流竜馬が知らないこと

新ゲ隼竜

つきあってません。
ふとした弾みで隼人に殴りかかり、小さなケガをさせてしまう竜馬。本来ならよけられるはずなのに、と気になってしまう。謝るのも癪だけど、そのまま無視もできなくて隼人の部屋を訪ねていくお話。キスまで。隼⇄竜。ただし竜が無自覚、無意識。約4,000文字。2022/1/25

◆◆◆

 くそ、と毒づきながらも、やめようとは思わなかった。
 知っている。
 悪いのは自分だ。
 ただ、癪なだけだ。
 竜馬は三度、深呼吸する。それでも足りなくて、もう一度。
 そうして心を決めた瞬間、目の前の扉が急に開いた。

   †   †   †

 いつもの喧嘩だった。竜馬と弁慶が互いに殴って、蹴るを繰り返す。合間に怒鳴る。
 止めに入ろうという所員はもちろんいない。誰だって自分にその暴力が向けられるのは嫌だ。早乙女博士に連絡を入れ、あとは知らぬふりで整備やデータの確認に集中していた。
 隼人は少しだけふたりのやりとりを眺めたあと、格納庫を出ようとしていた。嫌みは一昨日言ったし、苦言は昨日。改めて今日も伝えるのは馬鹿らしい。
「ふっざけンな!」
 続けて、うぐ、と呻く声。
 腹か、胸か、と隼人は考える。たぶん、腹だろう。昼飯後だったら吐くだろうな、と思った直後、気配を感じて素早く振り向いた。
「——」
 竜馬の背中が目の前に迫っていた。
 咄嗟に腕を広げ、受けとめる。
「……ぐ」
 勢いに押され、半歩よろめいて下がる。足を踏み締め、それ以上はこらえた。
 竜馬をきゅっと抱きしめる。
「ンなっ⁉︎」
 隼人の存在に気づいた竜馬がびくりと身体を震わせ、慌てて腕の中から抜け出た。
「さ、触ンな!」
 そのまま上体をねじり、右アッパーを放つ。
「——っ」
 一瞬、隼人の反応が遅れる。
 顎への直撃は免れたものの、かわしきれずに右拳が左目をかすめた。
「え——」
 隼人自身よりも驚いたのは竜馬だった。目を大きくし、動きを止めてしまう。
「……あ」
 まさか、という表情だった。
 隼人は指の腹で目蓋をなぞる。グローブに血がついた。
「……」
 視線を竜馬に向ける。
「な——」
 かち合うと、ばつが悪そうにふいと逃げた。
「ひ、人の身体ベタベタ触ンじゃねえよ」
「言うに事欠いてそれか」
 唇に笑みが浮かんでくる。竜馬らしい物言いだと思った。
 竜馬の口元が動く。だが言葉は出ず、また閉じられてしまった。
「いつまでじゃれている」
 そのとき、早乙女博士が下駄の音とともに現れた。すぐに異変に気づく。
「医務室で診てもらってこい」
「いや、たいした傷じゃない。血もすぐ止まる」
「そういう問題ではない。腫れると視界が狭まる。不意の出血は集中力を削ぐ。念のため、眼球に異常がないかも確認してこい」
「——わかった」
 隼人は小さく息をつき、素直に頷いた。
「まったく、余計な手間をかけさせおる」
 博士は横目でじろりと竜馬を見る。
「あ? 俺だけかよ? ざけンな。だいたい先に殴ってきたのは弁慶の野郎だし、今のだってよけねえ隼人のほうが悪ぃンだ。あんなノロマでゲッター2のパイロットかよ。へっ、笑わせやがる」
 眉をつり上げ、腕組みしてぷいと横を向く。
「いい加減、学習しろ。猿のほうがよっぽど物覚えがいいわ」
「はっ⁉︎ そんなら猿でも乗せりゃいいだろ! 俺様がいなくて後悔すンのはそっちだからな!」
 しかし場慣れしきった博士には通用しない。顔の皺ひとつも動かさず、背を向けた。
「——くそっ」
 竜馬がぎり、と歯噛みした。

「いい加減、謝ったらどうだ」
「誰が、何を」
「隼人のことだよ」
 ち、と舌打ちをし、竜馬が目線を逸らす。
「そんなに気にするなら謝ったほうが楽だって」
 弁慶は「な」と促す。
「気にしてねえよ」
 口を尖らせ、竜馬が否定する。
「よけねえアイツが悪ぃ」
「どこか具合が悪かったのかもしれねえなぁ」
「何」
 竜馬は立ち止まり、弁慶の顔を見る。からかっている表情には見えなかった。
「だって、あの隼人がだぞ」
 竜馬の拳が隼人には当たらないと言われているのと同じだった。普段なら激昂する場面だ。だが、今ばかりはそうならない。
 もちろん、本気だったわけじゃない。かわされるのも想定済みで、そのうえで威嚇したつもりだった。
「何か悪いもん食ったとか」
「……おめえじゃねえンだからよ」
 どこか呑気な弁慶にあきれながらも、意図しない方向の話で戸惑う。
「……」
 瞳の行先が定まらない竜馬に気づき、弁慶が背中をバシンと叩いた。
「あだっ!」
「そんなふうになるくらいなら、一言さっさと謝っちまえよ。第一、隼人がいなかったらお前、壁にぶつかってただろ」
「——」
「それで明日は全員、元通りだ。なっ?」
 わかった、という代わりに、竜馬は口をへの字に曲げた。

   †   †   †

 静かに自分を見つめている瞳を見返せない。
「……ン、その」
 情けないほどに動揺していた。
 けれども、悟られたくなかった。それをネタにからかわれるのはごめんだった。
 隼人は無言で踵を返す。
 部屋の扉は開かれたまま。
 入ってもいいのだと判断する。竜馬は唾を飲み込み、隼人の背中を追いかけた。
「隼人!」
 もしかしたら、いつもよりキーが高かったかもしれない。だが言い直すこともできなかった。
 ちきしょう、と胸の内で毒づく。
 隼人は竜馬の調子を狂わせる。たぶん、いつも冷静な佇まいがそうさせるのだ。竜馬のタイミングをずらされる。リズムが崩され、気づかない間に心が乱されていく。
 今もそうだ。
 決心しているのに、どこかでためらっている。なぜだか不安で、焦りが湧いてきて、そんな自分を見透かされているようで落ち着かない。自分のペースを取り戻せない。
「……目は……どう、なンだよ」
 視線が交わらないように、頭の先からそろそろと下ろしていく。左目蓋には白いガーゼとテーピングが施されていた。
「眼球に異常はないし、表面が切れただけだから化膿もしないだろう」
 まったく変わらない隼人の響き。竜馬は心配して損した、とばかりに息をひとつ、吐いた。
「それで?」
 少しだけ含み笑いをしているような声が聞こえた。
 思わず顔の真ん中を見て——目が合う。
「——」
 隼人が笑っていた。
 まるで、竜馬の反応を楽しむように。次にどんなことを見せてくれるのか期待しているかのように。
「……く、そ」すぐに顔を背ける。
「……」
 息を止め、ぐ、と拳を握る。
「竜馬?」
「……ああ、もう」
 首を横に振る。ふうっ、と息を吐き切り、大きく吸い込む。
「くそ、やるならやれよ! さっさとしろ!」
 顔を上げ、叫んだ。
「一発だけだからな!」
「珍しいこともあるもんだな」
「何かこう……スッキリしねえンだよ。だから」
 悪かった、とどうしても言えない。
「後悔するなよ」
 隼人が近づく。
「は? あンだよ、その言い方」
「そのままの意味だ」
「後悔って——」
 左頬に隼人の手が添えられる。
 すり、と撫でられる。
「まさかおめえ、奥歯吹っ飛ばすつも、り」
 まだその先に言葉は残っていた。だが唇が塞がれて、出てこなかった。
 わずかな時間。
「…………へ」
 唇が離れても、数センチの距離しかなかった。
「え、え?」
 ぱちぱちとまばたきをする。
 本当なら、頬でも腹でも隼人が気が済む場所を殴らせて、それで——。
「お、あ! ちょ、ちょっ……!」
 また、唇が下りてくる。
「……っ!」
 身体が硬直する。
 今度ははっきりと、キスをしているという自覚があった。唇が重なるだけのキス。
 隼人からの言葉はない。
「な、何だよ! こ、こんな——ン」
 背中に手が回される。
 手首を掴まれ拘束されているわけではない。いつでも逃げられる。
 けれども、動けない。
 あたたかくて柔らかい。不覚にも、心地いいと思ってしまった。
「……っ」
 どうしていいかわからず、強く目を閉じる。小さなキスが何度も竜馬の唇に注がれる。気づけば、心臓が破裂しそうな勢いで跳ね回っている。息苦しくて、痛みさえ感じるほどだった。
 いっそ、噛みつくように乱暴にしてくれたほうがよかった。そのほうが、思いきり殴って、なじって——忘れられる。
「元通り」には到底、なれっこない現実。
「……っふ、ン」
 甘えるような吐息が零れてしまい、恥ずかしさで頭の中が真っ白になる。
 何で、こんなことになっているのか。懸命に考えようとするたびに、隼人の唇に邪魔をされる。
「——⁉︎」
 首筋に隼人の指が触れる。つ、と滑り下りて鎖骨をなぞられた。
「ばっ……な!」
 ようやく我に返り、隼人の肩を押し戻す。
「なっ、何しやがる⁉︎」
「お前が言ったんだろう」
 両腕で抱きしめられる。
「ひあっ、なっ⁉︎」
 何とも情けない奇妙な声が漏れた。
「お、俺っ、ンなこと言ってねえ!」
「『やるならやれ』『さっさとしろ』ってな」
「ばっか! 殴っていいって意味に決まってンだろ⁉︎ は、放せ!」
「そうは言わなかった」
 ぐぐ、と隼人の顔が寄ってくる。
「く、くそ……」
 右手を隼人の顎にあて、自分を守る。しかし、
「ぉわぁっ⁉︎」
 その指をぺろりと舐められて手を引いてしまう。
「おめえ! さっきから……ひうっ」
 今度は尻を撫でられる。
「てっ、てめっ、何やりたい放題してっ……ンんっ」
 隼人の理屈が通るなら『一発だけ』と竜馬は添えたのだから、何度もキスをするのはルール違反だ。矛盾している。
 わかったのに、指摘する間もなくキスが思考を奪っていく。
「ん……!」
 竜馬は知らない。
 あのとき、隼人に何が起きていたのか。
 反射ではなく、手放したくなくて、自然に抱きしめてしまった。鼻の先に残った竜馬の香りに気を取られ、拳をよけきれなかった。
 今のキスにどれだけの本気が溶けているのかも、竜馬は知らない。
 顔が離れた瞬間、目が合う。いつもの冷めた眼差しではない。どこか彼方ではなく、目の前の竜馬だけをじっと見つめている。熱まで感じる視線。
「————」
 瞳の奥に見惚れていると、また口づけられた。優しい唇。
 舌がそっと唇の縁をなぞる。初めての感触に、ふる、と竜馬が震える。残っていた冷静さが崩されていく。

 そしてもうひとつ。
 知らないことが残っている。
 隼人にキスをされて、抱きしめられて、どうして振り払えないのか。逃げ出せないのか。嫌な気分になるどころか、雨に濡れた仔犬のように小さく震えるしかないなんて。

 ——ああ、俺。

 いったいどうしちまったんだろう。

 どこに流されていくのかわからなくて、思わず隼人のシャツを掴む。自分を抱きしめている腕にもっと力が込められるのを感じた。

 ——もっと、キスして欲しいだなんて。

 どうしてなのか。
 竜馬はまだ、知らない。