Go Your Own Way, Go My Own Way

新ゲ

ピクスクで開催の墓参りWEBオンリー『あなたに会いに来ました』参加作品です。

竜馬が達人さんのお墓参りをするお話です。約1万文字。

【墓参りの表現について】
オンリー主催者さまの「著者や登場人物が『これは墓参りだ!』と思っていただいているのであれば、墓地への墓参りに限らず表現いただいて構いません!」を拠り所にしたお話になっております。ご了承ください。

【注意】
・達人さんが亡くなって1か月ほど過ぎています。隼人合流前の設定。
・竜馬は一部の所員に目の敵にされています。「達人さんはあいつのせいで死んだ」と逆恨みされています。そのせいで面と向かって文句を言われたり、殴られたりすることがあります。竜馬はやり返しません。
・一岩さんが亡くなったあとに門下生が道場を辞めていく描写が少しあります。時系列的に【道場を継ぐ→ほとんどの人が辞めていく→昇段試験でのトラブル】を想定しています。
・一岩さんのお葬式はご近所さんたちが中心になって手伝ってくれている設定です。
・前半はミチルさんと竜馬の会話で場面が進みます。
・ミチルさんと竜馬の母親はすでに鬼籍に入っている設定。
・正規パイロットが見つかるまで、イーグル号は達人さんが乗る予定で、テスト飛行は何度かしていた設定です。
・後半でゲットマシンの速度や科学・物理などに関する描写がほんわり入りますが、そういうものとしてお読みいただけると幸いです。

◆◆◆

 誰にどう思われても構わない。睨まれるのも、聞こえよがしに嫌みを言われるのも慣れている。
 それに。
「あんたの生意気な態度、ムカつく」
 面と向かって文句を言われるのも。
「そうかよ」
 竜馬はそれだけ答えて踵を返した。
「ちょっと! まだ人が話してんのに何よ!」
 通路にヒステリックな高い声が響く。
「どうせ、『達人さんが可哀想』って続くンだろ」
 足を止めずに返す。何回も、何回も聞いた。案の定、女性所員は悔しそうに呻いてから「そうよ!」と大声で叫んだ。
 竜馬は右手をひらひらと振り、一瞥もせずに去っていく。耳を澄ましたがそれ以上の声はなかった。
 ——今日のヤツはもうおしまいか。
 これまで何度、聞いただろうか。

『こんな奴を庇ったばっかりに』
『どうして達人さんが』
『お前が死ねばよかったのに』

 生憎、と竜馬は薄く笑う。肉体は頑丈そのものだ。人一倍、なんてものじゃない。根性も心も、そこらの人間より相当しぶとい。死ぬ気なんてないし、殺されたって死んでやるものか。
 ——俺の生命は俺のモンだ。
 誰に何を言われても。今までも、これからも。
 いわく。
 常識がない。学がない。目つきと態度が悪過ぎる。口の利き方がなっていない。何かと文句をつけては歯向かってくる。協力的じゃない。独りよがり。短絡的で暴力的、エトセトラ。
 特段、喧嘩を売って歩いたわけではない。もちろん同情的な者も、竜馬の働きに期待する者もいた。それでも早乙女博士に物言うたびにあちこちから冷ややかで不満げな視線を浴びるのだった。
 ——ジジイが説明しねえからだぜ。
 わからないことだらけだ。だから、いちいち訊ねなければならない。訊いたとしても理解できる、あるいは納得できる答えはほとんど返って来ないのだが。
 ——こっちはおとなしく乗ってやってンのによ。
 ゲッターに乗りたくないと言ったことはない。乗るしかないのはわかっている。
「ま、しゃあねえな」
 性格を変えるのは無理だ。早乙女達人にもなれない。自分は自分なのだから。
 とりあえずひとっ風呂浴びて、何か腹に入れよう。そう切り替えて足を早めたときだった。
 ヒールの音が背後で止まる。
 尖った視線を感じて顔を向けると、早乙女ミチルと目が合った。
「また何かやらかしたの」
 動かない表情と冷ややかな眼差しで問うてきた。
「またとは何だよ、またとは」
「あら、自覚がないの? そうね、指示の無視と安全性をまったく考慮しない行動、それによるゲットマシンの破損、および——」
「ちっ」
 竜馬は顔をしかめ、わざとらしく小指で耳の穴をかいてみせる。
「嫌みったらしいぜ」
「的確な指摘と言って欲しいわ」
「今日はまだ何もしてねえぜ。あの女が勝手に突っかかってきただけだ」
「すごい金切り声だったわね」
「ありゃあ響くぜ。警報音の代わりにならあ」
 おどけて言ってはみたが、ミチルの表情はぴくりともしない。軽口が不発に終わり、竜馬は小さく肩をすくめた。
 初めて会ったときから変わらない。感情を露わにして竜馬に敵意を向ける所員たちとは違った。兄の死の瞬間もこうだったのか。
「でもあなた、殴ったりしないのね」
「ああ? ったりめえだろ」
「そう? 意外だわ」
「バカにすんな。俺が一般人相手にケンカするワケねえだろ。しょうもねえ」
「酷い言われ様なのに?」
「あれは——あいつらの言い分だろ」
 周りがやめさせるようなものではない。言いたい人は、言いたいものは、言えばいいのだ。吐き出して楽になるなら、それでいい。
 ——いまさら、つくような傷なんて。
 自分が「傷ついた」と思わなければいい。思わなければ、傷は存在しない。
 ——どうってこと、ねえさ。
 ただ、最後までつきあってやる義理もなかった。
「この前は殴られてたでしょ」
「あ?」
「右だったかしら。頬が腫れて、唇の端が切れてた」
 右も左も、みぞおちも殴られたし、結構な蹴りをお見舞いされたときもある。だがそれは言っても詮無いことだった。
「そうだっけか」
「あきれた。もう忘れたの」
「ンなの、いちいち覚えてらンねえや」
「いちいちって……あなたいったいどれだけ——」
 余計なことを言った。
「ま、それなりに」
 竜馬はへらりと笑ってはぐらかす。
「素人に一発二発殴られたところでたかが知れてるし、そのうち飽きるだろうさ」
 本人たちも理不尽で無意味だとどこかでわかっているはずだ。自分の心と向き合って折り合いをつけるには時間が必要だ。だから、待てば直に収まる。
「だといいけど。……もう、一箇月も過ぎたのに」
「っつうかよ」
「何?」
「……それってよ、あいつ・・・がそんだけみんなに好かれてたってことだろ」
 途端に、今まで細波さざなみも立たなかったミチルの表情がふと動いた。微かに感情が流れていく。
「……そうね」
 気持ちを落ち着かせるように目を閉じ、それから静かに息を吐き出す。
「あんなことがなければ……あなたももっとすんなり受け入れられたでしょうにね」
 鬼獣の急襲後、明らかに研究所の空気が一変した。ゲッターロボが無事だったこともあり、全体の士気が上がった一方で、被害の大きさによって根底に流れる悲壮感も強くなった。
 元々、早乙女博士への不満や不信感、先行きの不安を持つ者たちがいた。けれども大っぴらに言えるものでもない。鬱々とした種はすでに蒔かれ、沈黙の下で育っていたのだ。
 達人の死が引き金となった。頂点に達した負の感情は爆ぜる先を求めてうねり、竜馬に行き着いた。
 生意気な新参者。早乙女達人は彼を護り、鬼に噛まれた。そのうえ、イーグル号で体当たりをされて——。
 まさに、恰好のターゲットだった。
 竜馬は決してやり返さなかった。いくら力を抜いたとしても、鍛え上げられた拳は素人に向けていいものではない。今となっては道場主とは名ばかりであったが、それでも空手家としてのプライドが許さなかった。
 反撃がないとわかると、ごく一部の人間はさらに攻撃的になった。異様な雰囲気に気づいた早乙女博士が「くだらんことをするな」と叱りつけてからはさすがにおとなしくなったが、それでも口さがなく言う者はいた。先程のように、未だ真正面から向かってくる者も。
「代わりに謝っておくわ。悪かったわね」
 竜馬の目が大きくなる。
「何よ、その顔」
「いや」
「私も一応、研究所ここの人間だし」
「ああ」
「家族でもあるし」
「ああ」
「……勝手な言い分なのはわかっているけど、あの人たちを許してあげて」
「許すも何も、はなっからそんなんじゃねえだろ」
 竜馬にはわかる。父親が死んだあとと似ていた。妙な緊張感とよそよそしさ、値踏みというよりは鵜の目鷹の目で一挙手一投足を見張るような視線。
 実質的なだけでなく精神的にも柱となっていた人物を失えば、従っていた者たちは簡単に不安に陥り、迷う。少しばかりは持ち堪えたが、やがてひとり去りふたり去り、それからは櫛の歯がぽろぽろと欠けていくように、あれだけいた門下生が次々と去っていった。一緒に道場を支えると言ってくれた古株も、いつの間にか消えていた。「ついていけない」「何もわかっていない」「先代と違い過ぎる」——言い捨てられた数も、片手では足りない。
 じっとしていられないのだ。待つことができない。拠り所を失ってしまったから、構えて立つことができない。だから些細な変化も受けとめられずに違和感が残る。異物・・への反発心が生まれ、ときに攻撃性が宿る。力を撒き散らすことで、不安定な己を支えるしかないのだ。次を託された者はわずかの失敗も許されず、信頼を築き上げる時間も与えられない。
 誰も悪くない。
 今の状況も、誰も責められない。
 しかし、本当は思っていた。

 あのとき・・・・——。

 かたが付いたとわずかに緊張がゆるんだ。立ち上がった鬼。全員が息を呑んで硬直したが生まれた。
 もっと、やりようがあったのではないか。もっと速く動けていたら。もっと深く踏み込めていたなら。
 強く拳を握りしめる。
 誰にでも慕われる人柄も、真っ先に危機に立ち向かう勇気も、揺るがない信念も、眩しいほどの熱い心も、すぐにわかった。
 助けられるものなら助けたかった。腕の一本ぐらい、片目ぐらい、惜しくはなかった。それなのに、最後まで助けられてばかりだった。
「……流君」
 ミチルの視線がこちらを向いていた。知らず眉間に寄っていた皺に気づき、慌てて強張りを解く。
「あンだよ」
 少しの間、ミチルの理知的な瞳が顔色をうかがう。竜馬が焦れて目を逸らす。それでもまとわりついてくる気配を持て余し、立ち去ろうとしたときだった。
「ちょっとつきあって」
 どこへ、と訊く時間もなかった。硬いヒール音は淀みなく進んでいく。一瞬ためらいはしたものの、竜馬は引っ張られるように後を追った。

   †   †   †

 タッチパネルに暗証番号を入れると扉が開く。研究所ここではよく目にする造りで、特段変わったところはない。だが流れ出てくる空気に竜馬が眉をひそめた。
 ひやりとしている。静かで、どこか重い気配。それから、微かに花の香りと煙たさ。普通の部屋ではない。
 ミチルに続いて足を踏み入れる。先刻の違和感が形を現した。
 薄暗く、がらんとした室内だった。それなりに広さはあるものの、デスクも本棚もない。簡素な丸椅子が五つばかり、一方の壁際にひっそりと置かれていた。
 部屋の中央に目を転じる。ほのかな灯りに照らされて、板状の建造物が浮かび上がっていた。竜馬の背丈よりも大きい。そびえ立つそれは、しっとりとした黒に覆われていた。
 一歩、近づく。
「これ……墓……か?」
 墓地にずらりと並んでいる形ではない。どちらかといえば公園や何かの跡地に建っている石造りの記念碑のように見える。
 ミチルが並ぶ。
「慰霊碑って言えばいいのかしらね」
「いれーひ?」
 どこかでそういう名称を聞いた気はする。けれども具体的に何を示すものかわからない。竜馬の顔つきを横目に、ミチルが口を開いた。
「戦争や災害、事故などで亡くなった人たちの霊を慰めるためのものよ。たとえばトンネルやダムの建設中に不幸な事故で死者が出ると、犠牲者のためにこういった碑が建てられる。追悼や誓いの言葉が刻まれることが多いわ。これにはないから慰霊碑というよりは……慰霊塔かしらね。お墓とは違う。ここには誰もいない」
 竜馬は視線を落とす。生花、火のついた線香、コーヒーやお茶、酒といった飲料の缶や瓶、お菓子の袋。本や、おそらくは手紙が入っているだろう封筒。それに千羽鶴が供えられていた。墓前と変わらなかった。
「けど……まるっきり墓じゃねえかよ」
「あくまでも代わりよ」
 ミチルがしゃがむ。その視線の先を辿り、竜馬が目を見張る。塔には細かな彫りでたくさんの名前が刻まれていた。
「わかるでしょ。遺体が残らないこともある」
 ピリ、と竜馬の頬に緊張が走った。
「五体満足なんて珍しい。誰かわかるだけマシ」
 建造物の倒壊や爆発に巻き込まれる。柔く脆い肉体は簡単に潰され、ねじ切られ、崩れる。あるいは鬼に切り裂かれ、喰われる。さらわれて行方知れずの者もいた。
「鬼と接触した可能性のある遺体は研究所の焼却炉に入れるしかない。鬼化しなくても未知のウイルスを媒介するかもしれない。だから焼くの」
 ミチルの目が赤々しいほのおを見つめているように細められた。
「そうじゃない場合はできるだけ火葬を手配しておこつを帰すようにはしているけれど、ご家族に連絡がつかなかったりこっちの手が回らないこともあってね」
「……そんときゃ、どうすンだ」
「同じよ。ここの焼却炉行き。お骨も残らない。全部燃えるわ」
 いろいろなもの、たくさんの人と混じり合った灰だけがかろうじて残る。
「一応、麓のお寺に合同のお墓もあるのよ。折を見てお経をあげてもらってはいるんだけど、うちは自由に外出ができないでしょ。だからこういう場所が必要なの」
 すらりとした指が折り鶴の羽を撫でる。
「……それ、おめえが?」
 竜馬が千羽鶴を指差す。ミチルは首を横に振った。
「違うわ。所員のみんな。……元は兄が始めたんだけど」
「あいつが?」
「ええ」
 慰霊塔も、達人の進言があって現実のものとなった。このままでは犠牲になった人々を見捨てることになるとの思いからだった。
「ゆっくりいたむ暇もない。だからせめてもの居場所をってことらしいわ」
 炉心開発からプロトタイプゲッターを建造するまでにも事故で犠牲者は出ていた。鬼の襲撃が本格化すると、死者は急激に増えた。最前線で闘うパイロットともなれば鬼籍に入る確率も格段に高くなる。
 目まぐるしく変わる状況の中、亡くなった者には慰めが、遺された者にはしばし立ち止まる場所が必要だった。
 黒い石の表面をミチルの指先が滑る。よく見れば大小のヒビが入っている。欠けている部分もあった。中央に走る太い亀裂は、一度は割れた跡なのかもしれなかった。竜馬の脳裏に破壊された旧研究所の姿がよぎった。
 指は彫られた文字の上をいくつも通り過ぎ、止まる。そこには早乙女達人の名前が刻まれていた。
 ミチルは兄の名前を丁寧になぞる。
「今じゃ売店にお花も折り紙も置いてあるのよ。お供えもお祈りも……そもそもこんな慰霊塔ものも、本当はないほうがいいのに」
 それは誰も死なない世界を指す。竜馬はびっしりと刻まれた名前を目で追った。
 運命が変わってしまった者たち。ゲッター線に関わらなければ、きっとまだ人生を謳歌していただろう。
 色とりどりの鶴の群れに目を転じる。もしかしたら、竜馬を目の敵にしていた彼らの祈りも混ざっているのかもしれない。
 死人しびとへの思い、あるいは遺された者の思い。それらがひと折りごとに込められて幾重にも重なっている。竜馬の知らない心の表し方だった。
「流君」
「あ?」
「もし兄のお墓参りがしたいなら、連れていってあげてもいいけど」
「あンだよ、急に」
「……したそうだったから」
「別に、俺は」
「伝えたいことがあるなら、言ってあげて。……きっと喜ぶわ」
「伝えたい……こと……」
 そんなに何かを語りたい表情をしていただろうか、と竜馬は困惑する。確かに深いところにわだかまっている気配はある。もし自分が今、早乙女達人に声をかけるとしたら何と言うのが一番ふさわしいだろうか。
「うちのお墓はここから車で三時間くらいかしらね。行くなら車を出してあげる。外出許可つきでね」
「ずいぶんと至れり尽くせりじゃねえか。裏でもあンじゃねえか。俺はおめえの人体実験に使われるなんてまっぴらごめんだぜ」
「ずいぶんな物言いね。ま、わからなくもないけど」
 ふふ、と形のいい唇が自虐的に笑った。
「私のほうはさっき言った通りよ。裏なんてない。強いて言うなら、そろそろ四十九日だから」
「しじゅう、くにち?」
 ミチルが頷く。
「亡くなった人ってね、すぐにあの世に行くわけじゃないのよ」
「焼いたら終わりじゃねえのかよ」
「ええ。初七日とかふた七日とかあってね、お坊さんを呼んでお経をあげてもらったりするの。亡くなった人の魂はしばらくこの世にいて、四十九日目にあの世に旅立つ。お父様のときに聞いたことはない?」
「親父の……」
 そういえば通夜だの告別式だの初七日だのと、しばらくは近所の人たちが言っては盛んに出入りをしていた。勝手がわからず世話になるままだったが、落ち着いた頃に墓参りに誘われた。
「確か骨持って行くぞって言われて……墓開けて中にれたな」
「たぶんそれが四十九日だったんじゃないかしら」
「……あの世に……行く日」
「そう、お見送りってわけ。どうせなら賑やかなほうがいいでしょ」
「それで俺を」
「賑やかっていうより、うるさいけど」
「はっ、違えねえ」
 自然に込み上げてきて、笑う。こういうやりとりは嫌いではなかった。
「……だけど、納れるものがないのよね」
「あ?」
「お骨はないの」
「ないって——あ」
「コックピットごと爆発したから」
 明確な答えだった。
 竜馬はその横顔を見やる。ミチルの目は慰霊塔を捉えていた。だが眼差しはもっと遠くを見つめているようだった。薄暗い室内ではその肌は青白く浮かび上がり、白衣からの照り返しも相まって、まるでこの世に未練を残した幽鬼のように見えた。何を思っているのか、竜馬にはうかがい知れない。
「何もない。それでも、お墓はお墓だわ。……兄が使っていた万年筆を入れようと思ってるの。父のお下がり。空っぽは、母が可哀想だから」
「——母」
「ええ、そう。流君も——いいえ、何でもないわ」
 竜馬の母もまた鬼籍に入っていると知っているのだろう、ミチルの声が親しげに和らぐ。ただしそれは一瞬だけで、すぐにまた感情を押し込めたような声に戻ってしまった。竜馬はその唇を注視して、押し黙ったままなのを確認すると口を開いた。
「墓参りはやめとくわ」
 ミチルが立ち上がる。怪訝そうな顔が竜馬に向けられた。
「おめえの母親にとっちゃあ、俺は仇みてえなモンだろうし」
「仇って」
「理由はどうあれ、そうだろ? 俺なんか連れてったら、おめえも怒られるンじゃねえの」
「…………頭ではわかっていても、『母親』からしたら冷静ではいられないかもしれないわね」
「だろ?」
 竜馬は小さく笑う。つられたようにほんのわずか、ミチルの口角が上がった。「けど」と続く。
「兄は感謝していると思うわ」
「……おめえ、今日はやけに喋るじゃねえか」
「本当、喋り過ぎたわ。どうしてかしら」
「俺に訊くなよ」
「独り言よ。……そう、あなたのせいね」
 もはや聞き慣れた言葉だったが、所員らのような悪意と毒は感じなかった。真意を図りかね、竜馬の首が傾ぐ。
「たぶん、あなたが兄——達人兄さんの一番近くにいたからでしょうね」
「一番……って、俺ら会ったばかりで」
「いいえ」すぐさまミチルが首を横に振る。
「間違いなく、一番近くにいたわ」
 それは、と竜馬は言葉を呑み込む。
 文字通り生命のやりとりをした。ありったけの力を込めた叫びは竜馬自身の中に深く響いて、あの瞬間、確かにその魂に触れた。
 思い出す。誰よりも強くて、優しさをはらむ風のようだった。竜馬の身も心も巻き込んで一瞬のうちに通り過ぎていった。
 一生、忘れられない。
「……兄さんなら」
 ぽつりと零れる。
「兄さんなら、あなたを歓迎したでしょうね」
「……おめえは」
「私? 私は——」
 ミチルの瞳がかげる。赤い唇が動く。空間に消えていくような微かな声はうまく聞き取れない。

『あなたが羨ましいわ』

 そう、言われた気がした。

   †   †   †

 発進準備は整った。あとは司令室からの号令を待つだけだった。
 竜馬はマフラーの結び目に指を突っ込む。いつもよりゆるく結わえた隙間から赤いものを取り出した。
 折り畳まれたそれを広げる。かさ、という音とともに、小さな鶴が手の中に生まれた。
「——へへ」
 何枚も折り紙を駄目にしたが、その甲斐あってなかなか形よく出来上がっていた。
 四方八方から折り鶴を眺め、目を細める。
 腹の部分には両面テープが貼られていた。剥離紙を取り、計器類の空きスペースに居場所を作ってやる。
「これでよし、と」
 もちろん、外の景色が見えるように。
『何がだ』
 早乙女博士のぶっきらぼうな声がマイクから響く。
「何でもねえ。それより、イーグル号、発進準備完了だぜ」
 モニタに向かって歯を見せる。
『こっちはいつでもいい』
「なら行くぜ。ゲットマシン、発進!」
 掛け声とともに赤いマシンが加速する。あっという間にカタパルトを駆け抜け、研究所から飛び出していく。竜馬の眼前に青空が広がった。あの日・・・のような泣き空ではない。
 飛ぶには、いい日だ。
『どうだ』
「——何も」
『そうか。続けろ』
 短いやりとり。本来なら視界よし、異音なし、機体の振動や操縦桿の操作性に違和感なし、などとひとつひとつ報告するものなのだろう。説明が足りないときは苛々するが、まどろっこしいことは抜きで通じるところは気に入っていた。
『イーグル号、所定の高度到達まであと五秒。四、三、二、一——え』
 所員の戸惑いをよそに、機体は上昇を続ける。
『イーグル号⁉︎ ブリーフィング通りに操縦願います! イーグル号!』
『応答願います、イーグル号』
『上昇ではなく水平移動です、イーグル号!』
 竜馬は無言で操縦桿を握る。やがて、
『竜馬』
 と重々しい早乙女博士の声が聞こえてきた。
『何をしている。指示書通りに動け。初めて乗ったわけでもあるまい』
 だがそれにも応じない。
「今日だけだからよ。五分——いや、三分ありゃあいい」
 短く言い、許可を待たずに通信を切った。

 早乙女博士の溜息とぼやき、司令室の混乱が手に取るようにわかった。
「戻ったらまたどやされちまう」
 くっくっと笑いを噛み殺す。今日は何だかとても愉快だ。これほど浮かれるのは、研究所に来てから初めてだった。
「さあ、行くぜ」
 真紅の機体が青空を割って、高く高く昇っていく。翼によって生じた気圧差で飛行機雲が現れ、長く伸びる。
「ドライブ……って、飛ぶのもドライブでいいのか?」
 ちらと目をやる。赤い鶴は翼を広げたまま黙している。
「ま、細かいことは言いっこナシだな」
 竜馬はニッと笑いかける。司令室からは応答の要請が続いているようで、通信待機のランプがしきりに点滅を繰り返していた。竜馬は「三分っつったろ」と唇を尖らせた。
「お、もう一万八千か。もうちょい行くだろ?」
 高度計をチェックし、周囲を眺める。もう雲は遥か下だった。当然、と笑う達人の声が聞こえた気がした。
「おっしゃ」
 さらに高度を上げていく。
 達人は何度かイーグル号のテスト飛行をしていたようだった。パイロットが見つからないうちは彼が搭乗する予定だったとも聞いていた。
「……」
 この座席で、この操縦桿を握って、きっと同じ景色を見ていた。今もまた、同じ世界を見ている。ひとりきりではないと感じていた。赤い折り鶴を見つめる。
 ミチルに家族写真を見せてもらった。達人は鮮やかな赤色のシャツで微笑んでいた。イーグル号と同じ色——生命力の証でもある血の色——は、竜馬の心を奮い立たせ、たぎらせてくれる色でもあった。
「あんたのおかげで助かったぜ。ありがとよ」
 まともに目を見て話す間もなかった。伝えたい、と思うのは遺された側のエゴだ。胸の奥のくすぶりを解消したいだけだ。それでもひと言、告げたかったのは事実だった。
「それとな、こっちのことは何にも気にすンな」
 時間の経過とともに周囲は落ち着いてきていた。合わない者は去り、本来の目的を思い出した者は残った。達人の遺志を継ぐのなら、人間同士でいがみ合っている場合ではなかった。
「結局これも、あんたのおかげだな」
 一度ばらけた結束は、達人への思いゆえに再び固まりつつあった。
「俺は——」
 鳶色の瞳が前を見据える。
「乗っちまったからにはよ、徹底的にやってやるぜ。もちろん、俺のやり方でだ」
 生命の使い道は、自分で決める——今までも、これからも。
『誓い』だなんて、大層なものじゃない。『約束』と呼ぶと胸の奥がむず痒い。これはそんな大げさなものではなく。
「今のは俺の独り言……ってな」
 軽く唇の端を上げた。
 いつの間にか青空は消え、周囲が暗くなっていた。警報音が鳴り始める。限界高度に近づいていた。微かにミシ、と機体が軋む。竜馬はようやく加速を抑えた。
「なあ、これは初めて見るだろ?」
 視線を先へ伸ばす。どこまでも漆黒の宇宙が広がっている。浮かぶ星の輝きが瞳に映った。
「あんたクソ真面目そうだからよ、きっとジジイの指示無視してこんなとこまで来たことねえだろ」
 地上で見る星とはどことなく違う気がした。それだけではなく。
「へへっ、マジで地球って丸いンだな」
 丸い地球の縁に大気の霞が覆いかぶさっている。白く光って幻想的で、その下に展開する海の青が際立って美しかった。
「今日って大事な日らしいな。墓に行くのが本当なんだろうけどよ。……ま、これが俺なりの墓参りってことで、勘弁してくれよな」
 ——これっきりだ。
 振り返るのは今日が最後。見送ったあとは前だけを見て、まっすぐに進むのみ。
 その先には何があるのだろうか。
 光る星を見つめる。
 宇宙の果てのように想像もできない未来に、竜馬はぼんやりと思いを馳せた。
 不意にミシリ、と不吉な音が鳴って、竜馬の意識を呼び戻す。
「やべっ」
 慌てて操縦桿を握り直す。
 ただでさえ指示を無視しているのだ。機体まで破損させたら大目玉だ。怒鳴られるくらいならどうってことない。けれども次から次へと雑用を押しつけられるのは少々面倒だった。
「そろそろ時間だな」
 壮大な景観を目に焼きつける。竜馬の心を通して、きっと彼の目にも映っているだろう。
 機首を下げ、加速していく。キィッと鋭く風を切り裂く音がエンジン音にかぶさる。機体が振動する。マイナスGがかかり、身体が内臓ごと浮く感覚に襲われる。目の端で鶴を捉えると赤い翼も震えていて——ふわりと浮いた。
「——っ」
 釘付けになる。次の瞬間、一羽の鶴はコックピット内に飛び立った。
「……あ」
 モニタの時刻を確認する。通信を切ってからちょうど三分経っていた。
「……おめえ、こんなとこまできっちりしてやがんのかよ」
 あきれて小さな笑いが零れた。早く訓練に戻れ、と催促されているようだった。
「ああ、わあってるよ」
 最初で最後の、ふたりきりのフライトだった。
 速度と機首の角度をゆるめる。マイナスGが消えていき、身体が重さを取り戻していく。同時に、舞っていた鶴も降りてきた。

 もうすぐ、終わる。現実に帰る。

 息を詰め、行き先を見守る。
 赤い鳥が滑空する。翼は惜別の軌跡をゆるやかに描いて——音もなく竜馬の膝の上に着地した。
「…………」
 それが最後だった。
 竜馬は詰めていた息を吐き出す。細く、長く。全部吐き切ったあとは大きく息を吸い込みながら、安定飛行に移った。

 勇敢な鳥は二度と羽ばたかない。
 彼は、翼を休める場所へと旅立ったのだ。

 目蓋を閉じてもう一度、深呼吸する。彼の名を心に刻みつける。
 それからゆっくりと目を開くと、忙しなく呼び出しを続ける通信機に指を伸ばした。