純情のゆくえ

新ゲ隼竜

隼⇄竜、つきあってません。
バレンタインのお話『純情をひとかけら』の続きです。
距離を縮めたい隼人と、気持ちはあるもののどうしたらいいかわからない竜馬がロッカールームでふたりきりになるお話です。カレンダー的にはホワイトデーより前の設定。どちらもガツガツいけずに探る感じでもにょもにょしてます。竜馬寄り視点。ちゃんとキスで終わります。約4,000文字強。pixivにもあとであげます。

◆◆◆

 やっちまった・・・・・・
 竜馬の顔が面白くなさそうに歪む。頭を抱えて後悔するほどではない。だが枕に顔を押しつけて唸るくらいには軽はずみだと認識していた。
 今までの人生でそんなふうに己の行為を顧みたことは一度もなかったのに。

 全部、隼人のせいだ。

 ——隼人が。
 枕に顔をうずめる。
 計算で動ける冷静な男が、簡単に人を欺けるような男が、何もできずにいた。事の大小や理由にかかわらず竜馬に負けるのがきっと一番嫌いなはずなのに。
 あの夜を思い出す。
 不意の出来事に思考が停止して、それから焦りと戸惑い。そう見えた。いつも隙間なく隼人を覆っていた鎧が剥がれ落ちて、素の心が垣間見えた気がした。
 意外で、面白くて、嬉しかった。だから『もっと見たい』と思ってしまった。
 竜馬があげたチョコを——意味を込めないように渡したはずなのに——何かを見出し、あるいは重ねて仕舞い込んでいた。今までそんな気持ち・・・・・・はちっとも、爪の先ほどだって見せなかったくせに。
 ——似合わねえことしやがって。
 自分だって同じなのに。
「……ああ、クソッ」
 ずっと胸の中が落ち着かない。もう、はじまってしまった。
『ちゃんと、全部食えよな』
 よくも言ったと思う。
「う……うぐ」
 顔が熱くなる。これからどうしたらいいのだろうか。ひとまずふたりきりにならないほうがいい。また隼人のその先・・・を見たくなって、何を言ってしまうかわからない。
「う゛あぁっ」
 気恥ずかしさが極まって、竜馬はぐりぐりと枕に顔を押しつけた。

   †   †   †

 不機嫌としか言い様のない顔つきでロッカールームの扉を開ける。
「ったくよぉ!」
 目の端に入ったゴミ箱を蹴飛ばしてやろうかと思う。だがすぐに人の気配に気づいて顔を向けた。
 隼人の流し目がこちらをとらえていた。瞬間的に止まった呼吸を、悟られないように静かに続ける。
しぼられ終わったか」
「——おめえにゃ関係ねえだろ」
「フン」
「あンだよ」
「俺の言うことを聞いていれば、早乙女にどやされずに済んだものを」
 ムスッとしていた竜馬が、さらに顔をしかめる。今にも地団駄を踏んでわめき出しそうな子供のようだった。
「訓練なんだから別にいいだろ。『いざ』ってときのテストだテスト。鬼のクソ野郎が出たときにうまくやれりゃあ問題ないだろが」
「まあ、それも一理ある」
「ケッ、自分だけなんもかんもわかったような言い種しやがって。それより」
「何だ」
 隼人はまだパイロットスーツのままだった。弁慶の気配はない。すでにシャワーも浴びて出ていったのだろう。
「おめえは——」
 何してたンだよ、と訊きかけてやめる。もしその目に普段の冷静さと異なる感情が見えたなら、余計なことを口走りそうだった。
「いや、何でもねえ」
 目を逸らし、ロッカーの扉を開ける。隼人の存在はなるべく気にかけないようにし、マフラーをほどき始めた。
 ——ったく、これじゃあ。
 ガキもいいとこだ、と小さく溜息をつく。あの夜よりも前だったら顔を覗き込んで「俺を待ってたのか」なんてベタな突っ込みも気楽にできた。どんな返事だったとしても笑って終わらせられた。今は自信がない。
 どこまで本気かわからない。だが隼人が自分に「ゲッターのパイロット同士」という域をはみ出た気持ちを抱いているのはわかってしまった。竜馬を見ずに黙り込んだ姿が焼きついている。『もっと見たい』、けれども、茶化す気にはなれなかった。どんなふうに接すればいいのかわからず、あれから隼人の部屋にも行ってなかった。
 また溜息をつきそうになり、息を止める。ふと首の後ろに視線を感じた。
「……っ」
 気のせいだ。自分が意識するあまり、勝手にそう感じているだけだ。
 言い聞かす。むず痒さは一向に消えない。たまらず襟足に右手を伸ばす。汗でうっすら湿った髪を幾度か指でき、首筋を撫でた。
「データをチェックしていた」
 不意に声が発せられて思わず振り向く。
 ——あ。
 目が合う。見慣れた目つきだったが、険しくはない。
「お前が無茶をしたときの出力データを確認していた」
「……ご苦労なこって」
「まったくだ。お前のせいで余計な時間を食った」
 言葉ほどには咎める響きはなかった。だから竜馬も淡々と返す。
「そうかよ」
「ああ」
 そのまま、会話が途切れる。しかし竜馬の目は隼人から離れない。
 妙に穏やかな瞳が不思議だった。
 ——いつも。
 こんなふうに自分を見ていたのだろうか。いつからだったのか。それとも。
 あのチョコで変わったのだろうか。
『もっと知りたい』と欲が出てくる。
「——」
 あのよ、と言いかけて呑み込む。
 ——ああ、まただ。
 同じだった。売店で買い漁ったたくさんのチョコ。いくつあるのか数えもせず、ディスプレイの箱ごとレジに持っていった。あのありったけを渡したときと同じ緊張感が湧いてくる。慣れない感情を持て余し、竜馬の唇が拗ねるように尖った。
 結局、何も言い出せず竜馬は再び背中を向けた。このままふたりきりの空間にずっといたら変になってしまう。早く出たほうがいい。パイロットスーツを脱ごうとした瞬間。

「竜馬」

 身体が微かに震えた。
 聞き慣れた隼人の声。名前だって何度も呼ばれている。それなのに、耳元で甘くささやかれたようだった。
 竜馬は目を見開いて固まる。どくどくと自分の心臓がやたらに動くのを感じていた。
 ——ああ、やべえ。
 早く着替えないと。それより、何でこんなにどきどきしているのか。知られたらマズい。とりあえず面倒くさそうに返事でもしておいたほうがいいか。
 心は焦るのに、何もできない。隼人の声が耳に残っている。はじめての響きだった。もう一度聞きたい。名前を呼んでみて欲しい。
 ——いや、そうじゃなくて。
 早く動け、と指先に力を込める——。
「竜馬」
 すぐ真後ろで声がした。咄嗟には抑えられず、竜馬の全身がびくりと跳ねた。
「……あ」
 大げさな反応が自分でも信じられなかった。だがそのおかげで強張りが解け、身体が動くようになる。破裂しそうな心臓をなだめ、恐る恐る振り返った。
 そして、もっと信じられない光景を目の当たりにした。
 ——え。
 竜馬以上に目を見開いて、隼人が立ち尽くしていた。瞳には明らかに戸惑いが浮いている。もしかしたら不安と遠慮と呼べそうな曇りも。
「あ、や、わ、悪ぃ」
 慌てて顔を戻す。たぶん、隼人の性格からいって見られたくない表情だと思った。今の自分の顔だってきっと間抜けだ。見られたくない。
「ちっと考え事してたから」
「……いや」
 いつになく隼人の声もおとなしい。竜馬はまだ激しい鼓動の隙間から耳をそばだてる。隼人からは今にも言葉が零れてきそうな気配がしている。しかし十秒経っても変化はなかった。
「……なあ」
 時間とともに困惑が膨らみ、やがて緊張を上回る。眉根を寄せながら竜馬から切り出した。隼人はまだ真後ろに立ったままだった。
「……何だ」
「何だ、じゃなくてよ」
「ああ」
「……」
 大きくひと呼吸しゆっくりと、今度は身体ごと振り返る。それから目線を上げる。もう隼人は落ち着いていた。さらには妙な穏やかさも取り戻していた。
 再び無言で向き合う。
 ——……こんな顔、すんだな。
 さっきよりも間近で、竜馬はじっと見つめる。力みが抜けて涼やかだけれども、芯のある表情だった。整った顔立ちがよくわかる。「竜馬」と眉をしかめて注意してくるときとまったく違う。あの顔も嫌いじゃないけれど、こっちのほうがもっと——。
 ぼうっと見惚れていると、やっとその口が動いた。
「……あのチョコは」
 はっと我に返る。
「チョコは全部食った」
「——全部?」
「ああ」
「全部って……全部、か?」
「そう言った」
「だってよ、あれ」
「三十二」
「え」
「三十二個あった」
 竜馬の口がぽかんと開く。
「え、それ一日一個食ったってまだ……」
 隼人が菓子類をあまり食べないのはわかっている。あのチョコはひと口サイズだから気まぐれにつまむこともあるだろう。それにしたってまだ数日しか経っていない。毎日律儀にいくつも食べていたのか。
「お前が言ったんだぞ」
「……言った」
 ああいうふうにしか思いを込められなかった。それを、隼人はまっすぐに受け取ったということか。
 ——う、わ。
 急に頭が熱くなって、何も考えられなくなる。同時に突然、隼人の顔を見ていられなくなって視線を外した。
「え、と」
 静まった鼓動がまた騒ぎ出す。
「その」
 何か言わなくては。それだけはわかる。
 ——け、けど、何を。
 以前は何も考えなくてもポンポンと言葉が先に出てきた。今は頭の中で言葉がバラけて、意味をなさない文字の海になっていた。
「竜馬」
 呼ばれて、息を呑む。優しく耳をくすぐる声だった。
 揺れる気配につられて目をやる。隼人の顔が近づいてきた。
「——」
 唇に目が引き寄せられる。
「もうひとつ、欲しい」
 その唇がねだった。
「…………な……なに、を」
 かろうじて訊ねる。そのあとでチョコレートのことだと気づく。そんなことすら頭が回らなくなっていた。
「だ、だって、おめえ……山ほど食ったンじゃねえかよ」
「ああ」
「まだ……足りねえのかよ」
「ああ、足りない」
 少しぎこちなく隼人が頷く。目元に緊張が浮いている。その中に熱も感じる。
 ——な、何か、俺……。
 頭だけではなく、身体の中が熱くなる。隼人に見つめられて、乞われて、あの夜の比ではないほどに感情が昂ってきた。
「……竜馬」
 ぞく、と鳥肌が立った。
「い、今、持ってねえ。けど……っ」
「……けど?」
「別のモンでいいなら、やる」
 勝手に口が動いていた。隼人は不思議そうにまばたきを繰り返す。
「別の……もの?」
 赤いマフラーを掴む。くい、と軽く引っ張るともっと顔が近くなった。
「……チョコの代わりになるか知ンねえけど」
 竜馬は不貞腐れたように唇を尖らせる。隼人はその表情を食い入るように見つめた。そして、
「欲しい」
 そう、ささやいた。
 隼人の指が竜馬の唇に触れる——寸前で止まり、元の位置に戻って拳を作った。
「……隼人?」
 瞳を覗く。惑うように揺れて、ついと逸らされる。表情は今まで見た中で一番硬く、どこか苦しそうで、何かを懸命にこらえているようだった。すぐにでも飛びつきたいのを我慢しているかのように。
 まるで必死に『待て』をしている犬だった。
「ぷ」
 思わず吹き出す。
「おめえのそのツラ
 照れている。触れていいのか、迷っている。あの隼人が。
 嬉しくて、自然に口元がほころんだ。隼人の眉がわずかに不機嫌そうに動く。
「悪ぃ。……なあ、隼人」
 ——もっと、見たい。
 本当はチョコのお返しをもらいたいところだ。バレンタインデーの次はホワイトデーと相場が決まっている。だから向こうからするのが筋というものだ。
 けれども、竜馬からのキスを行儀よく待ち侘びている隼人なんて、こんな機会でもなければ一生拝めないだろう。
 マフラーを引く。同時に少し背伸びをする。

 もっと見たい。この先を知りたい。そう思ってしまうのは——。

 

 全部、隼人のせいだ。