青空は追憶の季節

新ゲ

ピクスクで開催の墓参りWEBオンリー『あなたに会いに来ました3』参加作品です。

竜馬が二十歳になる少し前。お盆時期にお父さんのお墓参りに行くお話です。こういう設定のお話なんだなあと受け入れて読んでいただけたら幸いです。
約4,000文字ちょい。pixivにもあげています。
・父親は九州の出身、地元で何かがあり上京、新宿で道場を開くという設定。竜馬は「親父(オヤジ)」呼び。
・道場はあの辺り一帯の土地持ち大家さん(カルロスのアパートも持ってる)から購入。ご近所づきあいは良好。
・竜馬が幼い頃に母親は他界。竜馬は墓前で「お袋」呼びしてます。
・お墓は公営の墓地。母親も同じお墓ですが、父親メインに竜馬が話しかけています。
・父親は竜馬が16~17歳辺りで病気で他界の設定。アニメに出てくる「借金」は竜馬がしている設定。
・オリモブが出ます。
・ちゃんとお供え物は回収してます。

◆◆◆

 墓の全景が見えたところで竜馬は足を止めた。
 色も形も瑞々しい花、煙が立ち昇る長い線香、まだ水滴がついているペットボトルのお茶。先客がいたようだった。
 竜馬は少しの間ぼんやりとその光景を眺め、それからまた歩を進めた。
「よう、親父」
 墓を見つめ——声をかける。
「お袋も。久しぶり」
 一年ぶりの墓参りだった。
「今年も、誰か来てたンだな」
 毎年、誰かが来てくれる。近所の誰か。電器屋の主人に床屋の主人。和菓子屋のおかみさんに、クリーニング屋の夫婦。ばったり出会でくわしたことがある。単に近所のよしみかもしれない。自分たちの墓参りのついでかもしれない。それでもわざわざ立ち寄ってくれるのは、悪いとは感じつつもありがたかった。
「俺の知ってる人か」
 墓に水をかけながら問う。たぶんそうだ。墓周りが綺麗だった。牧田のおばちゃんなら、と思い浮かべる。彼女なら世話好きが服を着て歩いているようなものだから、せっせと草むしりしてくれそうだった。
「それとも」
 竜馬の知らない誰かだろうか。
 父親は九州の出だと聞いたことがある。いつ上京したのか、いつ竜馬の母と知り合ったのかもわからない。ただ、身重だった竜馬の母とふたりで道場を開ける場所を探し、やっとのことで新宿ここに落ち着いたのだけは知っていた。竜馬が知っている限りでは親戚づきあいはない。きっと昔、何かがあったのだろう。
 それでも、ひとりかふたりくらいは連絡を取るような人がいたのだろうか。もしくは空手で縁のあった人だろうか。
 それとも——。
 世俗とほとんど繋がりを持たず空手の道をひたすら歩いたあの父に、死後も手を合わせてくれるような友がいたのだろうか。
 もっと訊ねておけばよかった。そう思うのは、父親の死から数年が経って、竜馬自身も前よりは少し周りが見えるようになってきたからだった。来るたびに、考えること、問いたいことが増えていく。
「けど、ダチっつったってよお」
 竜馬が把握している父親の「友」はひとりだけだ。しかし名前も顔も知らない。どこにいるのかも知らない。そういう人がいる、と父に聞いただけだった。竜馬は無言で墓をスポンジでこする。
 父親はその友に頼まれ、連帯保証人になった。友が借金を返せなくなり——竜馬の父が肩代わりすることになった。どうやって工面したのかは知らない。借金をどうにか完済した直後に倒れ、しばらく入院したのちに息を引き取った。
 一度だけ訊いたことがあった。
「はじめっから、あっちは親父を利用する気だったンじゃねえの」
 すると父は、
「あいつの心中はどうであれ、手を貸すと決めたのは私だ」
 と、言い切ったのだった。
 母が生きていたら止めただろうか。元から裕福な暮らし向きではなかったし、幼い竜馬がいたからきっとそうだろう。だがあの父なら、それでも我を通しただろう。
 その「友」は今はどこでどうしているのか。あの頑固で厳しい父親が友としたのは、どんな人間だったのか。一度くらい、会ってみたかった。
「ま、親父がそれでいいってンなら、別にいいけどよ」
 ぎゅっとスポンジを絞る。仕上げに墓石に水をかける。柄杓からさらさらと注がれた水が墓石を艶めかせる。跳ねた水の粒が太陽の光を受けてきらめいた。
 ぴかぴかになった墓は八月の青空に映えて存在感があった。どしりと構えて何も語らない様は、まるで父親そのものだった。
 花を立て、線香をあげる。父の好物だった大福を母の分とともに供え、手を合わせた。
 風が流れる。盛夏の熱と湿気を含んだ風ではあったが、じわじわと汗が浮き出てくる身体には心地よかった。墓参りの人たちの声に混じり、蝉の声が聞こえた。
「……うし」
 立ち上がる。
 普段は墓参りなんてしない。この時期だけだ。それでも十分だろう、まったく顔を見せないよりはマシだろう——そう言えば、きっと「お前の好きにしろ」と返ってくるのだろう。
「俺も親父のおかげで、人生それなりにやってらあ。少なくとも、退屈はしねえな」
 親父のおかげ・・・
 一度も、親父のせい・・とは言ったことがない。口にしたところで得にはならないし、誰も倖せになれない。
 父親の入院にはそれなりにかかった。不要だと突っぱねるのを何とか説得し、あれこれと検査をした。選り好みしなければいくらでも日雇いの仕事はあったし、体力はあったから検査の費用はどうにかなった。結果、手術が必要だとわかった。けれども身体は元のように動かなくなるし、一旦はよくなっても再発するかもしれないと医者に言われた。結局、本人の意向で手術はしなかった。
 亡くなったあとは当然、諸々の手続きや負担はすべて竜馬にのしかかってきた。民間の保険もかけていなかったし、貯金もほとんどない。おまけに竜馬は未成年だった。道場を売ってくれた付近一帯の土地持ちの年配夫婦が未成年後見人を買って出てくれて——今にして思えば、父親と約束をしていたのだろう——何もわからない竜馬に代わってあれこれと世話をしてくれた。それだけは唯一、竜馬にとっていい出来事だった。
 物事は一旦よくない方向に傾くと、なぜかすべてがそちらに引っ張られていく。竜馬にとってもそうだった。まるで運命の悪意が膨らんでいき、重りとなって不均衡が徐々に大きくなっていくようだった。
 道場からは人が消えた。骨接ぎも閉業した。竜馬はまだ跡を継げないのだから、どうしようもない。収入も途絶えると、暮らしていくだけでいっぱいになった。その場しのぎであれこれとバイトをしたが、どうにも足りない金も出てくる。ただでさえ世話になっている後見人に相談するのは気が引けた。
 結局、非正規ルートで金を借りた。筋のよくない金なのはわかっていた。けれども、それしか方法がなかった。
 だから選んだ。
 そんな折に行われた昇段試験だった。
 対戦相手を殴った。ほとんど再起不能に陥るまでにダメージを与えた。父親の悪口を言われ、黙ってはいられなかった。
 そもそも、下衆な言い方で煽ってきたのは相手のほうだ。空手道の精神にももとる。竜馬にしか聞こえないように、組み手の最中に言ってきた。それを告げれば、失格になって協会の出入りを禁じられたのは向こうだったろう。けれども、竜馬はそれを選ばなかった。自分の手で決着をつけることを選んだ。どうなるかはわかったうえで。
 選んだのは自分。
 誰のせいでもない。
 何かのせい、誰かのせいにするのは簡単だ。しかし、それで何が残るのか。負の感情を一時いっときだけ忘れ、いい心持ちになるだけだ。あとには何も——何も残らない。
 すべて自分で選んだ道なら、たとえ困難であっても「ふざけンなよ」と苦笑しながら立ち向かえるし、間違えたとしても「ああ、バカやっちまった、しょうがねえな」と溜息混じりに笑えるだろう。
「俺って、親父とお袋、どっちに似たンだろな」
 家にあるのは、まだ赤子の竜馬を抱いている母親の写真だけ。物心ついたときには、すでに母は鬼籍に入っていた。
「……ああ、そうか」
 不意に思い出す。墓前で妻を偲ぶ夫——父の姿は苦しそうだった。言葉で嘆くわけでもない。涙を流すわけでもない。身じろぎせず、じっと何かをこらえている。幼いながらも竜馬は声をかけてはいけないと感じ取っていた。
 あれは——。
 竜馬は一歩。右にずれる。記憶の中で竜馬はここに立ち、手を合わせる父の横顔を見つめていた。
 そこに、強い父はいなかった。まるで悔いているようだった。まるで自分自身を責めているようだった。深い縦じわが刻まれた眉間。くたびれた表情、噛みしめられて微かに震える唇。それは「妻が死んだのは自分のせいだ」と懺悔しているようだった。
 母がいなくなったのは、決して父のせいではない。それは理解していた。母に会えなくて寂しい。甘えたい。けれども父のつらそうな顔を見て、責めずにいたいと思った。責めたら父も自分ももっとつらくなるだけだとわかっていた。だから——誰かを責めるのはやめようと決めたのだった。
 時折、どうにも吐き出さないとやってられなくなったときは。
 せい・・ではなく、おかげ・・・
 笑って言ったなら、少しの嫌み風情もあって、けれども追い詰めるような言い方でもなくて、日常の景色のように淡い色合いで済ませられる。
「さて。来年は、どうなってっかな」
 竜馬は笑う。
 この先、どうなるかはわからない。もうすぐ二十歳を迎える。成人すれば後見人は役割を終え、竜馬はひとりで生きていかなくてはならない。せめて、あの道場は守りたい。
「ま、やれるとこまでやってみるさ。何とかならァな」
 もう少し長生きしてくれたら、一緒に酒を飲む日があったかもしれない。
 決して不仲ではなかった。ただ、父は最低限のことしか話さなかった。だから子も、必要なこと以外は訊かなかった。空手で繋がってはいたけれども、絆を確かめ合えずに終わってしまった。
 つくづく不器用な父子おやこだった。

 墓地の出口付近まで来たときだった。向こうから体格のいい中年男性がひとり、歩いてきた。竜馬は脇に避け、道を譲る。気づいた男性が足を止め、軽く会釈をした。
 竜馬が会釈を返す。男性が通り過ぎていく。
「——」
 視線を上げ切る直前、ちらりと視界に入った。思わず「あ」と言いそうになった。
 水桶を持つ手に、いわゆる拳ダコがあった。
 顔はよくわからなかった。振り返って姿勢のいい、大きな背中を見つめる。
 空手をやっている人間だ。
 それだけではなく。
「…………」
 何となく、父親と同じ雰囲気、匂いを感じた。
 もしかして、あれが——。
 いいや、きっと違う。竜馬は男性が向かう先を見届けず、背を向ける。
 けど、もしそうなら。
 竜馬には仲間も、ましてや友もいない。それで今まで生きてきた。問題なんて何もなかった。なら、これからだって必要のないものだ。
 だが自分の生きる道を——未来さえもなげうってでも助けたいと決断するほどの「友」がいた父は、どうだったか。倖せだっただろうか。
 ふと立ち止まる。振り返りたい衝動を、深呼吸をして押さえ込む。
 来年、訊いてみるかと考える。自分のほうにも何か、報告することができているかもしれない。一年生きていれば、それなりにまた面白いことが起きるだろう。
「親父のおかげで」
 と、また言ってやる。
 友が訪ねてきてくれたら、あのいつも渋く厳しい顔がどんなふうに変わるのだろうか。想像してみたが、なにぶん竜馬の記憶にとんとない表情だから、頭の中の父はにこりともしなかった。
 竜馬は抜けるような青空を仰ぐ。眩しくて、目の奥がキュッとする。馬鹿みたいに晴れやかで、墓参りにはうってつけの。
「——いい日だ」
 夏の空気を思い切り吸い込む。蝉はまだ、忙しく鳴いていた。