つきあってません。
隼⇄竜。
新炉心テスト後、竜馬が研究所を出ていく数時間前のお話。竜馬の体感時間で黒平安京に行ってからゲッターの改造とテストまでで一週間から十日くらいの設定にしてます。
テストのことが気になって夜中に竜馬を訪ねる隼人と、部屋を片付けている竜馬のやりとり。竜馬がいつもと違う印象で思わず隼人からキスをしますが、それ以上の進展はありません。
まだゲッターも竜馬も傍に在ると思っている、思おうとする隼人ですが、ふたりとも気持ちは隠したままで、あばダチまっしぐらルートです。ここで両思いになれなくても大丈夫な人向け。隼人寄り視点。約5,000文字。2022/5/29
◆◆◆
訊くのも面倒くさいとばかりに、それでも心底嫌そうな顔ではなく、竜馬が「あンだよ」と視線を寄越した。
「——いや」
喉がつかえてスムーズに声が出てこなかった。なぜかはわからない。ただ、胸の奥がざわめいていた。
「何を、している」
隼人は努めて冷静に問う。
「見てわかンねえのかよ」
竜馬が手を動かすたびに、床に置いた段ボール箱にバサバサと紙が落ちていく。
「掃除だ、掃除。今、何て言うンだっけ?」
今度はボールペンを手に取る。
「一昨日だっけか、テレビで見たンだけどよ。えーと、ダン、ダサ……えー、何つったけ。大掃除のこと、ほれ」
眉間に皺を寄せながらボールペンを振る。
「断捨離」
隼人がぼそりと答えると皺が消えた。
「そう、それ!」
ボールペンの頭で隼人を指し、にっかと笑った。単に大掃除や片付けを意味する言葉ではないが、指摘すると文句が先にきて話が進まないのは容易に想像できる。だから隼人は黙って続きを待った。
「聞いたことのねえ言葉が流行ってンの見ると、ほんとに三年経ったンだなって思うよな」
紙の端にペン先を走らせる。インクが出なかった。別のボールペンも試してみる。それも書けない。竜馬は「ちぇ」と小さく零すとポリ袋に放った。
デスク上から紙の束が消える。しかし引き出しを開けると、無造作に押し込まれた別の束が再び現れた。掴んでは放る。その中の一枚がひら、と舞い、隼人の足先に滑空してきた。
「……」
竜馬にしてみればせいぜい十日、けれども研究所にとっては三年も前の、食堂の新メニューを知らせるチラシだった。
近づき、箱の中を確認する。訓練のスケジュール、ブリーフィングの資料、出撃時のシンクロデータ、メディカルチェックの結果、理美容室やレクリエーションルームなどの案内——様々だった。
「捨てたあとでジジイにどやされるよかはマシかと思って溜めてたらよ、こんな有り様だ」
ふん、と鼻を鳴らす。
「……こんな夜中にか?」
「悪ぃか? 思い立ったら何とやらってヤツだ」
「今まで散々、思い立つ時間はあったろう?」
「ンだよ、人のすることにケチつけンじゃねえよ」
口を尖らせた。
「おめえにメーワクかけてねえだろ」
視線は手元に残したまま紙を放る。隼人が静かに訊く。
「何があった」
「何って?」
目を合わせない。
「とぼけるな。ゲッターのテスト——」
「おめえだって見てたろ」食い気味にかぶせてくる。
「あれが全部だ」
違和感に隼人の目が細められる。間髪入れずに返ってくるのは、あらかじめ用意されていた答えだからだ。
問いを変える。
「……何を見た」
一瞬、竜馬の動きが止まった。強張った手から離れた紙が床に落ちて、ぱさりと乾いた音を立てた。
「——何も」
淡々とした声。
「ちっと気ィ失っちまっただけだ」
この掃除だって、と続く。
「三年、留守にしちまったからってだけだ」
抑揚なく言い、口をつぐんだ。作業が再開される。
「……」
隼人は胡乱な目つきで見やる。竜馬の身体からは先程までとは明らかに違う、張り詰めた気が発せられていた。
極度の負けず嫌いな竜馬にしてみれば「気を失った」のは失態と同義であり、確かに言いたくないことなのだろう。蒸し返されたくないのはわかる。
だが本当にそれだけか。
視界に入っているだろうに、竜馬はこちらを見ようとはしなかった。
それでも、隼人は傍らに佇んでいた。
引き出しの中が空っぽになる頃。
くたくたになった二つ折りの紙が出てきた。竜馬は一旦はそのまま段ボール箱に投げ入れようとしたが、何か引っ掛かったのか広げてみる。
「——これ」
空気が和らいだ。
格納庫と司令室回りの見取り図だった。隼人も最初の頃に渡された。
「何だか、懐かしいな」
顔前に掲げて、微笑む。
「俺、ここのシャワー室と便所、よく間違えてたわ」
隼人が加わってからも、時折「あぁ?」と素っ頓狂な声があがっていたのを覚えている。
「弁慶の野郎も間違ってやがったからな。俺が覚えられねえンじゃねえや」
唇の端が上がった。そっくりなつくりが悪いのだと言わんばかりだった。
「ん」
ふと隼人に目をやる。
「そういや、おめえが間違ってンのは見たことねえな」
わずかに首を傾げた。
「おっと、『間違うわけはないだろう』って自慢はいらねえからな」
先回りで制する。言葉の持って行き場がなくなった隼人はむっとして開きかけた口を閉じる。その様に竜馬は小さく笑った。
見取り図に視線を戻す。
「…………」
じいっと見つめる。そのあとで、足元の段ボール箱を。
——何だ?
竜馬の雰囲気がおかしい。
「……こうして見ると、それなりに研究所にいたンだな」
竜馬にしては感傷的だと隼人は思った。らしくない、と。
しかしすぐに考えを翻す。
ほんの数日前まで、夢とも異界とも呼べる世界にいたのだ。強烈な体験だった。過ごした時間にかかわらず、胸に深く刻まれたものが各々あるだろう。普段とはかけ離れた言葉が出たとしても不思議ではない。
——それに。
新炉心のテストも。
いつか見た、ゲッターの墓場が脳裏にちらつく。
ゲッターも竜馬も失いかねない事態だった。あのとき、竜馬はおそらく死の淵に立った。ゲッターに引きずられて辿り着いた場所で、何を見て、何を感じたのか。
「……」
竜馬の横顔を視線でなぞる。黙っていればまだ少しあどけなさが残る顔立ち。それが今は、ひとり物思いに沈んでいた。
すぐ傍にいるのに、なぜか遠く感じた。
——竜馬。
目の前でその唇が動く。
「……これも、もう要らねえな」
もう一度見取り図を眺めてからぽつりと呟き、手を離す——まるで、思い出ごと放り投げるように。
ざわりと心が総毛立った。
「————っ」
勝手に身体が動いていた。右の手が伸び、竜馬の左手首を引っ張る。
「え」
振り向いた竜馬を更に引き寄せる。
「な、はや——」
すべてを呼ぶ前にキスで遮った。
竜馬が身体を引く。唇が外れる。隼人は握った手に力を込めて引き戻した。
再び、唇が重なる。
「——ッ」
触れた部分から竜馬の緊張を感じた。右拳が飛んでくるのは覚悟した。
けれども不思議なことに、竜馬はそれ以上逃れようとはしなかった。隼人の手を引き剥がそうとも、暴れもしない。ただ受け入れている。
十秒か、一分か。静まり返った部屋の中、もう時間の経過もわからない。唇から伝わる緊張はすでに消えていた。
ゆっくりと、互いの顔に焦点が合う距離まで離れる。
「何のつもりだよ」
竜馬の声は穏やかだった。瞳にも険しさはない。
「……いや」
そうとしか返せない。
思わずしてしまったことだ。理由を探すのも、説明するのも難しい。
掴んだ手を離そうとするが、できない。
「——」
また、胸の奥がざわつき始める。
当たり前であったものが、霞んで消えてしまうような不安。まだここにあるのに。
——竜馬。
唇が開く。だが竜馬の目が己の顔にではなく別の場所に向けられていると気づいて声が止まる。
視線は隼人の右手に注がれていた。
「……?」
つられて自分の手を見る。
何もない。
あるわけがない。
竜馬を見る。
ずいぶんと神妙で、何事かを真剣に考えているような面持ちだった。まばたきすらしない。
「……竜馬?」
呼ぶと、夢から覚めたように顔を上げる。
「…………ぁ」
鳶色の瞳がきょろきょろと不審げに動く。辺りを見回し、隼人の顔、胸元、胴の辺りに一旦下がり、また顔に戻る。
「……何でも、ねえ」
それから床に落ちた。
ふたりとも動かない。
「…………なあ」
やがて静かに、竜馬が呼びかけた。
「……手、もういいだろ」
軽く左手を持ち上げて促す。
「——あ、ああ」
隼人は我に返る。
いつの間にか手が強張っていた。うまく動かない。親指にぐっと力を入れると、痙攣したように腕全体がびくりと跳ねた。
一本ずつ力を入れて指を引き剥がしていく。そうでもしないと永遠に張りついていそうだった。
混じり合った体温が徐々に分かたれていく。密着していたせいでほんのり汗ばんでいる肌に夜の空気が押し寄せる。
竜馬はおとなしく待っていた。その気になれば簡単に振り払えるはずなのに、ただ沈黙をまとって。
最後の指が離れて、ふたりが完全に隔たる。
「……」
竜馬は物憂げに幾度かまばたきを繰り返し、掴まれていた箇所をそっと右手でさすった。
儚ささえ感じる姿だった。
「それで」
ふう、と息をつく。
「おめえこそ、こんな夜中に何の用だよ」
次の瞬間にはいつも通りの竜馬になっていた。耳に慣れたトーン、鼻にかかった声、いたずらめいて煽るような目つき。
「まさか、キスだけしに来たのか」
くっと面白そうに笑う。
「ンなワケねえよな。あのテストのことだけどな、さっきも言っただろ? 何にもねえぜ。……なあんにも」
おどけた口調で隼人を見上げる。
「それにしたって、いきなりキスかよ。テストパイロットに選ばれなかったからって、トチ狂うにも程があるぜ」
「ったくよぉ」とあきれたように眉尻が下がった。しょうがねえな、と聞こえてきそうだった。
「いつもならブン殴ってるとこだけどな、今晩は特別だ」
「……特別?」
「ああ。いろいろ片付けてたら何だかスッキリしてきたしよ。それに」
長い睫毛が伏せられ、それからすぐにまた隼人を仰ぐ。
「それに、せん——」
言葉が途切れた。
「いや」小さく呟く。ふ、とその表情が優しげに微笑んだ——ように隼人には見えた。
「……挨拶代わりに、黙って受け取ってやらあ」
そのあとで、今度は本当に笑った。
「りょ——」
隼人は再び湧き上がる衝動を抑える。
竜馬、と呼んで、どうするのか。
もう一度キスでもするのか。
——まさか。
ぎゅ、と口を結ぶ。気づかれないように拳を作る。
「ってことで、俺は真面目にダンシャリすっからよ、出てった出てった」
竜馬は手の甲を振り、追い払う仕種をした。
「…………ああ」
これ以上、長居の理由もない。
そもそも、竜馬が素直に話すとは思っていなかった。それでも訊かずにはいられなかった。朝を待てなかった。
隼人がひとつ深呼吸をした。それを合図に竜馬は別の引き出しを開ける。メモの切れ端が散乱していた。軽く目を通してはポイポイと段ボール箱に投げ入れていく。
隼人は無言で踵を返す。これまで「また明日」も「おやすみ」も交わしたことがない。ふたりともそんな柄ではないし、言ったところで「じゃあな」が関の山だ。
どうせまた嫌でも顔を突き合わせる。
だから竜馬も「挨拶代わり」と言ったのだ。何か言いかけてやめたのは、今更過ぎて単に言葉を見つけられなかったからに違いない。
——なのに。
竜馬は最後には笑顔を見せたのに、不安が消えない。胸の内側でさざめき続ける。波打ち、渦巻き、わだかまっていく。
自動扉が開く。隼人は立ちどまる。室内の音はやみ、ひとりきりのように静かだった。
そっと振り返る。
竜馬はこちらに背を向け引き出しの奥を覗き込んでいた。ガサゴソと音がし始める。
「……」
視線を感じたと思った。
だが。
——気のせいだ。
言い聞かせる。
きっと、自分でも混乱しているのだ。整理しきれていないこと、理解できていないこと、知りたいことがいくつもある。だから焦っているのだ。不安が湧いてくるのだ。
自分だけが取り残されそうで。
いつも、あの背中を追いかけてばかりいる。
澱になった思いは自覚していた。
嫉妬、羨望、それから——。
自分も新炉心を積んだゲッターに乗れば、限界まで振り切れば、何かが見えるだろうか。竜馬と同じ景色を見られるだろうか。
——そうすれば俺は……救われるだろうか。
何もわからない。
己の右手に視線を落とす。拳を作っては開き、手のひらをじっと見つめる。
竜馬の肌の感触が残っている。熱を覚えている。
——そう、か。
ここにあると確かめたかった。手を伸ばせば触れられるのだと、掴めるのだと信じたかったのだ。
まだ、すぐ傍にある。
今までも、手に入れられないものはなかった。
今度だって、必ず——。
未来を思い描き、指を握り込む。
いくら時間がかかっても、この身を削ってでも。
拳を強い眼差しで睨みつけ、隼人はぐっと顔を上げた。