つきあってます。
黒平安京前。私用の竜馬と公用の隼人のタイミングが合って、一緒に上京するお話。隼人寄り視点。竜馬の道場に立ち寄って、ラーメン食べて、花園神社で屋台デートします。プチ旅行状態なのでいろいろ詰め込みました。キスまで。
(隼人が防衛庁に普通に行きます。大人の事情で襲撃の過去は闇に葬られ案件でしょうね)
Twitter企画「隼竜の夏2021」にお邪魔しようと思って書きました。2作目です。
約15,000文字。2021/9/21
※「大家」の名前が出てきますが、これは道場含め付近の土地一帯の大家さんのことで(カルロスのアパートもその大家さん経営)、道場は流名義で購入、土地だけ借地の前提だからです。
◆◆◆
目の前に突き出されたソフトクリームを一口食べる。
「確かに美味いな」
「だよな? もう一口、食うか?」
「ああ」
「さすがに研究所じゃこういうのは食えねえしな」
「ん、もういい」
「そんなら残りは全部食うぞ」
「ああ」
「へっへー、やった!」
竜馬は手を戻し、ご機嫌でソフトクリームを舐める。対して見つめる隼人は若干、あきれ気味である。
「お前、休憩のたびに何か飲み食いしていないか」
「だって、せっかくじゃねえか」
竜馬の言い分もわかる。だが何度もトイレ休憩を所望され、サービスエリアでの買い物につき合わされている。このペースを続けてさらに渋滞に巻き込まれたら約束の時間に間に合わなくなる恐れがあった。
「そろそろ行くぞ。遅刻は厳禁だ」
「へーい」
響きは多少不満げながらも、竜馬は素直に助手席に乗り込んだ。
一度、家に帰らせてくれねえか。
頼んではみたものの、竜馬自身は許可が下りるとは思っていなかった。だから首を傾げたミチルから「条件つきだけど、いいわよ」と発せられて、逆に「マジかよ」と驚いた。あまりに茫然として、彼女に「何よその顔、帰りたくないの?」と言われたほどだった。
その条件とは。
鬼が出たらゲットマシンを向かわせるから、すぐに乗り込んで迎撃すること。状況によっては東京行きは諦めること。単独行動は禁止、隼人と一緒に行動すること——だった。
ちょうど、早乙女博士の代理として隼人が防衛庁に出向く用事があるらしく、要は竜馬のほうが「おまけ」だった。行動に制限がかかるが、それでも希望が叶ううえに隼人と一緒にいられるのだ。
実質、ふたりきりでの小旅行だった。
竜馬にしてみれば飛び上がるほど嬉しく、浮ついた気分になってしまうのは仕方がなかった。
「今呼び出されたら一生恨むわ」
竜馬が車窓の外を眺めながら言った。
「何か言ったか」
隼人は前方を向いたまま訊く。
「ああ、もし呼び戻されたら、鬼のクソ野郎はギッタギタのメッタメタにぶっ殺してやろうと思ってな」
「……」
竜馬の心中を思う。きっと、自分と同じなのだ。
「奇遇だな。俺もだ」
言って、助手席にちらりと目線をくれる。竜馬が振り向く。
「……へへ、だよな」
目が合うと、竜馬は照れくさそうに頬をゆるめた。
† † †
「どういう気持ちだ?」
後ろから竜馬に訊ねられる。
「いったい何のことだ?」
「んー、だってよ、おめえ、ここ襲ったンだろ」
「ああ」
「それなのに、正面玄関から『これこれの用事で来ましたぁ〜』って入るって、ヘンなカンジするだろ?」
そんな言い方はしていない、と突っ込みそうになるのを抑え、
「どうも思わん」
隼人は淡々と答えた。
「それより、その入館証は絶対首に掛けたままにしておけよ」
指を差して念押しした。
「わあってるよ」
ぷう、と子供のように竜馬がむくれる。
「にしても、着替えって必要なのかよ」
隼人はネクタイを結んでいる。わざわざスーツを持参し、更衣室を借りて着替えていた。
「一応な。組織対組織の話し合いで、俺は早乙女博士の代理だからな」
「ふーん」
「本当に一緒に来ないのか。同席が嫌なら、言えば控えの部屋くらい用意してもらえるはずだ」
「でもそこでじっとしてンのもな。食堂あるって言ってたろ? そこで何か食って待ってたほうが気楽だ」
「わかった」
隼人はメモを取り出し、さらさらとペンを走らせる。
「これを」
ぴっと一枚剥がし、竜馬の入館証のケース裏に差し込んだ。
「終わったら食堂に迎えに行くが、長引いたり行き違ったりするかもしれん。十五時までに俺が行かなかったらこの携帯番号に電話しろ」
「わあった」
「隣の棟にも食堂はあるはずだが、俺を待つのはここの棟の食堂にしてくれよ」
「隼人は昼飯食わねえで行くのか」
「ああ、そろそろ時間だ。それにさっき缶コーヒーを飲んだから問題ない」
「おめえ不健康だな。だから顔色[[rb:悪 > わり]]ぃンだよ」
「一言余計だ」
フン、と鼻を鳴らし、隼人は姿勢を正す。壁の姿見でネクタイの結び目を確かめ、全体をチェックする。
鏡越しに、竜馬がこちらを凝視しているのが目に入った。
「どうした? どこか変か」
身体をよじって鏡に写す。
「……」
「竜馬?」
「あ? ああ、いや」
「何だ、食い過ぎで今頃腹の調子でも悪くなったか」
からかう。すぐに竜馬がむっとして、
「ちっげーよ」
と返してきた。
想定より早く終わった。結果も上々、ひとまずミチルへはメールで簡単な報告を送った。これなら夕方以降は竜馬とゆっくりできる——そう思いながら隼人は食堂に入った。
混んではいなかった。すぐに竜馬を見つける。その周りに立つ三人の男の姿も。
「……」
スーツ姿ではあったが、その下の肉体は鍛え上げられているとわかる。
「おう、隼人」
竜馬の目線を追い、三人の男が一斉に隼人を見る。次の瞬間、揃ってびくりと身を震わせ、顔を背けた。
「あ……俺、提出しないといけない書類があったわ」
「俺も、確かそろそろ会議が」
「ああ、研修時間だな」
それぞれに言い、最後にちらりと視線で竜馬の身体をなぞると去っていった。
「何だぁ?」
残された竜馬はきょとんとしている。
「ま、いっか。それより早かっ……」
鋭い目つきと尖った空気の隼人に気づく。
「話し合い、うまくいかなかったのか?」
「…………いいや」
「……ふーん」
「……帰るぞ」
「おう」
竜馬は不思議そうに隼人を見上げた。
「なあ、何でさっきから黙ってンだよ」
唇を尖らせ、竜馬が問う。
「俺が何かしたのかよ」
「なあ」
表情にどんどん苛立ちが満ちていく。
「おい」
「隼人」
散々呼びかけられてから、やっと隼人は深く息を吐いて口を開いた。
「あの男どもは何なんだ」
ちっ、と舌打ちまでついてきた。
竜馬は目をしばたたかせ、「あぁ?」とさらに不機嫌そうな声をあげた。
「何だそりゃ」
「お前が訊くから今、言っただろう」
「何で俺がそんなふうに言われなきゃなンねえンだよ」
竜馬は頬を膨らませてそっぽを向いた。
「……ちっ」
ぎり、と隼人が歯噛みする。
「……あの男ども、お前をナンパしてたんだぞ」
「はあぁ?」
素っ頓狂な竜馬の反応に、やはりな、と思う。
「おめえ、何か勘違いしてねえか? アイツら、別にそんなンじゃ」
「——竜馬」
隼人の硬い声が車内に響いた。
「俺にはわかる。あいつらは、お前を好色な目で見ていた」
わかる、としか言いようがなかった。見られている本人に自覚はないだろう。当然だ。そう見られるように意識しているわけではないのだから。
「いや、待て。違うって。だって、おめえ——」
竜馬が否定する。
六つの瞳が昏い焔を宿しながら竜馬の身体を舐めていたのは確かだ。早乙女研究所でも時折、そういう目つきで竜馬を盗み見ている男がいる。
「……どこの所属だ、自衛官じゃねえンなら入らねえかって……いい身体してるなって誘われただけだ」
竜馬はありのままを告げた。
他人にどう見られるか、思われるかなど、本人には如何ともし難いことだった。わかっている。しかし自分で制御できない分、相手にあたってしまう。
「——ちっ」
自己嫌悪から、隼人は三度目の舌打ちをした。
盛夏の中、車を走らせる。外の明るい陽射しとは対照的に、車内の空気は暗く重かった。無言が続く。
やがて、信号待ちで停車する。
隼人がハンドルに置いた手の甲に額を押しつけた。小さな溜息が漏れる。
「……隼人」
竜馬は頰づえをつき、窓の外を眺めながら口を開いた。
「何だ」
互いに目を合わせない。
「……おめえのスーツ姿、カッコよかったぜ」
「——っ」
隼人が顔を上げる。
信号が青に変わり、再び車が流れ始める。隼人も車を発進させる。
そして少し経った頃、
「……竜馬」
今度は隼人が声をかけた。
「あンだよ」
「……その、悪かった」
竜馬が微かに息を呑む音が聞こえた。
「つい……イライラした」
気づかれているのだろうが「嫉妬した」とは言いづらかった。
「……ああ」
竜馬の返事からは硬さが取れていた。それで、ふたりの中でこの話は終わりだった。
† † †
竜馬の案内で大家の庭先に車を駐める。道中で買った菓子を手土産に老夫婦に挨拶し、一晩の駐車場を確保した。
「いつの間にあんな土産用意してたンだよ」
「むしろ、何も用意していないお前のほうが不思議だ」
そんな会話をしながら、道場まで歩いた。
「へへ、久しぶりの我が家ってか」
見るからに年季の入った木造平屋建てだった。窓ガラスが割れている。
「お、ああ、あれな」
竜馬が笑う。
「ジジイが飛びナイフ使いをけしかけて来やがってよぉ。電気もつかねえで中じゃ見えなくてな、そっから飛び出した」
引き戸に手を掛ける。
「あれ、俺閉めたっけ? 大家のバアさんか? ま、いっか」
がらりと開ける。
「今のでもわかンだろ? 襲われて麻酔打たれてそれっきりだったンだ。戸締りする間もあったモンじゃねえ。あったとしても盗られるモンなんてねえから、普段から鍵はかけてなかったけどな」
中に入ると、そこかしこにナイフが刺さったままになっていた。名札掛けから外れた木札が散乱し、当時の様子を残している。板張りの床には埃。正面奥の壁には厳めしい表情の中年男性の写真——きっと竜馬の父親だろう——が入った額縁。開け放たれている襖の向こうは小さな和室だった。タンスのひとつもない。
聞いていた以上に何もなかった。
竜馬を見ていると、何事にも頓着しない性格のように思える。だがつきあうほどに情が深い部分も感じていた。やはり、この道場は特別なのだろう。
「別に、何か取りに戻ってきたってワケじゃねえンだ」
竜馬が靴を脱ぐ。足裏が汚れるのも構わず、上がる。
「自分で何にも決めねえで家を出たからな。ほんの少しだけど、何か引っかかっててよ」
視線が道場の中に注がれる。
「たぶん、一回帰れたら、スッキリできるなと思ったンだ」
「…………そうか」
「まさか、帰れると思わなかった。しかも隼人つきで」
振り向いて、嬉しそうに微笑んだ。
「……そういや」静かに隼人が言う。
「ン?」
「買うものがあった。コンビニに行ってくる」
「おう」
「水道も止められてるんなら、使え」
ポケットから携帯用のティッシュとウェットティッシュを取り出して渡した。
「おめえ、こういうのほんとに用意いいな」
竜馬がしげしげと手の中を見つめた。
「とりあえず借りとく。道路に出て、左に行った先のコンビニはトイレ使えるぞ。右に行ったところのコンビニはトイレ貸してくンねえ」
「そうか」
「ウンコすンなら左だかンな」
「しねえから心配するな」
言って出ていった。
一時間は経っていなかったが、それでもしばらくののち、やっと隼人が帰ってきた。
戸を開ける音に、竜馬が道場の真ん中に寝っ転がったまま、顔だけをこちらに向ける。
「おう、ウンコ長かったな」
「……違う」
一応、否定する。靴を脱ごうとして——板張りがつやつやとしていることに気づく。
「拭いたのか」
道場の床全体が綺麗になっていた。ナイフも片付き、木札も元通り掛かっている。見回すと玄関脇にこれまた年月を感じさせるトタンのバケツと雑巾があった。
「ああ。ま、こんぐれえはな」
「水はどうした」
竜馬はへへ、と笑って身体を起こした。
「ここらはな、昔っからの家が多いンだ」
「……?」
「あちこちに井戸があンだよ。こう、ガシャガシャと押すと水が出てくるヤツ」
身振りで手押しポンプだと示す。
「実は道場の裏手にもある。だから電気もガスも止められても、水だけはタダで使い放題ってワケだ」
「なるほどな」
「まあ、冬の寒ぃときも冷てえ水ぶっかけられた思い出つきだけどよ」
がりがりと頭をかいて、膝元に視線をやる。
「……?」
傍らに小さな写真立てが置かれていた。隼人は竜馬の隣に腰を下ろす。
白黒の写真が収まっている。壁に掛けられた写真と見比べる。やはり竜馬の父親のようだった。
「残ってンのはこれと、借金ぐれえだ」
竜馬は二枚の写真を交互に指差した。
信念を曲げそうにもない、いかにも厳格な武道家のイメージそのものだった。眉毛の太さと強い眼差しが竜馬そっくりで、親子なのだと一目でわかる。
「いっつもこの顔だ。俺はもっと愛想いいだろ?」
「まあ、な」
「だろ?」
竜馬がおどけた。
「……コーラ、買ってきたぞ」
「おっ、さっすが隼人。やっぱ気が利くな」
ビニール袋を覗き込んで、それ以外のものもあることに気づく。
「日本酒?」
「ああ」
隼人はコーラのペットボトルを竜馬に渡す。それから小さめの缶のお茶と、ワンカップの日本酒を取り出した。
「お前の親父さんが酒を飲むのかわからなかったんでな」
写真立ての前に両方を供えた。
「…………おう」
「何だ」
「……いや、さんきゅ」
竜馬は缶のプルトップを開け、次いでワンカップの蓋を開けた。
「出されたモンは文句言わねえで飲み食いすっから大丈夫だ」
くすりと笑う。
「そうか」
隼人は写真立てを再び眺め——目を閉じて手を合わせた。
おそらくは、さほどの時間でもない。
目を開ける。視線を感じて横を向くと、竜馬が呆けたような顔でこちらを見つめていた。
「俺の顔に何かついているか」
「いや」
「……せっかくだからな」
「ああ…………いろいろ、あンがとな」
またふたりで、白黒の写真に見入った。
「久しぶりに食いに来たぜ!」
暖簾をくぐるなり、竜馬の肩越しに「あれえ!」と甲高い声が聞こえてきた。
「竜ちゃん! ほんとにしばらくだねえ!」
人懐こそうな中年男性が笑顔で厨房から身を乗り出している。
「前に来たのっていつだったっけねえ? 元気そうで何よ——おや」
隼人に視線が向く。
「ああ、コイツ、俺のツレ」
竜馬が親指で示す。
「へえぇー、竜ちゃんのお友達かい。珍しいね」
笑いかけられ、隼人はどうしたものかと竜馬を見た。
「ン? なじみのオヤジだ。大丈夫、ラーメンは美味いぜ」
「ははっ、久しぶりなのに『ラーメンは』だなんてなかなかの挨拶だねえ。兄さん、うちは牛スジも炒飯も美味いよ!」
「そうそう、牛スジ! オヤジ、それ二人前とビール、餃子も二人前に、俺は中華そばだな。隼人は?」
「……五目ラーメン」
「ってことでよろしく」
「あいよっ」
店主は冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、栓を抜いてカウンターにグラス二個と一緒に並べた。
「へへっ、研究所じゃこうはいかねえからな」
小声で言って、隼人を促した。
「そういや」
店主がカレンダーを指差す。
「今日と明日、神社で盆踊りだよ」
「お?」
竜馬は壁のカレンダーに目をやる。一日、二日に赤いマジックで丸印がつけられていた。
「ああ——そっか」
その瞳が少しだけ柔らかくなった。
「あとでちっと覗いてみるか」
「辰与会の奴らもウロチョロしてるから、気をつけるんだよ」
「心配いらねえよ、コイツも結構強えンだぜ。な?」
隼人の肩をばんばんと叩いて顔を覗き込む。
「ま、俺のほうが強えけどな」
つけ足して、得意げに鼻を鳴らした。
店主は「へえ!」と目を丸くし、
「兄さん、ほんとに竜ちゃんと仲がいいんだねえ」
嬉しそうに相好を崩した。
「——」
隼人の知らない、竜馬の世界。その端に触れられて嬉しくなった。
だがその小さな感動は、じっくり噛みしめる前に竜馬の言葉で押しやられる。
「そそ。だからさ、飯代は隼人持ちな」
「……何?」
「俺、金ねえンだわ」
にしし、と笑う。
今はいくらかもらっているだろう、と返そうとしたが、店主に出所などを訊かれたらまた面倒だと思い直し、隼人は素直に奢りを決めた。
「さっすが。できればツケの分もちょろっとでいいから出して欲しいンだけどなぁ〜」
「断る」
「ンだよ、けち」
「お前が金を貯めて、自分でまたここに持ってくればいいだろう」
「……」
竜馬は隼人の目をじっとみる。それから、洗い物をしている店主を。
「…………ン、そうだな」
呟いて、グラスに残ったビールを飲み干した。
† † †
花園神社は大いに賑わっていた。やぐら、太鼓の響き、スピーカーから流れる音楽。踊る人々の輪、立ち並ぶ屋台と店先を覗く人の群れ。
「この神社な、八月の頭に盆踊りがあンだよ」
楽しげに踊るのは浴衣姿の人々。それに仕事帰りなのかスーツ姿の男性やランニングシャツにステテコを穿いた年配男性、エプロンを掛けた女性に、これから夜の街に繰り出すのか髪を綺麗にセットした妙齢の女性。
眺めていると、スピーカーからはなぜか洋楽が流れてきた。それでも皆、盆踊りをしている。まさに雑多な新宿の縮図だった。ただでさえ蒸し暑い都内の夜に、人いきれと照明でさらに体温が上がる。
「俺らは盆踊りよりあっちだな」
竜馬は隼人のシャツを引っ張り、屋台に目を向けさせた。
「ラーメン食ったからな、焼きそばはパス。あっ、かき氷にしようぜ!」
まだ食う気か、と隼人が言う間もなかった。引きずられるようにして屋台に入る。
「おっちゃん! 俺イチゴ! 隼人は?」
「…………ブルー……ハワイ」
「じゃあそれ! えーと」
ジーンズのポケットをごそごそとやる。
「おっちゃん、千円からな!」
まるで売り子のように威勢よく声をあげて紙幣を出した。
「お前、さっき金がないって言ってなかったか」
かき氷を口に運びながら隼人が訊いた。独特の甘ったるいシロップだが、氷と一緒に食べる分には問題ない。塩気の強い食事を摂ったあとだったので、却ってさっぱりとして心地よかった。
「てっきり、昼までの飲み食いで使い切ったのかと思っていたぞ」
「さすがに、もうちっとは持ってきてる」
竜馬も真っ赤な氷を口に入れ、それから少しばつが悪そうに肩をすくめた。
「あー、ほんと言うとな」
「ああ」
「いっつもツケで食わしてもらって、けど本気で催促してくるワケじゃねえし、ほんと助かってンだ。悪ぃなって思ってる」
「ああ」
「今回持ってきた分全部で払ってもまだツケはあンだけどよ、何か……一回払ったら安心されて——忘れられてしまいそうで」
スプーンストローでざくざくと氷をつつく。
「あんまうまく言えねえけどよ。いつまでも払わねえでいたほうが『まだ払いに来ねえな』『アイツどうしてっかな』って覚えててもらえそうで」
何となく、言いたいことはわかる。わずかであっても「繋がり」を残しておきたいのだろう。
「だが、あの店主はツケの回収自体はどうでもいいと考えていると思うぞ。昔なじみなんだろう?」
たぶん、目が離せない危なっかしい息子か甥っ子のような気がするのだろう。話ぶりや表情から本当に竜馬のことを気にかけている様子がわかった。ツケを綺麗に返したとしても、それであっさり切れる縁には思えなかった。
「ああ。きっと……そうだと思う。だけどよ、ツケがチャラになるモンでもねえだろ」
「まあ、な」
「払いたい気持ちはあるんだぜ」
「だから、金を貯めて自分で持ってくればいいと言っただろう」
「……それ、な。いつになるかわかンねえけど……そう、だよな」
頷いて、ばくばくとかき氷を頬張った。
「ぐっ、あっ——」
そして顔をしかめる。
「急いで食うからだ」
隼人が笑う。ちらりと覗いた舌は青くなっていた。
「な、おい」
またしても竜馬が隼人のシャツを引く。
「おめえ、アレ得意じゃねえのか」
「アレ?」
指差す方向を見ると、射的の屋台だった。
「苦手だと思うか?」
唇の端を上げる。
「いいや」竜馬も同じように笑う。
「どれが欲しい?」
「ンー」
竜馬の大きな目がクリクリと動く。やがて、一番上の棚にある景品に留まった。
「あそこの、右から三番目のあのでけえロボット」
「わかった」
隼人が自信たっぷりに財布を取り出した。
「おわっ!」
一分後、無垢な子供さながらに瞳をキラキラとさせて竜馬がはしゃいでいた。
「すげえ!」
狙い通り、人形の頭に弾が命中した。ど真ん中ではなく、頭頂部の鉢のようになっている部分の内側。下から斜め上に弾き上げると、右方向に回転して自重であっさりと棚から落ちた。
「はあぁー」
恰幅のいい店主が目を丸くした。
「兄ちゃんの彼氏、やるねえ」
感嘆し首を横に振る。竜馬は「だろぉ?」と自分が褒められたかのように満面の笑みで答えた。
「何たってコイツ、テロリ——ぎゅ」
後ろから隼人の左手が伸び、竜馬の大きな口を塞いだ。
「もが」
ギッと隼人が睨む。
「ン——んぐ」
意図に気づいて竜馬は言葉を呑み込んだ。
「ははっ、仲がいいねえ。じゃあ、これだね」
倒れた人形を竜馬に手渡した。
「これ、マンガのヤツか?」
「……マジンガーZ、とあるな」
隼人がタグの文字を読み上げた。
「へえ」
両手で目の前に掲げて、じっくりと眺める。
「なかなかカッコいいじゃねえか。ここが黒と青ってのが渋いし、胸ンとこの赤もカッコいいな」
可動式らしく、腕を上げ下げし肘を曲げ、首を軽くねじってみる。
「……でも、ゲッターの赤だってすげえカッコいいよな」
共有の秘密をささやいて目を細めた。
「兄ちゃん、まだ二発、弾が残ってるよ」
店主が促す。
「おし。隼人、俺にも撃たせろ」
竜馬がやる気に満ちた目で人形を隼人に押しつけ、銃を奪い取った。
さらに一分後、竜馬の「ぐあぁっ」という悔しそうな叫び声があがった。
「こっちの兄ちゃんも腕はなかなかだったねえ。惜しかったけど」
店主の顔はどこかほっとしていた。
「悔しいけど……まあ、これ獲れたモンなぁ」
残念そうに眉毛を下げながらも人形を抱えた。
「じゃ、おっちゃん、あンがとな」
竜馬が人懐こく笑った。
「ああ、そうだ。兄ちゃん」
背中を向けると、すぐに屋台の店主が呼びとめた。
「竜馬?」
隼人が振り向くと、竜馬と店主が何か話していた。
「……?」
「あンがとな!」
礼を言って竜馬が戻ってくる。
「どうした?」
「ン? 何でもねえよ。でけえ景品獲れてよかったなって」
戦果を胸に抱いて答えた。
人の流れに逆らわないように、ゆっくり店を眺めながら進む。
「竜馬、さっきの」
「うン?」
逡巡したのち、やはり口にしたくなって隼人が切り出した。
「ん、いや」
だが言い淀む。
「どした?」
人混みのせいで距離が近い。間近で見上げられて、隼人の鼓動が跳ねた。
「……さっきの、射的の」
「ああ」
また、押し黙る。竜馬からも目を逸らした。
「何だよ、言えよ」
竜馬が人形の右手で隼人の胸にジャブをお見舞いする。
「……『彼氏』と言われて、その」
ちろりと竜馬を見る。
屈託なく、ためらうことなく、「だろぉ?」と答えた——本当に、嬉しかった。
意味を察して、竜馬が先刻と同様に思いきり笑顔を咲かせる。
「だって、そうだろ」
隼人の顔がカッと熱くなった。
「それに、ここ新宿だしな。そういうカップルも多いから、フツーだぜ」
とん、と頭を隼人の胸につけた。
「——」
竜馬、と呼んで腰を抱こうとしたとき、
「はやと!」
ふたりきりのときにだけ聞く、甘えた鼻声があがった。
「たこ焼き食いてえ」
指差す先の屋台。張り巡らされた黄色地の幕に赤い大きな文字で『たこやき』と書かれている。
「な、食べようぜ」
恋人に上目遣いで可愛くねだられたのなら、内容を問わず承諾するのが男の本懐というものだろう。その心意気のままに、隼人は大きく頷いた。
「——竜馬?」
たこ焼きが入ったビニール袋を受け取ると、傍らから竜馬が消えていた。
「あの馬鹿」
聞かれていたら目を三角にして怒られただろう。しかし今はそれよりも、人波に消えてしまった竜馬が心配だった。
「竜馬」
竜馬の行方をしつこく探っているヤクザもいる。誰に聞かれているかわからない。だから大っぴらに名前は呼べなかった。それでも本人の耳に届くかもと思えば口に出さずにはいられない。
「竜馬……!」
静かに呼ぶ。携帯を支給されているのは隼人だけだ。竜馬が連絡手段に気づいて公衆電話からかけてくれるのを待つか、自力で探すしかない。
メインの参道から外れ、人が少ない暗がりから竜馬を探し続けた。
そうしてより暗がりに入り込んだ頃。
明らかに通常の人間——いわゆるカタギ——とは異なる気配を発する集団を見つけた。無秩序で荒れた匂いだった。
気取られないよう背後に回る。相当の下っ端らしく、べちゃべちゃと雑談ばかりしていた。
そのうち「辰与会」「道場」「流竜馬」というキーワードが流れてきた。間違いない。どこからか嗅ぎつけ、竜馬を狙っているのだ。
このままやり過ごすか片付けるか、と迷って周囲を見渡すと、竜馬の姿が確認できた。
ややあってこの集団も気づいたようだった。空気がざわつき、乱れる。急襲の際にこうなると、足並みが揃わずに大抵は失敗する。隼人はその未熟さにあきれながらも、プロフェッショナルではないがゆえに想定外の事態が起きるかもしれないと警戒した。
しばしの時間が流れる。
やがて、坊主頭の男が懐から短刀を取り出した。抜き身にして構える。竜馬がきょろきょろとしながら、徐々にこちらに向かってきた。
隼人が動く。
「流竜馬をやるのか」
「おう! 当然よ! アイツをやらねえとこっちの[[rb:面子 > メンツ]]が……え?」
男が振り向くより早く、隼人の右手がその坊主頭をつかまえた。
「なっ、何だ、テメエ⁉︎」
周囲の男たちが隼人を取り囲む。
「ぎっ、が、ああぁっ」
隼人の指先が白くなる。頭蓋に加えられる圧力と恐怖に、男は白目を剥いた。
「ひぎ……っ、あ、ああっ!」
男はダウン寸前だった。隼人は指の力を抜き、男が沈む直前に爪で頭部をえぐった。声は聞こえなかった。
「そっちの面子なんざ、知ったことじゃねえな」
吐き捨てる。
「な、な……」
「きさま、仲間か⁉︎」
人相の悪い男どもが色めき立つ。
「やっちまえ!」
隼人は飛んでくる拳をごくわずかな動きだけでさばく。ウォーミングアップにもならない。
フン、と鼻で笑い、正面の男の股ぐらを思いきり靴先で蹴り上げる。鉄板が入っているので感触はわからない。だがきっと潰れただろう。そのまま右手で裏拳を放ち、背後の男を黙らせる。く、と身体をねじって左脚で右側に立つ男をなぎ倒す。
そうして幾度かまばたきをする間に、ガラのよくない男どもは全員、地べたを舐めていた。
「隼人!」
竜馬の声が聞こえた。
「どこいたンだよ、探した——ン?」
駆け寄り、隼人の足元に転がっているチンピラ風情に気がつく。
「コイツら!」
「例のなじみのヤクザか」
「ああ、そうだ。こりゃ……ぷっ、くくっ」
ある者は恐怖の表情のまま、あるいは涎を垂らし、別の者は股間に染みが——。
「うひひっ、こりゃあいいぜ」
愉快そうに笑う。
「たまには俺以外にも強えヤツがいるって教えてやンねえとな」
「……この程度ならお前や俺に教えられるまでもなく、他のシマの連中にやられるだろう?」
「あー、まあ、確かにな。鉄砲玉にもなりゃしねえな」
「手下がこれじゃ、兄貴分は苦労するな」
「だな。……それにしても、おめえのこと知らねえのかな」
「うん?」
「おめえ、筋者にも知り合いいるンじゃねえの?」
「組長クラスなら少しは、な。どのみちこんな三下なら俺の顔は知らねえだろうがな」
「へへっ、知らねえって、おっかねえな」
伸びている男の腰を爪先でつついてから、
「あっちで食おうぜ、せっかくのたこ焼きがマズくなる」
隼人の袖を引いた。
† † †
神社から少し離れた小さな公園に入る。建物同士に挟まれた隙間。植え込みの陰にふたり掛けのベンチがあった。
「ここ、穴場なンだぜ」
竜馬がどっかと座る。膝の上には景品のロボット人形。
「こういう公園があちこちにあってな。昼寝すンのにちょうどいい」
隼人も左隣に腰を下ろす。蒸し暑いのは変わらないが、それでも風は通り抜けるし、祭り会場特有の強い照明や発電機の排熱から離れた分だけ涼しく感じられた。
「緑があると、虫にはちっと食われるけどな」
ぺち、と竜馬は自分の左腕を叩いた。
「うし、食おうぜ。缶ビール買ってきたからよ」
持っていたビニール袋から取り出す。これを買いに行って、隼人とはぐれたのだろう。
プシ、とプルトップを開け、ふたりの間に置く。隼人もたこ焼きの容器を開ける。ソースの濃い匂いの中に、青のりとかつお節の香りがほのかに漂った。
竜馬が楊枝を手にする。
「いっただき——あ?」
だがたこ焼きに手をつける前に声をあげた。
「隼人、ここ」
「ん?」
「血が出てる」
言われて右手を返す。甲の小指付近に引っかき傷ができていた。確かに血が滲んでいる。
「さっきやり合っている最中にこすれたんだろう。表面が切れただけだ」
「ン」
竜馬が右手をつかみ、引っ張る。
「竜馬?」
傷に唇が押しつけられた。
「——」
血を舐めて、ちゅ、と軽く吸う。
「迷惑料だ」
唇を離し、にっと笑った。
「……それなら」
「ン?」
「殴られて口の中を切っておくべきだったな」
隼人が残念そうに零す。竜馬はきょとんとしてから、
「そんなンでキスしたら、ぜってー痛えぞ」
あきれたように眉頭を寄せた。
「あふ」
ビールを回し飲みしながら、たこ焼きを食べる。まだ中は熱く、祭りの名残りを感じるには十分だった。盆踊りはなおも続いているらしく、音楽に太鼓の響きが乗って聞こえてくる。スピーカーからは迷子のお知らせや出店の案内、町内会の紹介が時折流れていた。
「む、ちゃんとタコが入ってら」
「たこ焼きなんだから入ってるだろう」
「な……」
竜馬は信じられない、といった表情で隼人を見た。
「何だ」
「……隼人、おめえ倖せモンだな」
「何?」
「タコが入ってねえたこ焼きだってあるンだぜ」
「……」
「八個入りだったら、一個ぐれえハズレがあるときもな、あンだよ。特に人出のある祭りじゃな」
ま、ワザとじゃねえンだろうけどよ、と続けてもうひとつ口に放り込んだ。
「ふ、ふは……っ、…………ん、ンん?」
「……竜馬?」
またしても竜馬は目を丸くして隼人を見た。
「どうした、詰まったか?」
ビールの缶を差し出す。しかし竜馬はその顔つきのまま首を横に振る。どうやら違うらしい。
「ン、ぐ…………」
喉が大きく動いた。
「……二個」
ぽそりと言った。
「何?」
「今の、たこ焼き」
「ああ」
「二個入ってた」
「……は?」
「タコ。二個」
「……」
「やった、当たりだ」
にっかり笑って、隼人にももうひとつ勧める。
「へへ、もうロシアンルーレットみてえだな」
たこ焼きを頬張る隼人を見守った。
「…………」
柳眉がしかめられる。今度は竜馬が訊ねた。
「どうした?」
「…………」
むぐむぐと咀嚼し、飲み込む。
「……入ってねえ」
何が、と訊く必要もなかった。
「う……ふ、ふふっ、ふはっ」
竜馬が笑い出す。徐々に声が大きくなり、終いには人形ごと腹を抱えて笑い転げた。
「ひっ、ひっ! ハズレ! うはははッ! やっりぃ!」
隼人は最初こそむすりとしていたが、竜馬の心底楽しそうな姿を見て、やがて笑顔を浮かべた。
残りのたこ焼きにはちゃんとひとつずつタコが入っていた。二本目のビールで流し込む。
「屋台のたこ焼きなンて、久しぶりだ」
竜馬が夜空を仰ぐ。木々の隙間からビルの明かりと、そのずっと向こうに星が見えた。
「あの神社、五月の祭りじゃ神輿が出るし、十一月にもでっけえ市があってな。たくさん屋台が並んで、見世物小屋も出て、人がもっとすげえンだぜ」
「そうか」
「まあ、俺ンちはそういうの、関係なかったけどよ」
「……そうか」
隼人も天を見上げる。
街はこんなにも明るいのに、ちゃんと星のきらめきも目に映った。
「なあ」
竜馬が口を開く。
「おめえ、金持ってんだろ」
「……カツアゲみたいだな」
せっかくいい雰囲気になったのも束の間、やはり竜馬は竜馬だった。隼人は苦笑する。
「食事代と宿泊費くらいならもらってある。飲み足りないなら、どこか店に入るか?」
ビールをあおりながら訊く。竜馬は「いいや」と断り、続けた。
「ラブホ行こうぜ」
ブッ、と隼人がビールを噴き出した。
「おわっ!」
竜馬が身をよじって避ける。
「ンだよ」
それでも大丈夫かと隼人の顔を覗き込んだ。
「……唐突だな」
けほ、と軽く咳き込む。幸い、服は無事だった。
「だってよぉ、俺ンとこクーラーねえし、そもそも電気つかねえし。押し入れに布団はあるはずだけどよ、仕舞いっぱなしで俺も寝たくねえ。さっきのお礼参りに団体客がやってくるかもしンねえし」
「だからって、ラブホテルじゃなくてもいいだろう」
「コレ、さっきもらったンだよ」
尻ポケットから何かのチケットを取り出す。
「さっきって……ああ、射的の」
店主が竜馬を呼びとめ、何やら話していた。
「そそ。ラブホの割引券」
隼人の目つきが険しくなる。
「ここは駄目だ」
「へ」
「そうやって割引券をばら撒いたりするのはな、盗撮カメラが仕掛けられていることが多い」
「げ」
「そうやってどんどん人を呼び込んで、よさそうなモノを見繕って素人盗撮物としてAVにする」
「……マジかよ」
「経営者はヤクザ絡みだろうな」
「はあぁ〜」
竜馬は感心したともあきれたとも取れる溜息をついた。
「もっと綺麗で、セキュリティのいいホテルがあるだろう。ビジネスホテルでも十分だ。金なら出すからそっちに泊まろうぜ」
しかし竜馬は不満げに口を尖らせた。
「けどよぉ、一回ラブホ行ってみてえ」
「何?」
「安くても、ちっと古くてもいいからよぉ、『いかにも』ってとこ」
食い下がりように隼人が首を傾げた。竜馬が言う。
「『次』なンてねえかもしンねえだろ」
さらりとした口調とは裏腹に、重い言葉。
「今日はせっかくドライブして、俺ンち来て、外食して、屋台をはしごだぜ」
「……ああ」
「少しばかり変なカンジにもなったけどよ……これって、めちゃくちゃデートじゃねえか」
「ああ」
「一回ぐれえ……フツーのことがしてえだろ」
「——」
隼人の胸が詰まった。
「だから、隼人とラブホに行きたい」
迷う理由も、断る理由もどこにもない。
隼人は黙って右手で竜馬の頭を引き寄せた。胸に抱き、撫でる。
「……はやと」
胸に置かれた竜馬の手が、きゅ、と握られた。
「はやとの心臓、すげえバクバクしてる」
「……当たり前だろう」
「へへ、俺もだけどな」
ぐい、と鼻先をこすりつけてくる。
「……竜馬」
呼ぶと、ゆっくり顔を上げた。
隼人はそっと口づける。
軽く、けれども舌が触れ合う、恋人同士のキス。
唇が離れる。
上目遣いではにかんだあと、竜馬が「ン」と自分の上唇をぺろりと舐めた。
「……ソース味のキスって、フツーか?」
「屋台デートしたら普通だぞ」
「ンじゃ、そういうことにしとくか」
今度は竜馬からキスをした。
「……なあ、行こうぜ」
「ああ」
ふたりは立ち上がる。
「手、繋ごうぜ」
竜馬が左手を差し出す。隼人はごく自然に右手を出して応える。
「じゃあ、どこにする?」
「お前が割引券もらったところでいいだろ。せっかくだしな」
「なあなあ、ラブホってでけえ風呂あンだろ? 一緒に入ろうぜ」
「構わないが、まずはカメラ探しだ。まあ、管理人を締め上げれば一発なんだがな」
「それ、明日の朝でもいいだろ」
聞いて隼人の眉が怪訝そうに動いた。
「誰かに見られていると思うほうが興奮するのか?」
「おめ、ちょ、ばっか!」
ぽんっと竜馬の頬が赤く染まる。
「ちっげえよ! それやると怖ーいオニーサンたちが湧いてきて面倒事になるから、やるンなら明日出てくるときのほうがいいンじゃねえのって」
隼人がくすりと笑う。
「そうだな——そのほうがビデオも手に入るかもしれないしな」
「うわ、ヘンタイ!」
「自分たちがしているビデオを見ながらするのも、案外クセになるかもしれんぞ」
「〜〜〜ッ」
竜馬は照れて、それでも本気で嫌がるふうでもなく、隼人を見上げる。
「普通が続いたら、そのあとには変わり種も必要だろ」
いたずらな目つきで隼人が言う。竜馬の口元がゆるむ。
「はやとのスケベ! ヘンタイ!」
街明かりに竜馬の笑い声が溶けていく。
雑踏に倖せそうなふたりの姿が吸い込まれて——。
ふたりだけの夏はもう少し、続く。