知らぬが無邪気

拓カム

拓馬←カムイ。つきあってません。バレンタインネタ。
匿名でこっそりチョコを拓馬にあげるカムイ、人生初のことにどうしていいかわからずカムイに助けを求める拓馬。図らずも開封の儀と拓馬の反応を目の前で見ることになるカムイのお話。
カムイがあげたことは最後にバレます。約7,000文字。2023/2/14

◆◆◆

 なあ、と両手で拝まれて、カムイは渋い顔をする。
「獏に頼めばいいだろう」
 なぜ自分なのか、と言外に問う。だが拓馬は、
「お前がいいんだ」
 と真剣な顔で答えた。だからそれ以上、カムイは拒めなかった。

   †   †   †

 質素極まりない部屋ではベッドの上がくつろげる唯一の場所だった。カムイは少しためらったのち、「座れよ」と促され足元側に腰掛けた。
「でよ」
 拓馬は備え付けの小さな冷蔵庫から何かを取り出し、これまた小さな丸テーブルに置く。それをそのまま持ち上げてカムイの前に持ってきた。
「これなんだけど」
 カムイの表情が強張る。しかし拓馬の視線はテーブルの上で、気づかない。
 どっかとカムイの横に腰を下ろす。
「——」
 触れ合うまではいかないが体温を感じる近さに、カムイが少しだけ離れて座り直した。
「今朝トレーニングから戻ってきたら、ベッドの上に置かれてた」
 深緑の地色に、細い金色の縁取りでダイヤ柄が入った用紙に包まれている。
「たぶん、チョコだと思うんだよな。今日ってバレンタインだろ」
 赤いリボンシールを指でなぞる。
「……中身はともかく、そういう見た目なのだから、プレゼントには違いないだろうな」
 カムイがぼそりと答えると、拓馬からは「だろ?」と困惑した声があがった。
「そうだよな?」
 うかがうさまはいつになく自信なさげで、本気で困っているようだった。
「それで、いったい俺にどうしろと?」
「……これ、開けるから一緒にいてくんねえか」
 きょろきょろと視線をさまよわせたのち、拓馬が遠慮がちに言った。
「…………は?」
 ぽかんと開いた口から、カムイらしくないとぼけた声が転がり出る。
「いや、だってよ」
 拓馬が焦ったように身体を揺らす。
「もし、もしもだぞ」
 両の指がもぞもぞと所在なさげに動いていた。
「いそいそと開けて『ハズレ』『残念でした』とか書かれた紙でも出てきたらショックだろ」
「……わざわざそんないたずらをする奴はいないだろう?」
「い、いねえと思うけど、いるかもしんねえだろ。本当にチョコだったとしても、見た感じ名前も書かれてねえし、メッセージカードみたいなモンもねえし、誰からかわかんねえ」
「……」
「お前、ここが長いだろ? だから、誰か心当たりいねえかなと思って。それに——」
 太い眉が下がる。
「それに、俺……、こういうの本当にどうしたらいいかわかんねえんだよ」
 まるで路地裏に置き去りにされた仔犬のように目で縋る。
「……そこまで大げさに考えなくてもいいだろう?」
 カムイはあきれ気味に息をつく。正直、もっと重大なことを懸念していたので気が抜けたのが半分、あまりに心細そうな様子に邪険にもできず立ち去れないのが半分だった。
「好意は感謝して素直に受け取る。それだけでいいだろう?」
「そう、だけどよぉ」
「世の中には義理チョコもあれば友人同士で贈り合うチョコもあるらしいじゃないか。必ずしもお前に気があるとは限らないし、重く受けとめ過ぎるのも、相手がそうと知ったら負担になるんじゃないのか」
 ううん、と歯切れの悪い相槌があがる。
「……義理チョコかも、ってのもわかるんだけどよ、俺、そういうのももらったことねえんだ。お前、モテるだろ? だから」
「俺は別に」
「おっと。『俺はモテない』とか言う気じゃねえよな」
 拓馬の左手が制止する。
「こう言っちゃ何だけどよ、お前、頭いいだろ? 顔もなかなか男前だし、何やったって器用にこなすだろ。髪の毛もキレイだし。これだけ揃っておまけにクールときたモンだ」
 指折りして示してみせる。
「神さん見てりゃわかるだろ?」
「神さん?」
「おうよ。あの人、モテるだろ」
「……まあ、常に人の視線と尊敬を集めているのは確かだな」
「だろ? それと一緒だ。お前は気づいてないかもしんねえけど、モテるぞ」
 からかいの口調ではなかった。カムイにはまったくその自覚はなく、妙な褒め方をされて居心地が悪くなり始めただけだった。だが拓馬は構わず続ける。
「あ、あとお前、部屋もキレイだよな。几帳面っていうのか? その作業着だっていっつもピシッと折り目ついてるし、靴もキレイだよな。キレイっていや、魚の食い方とかもそうか」
 連想ゲームのように、次々と話が飛んでいく。
「それから——」
 ふと、言葉が途切れる。
 まっすぐに見つめられ、カムイは身動きができなくなる。
 世界が止まったような感覚だった。「何だ」とそのひと言がなぜか喉から出てきてくれない。
 拓馬がつい、と身を乗り出す。
 キシ、とベッドが鳴った。
「前から思ってたけど……、お前って、何かいい匂いするよな」
 間近で、拓馬の鼻がひく、と動いた。
「————っ!」
 弾かれたようにカムイが仰け反る。予備動作なしのその過剰ともいえる反応に、今度は拓馬が驚いて仰け反った。
「お、あ——わ、悪い」
 尻をずらし、距離を取る。
「そ、その、だから——そう、お前がモテてそうだったから、いろいろ相談、したくてよ」
 想定外のことばかりで狼狽癖がついたように、拓馬はしどろもどろになった。

 視線の先では拓馬がえらく真面目な顔つきでプレゼントを開封していた。豪快にビリビリといくのだろうと考えていたので、繊細にテープが剥がされていくのはカムイにとって新鮮で、いい意味で裏切りだった。
 ラッピングが無事に役目を終える。拓馬はその用紙とくるまれていた箱をためつすがめつ眺めた。やがて、不思議そうな表情でカムイを見た。
「これ、賞味期限のシールとか店の名前とか入ってねえ。……もしかして、手作りなのかな」
「……そう、かもな」
「うわ、何か、すげえ緊張してきた」
 笑ってみせるが、その口元は引きつっていた。
「よ、よしっ、開けるぞ」
 すう、はあ、と三度も深呼吸を繰り返し、拓馬が勢いよく蓋を開けた。そのまま、箱の中身に釘付けになる。
 カムイはそろりと首を伸ばし、箱を覗き込んでいる拓馬の横顔をうかがった。
「……すげえ」
 ぽかっと開いた口から漏れる。
「なあ、カムイ……」
「何だ」
「これ……すげえな」
 大声ではしゃぐでもない。顔面いっぱいの笑顔でもない。けれどもその感嘆がすべてだった。
「これ、俺にか」
 ころんとしたトリュフ、ココアパウダーがかかった生チョコレート、ナッツがトッピングされたものに色鮮やかなオランジェット——どれも美味しそうだった。
「食うのがもったいねえな」
 欲しがっていた玩具をもらった子供のように拓馬の目が輝いた。
「……食ってもいいのかな」
 呟きに、カムイが静かに答える。
「お前にあげた人は、きっと食べて欲しいと思っている」
「え」
「——と、思う」
「あ、ああ、そうだよな」
 うんうん、と頷き、拓馬はトリュフをひとつ手に取った。くっと見つめ、唾を飲み込む。
「い、いただきます‼︎」
 部屋の外にまで響き渡るような声で言い、ぱくりと食べた。
「……」
 変化を見逃すまいと、カムイはまばたきもしない。
「……」
「……」
 ちろ、と拓馬が目線を寄越した。カムイは息を止める。
「す……」
「す?」
 自然にカムイの上体が前傾し、拓馬に近づく。拓馬は鼻から息を吸うと、キッと顔を向けた。
「……すっげえ、うまい」
 大真面目な表情と声で告げる。
「めちゃくちゃ、うまい」
「そ、そうか」
 カムイが息をついた。
「もう一個食っちまお」
 チョコを取り出し、手首をひねっていろんな角度から眺める。最後に嬉しそうに目を細めてから二個目を味わった。
「うん、うまい!」
「……よかったな」
 拓馬の笑顔につられるように、カムイから緊張が消えていった。
「これ、全部食っちまうのもったいねえな。二個ずつだからあと……六個だろ。毎日一個——いや、二日に一個とかにしてずっと食ってたいな」
「手作りだと日持ちしない。冷蔵庫に入れて、二日程度のうちに食べてしまったほうがいい」
「……そっか。仕方ねえな」
「ああ、もったいないからと言って、悪くしてしまうほうが余程もったいない」
「そうだな。……なあ、カムイ」
「何だ」
「一個やるよ」
 拓馬がチョコをつまんでカムイの口元に差し出した。
「本当にうまいから、お前も食ってみろ」
 瞬間、カムイの気が刺々しくなった。
「断る」
「え」
 つん、と顔を背ける。
「お前がもらったものだろう? 責任を持って、お前が食え」
「……責任」
「そうだ。お前は己の好意を込めたものを、勝手にほかの人にお裾分けされて嬉しいか」
 拓馬はチョコを見つめ、カムイを見て——またチョコに視線を戻した。
「嫌なら、誰の目にも届かないところで処分しろ」
「嫌なんかじゃねえよ。ただ俺は、すげえうまいからお前にも——いや」
 小さく首を振ってチョコを箱に戻す。
「そうだよな。くれた人に失礼だよな。……悪かったよ」
 蓋を閉じ、大事そうにそっと手を乗せた。
「お前に自慢したみてえになって悪いけど、これ、ひとりで食うわ」
「そうしてくれ」
「お前、優しいな」
 唐突に言われ、カムイはまたしても「は?」と気の抜けた声をあげた。
「俺、自分の気持ちばっか優先で、くれた人のこと考えてなかった。やっぱ、お前に相談して正解だったわ」
 ぽかんとしているカムイににっかり笑いかける——カムイの目が泳いだ。
「呼び出して悪かったな。けど助かった。俺ひとりじゃ何だか気持ちが落ち着かなくてよ。つきあってくれた礼に、今度お菓子やるよ」
「……いや、いい」
「遠慮すんなって。それは俺からの気持ちだから」
「…………ああ」
 そうでも言わないと拓馬が引き下がらないのをわかって、カムイは頷いた。

   †   †   †

 結局、拓馬は一種類ずつチョコを食べ、感想を述べた。カムイは「ああ」「そうか」と素っ気ない返事をしながらも、拓馬が残りを冷蔵庫に仕舞うまでつきあっていた。
「いったい、誰なんだろうな」
 幾度も口にし、そのたびにカムイは「さあな」と律儀に答えた。
 拓馬が大きく息を吐き出し、ぼふん、とベッドに仰向けに身を沈める。
「…………カムイ」
「何だ」
「お前、こういうチョコくれる人に心当たりねえか」
「ない」
「手先が器用でよ、センスもよくて」
「さあ」
「たぶん、控えめな人だな。それで、きっと仕事ができる人だ」
「漠然とし過ぎだろう」
「それから、え、と……、俺のこと……、す、好きそうな、人」
 最後は口の中でもごもごと消えていった。カムイはそれには何も答えなかった。
 また、拓馬が口を開く。
「…………なあ、俺のこと、バカだって思うか」
「何?」
「だってよぉ、相手が誰かわかんねえのは決まってるのに、こうやってずっとうだうだしてる」
 はあ、と溜息を重ねる。
「いいや。馬鹿だとは思わない。けど」
「けど?」
「なぜ、そこまで気にする? その気持ちだけでもう十分だろう」
「あげた人はそうかもしんねえけどよ、俺だってもらった側として、何か返したい。これに限っては自分の気持ち優先でもいいだろって思うんだけど」
「……返すって、たとえば?」
「そうだな」
 拓馬が天井を見つめる。
「チョコのお返しだから、やっぱ食いモンがいいのかな? 甘いお菓子……、ケーキとかプリンとか? いや、実用的なモンのほうがいいか。銃とかナイフとか? なあ」
 身体を起こし、カムイに近寄る。
「カムイなら、何が欲しい・・・・・?」
「…………俺の欲しいものを聞いてどうする」
「へ?」
「『お前なら、何をあげる?』じゃないのか」
「あ、そっか。何か、つい。へへ」
「お菓子なら、クッキー、マシュマロ、キャンディあたりか」
「へえ。やっぱお菓子なんだな」
「紅茶やコーヒーのギフトもありだとは思う。それ以外というなら、ハンカチとかが当たり障りのないものだろうが……色や模様は好みもあるしな」
「あー……」
「実用的なもの、というなら筆記用具……とか。安過ぎず高過ぎず、デザインもシンプルなものを選べば邪魔にも負担にもならないだろう」
「なるほどなぁ」
 拓馬は感心したように頷く。
「選択肢がいっぱいあって困るヤツだよなあ。……じゃあ、もしそういう物じゃなかったら……、一緒にどこか行くのはありか?」
 カムイの眉がぴくりと動いた。
「どこか、面白そうなとこ」
 瞳が宙を迷う。カムイが密かにその行方を追って——、
「お前なら、どこに行きたい・・・・・・・?」
 急に振られ、視線を外し損ねる。
「な、カムイならどういうところに行きたい?」
「……ぁ」
 慌ててまばたきを繰り返し、その下で目を逸らす。
「ええ、と……、し、植物園か、……プラネタリウム」
 思わず本音が零れてしまう。答えを聞いた拓馬は笑顔になった。
「それ、いいじゃねえか。街に下りればあるよな! 外出許可さえ取れれば——あ」
 盛り上がったのも束の間、相手が目の前の男ではないことを思い出す。
「……あーあ」
 残念そうな声をあげて、拓馬が再びベッドに倒れ込んだ。目を閉じて、それきりだった。
 時間が流れていく。
 カムイの唇が開かれてはすぐに閉じられる。もう、二度もそうやって糸口を探っていた。
「——」
 やがて意を決したように開かれ、今度は「もし」と声が落ちた。拓馬の目蓋がゆっくりと持ち上がる。
「もしもだ、拓馬」
「何だよ」
「もし、チョコをくれた人が名乗り出たら……、それが誰であっても、同じようにお返しがしたいと思うか」
「思う」
 すぐさま返ってくる。
「……意外な相手でも、か?」
「ああ。嬉しいのは変わんねえ。逆に、好きになっちまうかもな」
 からりと笑う。
 カムイは床を見つめたままだった。
「拓馬」
「あん?」
「その」
 目には入らなくとも、ベッドの軋みで拓馬が身を起こしたのがわかった。
「……いや、何でもない」
 カムイはわずかに首を横に振り、場を流す。拓馬はそれ以上、訊ねなかった。
「——いっそのこと、大々的にやってみるか」
 しんとした空気を振り払うかの如く、拓馬が伸びをする。
「もうさ、所員全員に『お礼がしたいので名乗り出てください』って一斉メール送るとか、放送で呼びかけてみるってのはどうだ?」
「やめろ馬鹿」
 途端にカムイの声が飛ぶ。
「は? おい、バカはねえだろ。っていうか、さっき『バカだとは思わない』って言ったじゃねえか」
「さっきのとは意味が違う。やり方が悪手中の悪手なんだ。馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
「んな」
 尖った声で責められて、拓馬がムッとする。
「だって、そうでもしねえと見つけられねえだろ」
「いいか」
 カムイの双眸も不機嫌そうに歪められた。
「名乗りたくないから名前はないし、筆跡で特定されたくないからメッセージカードも入れてないんだ。誰にも見られないようにこっそり置いたのに、全員に訊ねる奴があるか」
 人差し指で拓馬の胸をぐい、と押す。だが拓馬は負けじと上体で押し返してきた。
「もちろん、みんなの前で言えってんじゃねえよ。こっそり名乗り出てくれってちゃんと伝えるさ」
「そういう問題を言っているんじゃない」
「ひと言、顔を見てお礼が言いたいだけなんだよ」
「ありがた迷惑だ」
「そんな言い方ねえだろ。第一、何でお前に迷惑かかるんだよ? お前、俺がチョコもらったからって嫉妬してんだろ」
「残念だったな、それはない」
「じゃあ俺に先に恋人ができそうだから焦ってんだろ」
 どうだ、と言わんばかりの顔で拓馬が人差し指でカムイをつつく。カムイの表情に苛立ちが浮いた。
「——違う」
 ぱし、と拓馬の手を払いのける。
「あんまりくだらないことを言うな」
「何カリカリしてんだよ」
「してない」
「してるだろ。ったくよぉ」
 拓馬が払われた手を反対の手でこすった。
「っていうか、もしかして」
 カムイの顔を覗き込む。いたずらっぽく瞳がきらめいた。
「チョコくれたのって、お前だろ」
 ふふ、と笑うと、かすかに息がカムイの唇に触れた。
「っ……‼︎」
 カムイが勢いよく立ち上がる。
「え? あ?」
 そのまま大股で歩き出す。
「あっ、おい、どこ行くんだよ! おい!」
 構わず扉に向かう。
「——カムイ!」
 拓馬がカムイの左手首を掴んだ。
「……放せ」
「なあ、どうしたんだよ」
「帰る。放せ」
「カムイ、お前」
 手首を引っ張られる。存外に強い力で、カムイがわずかによろめいて振り向く。
「え」
 拓馬が小さく声をあげ、そのあとはふつりと言葉が途切れた。
「……拓馬?」
 不審げに見やる——と、拓馬の顔がどんどん赤くなっていった。
「お前」
「……っ」
 ふい、と目を逸らされる。

「——あ」

 それでようやく、カムイは自分のほうが赤面しているのだと気がついた。