高嶺の花は

カム隼

子カムイ→隼人。
カムイが研究所に来てから数か月くらいの時期。隼人への淡い思いを自覚している子カムイが、「高嶺の花」という言葉を知り、いつか自分もその存在を手に入れたいと心に決める日のお話。ギリ4,000文字未満。
・隼人に連れられて山地トレーニングと称し、山の中を歩いています。

◆◆◆

 たかねのはな・・・・・・、とカムイは隼人の言葉をなぞった。
「そうだ」
 隼人は右手で指し示す。
「高嶺自体は高い峰や山の頂を指しているが、ああいう、手の届かない場所にある花を言う」
 少し息があがっているカムイとは対照的に、隼人が涼しげな声で言った。
「ひいては、自分のものにはできない存在を表す言葉になっている。高価過ぎて買えないもの、身分や立場が違い過ぎて近づけない相手」
「何かだけではなく、誰かにも使う言葉なのですか」
「ああ。むしろ、『彼女は才色兼備で人気者、俺には高嶺の花だ』などと使うのが鉄板だ」
「そうですか」
 カムイは隼人が示す先を見る。そびえる崖の上のほうに、小さな花が咲いていた。花びらの形までははっきりと見えなかったが、白くて可憐な花だった。
「きれいですね」
 風に吹かれて揺れる花は、本物の自然の姿だった。冬になれば雪で埋め尽くされるこの場所にも、生命は根を張っている。
 時折、隼人に連れられて山に分け入る。尾根を縦走し、気象や地形の読み方を教わる。あるいは山中で生きる知恵と自然の中での戦闘術を習う。まだ子供の身体ではきついこともあるが、景色は素晴らしく見応えがあるし、何より隼人といろんな話ができる。だから山地トレーニングと名前はついていても、カムイはこの時間が好きだった。
「カムイ」
「はい」
「あそこに、手が届かない花がある。美しい。唯一無二。どうしても手に入れたい。お前ならどうする?」
 隼人はカムイに横目をやる。カムイは崖を仰ぎ、周囲を見回す。
 あの花が欲しい、どうしても欲しい——そう思ったのなら。
「下からは難しそうです。かなり登らなければいけないし、崩れやすそうだし、落石もあるようですね。上から……も難しそうですね。あそこがちょうど突き出ているし、ロープを垂らしてもうまく辿り着けそうにありません」
「諦めるか」
「はい。欲しいのがあの花なら、諦めます。ここで咲いているのを眺めているだけでいいです」
「本当に?」
「はい。けがをするかもしれないし、下手をしたら落ちて頭を打つでしょう。それに、あの花はあそこでせっかく咲いているのですから、そのままにしておくのがいいです。近くで見たいなら、双眼鏡を持ってきます」
 隼人が微笑む。
「それがいい。無闇に歩き回れば、ほかの植物も踏み荒らす。花は、生きている場所から引き抜かれれば必ず枯れる」
「はい」
「だが」
 穏やかな稜線を描いていた目元がきつくなる。
「もしあの花を取ってこいと命じられたらどうする」
「え」
「俺があの花を取ってこいと命じたら」
「……それが、役目なら」
「では、俺に命じられたあとで、恐竜帝国から秘密裏にあの花を取ってこいと指令があったら」
「それは」
 カムイの眉が下がる。
「どちらに従う」
 赤い瞳が惑う。
「……わかりません」
「では質問を変えよう。あれは特殊な病気に効く薬草で、お前の母がその病気を患い、もう長くないとしたら」
 母、と聞いてカムイの目が見張られる。
「しかも、あれがこの世界で最後のひと株だとしたら」
 隼人の意図が読めず、カムイの視線が泳ぐ。母の病気が治るなら。けれどもカムイの行為によって、貴重な薬草は永遠に失われてしまう。
「あの、その病気は」
「世界中に罹患者がいる。この時点で、ほかに治療薬はない」
「それなら、母の生命は助かっても」
 今、苦しんでいる者たちは助からない。新たに罹患する者たちも、助からない。自分も隼人も、いつその病気になるかもわからない。
「研究用に回せば特効薬が開発できるかもしれない。クローン株を作り出せるかもしれない。だがそれまでは母親は生きられない。お前はあの花を摘み取るか」
「…………わか、りません」
 カムイの目元が歪んだ。しかし隼人の問いは終わらなかった。
「では、お前があの花を守る立場にあるとする。生命を救う、貴重な花だ。こっそり盗もうとする輩から守らなければならない。お前の使命だ」
「はい」
「敵は排除しなければならない」
「はい」
「恐竜帝国がその花を狙ってきたとしたら」
「え……」
「恐竜帝国が総力をあげて攻撃してきたらどうする」
「そんな」
 ひとりふたりではない。一国が総力戦で挑んできたら。こちらにどんな武器があろうとも、敵うはずがない。
「己の使命を投げ捨てて降伏するか。それとも、敵わないとわかっていてもなお、大事なものを守るために闘うか。闘いたくはない相手に、どう立ち回るか」
 カムイは答えられない。隼人は畳み掛ける。
「あるいは、花を奪われないために自らの手で引き抜くか」
 それは使命の放棄と同じだ。だが相手は目的を果たせなくなる。最低ではあるが、最悪の結果は免れる。
 それしかないかもしれない。今はほかに手が思いつかない。
「……もしか、したら……そうするかも、しれません」
「相手がひとりなら確実に仕留められるか?」
「…………はい、闘います」
「手強い相手なら?」
「……いつか、そんなときが来ても負けないように、私も強くなります」
「いいだろう」
 隼人が頷く。やっと隼人が望む答えを言えたかもしれない。カムイがほっと息をついたときだった。
「では、その花を手折ろうとするのが俺だったら?」
 カムイの息が止まった。
「相手は俺ひとりだけだ」
 隼人が薄く微笑んだ。
 とうとうカムイは困り果て、泣きそうな目で隼人を見上げた。
 隼人のすることに無駄はない。あれこれ問うているのも、カムイに大切な何かを教えようとしているからだとわかる。けれども、ひどく難しく、つらくなるような問い掛けだった。
「どうだ、カムイ」
 何も考えられず、カムイはただ首を横に振った。
「わからないか」
「わかり……ません……っ」
 どうすればいいのか本当にわからない。それに、考えたくなかった。この答えはきっと隼人を落胆させてしまうだろう。そう思うと、情けなくて胸が詰まった。
「カムイ」
 項垂れた頭に隼人の手が置かれた。
「考えろ」
 大きな手がカムイの頭を撫でる。
「使命と、宿命と、運命。お前がこれから、ずっと向き合っていくものだ」
「……使命と、宿命と、運命」
「そうだ。使命はわかるな? 己が為すべきことだ」
「はい」
「宿命は、言わば星の定め。生まれたときにはすでに定まっているものだ。お前が帝王ゴールと人間の間に生まれたことのように」
「……」
「運命は——解釈は人によりけりだろうがな、俺は『その者が歩いてきた道と、これから征く道』のことだと思っている」
「みち、ですか」
「ああ、道は無限にある。だが生きていく以上、どれかを選ばなければならない。引き返せるときもあるが、後には引けない道もある」
「私が……進む道」
「いつ何時なんどき、そういった難問がお前の前に現れるかわからない。考え続けろ。正解はない。とにかく考えるんだ」
「…………はい」
「お前が悩んで、迷って、選んだ道が正解だ。お前が正解にしていくんだ」
「…………できるでしょうか」
「選んだのなら、自分を信じろ」
 それは、生まれて初めての言葉だった。誰も、カムイに教えてくれなかったことだ。
 カムイはゆっくりと目線を上げていく。
 まるで山の頂を見るようだった。隼人もずっと、過酷な現実と向き合ってきた。だからこそ伝えられる言葉なのだろう。
 カムイは——高く昇った太陽の眩しさに目を細める。それでも、自分を優しく見つめる隼人の表情はわかった。
「——はい」
 息を吸い、しっかりとした声で応える。隼人の表情がさらに柔らかくなった。カムイの胸が鳴る。それは緊張感から解放された安堵からでもなく、自分を勇気づけてくれた言葉による高揚からでもなかった。
 鼓動が高鳴る要因はわかっている。カムイの思いは、より強くなって心に宿る。
「神さん」
「ん?」
「恐竜帝国には、山がないんです」
「山が——ああ、そうか」
「だから、高嶺の花という言葉はないんです」
「ああ」
「今日、初めて知りました」
 カムイがはにかむ。
「さっきはあの高嶺の花なら諦めますと言いましたが」
 白い花を見やり、隼人に視線を戻す。
「……もしほかに高嶺の花を見つけたなら、きっと諦めないと思います」
 隼人が目を丸くし、「ほう」と愉快そうに笑う。
「危険な目に遭っても、手に入れるか」
「手に入れたいです」
「死ぬかもしれなくても?」
「はい」
「皆がやめておけと言ってもか」
「はい、神さんがそう言っても」
 きっぱりと言うカムイに、隼人の目が思い切り細くなった。
「それはそれは——お前がそんなにも欲しいものか」
「はい」
 カムイも微笑む。
「誰にも奪とられたくないです」
「何だ、まるでもう見つけたような言い方だな」
「それは——どうでしょう」
 少しくすぐったそうに、カムイが首をすくめた。隼人はそれ以上、詮索しようとはしなかった。
「——まあ、このご時世だ。何もかもが高嶺の花だろうな」
「そうですね。でも……私が欲しいのはきっと……世界でいちばん、高嶺の花だと思います」
 高嶺の花は、うつくしい。厳しさに耐えて咲くからこそ、気高い。
 隼人を見つめる目はまだあどけない。しかしその眼差しの奥には、密やかな情熱がしっかりと灯っていた。