達人が生き残っている世界線。つきあってます。ハロウィンでわちゃわちゃイチャイチャしてるふたりのお話。
オバケに変装して達人を驚かせようと企む竜馬、それに気づくけど知らんぷりして仕掛けを待つ兄さん。キスまで。約6,000文字。2023/10/31
去年のハロウィンはこちら→『甘いお菓子をあげましょう』
◆◆◆
ちらりと見えた白い物体に気づかないフリをする。
——あいつ。
零れる笑みを、達人は手にしたバインダーで隠した。
気配が消しきれていない。緊張しているのだろう。こういうイベントは初めてなのかもしれない。
角を曲がり、一直線の通路を歩く。背後に意識を向ける。距離を取ってついてきているようだった。この通路は長いうえに分岐はないから、途中で振り向いたら竜馬の計画は台無しだ。
少しだけ首が傾ぐ。
まっすぐ部屋に戻るつもりだったが寄り道をしようか。どこがいいだろうか。
わずかの時間考え、突き当たりを左に折れた。自室とは反対方向だ。その先をさらに左に曲がる。鍵のかかっている扉を通り過ぎて資料庫に辿り着く。
——さて、と。
さりげなくうかがう。曲がり角の向こうからこちらの様子を確認しているようだった。
資料庫を見回す。ここは扉が設置されておらず、出入りは自由だ。物置き同然でほとんど人も来ないし、棚で視界が遮られるから仕掛けはしやすい。意図を知ったら怒るだろうか。でも、せっかくだから一緒に楽しみたい。
資料を探すポーズでゆっくりと進んでいく。こんなふうにイベントを迎えるのは久しぶりだ。一家四人でクリスマスを過ごしたのが最後だった。
達人の脳裏に家族の笑顔が浮かぶ。朝から続くそわそわとした気持ち。食卓に満ちる朗らかさと明るさ。プレゼントを交換するときの妙な緊張感と高揚感。弾む声で礼を言われたときの嬉しさ。そんな感情を思い出していた。
——今も。
心が浮ついている。竜馬となら、こうして待つ時間も倖せだった。
「……あ、これ」
ファイルの背表紙に目が留まる。
現在の研究所を建て始めた頃の資料が並んでいた。当時はとにかく、父親の足手まといにならないように必死だった。
「懐かしいな」
必死なのは今も変わらないけれども、あの頃よりは成長しているはずだ。そうだったらいい。そうでなくては困る。
バインダーを空いている棚に置き、ファイルを手に取る。パラパラとめくり、別の一冊と入れ替える。それも軽く流し見をして棚に戻す。次の一冊を見定めようとして、達人の意識は完全に竜馬から逸れていた。
そのとき。
視界の端に動くものが映り込んだ。
「——」
はっとして顔を向ける。真っ白な塊が目に飛び込んできた。同時に勢いよく声があがる。
「トリック・オア・トリート!」
声を発した塊は、蠢いたと思うと上に伸びていく。
「えっ」
呆気に取られていると、塊は達人の背を通り越して止まった。デフォルメされた目と口が眼前に現れる。
「……お化……け」
白い妖は「ヒヒ」と笑った。視線を下げる。達人の胸元の高さに小さな穴がふたつ、開いていた。中できょろりと動いたのは黒目だろう。
それなら竜馬は、このシーツの下で両手を高く上げてお化けになりきっている——。
「……ぶふっ」
思わず吹き出してしまう。
「なっ、ンな、てめっ」
「悪い、竜馬」
「竜馬じゃねえよ、オバケだオバケ」
すぐさま返ってくる。声も言葉遣いも竜馬でしかないのに。
「……っ」
笑いをこらえ、対峙する。
目つきはちょっと鋭いが、怖いかと訊かれたらそこまでの迫力はない。けれどもちゃんとお化けだ。竜馬が描いている姿を想像すると途端に可愛らしく感じてしまうのだが。
「うん、お化けだ。俺よりでかいお化けとは、正直びっくりした」
嬉しいのか、白いシーツのお化けはゆらゆらと左右に揺れてはぴょこりと爪先立ちをする。そうして存分にアピールしてから「トリック・オア・トリート!」とお決まりの文句を再び発した。
「ん、じゃあ……これ」
達人は白衣の右ポケットから個包装されたクッキーを取り出す。
「お菓子だぞ」
子供に見せびらかすように振り、封を切る。
「ほら、あーん」
せっかくだから本物の口に差し出してやる。案の定、お化けはつられて「あーん」と言った。
「……」
「……」
しかし、シーツに覆われていては食べられない。
「ぷ、くっ」
唇を引き結んだが無駄だった。先刻と同じように吹き出してしまう。
「おめえいい加減にしろよ」
唇がつんと尖っているのがわかる。こう言ったらますます顔を歪ませてしまうのだろうが、拗ねる顔は可愛らしい。見られなくて残念だ。
お化けがすすっと縮んでいく。代わりにシーツの裾が床に広がる。布端がもそもそと手繰り寄せられると手がにょっきりと出てきた。節くれのある、闘いに慣れている手。今日は拳を握るのではなく、平和に開かれてクッキーを待ち受ける。
達人はそこにクッキーを乗せ——。
「やっぱり、お菓子はなし」
寸前で、手が引き戻された。
しばしの時間を挟み、シーツの下から「は?」と訝しげな声があがった。
「気が変わった」
「気が変わ……って、そりゃねえだろ」
竜馬が手を伸ばす。達人は素早く躱す。
「あ、こら! 男に二言はねえはずだろ!」
「んん、それを言われると悪いとしか返せないが、とにかく、お菓子はなし」
「あンだよ、けち!」
奪い取ろうとして揉み合いになる。
「だめだ」
「ワケわかんねえ! おい!」
「こら、危ない」
「おめえがやってンだろ……って、クッキー寄越せ! 達ひ——おわっ!」
床に垂れたシーツの端を踏む。爪先立ちで踏ん張りが効かず、竜馬はそのまま滑って前方へ倒れ込んだ。
「竜馬!」
咄嗟に抱きしめる。が、達人も攻撃を避けようと上体を反らしていたからますます不安定な体勢になる。
「……っと!」
右肩が棚にぶつかる。置いていたバインダーが小さく跳ねた。書架は固定されてはいるが、物が落ちてこないとも限らない。達人はすぐに身体をひねる。勢いで反対側の書棚に当たらないようにさらに身体を傾ける。そのせいで後ろ向きに倒れ、竜馬を抱いたまま尻餅をついてしまった。
「……痛っ」
反射的に顔がしかめられる。
「た、達人……っ!」
シーツがまくれ、竜馬が現れる。焦りが顔全面に浮かんでいた。
「わ、悪ぃ! 大丈夫か⁉︎」
のしかかっている身を慌てて起こす。達人は腰に回している左手に力を込めて「大丈夫だ」と引き留めた。
「けど」
「お前は? どこかぶつけてないか」
「お、俺は何ともねえよ。それより、ほんとに」
「大丈夫だから」
まだ心配そうに覗き込んでいる瞳をなだめる。
「ん……、いや、正直言うと、尾てい骨を打った」
「やっぱぶつけてんじゃねえか」
「尻が痛い」
「どんぐれえ?」
「ふたつに割れた」
「え、それ大丈夫じゃなくねえ——ン? ……んん?」
「もしかしたら四つに割れたかも」
「…………」
「ふふ」
徐々に竜馬の表情が変わっていく。最後には目と口を大きく開けて。
「あっ、てめっ」
引っ掛けにようやく気づく。
「この、マジで心配したのに!」
「ははっ、悪い。お前があんまり深刻そうな顔するから」
「だってよ」
「痛いのは本当だけど、たいしたことないから。それより、こっちの被害が甚大だ」
右手を見せる。クッキーはまっぷたつに割れていた。
「粉々じゃないだけ、マシだ——あっ」
「もーらいっ」
竜馬がすかさず食いつく。まばたきの間に半分が消えた。
「ン、んまい」
ニッと笑い、もう半分にもかぶりつく。達人の目論見はサクサクという音と共にばらばらになった。
「……あーあ」
虚空をつかむ形の指先を見、達人が心底残念そうに溜息をついた。
「あンだよ。確かにうまかったけどよ、そんなに大事なクッキーだったのかよ」
「いや、イタズラのほうが、よかったなって」
「へ」
抱きしめる。
「えっ、わ、たつひ——」
「竜馬になら、いたずらされたいなって思ったから」
「な、え? ……へ?」
「どんないたずらだったんだろうな」
ちらりと見やる。
「は? いや、どんなって」
腕の中でその顔が戸惑いから朱に変わっていく。
「……お前、何想像したんだよ」
「い⁉︎ な、何って、フツーのいたずらだよ! おめえこそ何考えてンだよ!」
「ふふっ」
「あっ、てめ、またそうやって笑っ——」
ふいに声が途切れる。
残響が消え、静けさが訪れた。
「…………ン」
唇が離れると、竜馬からは微かに甘えるような鼻声があがった。その音に誘われて達人が次のキスに向かおうとしたとき。
「ストップ」
竜馬の手が割り込んだ。
「……これじゃおめえがいたずらしてンじゃねえか」不満げに睨みつける。
「そんなにして欲しかったら、してやるよ」
「うん?」
「いたずら」
「本当に?」
「おう、今してやる。……ちっと待ってろ」
瞳をくるりと巡らせる。
「ん……んと」
真剣に考える様子があまりにも微笑ましくて、達人の顔がゆるむ。また怒られたとしても、溢れてしまう感情はどうしようもなかった。
「おし。決まった」
達人の腿の上で竜馬が居住まいを正す。両手を差し出し、恋人の頬を包み込む。
「いくぞ」
気合いが乗った声とは反対に、柔らかなキスが降ってきた。達人は目を閉じて受け取る。
「……これな、まじない」
「まじない?」
「あ、でも俺オバケだから、呪いかもしんねえ」
竜馬の目がからかうように、それでいて艶っぽく笑う。
「達人が、ずっと俺のこと好きでいるようにって」
「…………りょう……ま」
「……へへ」
胸の奥が締めつけられる。息ができないほどの切なさが生まれて達人の心を揺さぶった。
たとえ呪いと名付けられていても——むしろこれは祝福だ——この先もずっと竜馬を好きでいられるなんて、何て倖せな人生なのだろう。
頬に触れる。竜馬の熱と存在を感じて自然に溜息が零れ落ちた。
「……達人?」
不安げな色が浮かんだ眼差しに、心配ないと首を横に振る。
「竜馬」
親指の腹でそっと唇を撫でる。淡い感触に竜馬が思わず睫毛を伏せ、わずかに身じろぐ。
「好きだよ」
数え切れないほど口にしてきた。きっとこれからもそうだろう。
『死がふたりを分かつまで』
その誓いの言葉は、自分たちには当てはまらない。
なぜなら——。
引き寄せ、キスをする。瞬間、竜馬の身体が緊張する。けれどもすぐにすべてを達人に預ける。
たとえ運命がふたりを引き裂いても、死が永久に逢瀬を閉ざしても、この思いを、魂を無に帰すことはできないのだから。
「好きだよ、竜馬」
もう一度、告げる。
「俺も……好き」
初めての告白のように、竜馬がはにかむ。いつ、何度聞いても嬉しくて、心が跳ねる。
「なあ、達人」
唇が耳元に近づく。
「さっさと用事済ませて、おめえの部屋に行こうぜ」
「——竜、馬」
「な?」
甘い声でねだられ、欲に眩む。吐息と肌の熱さを感じたくてたまらなくなる。
「竜馬」
「ンっ」
上着の裾から指を潜り込ませ、脇腹をくすぐる。筋肉に沿ってなぞると震えが伝わってきた。悦びが潜んでいるのがわかる。そのままシャツの中に入り込もうと企むが、
「こらっ」
がっしと手を押さえられ、あえなく阻まれてしまった。
「おめえの部屋でだ」
「……ああ、つい」
「しょうがねえな。これで我慢しとけ」
ちゅ、と小さなキスをして、竜馬が笑う。
「どの資料探してンだ? 俺も手伝ってやるから」
「……あ」
ふと我に返る。
まいった。
目的は資料じゃない。正直に言うべきか、迷う。
「その——」
「ン?」
「ええ、と」
倖せそうにゆるんでいた竜馬の表情が不審げなものに変わる。
「達人?」
眉根を寄せた竜馬を見て、達人も同じ顔になってしまう。
「用事ねえのか? そんじゃ何でここに——あ」
気づかないでくれ、と願っても無駄だった。
「まさか、おめえわざと」
「……ん、ええと」
目が泳いでしまう。
「達人」
「いや、その」
「……おめえ、俺がつけてンのわかってたのかよ」
「あー、…………うん」
天を仰ぎ、申し訳なさそうに達人が頷く。はああっ、と竜馬から盛大な溜息が吐き出された。
「あンだよぉ、つまンねえ」
「だってほら、俺の部屋だとモニタがあるだろ?」
「それが何だってンだよ」
「顔を合わせる前にお化けがばっちり映っちゃうだろ」
それに、ここのほうが竜馬のタイミングで仕掛けられる。インターホンを押すとスタンバイしている姿が見られてしまうことまでには気が回らなかったようで、竜馬から小さく「あ」と零れた。
「……けどよぉ、ンなこと言ったって」
竜馬の唇が尖る。今度は達人から「あ」と転がり出た。
さっきもシーツの中でこんなふうだったのだろう。
「……達人?」
拗ねた表情でこちらをうかがう竜馬はさらに可愛らしかった。
「いや、何でもない」
右手で口元を隠す。
「ンなワケねえだろ。今、笑ったろ」
ますます拗ねた顔つきで竜馬が迫る。もう誤魔化しきれない。達人は白状する。
「悪い。お前の拗ねてる顔が可愛くて、つい」
「ンな」
「それから、ここに誘ったのが嫌だったんなら謝るよ」
「え……」
「悪かった。騙して誘い込んだってことだしな。そりゃ面白くないよな」
「いやっ、別にそういうワケじゃなくて」
視線が惑う。
「その……」
指先が落ち着かない様子でシーツを手繰り寄せる。
「『その』? 何だ、竜馬」
「……その」
きゅ、とシーツが握りしめられた。
「ノコノコついてきてマヌケだな、とか……」
いつもは跳ね回っている髪の毛がおとなしい。シーツをすっぽり被っていたせいだろう。だが萎んでいく声と相まって、どことなくしょんぼりして見えた。
「……俺に合わせるハメになったおめえのほうが、その、……面白くなかったンじゃねえかと」
——竜馬。
愛しさが込み上げる。
「全然、思わなかった」
黒髪に触れる。
「一緒にハロウィンを過ごせるんだなって、嬉しかったよ」
「……ん」
「本心だ」
その手が優しく慰める。
「……びっくりさせたかったのに、バレちまった」
「あんなお化けだなんて知らなかったし、びっくりしたよ。それに、待っているのも楽しかった。……こういうイベント事って、本当に久しぶりだったから」
「……」
「竜馬」
もう少し力を入れて頭をわしわしと撫でる。指の動きにつられ、次第に髪の先があちらこちらに跳ね出した。
やがて、竜馬が「ン」と頷いた。目線を上げて達人と向かい合う。癖っ毛はすっかり元通りになっていた。
「あんまり完璧にやって、達人がマジでビビったら可哀想だしな。……それに」
くっと鼻先を近づける。瞳には、いたずらな光。
「ビビった挙げ句に漏らしちまったら大変だしな」
にひひ、と笑う。少しの陰もない、陽の気配が溢れた。この明るさはいつも、達人の心を照らしてあたためる。
「それは——ははっ、勘弁して欲しいな」
笑みも自然に浮いてくる。
「じゃあ、お前が機嫌を直したところで」
鼻先に軽くキスをする。竜馬はくすぐったそうに、そして嬉しそうに目を細めて頷いた。