達人さんと博士のネクタイのお話

新ゲ

達人さんのネクタイと、写真・回想シーンの博士のネクタイの色が同じだなー、からの妄想。ひとつに絞れなくて、結局3パターン書きました。2021/9/7

そのあとに残るもの

ミチルさんが達人さんに、お母さんが博士にお揃いのネクタイを贈った設定。
9話、黒平安京での出来事をミチルさんに報告したあとの場面。竜馬とミチルさんの対話。竜馬の話の中で、子供の頃に世話になった「新宿のババア」なるオリキャラがちらっと登場します。また、ミチルさんのお母さんの話も少し出ます。その辺り、大丈夫な方はどうぞ。約3,000字。

とはずがたり

ミチルさんが達人さんと博士にお揃いのネクタイを贈った設定。
達人さんと早乙女博士の会話。達人さんがお母さんにほんの少しだけ言及するシーンがあります。約1,500字。

達人さんが博士からお下がりをもらう設定。
達人さんと早乙女博士の会話。約1200字。

◆◆◆

そのあとに残るもの

 隼人が早々に部屋を出る。ミチルは揶揄するような響きで言った。
「神君も物好きね」
 地下、と聞いて目の色が変わった。電話を終えると、博士の居場所を訊いてきた。ミチルより先に目当ての部屋へ行くつもりなのだろう。
 博士がいれば、きっと無愛想に訊ねるはずだ。そして博士は——ミチルにはありありと想像できた——いつものように、人を寄せつけない厳しさで応じるのだろう。
 ミチルは腕を組んで溜息をついた。
「ミ、ミチルさん」
 弁慶が浮ついた声で近寄る。
「そ、その、三年の間」
「……何?」
 ミチルはぎろりと睨む。
「う、いや……その」
「くだらないことなら、やめて頂戴」
「ゔむ゛」
 ヒキガエルのような声をあげた。
「……あ、俺、腹減っちまったから、食堂に行こう、かなぁ〜」
 目を逸らし、弁慶が気まずそうに頭をかきながら出て行った。
「……何だアイツ」
 あとには珍獣を見たようにぽかんとしている竜馬。ミチルは鼻で笑う。
「ま、予想はつくけど」
「マジか。おめえすげえな」
「どうせいい人はできたのか、もしかして結婚したのか、とかそんなところでしょ」
 ふう、とだるそうに息を吐いて前髪をかき上げた。
「アイツ、すけべだもンな」
 笑いながら竜馬も部屋を出ようと身を翻す——と、動きが止まった。
「……?」
 竜馬の視線の先に気づく。
「ああ」
 家族写真に目をやる。
「どうかした?」
 竜馬はじっと見つめている。
「流君?」
「あ——ああ」
「なあに?」
 竜馬は「いや」と言い、少し黙った。それから、
「……ジジイってよぉ」
 口を開いた。
「ゲッター線ゲッター線って昼も夜もうるせえから着たきり雀って感じだけど、この写真は違うよな」
 竜馬の言っていることはわかった。けれども、慣用句やものの名前に強くない竜馬が「着たきり雀」という表現を知っていたほうが興味を引いた。
「流君にしては知的な物言いね」
「は?」
「着たきり雀」とミチルは人差し指を竜馬に向ける。
「ああ」
 竜馬が笑う——好戦的な獣のようなものではなく、もっと柔らかい表情。
「ババアが俺のこと、よくそう言ってたから覚えちまった」
 人好きのする笑顔。
「……ババア?」
 だが言葉遣いはいつものままだった。
「ああ、ババア——新宿のババアだ」
 鼻に笑い皺が浮かぶ。
「何それ」
 つられて、ミチルの口元にも笑みが浮かんだ。
「新宿ってよぉ、いろんな店があンだろ? けっこう、昔からの店もあってな」
 竜馬が語り出す。
「ババアは、元締めって言うのかな。たくさんネーちゃんがいる店を何軒も持っててよ」
 話から界隈の顔役だったとがうかがえた。古くから新宿に根を張り、「女のくせに」と言われながらならず者たちをあしらい、たくましく生きてきた典型的な「強い女」のようだった。竜馬の父と顔見知りだったのか、それとも単なる気まぐれだったのか、たびたび幼い竜馬の面倒を見てくれたのだという。
「あのババア、加減ってモンを知らねえンだ。躾だっつってガキの頭を本気で殴るンだぜ」
 おかげでバカになっちまった、と竜馬は楽しげに笑った。
「ま、親父もうるさかったけどよ、あンのババアのがよっぽどだった」
 けどよ、と続ける。
「『自分のことを人に決めさせるな』とか『恩は忘れるな』とか、言ってるこたぁもっともだった。飯は食わしてくれるし、肩揉みでもすりゃ小遣いはくれるし、けっこういいババアだった。……ああ、よくババアの店で時代劇も見てたな。俺ンち、テレビなかったンだ」
 ついぞ見たことがない竜馬の姿に、ミチルの目が釘づけになる。
 ガサツで無遠慮で、繊細という言葉が似合わないと思っていた竜馬が優しげな表情で思い出語りをしている。それだけで十年に一度の珍しいものを見た気分になった。
「ン……あ? ババアの話はいいとして、そこじゃねえよな?」
 ふと素に戻り、竜馬がミチルを見た。
「ああ、そうね。父の服の話だったわね」
「おう。……それな」
 竜馬が写真を指差す。
「今とネクタイの色が違う——今っつっても、俺が見たのは三年前ってことになるのか」
 記憶にあるのは少し暗めの赤色だった。
「今もそうよ」
 ミチルが小さく笑む。
「そうそう汚れないし、普段はこれでいいって。確かに着たきり雀ね。……まあ、さすがに何本かは持っているみたいだけど」
 竜馬はじっと写真を見ている。
「……何?」
 いや、と言い淀む。
「あなたらしくないわね。遠慮でもしてるの?」
「そういうワケじゃねえ、けど」
 歯切れが悪い。
「じゃあ、何?」
「……この色のネクタイ」
 近づき、写真立てを覗き込む。
「構わないわよ」
 ミチルが言うと「ああ」と手に取った。
「おめえの兄貴と一緒だな」
「————」
「三年も経ったって言われて……いろいろ思い出しちまってよ」
 ミチルは俯く。
 あの日、警報ですぐにミチルがいた研究棟は通路を封鎖した。だから、駆けつけたくてもできなかった。
 あとから様子を聞いて、駆けつけられなくてよかったと思ってしまった。兄の、あんな最期は見たくなかった。
 けれども、すぐに後悔した。全部、自分の目で見ておくべきだったのだ。それが唯一できることで、兄が確かにここに生きていたのだという証拠になったのに。
「……そのネクタイね」
 ミチルはデスクに寄りかかる。
「母と相談してね」
 ミチルは小遣いで達人に。母親は早乙女博士に。
 ふたりでこっそりと決めた。
「クリスマスプレゼントだったの」
 箱を開けてお揃いのネクタイを見て、それから照れ臭そうに、嬉しそうに頬をゆるませたふたりは今も目に焼きついている。
「気づいているでしょうけど、もう母はいない。それから——父はネクタイを変えた」
 まだ、持っているかもわからない。
 ミチルは翳を含んだ声でぽそりと言った。
「ネクタイどころか、兄は遺骨すらない」
「……」
「何にもないのよ、もう」
 竜馬はミチルを見る。俯いたまま。前髪がその表情を隠している。
 早乙女博士との関係は変わっていないのだろう。もしかしたら、三年の間にもっと[[rb:拗 > こじ]]れているのかもしれない——先刻の電話でも不穏な空気は感じ取れた。
 沈黙が流れる。
 そして。
「けどよ」
 写真に視線を戻す。
 倖せそうな、家族写真。
「これがあンじゃねえか」
「え……」
 ミチルは思わず顔を上げる。
「それもだろ?」
 人差し指で自分の胸元をとん、と軽く叩いた。ミチルはハッとしてペンダントトップに手をやる。
 写真の中で、母親がつけていたもの。
 竜馬は笑う。
「おめえ、贅沢だな」
 ただ、嫌味は感じなかった。
「俺にゃ、なぁンにもねえからよ」
「——」
 そっと写真立てをデスクに戻した。それから、
「あ、何にもってのは嘘か」
 言い直す。
「……?」
 ミチルが首を傾げた。
「道場がまだあったわ」
 少しだけ遠い目をして、竜馬は息をついた。
「どんだけボロくても、誰も待ってなくても……帰る場所があるのっていいよな」
 独り言のように呟いた。
 郷愁を感じさせるその言葉も響きも、慣れ親しんだ世界と日々に戻ってきた今だからこそ零れたものだったのかもしれない。
 ミチルには竜馬の心が何となくわかる気がした。
 だから、口元に微笑をたたえて頷いた。
「ええ——そうね」

◆◆◆

とはずがたり

 そういえば、と達人が口を開いた。
 早乙女博士は手を休めずに「どうした」と訊ねる。
「ああ、ゲッター線の話じゃなくて、家族の話のほう」
 何も返ってこない。達人の眉尻が下がる。
 いつもこうだ。本当に嫌なときはそう言う。だから「拒絶ではない」のだ。だが、家族の話で博士が楽しそうにしているところも、進んで話を聞く姿勢になるのも、もうしばらく見ていなかった。大抵は今のように何の反応もなく、せいぜいぶっきらぼうに「ああ」と言うだけだった。
「またミチルとやり合ったんだって?」
 研究費の配分で揉めたと耳に入っていた。
「今はゲッターロボを完成させるほうが先だ」
 博士の言い分はもっともだ。しかし、達人から見れば博士の説明は不十分で本来の意図が伝わらず、ミチルは自分への面当てだと思っているから素直に聞き入れない。会議の険悪な様がありありと想像できた。
「お互い、損していると思うな」
「損?」
「そう」達人は立ち上がる。
 博士のデスクに寄り、空の湯呑み茶碗を手に取る。
「ミチルは別に、父さんを憎んでいるわけじゃない」
「——」
 珍しく、博士の手が止まった。
「父さんが真面目で、器用じゃないってことは知っている。ただ、気持ちが追いつかないのと、理解したくない部分もあるんじゃないのかな」
 急須に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。
「ここからは独り言」
 少し待ってから、茶を淹れる。
「ミチルは、父さんがゲッターの研究に打ち込み過ぎたから家族にヒビが入ったと思っている。何のための研究か本当はわかっている。けど、全部認めてしまったら、母さんに味方する人がいなくなってしまう」
 湯呑み茶碗を博士の前に置いた。そのまま、デスク脇の壁にもたれる。
「あいつ、鬼の研究も思うように進んでなくて、焦ってもいるんじゃないかな。きっと、この闘いのためにと思って始めたことだろうからな」
 達人が視線をやる。博士は無言で茶碗を手にし、ふう、と息を吹きかける。
「それで研究費を減らされるとなれば、普段から突っかかっている腹いせだと思いたくもなる」
「腹いせ?」
「ああ」
「馬鹿な——くだらん」
 達人が苦笑する。
「そう、だから損しているんだって」
「……」
「父さんは父さんで、ミチルにものすごく嫌われていると思っているだろ?」
 言葉の代わりに、ずず、と茶をすする音が聞こえた。
「だから、あのネクタイしていないんだろ」
 わずかに博士の白い眉がぴくりと動いた。
 ミチルがまだ学生だった頃。小遣いを貯めて博士と達人にネクタイをプレゼントしたことがあった。紺色で、お揃いだった。
 以前は確かにそのネクタイを締めた博士を見かけた。毎日のように。
 だが、今は——。
「ミチルが目にしたら、もっと嫌な気分になるだろうからって。……でも、ミチルはそれで逆に突き放されたと思っている」
 互いに誤解したまま、どんどん感情だけが積み上がっていく。向き合って話すには勇気がいるほどに、[[rb:拗 > こじ]]れてしまっている。
 本当は、ちゃんと「家族」として繋がっているはずなのに。
「……ほんと、意地っ張りで不器用で頑固。父さんとミチルは、そっくりだな」
 達人の声は柔らかく、だが哀しげな響きを伴っていた。博士はようやく達人に視線をやる。
「ずいぶんと想像力が豊かだな。お前は研究者になるよりも、小説家になったほうがよかったな」
 少しだけ表情を崩して、言った。
「ああ、そうかもな——そうだな、この闘いが終わったら暇になるだろうから、考えてみてもいいかもな」
 しばらくぶりの穏やかな微笑を見て、達人の声が今度は嬉しそうに弾んだ。

 早乙女博士の眉間に寄っていた皺が消える。
「父さん」
 その表情を見れば厄介事ではないことがわかる。博士は資料をデスクに置いた。
「どうした。いい歳をして小遣いでもねだりに来たか」
 達人は「ははっ」と軽快に笑う。そのあとで、
「当たらずといえども遠からず、かな。さすが父さん」
 肩をすくめた。
「何?」
「実はネクタイをねだりに——いや、せびりに来た」
「ネクタイ?」
「ああ。実は手持ちが心許なくて。二、三本、もらえないかな」
 もっぱら実動部門にいた達人も、最近では開発部門にも加わったり、少しずつ博士の代理として対外組織との接触を行ったりしている。ワイシャツにネクタイ姿を見る日も確かに増えていた。
「好きなものを持っていけ」
 クローゼットを指差す。
「助かるよ」
 だが開けるなり達人は苦笑する。
「ぐちゃぐちゃじゃないか」
 カーディガンやベスト、セーターにワイシャツにスラックス。服が積み重なり、その隙間からネクタイの先が何本も生えていた。
「ここに掛けられるだろう? あーあ、ワイシャツがしわくちゃだ」
「着ていればシワは伸びるし、徹夜すればどうせシワだらけだ」
「そうだけど、そうじゃない」
 笑みを浮かべながら、達人は衣類の層を持ち上げた。
「ちょっとベッド借りるよ」
「好きにしろ」
 言って博士はデスクに向かい、再び資料に目を通し始めた。

「これでいいかな」
 父さん、と呼びかけられ、博士は振り向く。
「また、器用に並べたものだな」
 博士が笑う。
 クローゼットの中には、ハンガーに掛けられ整然と並ぶ衣類と、きっちり畳まれて平積みされている衣類。店頭のように見栄えがした。
「お前は、わしとは違って几帳面だな」
「父さんは、研究のほうに全力投球だから」
「うん?」
「俺はまだ新米小僧だからな。こういうところで役に立たないと」
 当然のように言う息子を、博士はしばし父親の目線で眺めた。
「それでな、父さん」
 達人がトレイを差し出す。
「こんないいものがあるのに使わないなんて」
 ネクタイを丸めて小分けに収納できるトレイだった。四×四のひとつのマスを残してあとは綺麗にネクタイが収まっている。
「これなら一目でわかる」
 博士にしてみれば、そのトレイがいつからあったのか、そもそもそんなものがあったのか、という認識だった。ネクタイの本数も初めて把握した。
 ふむ、とかううむ、という唸りを耳にして、達人がくすくす笑う。博士の頭の中がわかるのだろう。
「こんなにあるなら、二本くらいもらってもいいかな」
「ああ。どれでも持っていけ」
「じゃあ、これと」
 落ち着いたモスグリーン色のネクタイを手に取る。
「あとは……じゃあ、これにしようかな」
 一番よれよれの、使い古された紺色のネクタイ。
「他にもあるだろう」
 博士が思わず口を挟んだ。達人はそっと取り出す。
「いや——これがいい」
 父親の顔を見て、にっこり笑った。