達人が生き残っている世界線。達⇄竜、両片思い。ただし達人は無自覚。
悪気のない言葉への反応で竜馬の思いに気づき、さらに自分の気持ちを自覚する達人のお話。達人一人称。告白まで。約6,000文字。2022/1/11
◆◆◆
竜馬に甘い、と言われる。
今日もミチルに言われた。昨日は弁慶に。
明日は隼人か父さんか。
——いや。
父さんにはもう三回か四回、もしかしてもっと言われていたかもしれない。
贔屓をしている自覚はないのだが、突っ走る竜馬をみんなして責め立てるから俺が間に入るしかない。そうでないと弁慶と竜馬はすぐに殴り合いを始めるし、隼人は嫌味を言って竜馬が綺麗に煽られる。ドタバタされるととばっちりで物は壊れるし、雰囲気は最悪だし、いいことなんてない。
仲裁が甘いなら普段はどう思われているのだろうか。
竜馬も気安く接してくれるから、どうしてもゆるくなってしまうのかもしれない。馴れ合いは綻びを呼ぶから、そこは気をつけないと。それで誰かが犠牲になるような事態だけは避けないといけない。
引き継ぎ用のチェックシートを書き終えて見直す。漏れはない。
「よし」
連絡ボックスに入れ、ぽんと棚の天板をひとつ叩く。
これでようやく、白衣が脱げる。
「んんーっ」
思いきり伸びをして肩と背中を伸ばす。一日で一番、解放感を味わえる瞬間だ。緊急時は非番だろうが具合が悪かろうが出張らないといけないから、自分の時間は大事にしたい。
早く部屋に戻って一息つこう。
「お疲れ」
「達人さん、お疲れ様です」
所員たちと挨拶を交わしてモニタルームを出る。
戻ったら、シャワーを浴びて、何か軽くつまんで、それから——。
ふと竜馬の笑顔を思い出して立ち止まる。
「——」
いつからだったか、隙間の部分に竜馬が入り込むようになっていた。なぜか浮かんできてしまうのだから、仕方がない。
トラブルも危機も吹き飛ばすような力強さ。それでいて、妙に和んでしまう人懐こさ。ちょっとしたことで不機嫌になって、同じくらい些細なことで弾けるように笑う。
——もしかしたら。
やっぱり贔屓目にしているのかもしれない。
懐かれ、ストレートに好意を向けられたら人間、悪い気はしないものだ。
それに、大人になれば誰しもが少なからず心を隠すようになる。自分に嘘をつくようになる。
竜馬にはそれがない。
だから、全部が信じられる。
けれども畏まって持ち上げるのではなく、ポケットに忍ばせている飴をこっそりあげるような、そんな心情。
「ふむ」
今度、本当に飴をあげてみようか。
竜馬はあの大きな目をぱちぱちさせて、それから何と言うだろうか。
「——ふふっ」
想像するだけで楽しかった。
† † †
「たーつひとっ」
同時に背中にずっしりと重さが加わった。
「ぐ!」
こらえ、身体を前傾に持っていく。
「りょ、うまぁ、こら!」
「へへ」
両手が塞がっているのできちんとしたおんぶはできない。竜馬は脚をだらんとさせて、腕だけで俺にしがみついている。
「お前、俺が持っているのが書類だからいいようなものの、鬼の標本を落っことすようなことになったら揃ってミチルにどやされるんだぞ」
「そんときゃおめえがうまい言い訳考えろ」
「この」
「おわっ」
ぐい、と身体をひねって振り落とそうとする。なかなか離れない。
「しぶといな」
「こ、ンの……ッ」
「おい」
「負けねえからな!」
両脚を持ち上げ、俺の腰に巻きつける。いったい、どんな腹筋をしているのやら。
「これで落ちねえぞ」
ぴったり引っつかれる。
「お前、何かあるとすぐに『負けねえ』って言うけどな」
「あンだよ」
「いっつも何とそんなに張り合っているんだよ」
「ンなモン決まってらあ。全部だ、全部——いよっと」
「ぐ」
自力で身体を持ち上げ、おんぶのポジションにつこうとする。
「お、お、お前」
後ろに引っ張られる。さすがに、重い。
「おい……!」
すれ違う所員たちがくすくす笑って横目で見ていく。それだけ、周囲には見慣れたじゃれ合い。
「俺ひとり分ぐれえ何てことねえだろ。鍛えてンだろが」
「鍛えてはいるがな、お前、重いんだよ」
「失礼だな」
「お前、筋肉だらけだろ。筋肉は重いんだ。それにしがみつかれたら——ああ、くそ、持っていろ」
もう仕方がない。
竜馬の鼻先に書類を突きつける。
「ん? おお」
竜馬は呑気な声をあげて書類を受け取る。それで俺の両手が自由になる。
「ばら撒くなよ」
「任せとけ」
自分から世話になりに来ておいて、何が任せとけなのか。
「お前、本当にしょうがないな」
手を後ろに回す。
「脚でしがみつくのをやめろ。腹が苦しい」
「ン」
腿を抱えて、おんぶの形に収める。
「それで、どこまで行くつもりだ。遠くならタクシー代を要求するぞ」
竜馬が吹き出す。
「これでタクシーかよ」
「うるさい。文句言うと引っぺがしてぶん投げるぞ」
「絶対ぇ離れねえ」
四肢にきゅ、と力がこもった。首の後ろに頬をぺたりと押しつけたのがわかる。
「——」
不意に、胸が高鳴る。
「ン? 達人?」
背中全体に感じる、竜馬のぬくもり。
「——いや、何でもない」
そう、何でもない。
幸い、竜馬は背中にいる。もし妙な表情になっていたとしても、これなら見られなくて済む。
「おめえはどこに行くンだよ」
「その書類をまとめないといけなくてな、いったん部屋に戻る」
「……んじゃ、このまま達人の部屋まで」
ほんの少し甘えるような鼻声で竜馬が言った。
† † †
部屋に着くと、竜馬は我が物顔でソファに腰を下ろした。
「お前、何しに来たんだよ」
「遊びに」
にっと笑う。
「今イーグル号が整備中なンだよ」
「それならそれでやれることもあるだろう?」
「あー」
竜馬はガシガシと頭をかき、ばつが悪そうに上目遣いで見てくる。俺は指揮を執る側に立つ。
「今までの鬼獣の動き方や弱点のおさらいとか、パターンごとの攻撃手順の見直しとか、軽い整備の仕方とか。いろいろ、あるだろ」
当然、素直に聞くような竜馬でないこともわかったうえで。
その奔放さは羨ましいと思う。強さの理由のひとつだろう。けれども、隼人や弁慶、父さんを始め研究所のみんなにも関わることだから、俺だって言うときは言う。
「たまには、パイロットの勉強でもしろ」
「俺ぁ本番に強えタイプだから、必要ねえ」
案の定だ。竜馬は理詰めでゲッターに乗るような男ではない。
「ったく」
ふう、と小さな溜息。本気であきれているわけではない。「竜馬なら仕方ない」という納得を含んだ諦めだ。
それをわかっているからか、竜馬もいくら俺に小言をぶつけられても本気で不貞腐れることはない。
冷蔵庫を開けてコーラの缶を取り出す。
「ほれ」
「おっ、さんきゅ!」
ぱあっと笑顔になる。
「——っ」
思わず見惚れた。
「ン?」
見つめられ、我に返る。
「あ——ああ、いや」
急いで目を逸らす。
——しまった。
不自然だったろうか。
「ふう、ん」
竜馬は特に気にする様子でもなく、プルトップを開けた。一気に喉に流し込む。
「ぷあっ——ああ、極楽極楽」
「お前、この。俺はまだ仕事中だし、お前だって鬼が出たら闘うんだぞ」
軽くデコピンを見舞いする。
「でっ。わあってるよ。それにビール飲んでンじゃあねえし、これくらいいいだろが」
「……はあぁ」
さっきとは違って、思いきり深い溜息をついてしまう。
面倒でもないし、ましてや嫌なわけでもない。なのに無邪気な竜馬にどうしてか少しだけ心が重たくなって、ついやってしまった。
「……達人?」
竜馬が怪訝そうに俺を見上げた。
——マズい。
再び瞬間的に目を逸らす。だがもう遅い。
「なあ」
じっと見つめられる。
「……気にしないでくれ。少しだけ、疲れていて」
頭をフル回転させて、当たり障りのない言葉を選ぶ。
「…………ああ、そっか」
竜馬は素直に受け取ってくれたようだった。
竜馬はソファの上でくつろぎ、俺は資料と睨めっこをしていた。
と、竜馬が立ち上がる気配がした。近づいてくる。
「達人ぉ」
「何だ」
顔を見ずに答える。
「あと何分かかる?」
「そうだな、あと——十五分もあればこっちのチェックが一段落する」
紙の束をぽんと叩く。うげ、と竜馬の声が左上から降ってきた。
「……そっちは?」
「これはチェック済み。こっちはまだ」
「げえ」
「手伝ってくれるか」
「む、ムリ!」
だろうな、と笑って振り仰ぐ。竜馬が苦虫を噛み潰したかのような顔で見ていた。
「お前、ひどい顔してるぞ」
「な、こんな男前に向かって」
「よく言うぜ」
——ああ。
こんな何でもないやりとりでも、胸の奥があたたかくなる。
やっぱり、竜馬といるのは心地がいい。
「で、どうした?」
「お? ああ」
竜馬が壁の時計を見る。
「俺、そろそろ腹減ってきたンだけど」
「食ってきたらいいだろ」
「一緒に食おうぜ」
「お前」
思わず吹き出す。
「あンだよ」
竜馬が小さく唇を尖らせた。その仕種がいとけない子供のように愛くるしくて、指で腹をつつく。
「あにすンだよ」
頬が膨れる。けれども、俺の手を振り払わない。
だから俺は。
「お前、よっぽど俺のことが好きなんだな」
するりと口から出てしまった。
「え」
竜馬の身体が緊張し——表情も固まる。
「え」
思ってもいなかった反応に、俺も硬直してしまう。
「……」
「……」
無言で見つめ合う。
「…………は?」
ぽかりと開いた唇から妙な音が発せられた。
「え、俺」
——変なことを言ったか。
訊こうと思ったが、なぜか言葉が喉から出てきてくれない。
——待て、「変なこと」? それって、どういう意味で?
「ぁ……」
竜馬の腹を突いていた指を引き戻す。その右手で口元を覆う。もう、言葉は零れてしまったのに。
——ヤバい。
からかうにしてもふざけ過ぎているだろう。竜馬の信頼を茶化すことになる。それに、何て自信過剰で嫌味なヤツだと思われただろうか。
「いや、竜馬、その」
違う、と言おうとして立ち上がる。
竜馬が目を見開いて、びくりとした。
「え」
その顔が赤くなっていく。
「りょう——」
見る間に耳も首筋も真っ赤になって、長湯でのぼせたみたいになる。
「……竜……馬」
唇が何か言いたげにぱくぱくと動く。
——もしかして。
思った瞬間、頭に血が上った。
「え、竜馬、お前」
俺の顔も赤くなっているかもしれない。
「…………ッ」
竜馬の顔が泣き出しそうにくしゃりとしかめられた。横を向いて俺から視線を外す。
——竜馬。
息が止まるくらいに、鼓動が大きく跳ねる。
「りょう、ま」
——可愛い。
そう、思ってしまった。
抱きしめたい。
手を伸ばす。
竜馬が身を震わせて後退りをした。
俺は一歩、前に出る。
また、竜馬が退がる。
「…………あ」
すぐ壁に阻まれて竜馬の動きが止まる。困惑したような、不安そうなか細い声が漏れた。明らかに動揺に呑まれている。
「竜馬」
目の前まで来て、壁に手をつく。その下で竜馬が小さく首を横に振った。怯えているようにすら見える。
「竜馬……」
ささやくと、顔の赤みが強くなった。おそらく、世界中で俺しか知らない竜馬の姿。
——本当に、俺のことが。
胸の奥がきゅっとした。嬉しさが込み上げてきて、落ち着かない。
そう思うのはきっと、俺も——。
「竜馬」
そろそろと顔を近づける。
「——」
竜馬が硬直し、呼吸をやめたのがわかった。視線が忙しなく動き、やがて俺をとらえ、またすぐにどこかを見る。少しだけ、瞳が潤んでいるように思えた。ふっくらとした頬はほんのわずかに震えていて、柔らかそうな唇からは何か心のカケラが溢れてきそうで——。
唇まで、もう少し。
「竜馬」
ぎゅっと目が瞑られた。それが視界から俺を追い出すような仕種に見えて、我に返る。
「……あ」
顔を離す。
竜馬は深く俯く。
「あ、悪い……!」
壁から手を離し、一歩遠ざかる。
「す、すまん!」
——俺は、何を。
いくら竜馬が可愛いからって、それは。
自己嫌悪と申し訳なさが湧いてきて竜馬を正視できない。身体ごと横を向く。
「その、悪い。ちょっと……ふざけ過ぎた」
「…………はぁ?」
だが不機嫌そうな声が返ってきた。
「え……竜、馬……?」
「達人、おめえ……ふざけて俺にキスするつもりだったのかよ」
口調はいつも通りだったが、声は震えていた。
「おめえ、ふざけて……っ」
竜馬を見る。今度こそ本当に泣き出しそうな顔をしていた。
——竜馬……!
瞬間、胸の奥がえぐられたように痛くて、苦しくなる。
そんな顔をさせたかったわけじゃない。
「いや、違う!」
「何が……っ」
「その、それは言葉の[[rb:あ > ﹅]][[rb:や > ﹅]]で、お前をからかうつもりはなくて」
「う、嘘つけっ」
ぽろりと涙の粒が竜馬の瞳から零れた。
「嘘じゃない!」
「じゃあ、何なンだよ……!」
また、涙が落ちる。
ああ、泣かせてしまった。俺は、馬鹿だ。
「俺はっ、本当に竜馬が——」
そこまで言って、言葉を呑み込む。
「……っ」
やっと、自覚した。
目を瞑り、深く呼吸をする。
「…………竜馬」
ゆっくり目蓋を開けて、正面から竜馬と向き合う。
「な……なン、だよ……っ」
竜馬は涙も拭わない。まっすぐ、竜馬らしく俺を見る。
「本当のことを言う」
「お、おう……」
「お前が可愛い」
「…………え」
「ふとしたときに、お前のことを考えてしまう。もう、俺の中はお前でいっぱいなんだと思う」
「……」
「お前を抱きしめたい。……キスしたい」
一歩、近づく。
もう竜馬は逃げない。俺を見上げる。その拍子に、溜まっていた涙がまたほろりと落ちた。
「竜馬」
触れたい——けれども、その前に。
「竜馬、好きだ」
先に告げるべきだった言葉を口にした。
「嫌な思いをさせてすまなかった」
「——」
竜馬の表情がまた泣きそうに歪んで、それから柔らかくほどけた。
「……ばっきゃろ」
「お前に言われるとはな。……いや、本当のことか。しょうがないのは、俺のほうだ」
頭を撫でようと右手を出して——ためらって引っ込める。
「…………達人」
「……何だ」
竜馬が下唇をきゅ、と噛む。
それから小さく開いて。
「好きだ」
同時に抱きついてきた。
「あ……」
背中に回された腕に、ぎゅっと力が込められた。
「……竜……馬」
もう、抱きしめてもいいのだろうか。
両手を持ち上げる。
情けないことに、震えていた。
「竜馬……俺」
胸に顔を押しつけていた竜馬が上を向く。
「許してやる」
そうして、思いっきり笑った。