きっと、変わらないもの

新ゲ

桜を眺めてちょっと感傷的になる弁慶と、傍で見ている竜馬と隼人との一場面。約1,200文字。

◆◆◆

 帰還の途中、眼下に淡い紅色が広がった。それで弁慶は「寄り道していいか」と訊ねた。竜馬は「ションベンかよ」と文句をつけたが、隼人が「降りるぞ」と応じたので渋々つきあう。
「綺麗だな」
 傍らの山桜を見上げ、弁慶が呟いた。目を転じれば、山の斜面に沿って麓まで薄紅が流れている。
「北海道の山桜はな、もっと色が濃いんだ」
 図体に合わねえことを、とからかうつもりだった竜馬は口をつぐむ。弁慶の記憶は彼だけの思い出で、茶化すことはできない。
「でもこういう控え目な桜も味がある。俺、坊主になるまで、ちゃんと見たことなかったんだよな。……毎年たくさん咲いてたはずなのにな」
「やけに感傷的だな」
 隼人が言った。
「何でだろうな。鬼獣をやっつけた後だからかな」
 ただの鬼じゃないか——それも、弁慶にかけるには相応しくない言葉だ。
「また来年も見られるのかな。……三人で」
 後ろに立つふたりは沈黙した。
 明日どころか、一秒先の未来すらわからない。ましてや季節が一巡りするまでなど——。
 不確実な約束を繕って一時の慰めにしても白々しいだけだ。かといって突き放すほど隔たった関係でもない。
 まだ幾分か冷たい風が木々の間を駆けて、健気に咲く花の群れを震わせた。
「弁慶、おめえ」
 やがて、竜馬が歩み寄る。
「腹減ってンじゃねえのか」
「はぁ?」
 弁慶の反応をよそに、したり顔で続ける。
「人間ってえのは腹が減ると、しけた[[rb:面 > つら]]になるンだよ」
「……お前、情緒っていうものはねえのかよ」
「あン?」
「情緒だよ。ジョ・ウ・チョ!」
 子供に教えるように弁慶が繰り返す。竜馬は唇を尖らせた。
「ジョーチョもカンショーテキもわかンねえよ」
「『懐かしいな』とか『あの時は楽しかったな』とか、しんみり思うことはねえのかよ」
「あー……」
 竜馬は首をひねる。
 たっぷり十五秒は考えて、
「あのオヤジのラーメンまた食いてえなって思うことはある」
 ようやく答える。
「……情けない」
 弁慶は大きな溜息をついた。
「何だよ、いいじゃねえか」
「情緒とは」
 すっと隼人が近づく。
「何かに触れて心に湧く感情だ。感傷的は、物哀しいとか、心が沈むような時に使う。センチメンタルというやつだ」
 唐突に始まった講釈に、竜馬の顔は見る間に不機嫌そうに歪んだ。
「意味わっかンねえことズラズラ並べやがって」
 腕を組み、そっぽを向く。
「センチだかメートルだか知ンねえけど、帰って風呂入って、飯食おうぜ。そうすりゃ、サッパリすらあ」
 視線を弁慶に向けてニッと笑うと踵を返した。
「……」
 弁慶は隼人を見る。
「先にジャガー号に戻っている。気が済んだら、来い」
 淡々と言い、身を翻した。
「…………」
 繰り返されてすっかり馴染んだやりとり。
 いつもと変わらない、ふたり。
 弁慶はもう一度、桜の海を眺める——目に焼きつけるように。
 それからくすりと笑うと、
「竜馬ぁ、隼人ぉ、待ってくれよう」
 巨体を揺らしてふたつの背中を追った。