夏の名残りに

新ゲ

ピクスクで開催の墓参りWEBオンリー『あなたに会いに来ました2』参加作品です。

お盆の夜、三匹ちゃんのお墓参りのお話です。
いつもと少し様子の違う弁慶が気になり、声をかけた竜馬。弁慶に誘われて屋上までついて行くと、そこには偶然、隼人の姿もあった。弁慶は売店で買ったあるものを取り出し、墓参りをなぞらえる。その姿を見つめる竜馬と隼人。
約4,000文字。竜馬寄り視点。

【墓参りの表現について】
オンリー主催者さまの「著者や登場人物が『これは墓参りだ!』と思っていただいているのであれば、墓地への墓参りに限らず表現いただいて構いません!」を拠り所にしたお話になっております。ご了承ください。

【注意】
・早乙女研究所で迎えるお盆の夜。弁慶にとっては和尚様と仲間の弟子たちの初盆の設定。本編の季節の考察は置いておいて、そういうものとしてお読みください。
・三匹の関係は黒平安京に行くちょっと前くらい。ぎゃいぎゃいやりながらも、まとまってきた4.8話くらいの距離感。
・竜馬がちょっとしんみりするシーンがあります。
・隼人が煙草吸ってます。

◆◆◆

 静かだった。
 街の喧騒もないし、獣の気配も、闘いの予兆もない。ただひたすらに夜が敷き詰められている。そこに、線香花火が燃える音だけがする。
 竜馬は視線を上げ、弁慶を見やる。穏やかな、けれども弁慶にしては神妙な顔つきで、一心に線香花火を見つめている。巨体の肩越しには隼人の顔が見える。隼人もまた、線香花火を灯している弁慶を眺めていた。
 一本、また一本。
 弁慶は次々と金色の小花を咲かせていく。隼人の煙草も二本目、三本目、と数を増やしていった。
 たまたま、売店で見かけた。レジに並んでいる後ろ姿が何だかいつもの弁慶と違う気がして、竜馬は迷った末に声をかけた。
 迷ったのは、放っておいたほうがいいかもしれない、とふと思ったからだ。誰にだって独りでいたいときがある。だが素通りするほうがあとで落ち着かなくなると感じた。
「よお」
 さりげなく、普段の調子で声をかける。
「竜馬」
 大きな目をぱちっとさせて、弁慶が顔を向ける。表情も声も、いつもと変わらなかった。竜馬は気のせいだったか、と思い直し、弁慶が手にしているものを覗き込んだ。
「さっき晩飯食っただろ。もう夜食——」
 意外な買い物に、言葉が途切れる。
「お前もやるか?」
 ぽかんとしている竜馬に、弁慶が笑いかけた。

   †   †   †

「お盆にはな、墓参りして花火をするとこがあるんだってよ」
 弁慶の言葉が聞こえたのかはわからない。屋上の先客は短くなった煙草の火を揉み消したあと、立ち去らずに次の煙草を咥える選択をした。こちらに話しかけるでもない。だがまったく興味なし、というわけでもなさそうに、ちらと目線を寄越した。
「俺がいた寺はよ、あちこちから弟子が寄り集まってたから、いろんなとこのいろんな話が聞けたんだ」
 盆には通常、各家庭で迎え火を焚く。先祖の霊が迷わず帰って来られるように、と焚くその火の代わりに、墓地で花火を行う地域もあるのだという。
「賑やかでいいよな。それなら、迷いようがねえ」
「けど、線香花火ばっかじゃねえか」
「売れ残ってたみたいでよ、山盛りで特売だったんだ。シケって使えなくなっちまうよりはいいじゃねえか」
「つか、そもそもここにゃあ墓はねえし、おめえの先祖ったって——」
 竜馬が言いさし、口を噤む。
 別に、先祖に限らなくていい。
 弁慶がいた山寺は遥か北の地で、師も友もそこに眠っている。埋葬は竜馬も隼人も手伝った。簡素な墓標ではあったものの、あそこが墓なのだ。ゲットマシンでなら公共交通機関を使うよりもずっと早く行き来ができる。それでも墓前に行かずここでというのは、申告をしたけれども早乙女博士に却下されたか、己のわがままとなるから言い出さなかっただけか——。
 竜馬はふう、と息を吐き、それ以上は何も言わなかった。弁慶の目の形が、わずかに柔らかくなった。

 

 こよりの先端でオレンジ色の塊が膨らんでいく。熱を孕み、赤々と光を放つ。その周りを、繊細な金糸が華やかな息吹をあげて舞う。やがて息吹は衰えて夜に吸い込まれていき、残った塊はふるふると細かく震えて——闇夜をほのかに照らす篝火はふつりと消える。魂の一生が目に見えたならこんなふうかもしれない、と竜馬は思った。
 六本の線香花火が終わった。弁慶がゆっくりと深呼吸をした。小さな灯火だったが、見えただろうか。竜馬は天を仰ぐ。
 たくさんの星が煌めいている。街中で見上げるよりも、ずうっと大きく見える。ここは山の上で空が近い。だからきっと線香花火でも見えるに違いなかった。
 ひと息ついた弁慶が七本目に火をつける。花火はまだまだあった。竜馬が口を開く。
「一本くれよ」
「おう」
 弁慶から線香花火を受け取り、傍らのロウソクから火を取る。
 パッと軽やかな音とともに、花が咲き始める。竜馬はじっと見つめた。
 ささやかな花は徐々に大きくなり、飛び散る火花も激しさを増していく。美しく、力強く咲いて——中心部のオレンジ色が鮮やかに輝く。竜馬の鳶色の瞳が黄昏色に染まった。
 そして不意に、花の生命が終わる。まだつと見えたのに、あまりにも呆気なかった。
 硬いコンクリートの上に潔く落ちた熱の残骸に、竜馬のどこか物憂げな眼差しが注がれた。
「もう少しやるか」
 弁慶が線香花火の束を差し出す。
「いいや」
 竜馬は首を横に振り、バケツの中に燃え殻を落とした。
「俺は、一本でいい」
「そうか。……隼人は?」
 手すりに寄りかかり紫煙を吐き出していた隼人も首を横に振った。
「じゃあ、俺が全部やるぞ」
「ああ」
 竜馬が頷くと、弁慶が新しい線香花火を手に取った。竜馬も隼人もその場から動かない。静かな夜に、また小さな花が咲いた。

 

 もう何本目か、誰も数えていなかった。黙々と花火をつけていく弁慶の姿は、ひたすら祈りを捧げているようにも見えた。
 鬼との闘いで死んだ者の中には、帰るべき家のない者も、墓のない者もいる。墓はあっても収めるべき遺骨がない者もいる。旅立っていったすべての生命を慰めるかのように、線香花火は健気に咲いては消えていった。
 熱球が落ちて、儚い光が尽きる。その直後、竜馬の呟きもぽとりと落ちた。
「俺は……俺だったら、とびきりでかい打ち上げ花火がいいな」
 聞くなり弁慶はぎょっと目を見開き、隼人は片眉を上げ訝しげに竜馬を見た。
 何の気なしに零れただけだったかもしれない。それでも、場を緊張させるには十分過ぎた。
 弁慶の唇が何か言おうと動く。
「——断る」
 だが先に声をあげたのは隼人のほうだった。ぶっきらぼうに、夜に響く。竜馬が「ああ?」と不満げに眉をしかめた。
「面倒だ」
 追い打ちをかけるように、隼人が吐き捨てた。
「面倒って」
 竜馬が唇を尖らせ、睨む。しかし隼人はふん、と鼻を鳴らしただけで、あとは山々の稜線に目線を移した。
「俺も面倒だからパスするぜ」
 弁慶も隼人の言葉に倣う。
「あ? おめえまで」
「だってよう」弁慶の太い眉が下がる。
「お前とはよく喧嘩もするし、気に入らねえこともあるけどよ、……でもよ」
「あンだよ」
「俺……お前の迎え火なんてやりたくねえよ」
 困ったように弁慶が笑った。
「——」
 竜馬の瞳が揺れる。
「…………別に……そういう意味じゃねえよ」
 唇を尖らせたまま、バツが悪そうに視線を逸らす。
「俺はただ」
 ただ、何だろうか、と竜馬は考える。
 死ぬ気なんてない。死ぬわけがない。けれども心のどこかで、いつかそんな日が来たら——自分のために祈ってくれる人がいるのは羨ましい、と思ったのかもしれない。
「……」
 残りわずかとなった線香花火を横目で見やる。手を伸ばそうか逡巡していると、弁慶の太い指がヌッと差し出された。
「ほれ」
 眼前で線香花火が揺れる。竜馬は弁慶の顔を見つめ、隼人の横顔を見つめ——、
「……ああ」
 線香花火をそっと受け取った。
「なあ、隼人もこっち来いよ」
 そう言いながら弁慶は隼人に近づいていく。否も応も答える前に右手から煙草を取り上げ、線香花火を握らせた。
「せっかくだからよ、一緒にやろうぜ。な?」
 にっかりと笑う。隼人は仕方がない、と呟く代わりに頭をひと掻きした。

 歪ながらも円を作ってしゃがみ、三人は手にした線香花火を見つめる。何を思うか、誰も口にせず、また、訊かなかった。
 最後の一本が終わり、辺りが静まり返る。三人はしゃがみ込んだまま、先の消えたこよりをぼんやりと眺めていた。
 夜風が通り抜けていく。立秋を過ぎ、盆を迎えた浅間山には微かに秋の気配が漂い始めていた。とどまっていた火薬の匂いが押し流されていく。
 もう、夏も終わる。
「——うしっ」
 やがて、竜馬がすっくと立ち上がった。
「弁慶」
「ん?」
「売店にまだあったよな」
「まだって……何が」
「何っておめえ、花火に決まってンだろ」
「あ、ああ。花火セットなら、いくつか」
「買ってこようぜ」
「——ああ」
 一瞬の間ののち、弁慶が頷いた。
「あっちも確か割引になってた」
「ン、そんならよ」
 竜馬はズボンの右ポケットを探り、左側を確認し、最後に尻のポケットをまさぐって小銭を取り出した。
「やる」
「ひいふう……、何だよ、五百三十円かよ。いくら割引ったって、もっとするぜ」
「何で俺が全部出さねえといけねえンだよ。おめえも出せよ」
「俺は線香花火を買った」
「あー……まあ、それもそうか。そんなら隼人」
 すでに隼人の顔には不機嫌さが滲んでいた。
「おめえ、千円ぐれえあるだろ。出せよ」
 竜馬が人差し指をちょいちょいと動かし、金を無心する。隼人の顔つきがもっと険しくなった。
「出してやってもいいが、お前の言い方が気に入らねえ」
「ああ?」
「花火を買いたいので千円恵んでください、と言え」
「はあ⁉︎」
「お願いします、もつけろ」
「てめ、偉そうに」
「どっちが」
「んなろぉ!」
 竜馬が気色ばんで足を踏み出す。隼人も立ち上がり、前のめりになって睨み返した。
 その、次の瞬間。
 けたたましくサイレンが鳴り響いた。三人のスイッチが一瞬にして戦闘モードに切り替わる。
「行くぜ!」
 竜馬が真っ先に駆け出す。隼人も弁慶も続く。
「隼人! 弁慶!」
 走りながら、竜馬が声を飛ばす。
「いいこと考えたぜ」
「いいこと?」
 巨体を揺らしながら、弁慶が律儀に訊ねる。
「おう。ゲッタービームあんだろ? あんだけド派手なんだからよ、打ち上げ花火の代わりになるだろうが」
「無駄撃ちはやめろ」
 すぐさま隼人が牽制する。
「ンなことしねえって。相変わらずうるせえな」
「何だと」
「トドメにドカンと一発、いつもよりちいっとばかし大きめにぶちかましてやろうってだけだ」
「ははっ、そりゃあいいかもな」
「ほらよ、弁慶もああ言ってンだ」
 チッ、と隼人の舌打ちが聞こえてきた。
「いいじゃねえか」
 竜馬が振り向く。
「鬼のクソ野郎をやっつけるとこ、見せつけてやろうじゃねえの」
 きっと天の隅々にまで、その光は届く。
 祈ってくれる人がいるのはありがたくて、尊い。けれども、哀しい。隼人と弁慶は竜馬のために祈らない。
 きっぱりと断られたことが、何だか妙に嬉しかった。
 俺だって、と竜馬は思う。隼人や弁慶のために祈るのは面倒だ。それなら、誰も欠けずにいれば、欠けた人間のためにわざわざ祈ることもない。
「三人で当たりゃあ、鬼なんざどうってことねえ——だろ?」
 竜馬の笑みは確信に満ちている。隼人と弁慶は当然のように不敵に笑い返した。

 それで十分だった。