戸惑いの向こう側

新ゲ隼竜

つきあってます。もともと隼⇄竜。
隼人の部屋に入り浸っていた竜馬が、居心地のよさから「俺らつきあわね?」と提案して始まった恋人の関係。けれどもいざつきあってみたら隼人のことばかり気になり始め、戸惑いから距離を置くようになってしまった竜馬のお気持ち話。肉体関係はもうあります。
最後はちゃんと気持ちが通じ合います。キスま
で。約5,000文字。

◆◆◆

 息を止め、ドアパネルの『開』を押す。ロックのかかっていない扉はすんなり開いた。
 すぐに無人だとわかる。けれども念のため。
「——隼人」
 返ってくる音はない。予測はしていたが、やはりどこかで緊張していたのだろう。心がゆるみ、小さな溜息が押し出された。
 手にしていたクリップボードをドア脇の連絡用ボックスに入れる。隼人がこれを確認するのは一時間後だろうか、それとも日付が変わる頃だろうか。
「……」
 誰の気配もない部屋を一瞥し、足を引く。もう一歩。それから身体の向きを変えて歩き出す。人感センサーが反応し、たちまち扉が閉まり出した。
「——ぁ」
 思わず引き返し、手をかざす。閉まりかけた扉は律儀にもう一度開いた。
 通路と部屋の境界線上に、竜馬は佇む。
 入ってもいいはずだ。今までもずっとそうだった——つきあう前から。
 思うのとは裏腹に、視線は自信なさげにうろついていた。
 唇がきゅっと結ばれる。一旦は扉脇のボックスに入れたクリップボードを取り出すと、竜馬は部屋の中へ入っていった。

 隼人の匂いがした。
 鼓動が自然に速くなる。竜馬は目を閉じ、深呼吸した。
 整髪料も香水もつけない。シャンプーも石鹸も、特段変わったものではない。部屋には芳香剤もない。何なら、不在の時間のほうが長いときもある。それでも、すぐに隼人の部屋だとわかる。つきあう前は、こんなふうに感じたことはなかった。
 五日ぶりだから、余計にそう感じるのかもしれなかった。
 クリップボードをデスクに置く。博士に渡しておけと頼まれた、一週間分の訓練の予定表だった。隼人がいたら、手渡ししてそれで用事はおしまいだ。
『隼人、これ』
『ああ』
 隼人はこちらを見ずに——見たとしても、一瞬だけ——受け取る。予定表にさっと目を通し、何事もなかったかのように自分の作業に戻る。竜馬はその横顔を見つめる。
『まだ何か』
 そんなふうに訊かれたら、これまでなら『別に』と答えてベッドを占領して、好き勝手していた。悪気もないし、悪意もない。隼人もきっと同じだ。それが自分たちにとって、心地のいい最適の距離だと思っていたから。

 今は、どうすればいいのかわからなかった。

 鈍い足取りでベッドに近づく。糊の効いたまっさらなベッドカバーとシーツは隼人の聖域を示しているようだった。
 さらりとひと撫でして、腰掛ける。眼前のデスクチェアには隼人の上着が掛かっていた。すぐに、こちらに背を向けてモニタと睨み合っている姿が浮かんできた。
 いつもそうだった。
 話しかけても大抵、返事はない。視線も寄越さない。かといって刺々しい空気ではないし、追い出そうとしてくるわけでもない。たまにからかいの応酬や相槌はするけれども、基本的にはただお互いにそこにいる。竜馬が「食うか」とチョコを渡せば素直に「ああ」と受け取るし、お返しのつもりなのか炭酸飲料を放って寄越すこともあった。終わりにしても、竜馬は夜が更ければ、あるいは眠くなれば勝手に自室に戻るし、隼人は隼人で用ができれば無言で出ていった。
 約束なんて一度もしたことがない。主のいない部屋で竜馬が四時間も過ごしていた日もあった。
 そんな自由な関係でありながら、たぶん、心のどこかで「こいつなら」と思い合っていた。だから竜馬が何気なく「いっそのこと、俺らつきあわね?」と口にしたとき、隼人も悩むような間を置かずに、だがどうでもいいと言わんばかりの短さでもない絶妙なタイミングで「ああ、構わん」と返したのだ——竜馬はそう受け取っていた。
「恋人だから」とキスもセックスもした。もちろん緊張はしたし、心の奥底では望んでいたことだから密かに舞い上がった。けれどもそれはそれとして、つきあい出してからも当然、ゆるくて気兼ねのない日常が続いていくのだと思っていた。
 しかし現実は奇妙だった。
 隼人の視線が自分から外れれば引き戻したくなるし、ぬくもりが離れていけば追いかけたくなった。隼人が部屋にいなければ戻りの時間が気になって仕方がなかったし、目の前にいてもいつその作業が終わってこちらを向くのか気もそぞろとなった。
 そんな己の変化に気づいて、動揺した。本気の恋を自覚した、というより、他人に依存している自分に戸惑ったというほうが正解だった。その意識は、抱かれるほどに強くなった。それで一歩、遠くなった。
 遠くなった分、会う約束が欲しくなった。けれども今までしていなかったものを急にするのは気が引けた。まるで隼人を「俺のモン」と声高に縛るみたいで、大人の道理を知らない、ガキのすることだと思った。隼人はきっと窮屈に感じるだろう。そう考えてまた一歩、遠くなった。
 一度立ち止まったら、踏み出すタイミングがわからなくなった。
 壁のカレンダーを眺めて数える。つきあって三週間。やっと思いが通じ合ったカップルなら、一番仲睦まじい頃ではないか。それなのに——。
「……あーあ」
 身体を傾け、重力に任せる。張りのあるベッドカバーがよれて、竜馬の形にシワができた。
 一緒にいたいと思った。一番近くにいたかった。それが自分にとって最も自然だと思った。隼人は無駄なことはしないはずだ。だからきっと、同じ気持ちだった、はず。
 ——……本当に?
 竜馬の訪問が途切れて五日。訓練では毎日顔を合わせている。やりとりは今まで通り。敵襲があってももちろん、今まで通り。隼人が竜馬の部屋を訪ねてこないのも。
「今まで通り……ってか」
 隼人なりに気を遣っているのか、去る者は追わない主義なのか。何も言ってこない。
 もしかしたら。
 そもそも乗り気ではなかったものの、断るのも面倒だったから、あるいは何となく気が向いたから応じただけかもしれない。
 ——もしそうだったら。
 そういえば、まだ互いに「好きだ」と交わしたことはなかった。
 眉根が苦しげに歪む。
 それならあのとき、あんなこと——。
 唇を噛む。
 言葉にはしない。口に出したら負け・・な気がする。自分の気持ちをなかったことにはしたくなかった。
 ぎゅっと目を瞑る。
「……」
 ひとつ、ふたつ、深呼吸をする。どこかで「バカだな」と自分を揶揄する声がした。口元がゆるむ。「ああ、そうだな」と呟き返して、億劫そうに目を開けた。
 隼人の上着が視界に入る。竜馬はのろのろと身体を起こし、上着を手に取った。少しくたびれているところを見ると、半日は袖を通していたようだった。
 一瞬、ためらう。
「…………」
 そっと鼻先をうずめる。胸の中いっぱいに、隼人の匂いが押し寄せてきた。
 ——隼人。
 一気に込み上げてくるものがあった。その感情は身体の内側に広がって、「好きだ」という言葉に変わって弾けていく。
「……隼人」
 急に会いたくなった。
 突然に距離を置いた自分をどう思っているだろうか。少しでも好いてくれているだろうか。
 もしそうなら。
 ふたりきりの閉じられた世界で名前を呼んで欲しい。それから、目を見て「好きだ」と言って欲しかった。

   †   †   †

 頭を撫でられた気がした。
 次いで、名前を呼ばれた気がした。
「……ン」
 辺りを探ろうとすると、もう一度、遠くのほうから「竜馬」と聞こえてきた。
 耳に馴染む、心地のいい声だった。そちらのほうに意識をやる。すると、今度はいい香りが漂ってきた。穏やかで落ち着く、それでいて心が軽やかになるような気持ちのいい匂いだった。
 ——ああ、これ……。
 ぼんやりとした頭で考える。
 ——好きな匂い……。
 元を辿ろうとして、鼻先でまさぐる。柔らかい感触と、じんわりとしたぬくもりが伝わってきた。
「…………んあ?」
 少し顔を引いて、また鼻先を突き出してみる。同じだった。
「ン……」
 鼻先を押しつけたまま、ぐりぐりと左右に振ってみる。押し返される感覚があった。ようやく、違和感に目を開ける。
「……?」
 壁がある。けれども硬くないし、弾力がある。それに何だか妙にあたたかい。太い眉が訝しげに上下する。ゆっくりと顔が上を向き——。
「ッッ⁉︎」
 竜馬は息を呑んで固まった。
 すぐそこに隼人の顔があった。じっと竜馬を見つめている。
「……お……わ、あ……?」
 困惑に、形にならない声が零れる。
「は…………あ、……え」
 壁は胸板。柔らかい感触は隼人のシャツで、ぬくもりと弾力の正体はその下の肌だった。
 ——え、は? えっと、俺……。
 混乱した頭に、ちらちらと隼人の上着がよぎる。
「————あ」
 あのまま寝てしまったのだ。隼人はいつからかここに寝そべり、肘枕で余裕の構えをしながら、竜馬の顔をずっと覗き込んでいたのだ。
 途端に全身が熱くなる。
「って、てめ……っ」
 ぐっと隼人の胸を押しやる。しかし厚い胸板はびくともしない。
「ひっ、人の寝顔じっと見やがって! 趣味悪ぃっつーの!」
 咄嗟に握った右拳で胸元を叩く。だが先刻と同様、隼人にはまったく効いていないようだった。ふ、と切れ長の目が笑った——ように見えた。
「お前こそ、人の部屋で、人のベッドの上で何をしていた」
「な、何って、なに……っ」
「俺の上着を握りしめて」
「——ッ‼︎」
 恥ずかしさも消える。頭の中が完全に真っ白になった。竜馬はただ目を見開き、口をぱくぱくさせて、鼓動に揺さぶられるまま微かに震えていた。
「竜馬」
 隼人の目が、今度ははっきりと細められた。左手が伸びて、竜馬の頬に触れる。
「……ッ⁉︎」
 肩が跳ねた。隼人の手が離れる。
「りょうま」
 ささやきに乗って、再び指が近づく。
 隼人の熱が竜馬の頬に灯った。
「……ぁ」
 漏れた戸惑いをなだめるように、まとった緊張を剥がしていくように、指先が優しく肌を撫でる。
 くすぐったくて、あたたかくて、心地よかった。
 ——はや……と……。
 おそるおそる目を覗き込む——と、隼人の唇が下りてきた。
「————っ」
 唇が重なる。思わず眼前のシャツを握りしめる。隼人の腕が竜馬を抱き寄せた。
 ——あ。
 隼人の匂いに包まれる。背中に添えられた手のひらからも熱を感じた。
 じわ、と嬉しさが湧いてきた。竜馬は目を閉じ、身体を委ねる。あったはずの隔たりは、一秒ごとに溶けるように消えていく。
「……」
 唇が離れ、見つめ合う。隼人の眼差しは柔らかい。初めて身体を重ねた夜も、こんな目をしていた。
 胸が甘く疼く。
「……は、はやと」
「何だ」
「その——」
 唾を飲み込む。
「そ、その、俺」
 何と言えばいいのだろうか。
 まだうまく回らない頭で懸命に考える。
 もっと会いたい。一緒にいたい。けれども歯止めが効かなくなりそうで、自分が自分でなくなっていくようで、怖い。隼人だって、重くて面倒なことは嫌なはずだ。自由を削られるのはもっと不愉快だろう。
 あれこれ並べては言葉を探す。迷っているとそっと背中を撫でられた。「言ってみろ」と後押しされているようで、竜馬はようやく問いを選ぶ。
「……また、ここに来ても……いいか」
 遠慮がちに訊ねる。
「……ここに?」
 隼人の顔つきが訝しげなものに変わる。
「いまさら何を」
「だってよ——」
 途切れてしまう。声が出てこない。自分の思いを口にするのは、こんなにも難しかっただろうか。恋人の提案はあんなにも簡単にできたのに。
 どうしようもなくて、目を逸らす。
「竜馬?」
「……ン」
 情けなさと苛立たしさに、唇がつんと尖った。
「……竜馬」
 微かな溜息が聞こえ、竜馬の全身が再び緊張する。隼人にしてみれば意味がわからないだろう。散々好き勝手に振る舞って近づいてきたくせに、何も言わず離れていって、今また近づいてきて——あきれたに違いない。
 心がかげっていく。竜馬からも溜息が落ちようとしたとき。
「好きなときに来ればいい。今までと同じように」
 隼人の手が背中をさすった。
「いつでも構わない」
 その言葉につられ、目線を合わす。隼人の瞳は真剣そのものだった。
「…………ほんとに?」
「ああ」
「ンなこと言ったら……その…………毎晩、来るぜ……?」
「構わん」
 即答だった。真っ直ぐな隼人の声が竜馬の胸を開いていく。
「そ、そんならよ」
「ああ」
「そんなら……あとから『来るな』っつったって、聞かねえからな」
 隼人が小さく吹き出す。たちまち竜馬の目がつり上がった。
「なっ、てめえ、何笑って」
「いや、そんなにも俺のことが好きだったのかと思ってな」
「はあっ⁉︎」
「違うのか」
「ちっ、ちがっ……」
 ——違わない。
 隼人の口元がニヤリと笑う。
「〜〜〜〜ッ!」
 そのまま答えるのは悔しい。「違う」だなんて嘘もつけない。ついたとしても、バレる。
 ——っつーか。
 嘘にすらならない。隼人の上着を抱いて寝ていた姿を見られたのだから。
 思い出してまた、身体が熱くなった。
「かっ、勝手に思ってろ!」
 恥ずかしさに叫ぶ。ぐいぐいと隼人を押して抱擁から逃れようともがく。だが隼人の腕は竜馬にしっかりと絡みついて離れなかった。
「竜馬」
「あンだよ!」
「りょうま」
「——」
 ふたりきりのときだけ、竜馬に向けられる響き。それを聞く歓びと心地よさには抗えない。あっという間に身体の力が抜けていく。
「りょうま」
 唇が近づく。
 胸が高鳴る。
「はや……と……」
 吐息が重なった瞬間、

「好きだ」

 隼人の告白とぬくもりが、竜馬の心を包み込んだ。