人の唇がむ、と曲げられた。
「それだけか? じゃあ、俺ぁ先に戻るぜ」
「待て!」
回れ右をした竜馬の鼻先を隼人の左腕がかすめる。壁に手をつき、行手を遮る。
「まだ、ある」
竜馬が見上げる。
「その——」
しかし、隼人は目を逸らして口ごもってしまった。
竜馬は空いている手を伸ばす。隼人の胸元をつかんで軽く引き寄せた。
「りょ、うま」
戸惑う隼人をよそに、竜馬は笑う。
「全部、本当だ」
一瞬だけはにかみ、もっと腕に力を入れて引き寄せる。自分はつと背伸びをして。
ふたりの唇がまた、近づいた。