神様がいるのなら

新ゲ達竜

達人が生き残っている世界線。達⇄竜、両片思い。
怪我をして寝込んでる達人に、特製粥を作って世話焼きにくる竜馬。一緒にいられて嬉しいけど、好きだからつらい達人兄さんのお話。竜馬のほうがちょっと積極的。キスまで。約11,000文字。

◆◆◆

 これはばちだ。
 達人は思う。
 香りがもう苦くて、鼻にシワを寄せる。何度目だろうが慣れない。
「なあ、ほかのものも食いたいんだが」
 試しに言ってみるが、即座に「ダメだダメ!」と却下された。
「そんなに連呼しなくてもいいだろう」
 達人はむすりとする。
「俺はケガなんだ。病気じゃない。消化のいいものより、血を造るものを食わなきゃならないんだよ。肉を食わせろ」
「ダメなモンはダメだ。いいか、道場やって、ガキん頃から鍛えてる俺様が言うンだから間違いはねえ。達人は黙って言うこと聞いてろよ。ホレ」
 竜馬は粥がてんこ盛りになったレンゲを突き出す。
「それにこれはただの粥じゃねえ。ウチの特製だからな。精のつくモンたくさん入ってンだぜ」
 達人の凛々しい眉毛がぴくりと上がる。
「……それでか」
 やたら生薬のような刺激的な香りがする。嗅ぎ慣れないせいで、いくら身体にいいと言われても、何かの人体実験に使われている気分になる。
「苦いし、食べ飽きた」
「うまいモンは身体に毒だぜ」
「……お前だってうまいものは好きだろう」
「それはそれ」
 達人は溜息をつく。終始、こんな感じだ。
「……いいか、竜馬」
 だが引き下がるわけにはいかない。ひとつ深呼吸して、挑む。
「俺は右手はケガしてない」
「だから?」
 あーん、と竜馬は自分で口を開いて促す。
「だから、自分で飯は食える」
「わかってるさ。ホレ」
 話が通じない。達人はどこが、と言う代わりに[[rb:睨 > ね]]めつけた。
「ケガ人は黙ってろってことだ」
 鋭い視線を屁とも思わない態度で竜馬が返した。達人はさらに目で抗議する。
「お、信用してねえな」
 サイドテーブルに椀を置き、竜馬は手を伸ばす。にやりと笑ったかと思うと、
「どうよ」
 左胸を軽く押した。
 途端に達人の全身に強い電気が流れた。そのあとで痛みが内側から膨れ上がる。
「……っ‼︎」
 呻きも出ない。
「ほうらな」竜馬は当然、という表情。
「痛み止め飲んで、それだろ。骨も折れてヒビも入って、身体ン中があちこち腫れてンだよ。素直に俺の言うこと聞いておけよ」
「……クッ」
 クソ、と毒づこうとして、また痛みに襲われる。脂汗が浮いてくる。
「もう少ししたら嫌でも動かさなきゃいけねえンだから、今はおとなしくしてるンだな」
 そこだけ聞くと優しい、親切な介護人だった。
「なあ、ほら、いいから。あーん」
 呼吸が落ち着いたのを見計らい、竜馬は再度レンゲを口元に差し出す。
 埒が明かない。
 達人は溜息を——身体に響くので小さく、静かに——つく。結局は達人のほうが折れる。それしかないのだ。達人に言わせれば「父さんといい勝負のこのクソ頑固な男」が、自分を曲げるわけはなかった。
「……わかった、食うよ」
 聞いて竜馬は満足げに鼻の穴を膨らます。悪気も毒気もない。ただそうすることが達人にとって一番いい、と思っているのがわかるから、それ以上何も言えなくなる。
「……あー」
 仕方なく、口を開ける。竜馬が心底嬉しそうににっこり笑う。
「——」
 思わず見惚れた。
 邪気のない、素直な表情。鬼と対峙するときはあんなにも不敵ですべてのものをなぎ倒すような迫力があるのに、今は年相応の明るさだった。
 ——ああ。
 可愛いな、と思う。
 男に使う表現ではないかもしれない。聞いたら「男ってモンはよぉ」と事あるごとに口にする竜馬は怒るかもしれない。だが、そうとしか出てこないのだ。
 たぶん、歳が離れているからだろう。屈託なく兄を慕うようにまとわりついてくるからだろう。面倒だとか、うるさいと思ったことはない。頼られ、甘えられているのがわかって嬉しい。それに、目も大きくてクリクリとよく動くし、頬はまるで子供のようにふっくらとして柔らかそうで、時折機嫌が悪くなると膨らませて、唇も一緒に尖らせて拗ねる——。
「……と? た……ひと?」
 遠くから名前を呼ばれている気がする。
「たつひと!」
「えっ」
 びくりと身体が跳ねる。
「どした? 大丈夫か」
「え——あ」
 竜馬がずい、と近づいて顔を覗き込んでくる。達人は息を呑む。
「ぼーっとしてっけど、具合わりぃのか」
 心配そうに眉をひそめる。
「い、いや、大丈夫だ。何でもない」
 早口で返す。
「けど」
「大丈夫だ」微笑んでみせる。
「ちょっと考え事をしていた。だから」
「……どうせゲッターのことだろ?」
 竜馬は今度は苦笑する。
「達人はいっつもそれだ。だから逃げ遅れンだよ。そんなケンキューのことばっか考えなくても、動けるようになったら嫌でもしなきゃなンねえンだし、今のうちに休んどけよ」
 ほら、とレンゲを差し出した。
「ああ……そうだな」
 本当に達人を心配しているのがわかるから、好意を受け取る。
「…………にが」
 目を瞑り、悟りの境地を求める者のように平静を装う。しかし口元がぴくぴくと不快さに動く。
「言うほど苦いかぁ?」
「……なら食ってみろ」
「ン」
 粥をすくい、自分でぱくりと食べる。
「まぁ、こんなモンだろ」
「マジか」
「いいから、ほらよ」
 同じレンゲなのも意識すらしていないのだろう。
 ——本当に。
 竜馬に咎はない。
 ただ、罪作りな奴だと思う。
「達人」
「ああ」
 従う。大の大人が、これまた成人済みの男に食事の世話をされている。まるで餌付けである。
 ——まったく。
 ここは病院ではない。あくまで研究所の負傷者用病床だ。医師もいるし薬剤師や栄養士の資格を持った者もいるが、融通が利く。仮に利かなくても、竜馬なら好き勝手を通してしまうだろう。
 一番最初の食事時を思い出す。
 ——こんな場面、妹なぞには死んでも見せたくない。
 そう思った。当たり前だ。男のプライドと、兄としての威厳がかかっている。
 だがミチルにはいの一番に見られてしまった。その次は隼人。
 ふたりともカッと目を見開き、やがて細め、達人を見ないようにして何も言わず、聞かず部屋を出て行った。弁慶はなぜか合掌して回れ右をした。
 それ以来、顔を出さない。気まずいのか、気を遣っているのか。
「ああ……俺の立ち位置ってどうなってんだ……」
 達人は天井を仰いだ。
「ンあ? 何か言ったか」
「いいや。…………竜馬」
「何だ? おかわりか?」
「違う。……お前、悩み事とかあるか」
「んーん」
 即座にふるふると首を横に振る。
「そうだよなあ」
 竜馬の顔をじっと見つめる。
「何だよ」
 小首を傾げる。その顔に「?」マークが次々に浮かんでくるように見えた。それすらも、愛らしい。
 ——どうしようも、ないな。
 諦めたように、達人は苦笑した。
「ン? 何だぁ?」
 竜馬がぽかりと口を開けた。

 いつものように粥を流し込んだあと、他愛のない話をしていると、
「し、失礼、します……っ」
 控えめなノックの音のあとに、上擦るような声が聞こえた。
「どうぞ」
 達人が返す。竜馬も目線を向ける。
「あ、あの」
 ドアノブが回され、静かに開く。わずかな隙間から女子所員の顔が覗いた。
「いっ、今っ、お時間、いいですか……っ?」
 達人の目を見ずに訊ねた。部屋の中のふたりは顔を見合わせて——。
「……俺、行くわ」
 竜馬があっさりと立ち上がる。空の椀を手にし、達人を見やる。
「じゃあ、な」
 竜馬にしてはおとなしい、いや、元気がないと言えるトーンで告げ、目を細めた。
「——りょ」
 少しだけ、寂しそうで、残念そうで。思わず達人の右手が浮く。
「また、来る」
 小さく微笑むと背中を向けた。
「……あ」
 引き留めてもしょうがない。達人は手をベッドの上に戻した。
「失礼します……!」
 恐縮したように肩をすぼめながら、所員が入ってきた。その後ろにも女子所員がひとり。ふたりともそわそわとして、特に達人に声をかけたまだ若い女性は、どことなく嬉しそうだった。緊張しているのか、それともほかの理由か、頬が紅潮していた。
「あっ、あの、そろそろお休みの時間かと思ったんですが、どうしてもお見舞いに……っ」
「——」
 すれ違いざま、竜馬が彼女たちをちらりと見る。それから目線を下に落とした。
 ——竜馬?
 達人から見えたのはそこまでだった。

   †   †   †

 翌朝。
「起きてっか」
 まだ七時前だというのに、竜馬が訪ねてきた。達人の視線がしっかりと自分をとらえたのを確認して、傍に寄る。
「元気だな」
「俺ぁ朝は強えンだ」
 にっかり笑う。白い犬歯が見えた。
 達人が上体を起こそうとする。ん、と唸って顔をしかめるのを見て竜馬が制止した。
「ちっと寄っただけだ」
「……ああ」
「今日は突然起こされてよぉ、そのまま合体訓練だ。朝早えのはいいンだが、飯も食わしてもらえねえで、二時間はきつい」
 零すと、タイミングよく竜馬の腹が盛大な音を立てた。達人が吹き出す。
「くくっ、俺の見舞いはいいから、早く食べてきたらいいだろ」
 食堂は二十四時間開いている。
「ああ」
 頷きながらも、竜馬は立ち去ろうとしない。
「ん……竜、馬……?」
 普段と違って、静かな瞳。昨日、この部屋を出るときと同じく、少しだけ憂いを帯びたような。
「————」
 見惚れる。
 ——こんな顔も、するのか。
 目が離せない。
 いつもはからからと無邪気に笑うのに。
「……何か、迷っていることがあるのか? それとも、困っていることか?」
 こんなときは、兄貴然と振る舞うしかない。穏やかな達人の声に、竜馬は首を横に振って何もないと示す。それ以上の詮索もできない。
「……そうか。もし何かあるなら、遠慮するな」
「何も、ねえよ」
 いつもと異なるテンポに、達人は違和感を抱く。
「そうか? 嘘はよくないぞ。パイロットの精神も健康じゃないといけないんでね」
「ハッ、人をあんなふうに攫っておいてよく言うぜ」
 竜馬が笑う。咎める気はなく、ただの軽口だった。
「まあ、あれはな。悪かった」
 達人も軽く返すが、すぐに「ともかく」とおふざけの調子を廃する。
「真面目な話だ。俺に言いにくかったらミチルにでもいいし、希望があればカウンセラーなりそれなりの専門家を呼ぶ。もちろん、秘密は守る」
「……何かあったとしても、知らねえヤツに言うほうが嫌だぜ」
「それでもだ」
 硬くなった声に、竜馬がはっとする。
「言ったろ、パイロットの精神も健康が求められる。ひとりが何か別のことに気を取られていたら、ゲッターは本来の力を出せないし、最悪」
「死ぬってンだろ」
「——」
 竜馬が頬を膨らませた。
「竜馬」
「……わあってるよ」
 ばつが悪そうに達人から視線を外した。
「ああ」
 達人も、そこで言葉を止める。
「——飯、食ってくる」
 それほど長い沈黙でもない。竜馬がいつものトーンで言った。
「ついでに、何か食いたいモンがあれば、持ってきてやるよ」
「……」
「あンだよ、そのツラ
「……粥は、もういいのか」
「顔色もいいし、腫れもだいぶ引いてるみたいだしな、今日の朝飯が最後かな」
「じゃあ……唐揚げ」
「肉からいくたぁ、さっすが。やっぱ男はこうでなくちゃな」
 にっと笑った。

 一時間もしないうちに、竜馬は粥と唐揚げを持ってきた。
「先に、粥だ」
「おう」
「……何だ、今日は乗り気だな」
 不審そうに竜馬の眉根が寄る。
「何たって、これで最後なんだろ?」
 達人がにんまりとする。途端に竜馬の頬に空気が入る。
「はっはー、今まで言うことを聞いて、ちゃんと食べてたんだから、褒めろよ」
 人差し指で膨らんだ頬を突いた。ぷふっと空気が漏れる。
「お前、ほんと子供みたいだな」
「……ハタチ過ぎた野郎に何言ってンだよ」
 竜馬は面白くなさそうに横を向いた。悔しそうに目元が歪んでいる。少々からかい過ぎたかもしれない。
「……ん、そうだな。悪かった。お前はよくやってるよ」
 フォローする。
「……」
 竜馬は沈黙している。
「ん? どうした?」
「……いや」
「なら、早く粥を食わせろ。そんでもって、唐揚げを食わせろ」
 促した。

「やっぱり最後まで苦かったな」
 達人が空の椀を見やる。
「でも、ありがとうな、竜馬」
 頭を撫でる。竜馬は目をぱちぱちとさせて——そのあとで嬉しそうに笑った。
 達人の胸に温かさが広がる。竜馬はいつも自然体で、達人からすればとにかく好ましかった。
 いつ死ぬかもしれないのに、ゲッターに乗っては玩具を操る子供のようだし、いつでも誰にでも感情を隠さずぶつけてくる。それで衝突することもあるが、根が馬鹿がつくほどまっすぐなだけだ。口は悪いが本当は気がよくて、誰かが傷つくくらいなら自分が前に出る。
 達人自身も無茶をやらかして散々に言われたこともある。自分でもそう思うときもある。だが、竜馬ほど桁違いに馬鹿で阿呆な男は初めてだった。
 ——だから、俺は。
 す、と手のひらを下ろして竜馬の頬に触れる。親指の腹で柔い肌を撫でた。
「……達人?」
 竜馬が不思議そうに見る。
「あ? ああ」
 我に返り、手を引っ込める。
 ——俺は、何を。
 無意識のうちにしてしまった行為と竜馬の視線にどぎまぎしながら、目を逸らした。
「……いや、何でもない」
 思いを呑み込む。
 初めは、可愛い弟ができた気分でただ嬉しかった。一緒にいられて、純粋に楽しかった。
 それがいつからか、後戻りのできない気持ちに変わった。もうきっかけも覚えていない。視界に入るのも、目が合えば笑いかけてくるのも当たり前で、好きになるのは必然としか思えなかった。
 竜馬にそういうつもり・・・・・・・がないことはわかっている。
 自分は「ただの兄貴分」だ。
 達人は言い聞かせる。
「なあ」竜馬が口を開く。
「達人のほうこそ、何か悩み事でもあンじゃねえのか」
「え……」
「ときどき、ぼーっとしてる。ヘンだぞ」
 からかうふうでもなく、至って真剣な表情。
「達人だって大事な仕事してンだから、ケンコーじゃねえといけねえだろうが」
「……竜馬」
 達人の胸が痛む。
 つらかった。
 一緒にいられて倖せなはずなのに、距離が近くなるだけ、息苦しい。竜馬に要らぬ心配をかけていることも心苦しかった。
 ——弁慶の口癖じゃないけど、ほんと、情けねえなあ。
 心の中で溜息をつく。自分が好きならそれだけでいいはずなのに、いつしかもっと傍にいたくて、触れたくて、同じものを竜馬に求めていて——。
 それはただのエゴだ。
 達人が俯くと同時に、竜馬の手が伸びてきた。
「——」
 額にそっと触れられる。
 ——竜馬。
 目を閉じてぬくもりを感じる。
 今、世界がこの空間だけであればどれほどいいだろうか。
 きっと、わずかだけでも、この心が救われる。
「少し、熱っちいか?」
 すうっと熱が離れる。
「……飯を食ったばかりだしな。それに、お前といるとまたああだこうだとやりあうのかと思ってな、血圧も上がる」
「ンだよ。いちいちうるせえっての。包帯男は素直に寝てろ」
 竜馬は唇を尖らせて悪態をついた。
「————っ」
 その唇に、触れたい。
 思ってからすぐに顔を背けた。
 ジャレついてくる竜馬を見ると心が和む。拗ねてそっぽを向く竜馬を見れば頭を撫でてやりたくなる。
 そして、抱きしめたくなる。
 他意なく慕ってくれている相手に劣情が湧き上がってくるのも本心で、浅ましくて嫌になる。
 ——くそっ。
 いつまでこらえられるのか自信がなかった。

   †   †   †

 体調はすこぶるよかった。
 それが粥のせいだったのか、はたまた日頃の激務から解放され、休養を取れているからなのかはわからない。
 痛み止めを減らし、リハビリを行い、届けられた書類や実験データに目を通す。
 徐々に日常——といっても、ゲッターロボと鬼どもで形作られる時間はきっと非日常だけれども——が近づいていた。
 竜馬は暇があれば相変わらず顔を出しにきていた。
 達人が鬼獣の攻撃の煽りを食って大怪我をした——そう聞いて一番狼狽していたのは、ミチルよりも竜馬だった。見舞いにきた同僚から聞いていた。そのあとで竜馬は「俺が世話をする」と宣言したとか。
 達人はひとり苦笑する。
 目覚めたときに見た竜馬の面持ちはそのような殊勝なものではなく「世話をしてやる!」と言わんばかりのものだった。実際、自作の粥を持ってきては強制的に食べさせようとする辺りそうなのだろう。
 粥の味は苦手だった。それでも、竜馬が「達人」と名前を呼んでひょこっと顔を覗かせると、にんまりするほど嬉しい。そうして、
 ——神様。もしいるのなら、少しだけ感謝する。
 柄にもなく呟く。怪我をさっ引いて、あくまでも「少しだけ」。
 ——もともと、自分が悪い。
 達人は思う。
 神様はいない。
 いたら、ゲッター線だの鬼だのを抱えて右往左往する人生は送っていない。毎日、死線を越えるかどうか、という暮らしはしていないはずだ。
 しかし何かの拍子にすがりたくなるのはやはり神だ。やれ七五三だ、初詣だ、お祭りだ、と幼い頃から習慣として身近にあるものだし、実際に運命は変えられないとしても、無意識に祈ってしまう。
 ——だから。
 もう少し竜馬と一緒にいたいと願った。科学者の端くれであるはずなのに、神様に祈った。
 一秒でも長く、竜馬と一緒に過ごしたい、と。
 その願いは叶った。
 同時に、罰が当たった。
 深い溜息。
 ふたりきりの時間が長くなるほど、達人の心は沈んでいく。いくら思っても、永遠に竜馬は達人のものにはならない。
 昏い感情が心を支配する。
 そんなときはまた祈る。
 ——神様。悪かった。「いない」って思っているくせに願い事をして悪かった。だから、もうやめてくれ。
 胸の内をかきむしりたくなる。頭を抱えて、大きな声で叫びたくなる。きっと、思いきりみっともない顔になるだろう。
 いつでも笑みを浮かべ、あらゆることに余裕を見せている今と正反対だ。けれども、それも素の達人だった。
 早乙女博士の代理で陣頭指揮を執ることも多いから、不安をばら撒かないように常に心がけている。おかげで、所員や竜馬たちの信頼を得ている。だが。
 ——俺だって、弱い。
 好きな相手の言動ひとつが気になって、心が乱れるくらいなのだ。
 ——神様。もう、いいだろう?
 罰はもう受けた。望めば望むほど、乾いていく。神様はいないと思っているくせに、その神様に向かって許しを乞い続けている。
 こんなのは茶番だ。わかっている。
 ——まったく、身勝手にも程がある。
 心中の神様とは、実に都合のいいものだ。いいことが起きて感謝すれば、自分は信心深くて真っ当な心根の持ち主だと思える。逆に不幸や己の力が及ばないことも、なじって文句をつければ自分の体面は保たれる。傷つくことはない。
 普段は神様などいないと思っているけれど、人間は身勝手だから欲するときもあるのだ——今の達人のように。

   †   †   †

 目覚めると辺りは静まり返っていた。壁の時計を見る。針先の蛍光塗料が真夜中だと示していた。
 人の気配がして、達人は視線を巡らす。ベッドの右側に何かあった。
「……?」
 暗闇に目を凝らす。
 ——あ。
 竜馬が傍らに突っ伏して寝ていた。
「りょ——」
 思わず呼びかけて、口をつぐむ。
 竜馬。
 ささやく。
 すぴすぴと気持ちよさそうな寝息だけが聞こえてくる。
 ——はて、困った。
 身体を動かせば布団も引っ張られる。おそらく、起こしてしまう。かといって、大事なパイロットに風邪を引かれたり首を寝違えでもされたら——竜馬ではありえないと思うが——管理側の責任である。
「……ふむ」
 きっと、起こすほうが可哀想だろう。能天気な寝顔を見てそう思った。
「……」
 無防備な竜馬。きっと、達人以外は知らない姿だ。竜馬はいつでも自由で素直だけれども、こんなふうに身を任せたりしない。だからつい勘違いしてしまう——「俺のことが好きなのか」と。
 何回、神様に訊ねただろうか。
 ——神様も困るだろうにな。
 都合のいいときだけ寄り掛かられて、そりゃあ罰のふたつや三つ、あてたくもなる。
 ——俺なら、絶対そうだ。
 苦笑し、そのあとで手を伸ばす。
 竜馬の髪が指に触れた。太くて硬そうに見えるが、意外と細く、しなやかだ。なるべく優しく頭を撫でてみる。大きい赤ん坊を撫でているようで、面白い。
 竜馬はまったく起きる気配がない。
 それで、つい。
「————」
 魔が差す。
 そうっと人差し指の背で左頬に触れる。すると、竜馬の顔がややこちらに向いた。目はすでに暗がりに慣れていた。
 想像よりも睫毛が繊細で綺麗だった。きゅん、と上を向いている鼻先が可愛らしい。ふにふにとした、成人男子とは思えない柔肌が愛おしい。
 今度は唇に触れてみる。血が通って温かい、ぷっくりとした竜馬の唇。
「……」
 だが、すぐに物足りなくなって親指の腹で撫で始める。こうでもなければ、きっと一生、知らない感触だ。
「う、ン……」
 その唇から声が漏れて、慌てて手を引っ込めた。

「————」

 達人は息を詰めて竜馬を凝視する。
 動かない。
 ——よかった、起きてない。
 目を閉じ、ほうっと息を吐き出した。ゆっくり目蓋を持ち上げる。
 竜馬と視線がかち合った。
「な——」
 心臓が大きく脈打つ。
「……よお」
 竜馬はもそもそと身体を起こし、あくびをした。
「今日は合体訓練が長引いて、来るのが遅くなっちまった」
「そ、そうか。お疲れさん」
「寝てたから起こすのも悪ぃなあって思って見てたらよお、俺も眠くなってな」
 もう一度、ふわあ、とあくびをする。
 ——バレてないよな? な?
「……部屋に戻って、ちゃんと身体を休めろ」
 動揺を抑え、兄貴然とたしなめる。
「俺は若いから、どこでもちゃんと休めるぜ」
 達人よりもな、と笑う。
「そうじゃなく」
「うン?」
「身体も冷えるし、不自然な体勢じゃ疲れは取れない。……パイロットは、一瞬が命取りになるんだぞ」
 さすがに最後の言葉は効いたらしく、竜馬は神妙な面持ちになった。
「な?」
「……わかった」
 頷き、聞き分けよく立ち上がる——と、竜馬はベッドに上がり込もうとしてきた。
「えっ、お? 竜馬?」
「じゃあここで一緒に寝るわ」
「は? いや、狭いから!」
 ——そうじゃない……!
 混乱のあまり、とんちんかんなことを口走る。
「大丈夫だって」
「え? いや、大丈夫じゃないから!」
「落ちねえよ、たぶん」
「待て! ダメだ、竜馬——竜馬っ!」
 まるで言うことを聞かない犬を叱るように、力を込めて怒鳴った。
「あ……」
 我に返る。竜馬が目を丸くして見つめていた。
「いや、その」
 悪い、と呟く。
 しん、と静寂が戻る。
「…………ンだよ」
 竜馬が拗ねたような声を出した。そして、
「なあ、達人。溜まってんなら、手伝ってやろうか」
 おかしなことを言った。
「…………は?」
 達人はその言葉の意味がわからず、めっぽう間の抜けた音を口から発した。
「手伝ってやってもいいって言ってンだ」
 目の前の男は、今度は悪戯めいて笑う。
「は? え——?」
 ——手伝う?
 右手が達人の左腿に置かれる。
 ——え?
 その手を見て、竜馬の顔を見て、また視線を戻す。人差し指が脚を軽くくすぐった。それから竜馬の手は腿を撫で上げてするりと内側に落ちる。
「え……」
 事態を把握できず、達人のまたたきが増えた。その反応を愉しむかのように、竜馬はちらりと上目遣いをした。
 その手の向かう先は。
「! なっ、りょう⁉︎」
 意図に気づき達人の口から頓狂な声があがる。
「元気がなかったの、コレのせいか? 思うように動けねえと、つれえよなぁ」
 仰け反ると空いたスペースに竜馬がずいと割り込んでくる。
「やめろ、竜馬」
「さっき、俺を触ってたろ?」
「——」
 左手が胸に触れる。右の指は股間に這い進んでいく。
「竜馬、やめろ。頼む——やめろ……っ」
 まさしく、懇願だった。
 必死過ぎて、自分の声が滑稽に聞こえる。情けなくて泣けてきそうだった。
「だめだ、やめろ……!」
 竜馬、と呼ぶ声は震えていた。
「頼む……っ!」
 それでやっと、届く。
「……わかったよ」
 不満そうに零して竜馬が離れた。
「……ふざけるのは、本当にやめてくれ」
 達人は右手で口元を覆い、俯く。声が裏返りそうになっていた。
 口を塞いでいないと、言葉が勝手に出てきそうだった。
 それが竜馬を罵るものか諫めるものか、蓋をしていた自分の思いかはわからない。けれどもきっと一線を越えてしまう。どんな形であれ、竜馬との関係性が変化してしまう。
 それだけは本能的に悟っていた。

 ——怖い。

 竜馬の屈託のない笑顔が見られなくなるかもしれない。達人、と呼んでくれなくなるかもしれない。身体が小刻みに震える。

 ——怖い。

「……ふざけてねえよ」
 目を瞑り顔を背けたそのとき、落ち着いた声音で竜馬が返してきた。
「ふざけて、男にこんなことできるかよ」
「…………」
「なあ、達人」
 そろそろと顔を向ける。真顔の竜馬がじっと見つめていた。
「——」
 どきりとする。
 いつになく真剣な眼差し。
 何か言ってごまかさないと——。
「いや、その、あれ、あれだ。その、学生とかよく男同士でアダルトビデオなんか観てると、だな」
 気の合う同性同士、その場の勢いで自慰の見せ合いや触り合いに発展することもあるじゃないか。
 何の説明をしているのか、自分でもわからない。
「その、何を言いたいかというと——」
「ああ」
「う…………頼むから、その……頼むから、ほかの男の前で……その…………同じこと、を……しないで、くれ」
 一生で一番、歯切れの悪い科白だと思う。
「その……誤解を生む」
「誰に」
「ん…………相手の男が、竜馬に……好かれている、と」
「それで何か都合が悪ぃのか」
「え——」
 言葉に詰まる。
 ——都合?
 誰も、何も悪くない。

 ——俺が、嫌なだけだ。

 竜馬が、ほかの誰かを好きになって、その人しか見えなくなって。
 考えるだけで胸の奥がむかついて、達人は思わず胸元に手をやる。そうなったら、いない神様を呪い続けて気を紛らわすしかない。
「アンタ以外の男にするかよ」
 気が遠くなりかけたとき、竜馬の声が聞こえた。
「するワケ、ねえだろ」
「————」
 これ以上、あけっぴろげな答えがあるだろうか。
 ——そんな。
「そういうつもり」は微塵もないのではなかったか。
 いや、ないから、言えるのだろう?
 達人の「好き」と、竜馬の自分への「好き」が、同質であるわけがない。

 ——神様。

 いつもと同じだ。きっとこれは——。

 達人の瞳がすがる先を求めて忙しなく動き回る。
「鈍感」
 竜馬は楽しそうに言い、身を乗り出した。顔が近づく。

 ——俺の。

 竜馬の唇が、達人に触れた。
「————っ」
「……アンタ、頭もよくて強くて、おまけにツラもいいけど……ほんと、鈍いよな」
 もう一度、唇が触れる。柔くて、温かくて、溶けてしまいそうになる感触。
「……っ‼︎」
 頭に血が上る。
「なあ、たつひと」
 竜馬の息が達人の唇にかかる。
「俺は『ただの兄貴分』の面倒見るほどお人好しじゃあねえし、欲しいものを誰かに横取りされそうになったら、先にツバつけるようなズルい男なンだぜ」
 また、軽く口づける。それから、舌先で達人の唇をぺろりと舐めた。
「——」
「へへ」
「ほ、欲しい……も、の……?」
 まさか、と思う。だが——。
 竜馬の瞳が笑う。
「達人が言ったンだぜ」
「え」
「『もし何かあるなら、遠慮するな』って」
「そ、それは」
 確かに言った。
「パイロットはケンコーじゃねえとな。グジグジ悩むのは性に合わねえって、よくわかったぜ」
「そ、そ」
 ——それは、もしかして。
 もう言葉にならない。

 ——ああ、神様。

 心の内で声をあげるのが精いっぱいだった。
「そんな鈍いとこも、好きだぜ」
 初めて見る艶っぽい表情。達人のほかには誰も見たことがない、竜馬の。
「りょ——」
 またキスが生まれた——今度はもっと、熱を帯びて。